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*バレンタイン*
【1箱目】背伸びして、ウィスキーボンボン
デパートの催事場は、通勤ラッシュの電車みたいに人でもみくちゃだった。
押されて、押されて、もう大変。
大量の教科書が入っているスクールバッグが、こんにゃくみたいにぐにゃぐにゃになる。足の先に引っ掛けたローファーは今にも脱げそう。
甘ったるいチョコレートの香りと、何がどう混ざったのか分からない、香水や化粧品の化学的な刺激臭が、鼻の奥から頭にかけてじわじわと侵食してた。
「会場内は焦らずゆっくりとお進み下さい!」
怒号にも近い、警備員さんの言葉。ゆっくり進むにしても、どっちに行けばいいのか分からない。
だって、お目当ての店がある訳じゃないから。
だって、どんなのがいいか分からないから。先生に渡すチョコレート。
可愛い箱よりも、大人っぽい箱のものがいい。
それに、シンプルな方が好きだって言ってきた。
確か財布もそうだった。他の生徒に混ざって自販機に並びながら、すっとポケットから出された財布。黒い革の長財布。
もちろん先生は大人だから大人っぽくて当たり前なんだけど、先生の手にピッタリの艶感と、デザインで。
あんな感じのデザインを探そう。
軽い方向性だけ決めたわたしは、通路の端により壁に貼られた『バレンタインフェア』のポスターを眺めた。今日出店している店が、それぞれオススメのチョコレートを載せているポスターだ。
「8番と、27番……それから、30番かな」
目星を付けた店をメモ代わりにカメラに収め、わたしは再び人の波の中に入っていった。
まずは最初のお店。
思ったよりも、かわいらしいデザインのものが多い。なんとなく、先生に似合うようなものじゃないって思った。だって店頭に残っていたのは、ストロベリーをベースにしたハート型とか、抹茶とホワイトチョコでできたテディベアとか。そんなかわいらしい物じゃ、先生に意識してもらえない。
売り切れの札が付いているものは、箱のデザインはおしゃれで、なんとなくイメージ通りだったけれど売っていないものは仕方がない。
まだバレンタインまでは2週間あるのだけれど、それだけみんなバレンタインに本気だから仕方ない。
もちろんわたしも例外じゃない。本気だ。
本気で、先生に渡したいんだ。「いつもありがとう」とか、教科担任の先生だから媚びをうって成績を上げてもらおうとか、野球部やサッカー部の女子マネみたいに、そんなねちっこくてべったりした考えはしていない。
わたしが先生に渡したいのは本命チョコなんだ。
そうして向かった次のお店。
何よりも人が多すぎて近くに進めなかった。商品を見ることすらできない。もっと言えば、どこに最高尾があるのかもわからない。殺気に近い何かを感じるほどだ。
ごめんなさい、一旦離脱。他のお店を見て、もし違ったら戻ってこよう。
そうしてわたしは3つ目のお店に向かった。
そのお店は、ちょうど壁際にあったからだろうか。立ち止まってみる人はまばらで、ショーケースの中をじっくりと見ることが出来た。黒を基調に赤やオレンジの差し色が入ったシンプルな箱は、先生のイメージにぴったりだった。値札を見てもどれも予算内。
ただ、問題は味だ。
お菓子は好きだけれど詳しい方じゃないので、横文字で難しい単語を並べられると一体それが何なのかよくわからない。それに、好きなお菓子は基本コンビニで変えるようなものだ。こんなオシャレなもの、口になんてしない。ママも買ってこないし、自分で買う機会も今までなかったから。
アルファベットが刻印されたチョコレートに、表面がつやつやとしたチョコレート。表面にふわふわとした何かが付いているものもあれば、ディスプレイ用に半分に切られ、中からとろりとしたチョコがあふれているものもある。
見る限りおいしそう、という事はわかるのだけれど。でもこれがどんな味なのかなんて、わたしには想像がつかない。
じりじりと天井につるされた白熱灯がわたしの事を炙るように照らしている。掌にじんわりと汗がにじみ、握っていたスマホを落としそうになってしまう。何でもないと取り繕いたかったけれど、なんとなくみられているような気がして、使い古した紺色のマフラーに顔を半分うずめてしまう。
「いらっしゃいませ。どのようなものをお探しですか?」
「ええと、人にあげるチョコレートで」
「贈答用ですね。御相手の方はお客様と同じくらいのお年ですか?」
わたしに勧める品物を決めるためだろう。店員のお姉さんは優しく聞いてくれた。
「わたしよりも年上で……」
そこで口ごもってしまう。先生はわたしの8つ年上の25歳。年上、と言うだけならとてもおじさんを想像されてしまうかもしれない。先生はそんなに老けていない。老け顔なのは気にしているけど。
「成人済の方ですか?」
「そうです!」
やばい。食いつきよく行き過ぎた。
勢いをなかったことにするかのように、半歩後ろに下がる。
「お酒はよくたしなまれる方ですか?」
「ええと、はい」
ずいぶん前だけれど、週末の過ごし方を聞いたときに「自分でつまみ作って、ちまちま飲むんだよ」と言っていた。
「でしたら、こちらのウィスキーボンボンはいかがでしょう?」
店員さんが指さしたのは、ショーケースの左から二番目、黒字に緑色のラインが入った箱。中には親指くらいの大きさのチョコレート。
小さな小瓶の形をしたそれは、『whisky bonbon』とカリグラフィーで書かれた金色の紙に、ひとつずつ包まれている。
「うぃすきー、ぼんぼん……」
ウィスキーは知っている。テレビのCMで見かけるお酒の名前だ。お酒入りのチョコ。これならきっと子供っぽいとも思われないはず。
「こちらは成人された男性にオススメのもので、当店でも人気の商品なんですよ」
店員さんはいろいろなチョコレートの断面図が描かれた名刺サイズの紙を取り出すと、『whisky bonbon』と書かれたチョコレートのイラストを指さした。
「こちらはお砂糖で一度ウィスキーをコーティングしていまして、その上から更にチョコレートで包んでいる形となっています。なので、しっかりとお酒の風味を味わえるチョコレートとなっていますよ」
こういうチョコレートに似合うような女の子じゃないことは、わたしが一番知っている。でも、このチョコレートにも、そして先生にも似合うような女の子に近づきたくて。
もしも、このチョコレートを渡したら、他の生徒とは違うって先生に思ってもらえるかな。
もしも、このチョコレートを渡したら、少しだけ大人っぽい子だって思ってもらえるかな。
もしも、このチョコレートを渡したら、意識してもらえるかな。
先生と恋人になれることは、今は難しいと思う。だって、生徒と教師だもの。でも、すっかりあきらめているわけじゃない。可能性は0じゃないって思っている。
それに、今から意識してもらえればこの先何かが起こるかもしれない。この先ずっと、先生に似合うような女の子を目指していたら、本当に似合う女の子になって、恋人になれるかもしれない。
「これ、ください」
少しだけ声が裏返りそうになる。
わたしは最初の一歩を、少しだけ背伸びして踏み出した。
押されて、押されて、もう大変。
大量の教科書が入っているスクールバッグが、こんにゃくみたいにぐにゃぐにゃになる。足の先に引っ掛けたローファーは今にも脱げそう。
甘ったるいチョコレートの香りと、何がどう混ざったのか分からない、香水や化粧品の化学的な刺激臭が、鼻の奥から頭にかけてじわじわと侵食してた。
「会場内は焦らずゆっくりとお進み下さい!」
怒号にも近い、警備員さんの言葉。ゆっくり進むにしても、どっちに行けばいいのか分からない。
だって、お目当ての店がある訳じゃないから。
だって、どんなのがいいか分からないから。先生に渡すチョコレート。
可愛い箱よりも、大人っぽい箱のものがいい。
それに、シンプルな方が好きだって言ってきた。
確か財布もそうだった。他の生徒に混ざって自販機に並びながら、すっとポケットから出された財布。黒い革の長財布。
もちろん先生は大人だから大人っぽくて当たり前なんだけど、先生の手にピッタリの艶感と、デザインで。
あんな感じのデザインを探そう。
軽い方向性だけ決めたわたしは、通路の端により壁に貼られた『バレンタインフェア』のポスターを眺めた。今日出店している店が、それぞれオススメのチョコレートを載せているポスターだ。
「8番と、27番……それから、30番かな」
目星を付けた店をメモ代わりにカメラに収め、わたしは再び人の波の中に入っていった。
まずは最初のお店。
思ったよりも、かわいらしいデザインのものが多い。なんとなく、先生に似合うようなものじゃないって思った。だって店頭に残っていたのは、ストロベリーをベースにしたハート型とか、抹茶とホワイトチョコでできたテディベアとか。そんなかわいらしい物じゃ、先生に意識してもらえない。
売り切れの札が付いているものは、箱のデザインはおしゃれで、なんとなくイメージ通りだったけれど売っていないものは仕方がない。
まだバレンタインまでは2週間あるのだけれど、それだけみんなバレンタインに本気だから仕方ない。
もちろんわたしも例外じゃない。本気だ。
本気で、先生に渡したいんだ。「いつもありがとう」とか、教科担任の先生だから媚びをうって成績を上げてもらおうとか、野球部やサッカー部の女子マネみたいに、そんなねちっこくてべったりした考えはしていない。
わたしが先生に渡したいのは本命チョコなんだ。
そうして向かった次のお店。
何よりも人が多すぎて近くに進めなかった。商品を見ることすらできない。もっと言えば、どこに最高尾があるのかもわからない。殺気に近い何かを感じるほどだ。
ごめんなさい、一旦離脱。他のお店を見て、もし違ったら戻ってこよう。
そうしてわたしは3つ目のお店に向かった。
そのお店は、ちょうど壁際にあったからだろうか。立ち止まってみる人はまばらで、ショーケースの中をじっくりと見ることが出来た。黒を基調に赤やオレンジの差し色が入ったシンプルな箱は、先生のイメージにぴったりだった。値札を見てもどれも予算内。
ただ、問題は味だ。
お菓子は好きだけれど詳しい方じゃないので、横文字で難しい単語を並べられると一体それが何なのかよくわからない。それに、好きなお菓子は基本コンビニで変えるようなものだ。こんなオシャレなもの、口になんてしない。ママも買ってこないし、自分で買う機会も今までなかったから。
アルファベットが刻印されたチョコレートに、表面がつやつやとしたチョコレート。表面にふわふわとした何かが付いているものもあれば、ディスプレイ用に半分に切られ、中からとろりとしたチョコがあふれているものもある。
見る限りおいしそう、という事はわかるのだけれど。でもこれがどんな味なのかなんて、わたしには想像がつかない。
じりじりと天井につるされた白熱灯がわたしの事を炙るように照らしている。掌にじんわりと汗がにじみ、握っていたスマホを落としそうになってしまう。何でもないと取り繕いたかったけれど、なんとなくみられているような気がして、使い古した紺色のマフラーに顔を半分うずめてしまう。
「いらっしゃいませ。どのようなものをお探しですか?」
「ええと、人にあげるチョコレートで」
「贈答用ですね。御相手の方はお客様と同じくらいのお年ですか?」
わたしに勧める品物を決めるためだろう。店員のお姉さんは優しく聞いてくれた。
「わたしよりも年上で……」
そこで口ごもってしまう。先生はわたしの8つ年上の25歳。年上、と言うだけならとてもおじさんを想像されてしまうかもしれない。先生はそんなに老けていない。老け顔なのは気にしているけど。
「成人済の方ですか?」
「そうです!」
やばい。食いつきよく行き過ぎた。
勢いをなかったことにするかのように、半歩後ろに下がる。
「お酒はよくたしなまれる方ですか?」
「ええと、はい」
ずいぶん前だけれど、週末の過ごし方を聞いたときに「自分でつまみ作って、ちまちま飲むんだよ」と言っていた。
「でしたら、こちらのウィスキーボンボンはいかがでしょう?」
店員さんが指さしたのは、ショーケースの左から二番目、黒字に緑色のラインが入った箱。中には親指くらいの大きさのチョコレート。
小さな小瓶の形をしたそれは、『whisky bonbon』とカリグラフィーで書かれた金色の紙に、ひとつずつ包まれている。
「うぃすきー、ぼんぼん……」
ウィスキーは知っている。テレビのCMで見かけるお酒の名前だ。お酒入りのチョコ。これならきっと子供っぽいとも思われないはず。
「こちらは成人された男性にオススメのもので、当店でも人気の商品なんですよ」
店員さんはいろいろなチョコレートの断面図が描かれた名刺サイズの紙を取り出すと、『whisky bonbon』と書かれたチョコレートのイラストを指さした。
「こちらはお砂糖で一度ウィスキーをコーティングしていまして、その上から更にチョコレートで包んでいる形となっています。なので、しっかりとお酒の風味を味わえるチョコレートとなっていますよ」
こういうチョコレートに似合うような女の子じゃないことは、わたしが一番知っている。でも、このチョコレートにも、そして先生にも似合うような女の子に近づきたくて。
もしも、このチョコレートを渡したら、他の生徒とは違うって先生に思ってもらえるかな。
もしも、このチョコレートを渡したら、少しだけ大人っぽい子だって思ってもらえるかな。
もしも、このチョコレートを渡したら、意識してもらえるかな。
先生と恋人になれることは、今は難しいと思う。だって、生徒と教師だもの。でも、すっかりあきらめているわけじゃない。可能性は0じゃないって思っている。
それに、今から意識してもらえればこの先何かが起こるかもしれない。この先ずっと、先生に似合うような女の子を目指していたら、本当に似合う女の子になって、恋人になれるかもしれない。
「これ、ください」
少しだけ声が裏返りそうになる。
わたしは最初の一歩を、少しだけ背伸びして踏み出した。
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