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パンドラ編
第三話 沈黙の洞
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シンSIDE
朝霞がまだ森の奥を覆っていた。
湿った空気の中を歩く音が、やけに耳に残る。
俺の後ろでは、パンドラの足音が小刻みに続いていた。
彼女は何も知らず、ただ俺の背中を追っている。
「ねえ、シン……どこへ行くの?」
柔らかな声が、霧の中で震える。
「確かめると言っただろう、『呪い』がどんなものかと」
「言ったけど」
「ならそれ以上語ることはない」
言葉を短く切る。
答えをすべて与える必要はない。
彼女はまだ見ていないからだ。
森を抜けると、岩肌がむき出しになった斜面が現れた。
その先に、ぽっかりと開いた黒い裂け目――洞穴。
地面には無数の枯れ葉が貼り付き、そこから黒い靄が立ちのぼっている。
腐臭と血の匂いが混ざり合い、喉の奥が焼けるように熱くなる。
構わず無言で歩みを進めようとしたが、先ほどまで後ろを歩いていたパンドラの足音が止まっていることに気付く。
「……ここって……“入ってはいけない洞穴”……」
その声には、恐怖よりも戸惑いが混じっていた。
人間というのは、恐怖と興味を同時に抱く不思議な生き物だ。
「入った人は戻らないって聞いたよ。誰も帰ってこなかったって……」
パンドラの言葉は霧に溶けた。
俺は答えず、洞の闇へと足を踏み入れた。
瘴気が皮膚を撫で、冷たい針のように刺さる。
「シン、待って!」
振り返らずに歩く。
直後、後ろで足音が乱れ、乱れた呼吸音が洞穴に響いた。
「……な、、なにこ、れ……!」
洞穴の瘴気にやられたのだろう。
自分基準で進んだが、並みの人間、ましてや子どもにこれは耐えられない。
振り返り、パンドラに向けて右手を伸ばす。
指先に魔力を流すと、淡い光が広がり、彼女を包み込んだ。
金色の膜が生まれ、瘴気を押し返す。
「立てるか?」
「これ……魔法?」
「簡単な結界だ。瘴気からお前を守ってくれる」
「あ、ありがとう……」
「礼はいらない。目の前で死なれても困るからな」
パンドラの瞳が、ほんの一瞬だけ光を帯びた。
彼女はまだ恐れているが、同時に――何かに惹かれているように見える。
洞窟の奥へ進むと、空気はさらに重くなった。
壁面には古い文字が刻まれている。
呪術の系譜――人間の願いと恐怖の残滓。
その隙間に、乾いた赤黒い染みがこびりついていた。
足下に転がるものを見て、パンドラが息をのむ。
「これ……人の骨……?」
俺はしゃがみ、骨に触れた。
魔力の反応が微かに残っている。
吸い取られた命の名残。
「竜の復活を止めようとした者たちだろう」
「止めようとした……?」
「だが、竜に喰われた。命も、魔力も何もかもすべて」
言葉に感情はなかった。
人間の死に意味を求めるような感情はどこにも残っていない。
さらに奥へ進むと、圧が変わる。
空間そのものが呼吸しているようだった。
奥に何かがある、威圧感がその場を支配していた。
そして――それは現れた。
巨大な骨。
天井に届くほどの竜の亡骸が横たわっている。
白骨の一部には肉片がこびりつき、紫の光が滲んでいた。
その光は心臓の鼓動のように脈打ち、瘴気を吐き続けている。
「……これが、呪いの正体……」
パンドラの声がかすかに震えた。
俺は近づく。
指先を骨に添え、流れる魔力の回路を読む。
「竜は死ぬ直前、残る命を代価に村の命と魔力を吸い上げようとした」
言いながら、俺の中に微かな既視感が走る。
命を代償にする――愚かだが、美しい衝動でもある。
「肉体を再生する代償魔法。しかし、復活するには足りなかったんだろうな」
「代償魔法……?」
「何かを魔力の代価にした魔法だ。強力な魔法になるが、村の人間だけでは肉体をすべて戻すことは叶わなかったのだろう」
竜の骨に向けて呟く。
俺はこの世界で“死ねない存在”だ。
死を望んで彷徨い、その気配を感じて向かってはみたが……。
これもまた空振りだったようだ。
「つまらないものだな」
右手をかざす。
魔力を解き放つ。
閃光が走り、空気が震える。
骨が砕ける音が響き、紫の光が霧散した。
瘴気が裂け、空間が一瞬だけ白く塗り潰される。
***
光が消えたとき、洞窟は静寂に包まれていた。
竜の残骸は跡形もなく、ただ湿った土の匂いが残るだけ。
パンドラは俺の背後で立ち尽くしていた。
「……終わったの?」
「ああ。もうこの村を縛る呪いはない」
俺の声が自分のものとは思えないほど、遠くに感じた。
竜の代償魔法であっても、俺の体は滅ぼせない。
あの時叶えた願いは、呪いとなって俺の体に戻ってきてしまった。
———『死にたくない』。
あの時、確かにそれは俺の本心だった。
けれど今では、その言葉の意味すら分からなくなっている。
そんな考えを余所に目の前に現れたパンドラが小さく息をつき、そして――微笑んだ。
「シン、お願いがあるの」
「なんだ?」
「私に……魔法を教えてくれない?」
思わず彼女を見る。
怯えも、迷いもない瞳だった。
光を映すその瞳に俺は一瞬だけ何かを見た。
「俺が……お前に、か?」
「そう、私もあんな魔法使ってみたい!」
キラキラとした瞳。
その光を見ながら、わずかに口角が上がる。
懐かしいとそう感じた。
「いいだろう。だが、そう甘くはないぞ」
風が吹き抜けた。
死の匂いはもうなかった。
竜が遺した呪いの跡に、俺と彼女の小さな約束だけが残った。
朝霞がまだ森の奥を覆っていた。
湿った空気の中を歩く音が、やけに耳に残る。
俺の後ろでは、パンドラの足音が小刻みに続いていた。
彼女は何も知らず、ただ俺の背中を追っている。
「ねえ、シン……どこへ行くの?」
柔らかな声が、霧の中で震える。
「確かめると言っただろう、『呪い』がどんなものかと」
「言ったけど」
「ならそれ以上語ることはない」
言葉を短く切る。
答えをすべて与える必要はない。
彼女はまだ見ていないからだ。
森を抜けると、岩肌がむき出しになった斜面が現れた。
その先に、ぽっかりと開いた黒い裂け目――洞穴。
地面には無数の枯れ葉が貼り付き、そこから黒い靄が立ちのぼっている。
腐臭と血の匂いが混ざり合い、喉の奥が焼けるように熱くなる。
構わず無言で歩みを進めようとしたが、先ほどまで後ろを歩いていたパンドラの足音が止まっていることに気付く。
「……ここって……“入ってはいけない洞穴”……」
その声には、恐怖よりも戸惑いが混じっていた。
人間というのは、恐怖と興味を同時に抱く不思議な生き物だ。
「入った人は戻らないって聞いたよ。誰も帰ってこなかったって……」
パンドラの言葉は霧に溶けた。
俺は答えず、洞の闇へと足を踏み入れた。
瘴気が皮膚を撫で、冷たい針のように刺さる。
「シン、待って!」
振り返らずに歩く。
直後、後ろで足音が乱れ、乱れた呼吸音が洞穴に響いた。
「……な、、なにこ、れ……!」
洞穴の瘴気にやられたのだろう。
自分基準で進んだが、並みの人間、ましてや子どもにこれは耐えられない。
振り返り、パンドラに向けて右手を伸ばす。
指先に魔力を流すと、淡い光が広がり、彼女を包み込んだ。
金色の膜が生まれ、瘴気を押し返す。
「立てるか?」
「これ……魔法?」
「簡単な結界だ。瘴気からお前を守ってくれる」
「あ、ありがとう……」
「礼はいらない。目の前で死なれても困るからな」
パンドラの瞳が、ほんの一瞬だけ光を帯びた。
彼女はまだ恐れているが、同時に――何かに惹かれているように見える。
洞窟の奥へ進むと、空気はさらに重くなった。
壁面には古い文字が刻まれている。
呪術の系譜――人間の願いと恐怖の残滓。
その隙間に、乾いた赤黒い染みがこびりついていた。
足下に転がるものを見て、パンドラが息をのむ。
「これ……人の骨……?」
俺はしゃがみ、骨に触れた。
魔力の反応が微かに残っている。
吸い取られた命の名残。
「竜の復活を止めようとした者たちだろう」
「止めようとした……?」
「だが、竜に喰われた。命も、魔力も何もかもすべて」
言葉に感情はなかった。
人間の死に意味を求めるような感情はどこにも残っていない。
さらに奥へ進むと、圧が変わる。
空間そのものが呼吸しているようだった。
奥に何かがある、威圧感がその場を支配していた。
そして――それは現れた。
巨大な骨。
天井に届くほどの竜の亡骸が横たわっている。
白骨の一部には肉片がこびりつき、紫の光が滲んでいた。
その光は心臓の鼓動のように脈打ち、瘴気を吐き続けている。
「……これが、呪いの正体……」
パンドラの声がかすかに震えた。
俺は近づく。
指先を骨に添え、流れる魔力の回路を読む。
「竜は死ぬ直前、残る命を代価に村の命と魔力を吸い上げようとした」
言いながら、俺の中に微かな既視感が走る。
命を代償にする――愚かだが、美しい衝動でもある。
「肉体を再生する代償魔法。しかし、復活するには足りなかったんだろうな」
「代償魔法……?」
「何かを魔力の代価にした魔法だ。強力な魔法になるが、村の人間だけでは肉体をすべて戻すことは叶わなかったのだろう」
竜の骨に向けて呟く。
俺はこの世界で“死ねない存在”だ。
死を望んで彷徨い、その気配を感じて向かってはみたが……。
これもまた空振りだったようだ。
「つまらないものだな」
右手をかざす。
魔力を解き放つ。
閃光が走り、空気が震える。
骨が砕ける音が響き、紫の光が霧散した。
瘴気が裂け、空間が一瞬だけ白く塗り潰される。
***
光が消えたとき、洞窟は静寂に包まれていた。
竜の残骸は跡形もなく、ただ湿った土の匂いが残るだけ。
パンドラは俺の背後で立ち尽くしていた。
「……終わったの?」
「ああ。もうこの村を縛る呪いはない」
俺の声が自分のものとは思えないほど、遠くに感じた。
竜の代償魔法であっても、俺の体は滅ぼせない。
あの時叶えた願いは、呪いとなって俺の体に戻ってきてしまった。
———『死にたくない』。
あの時、確かにそれは俺の本心だった。
けれど今では、その言葉の意味すら分からなくなっている。
そんな考えを余所に目の前に現れたパンドラが小さく息をつき、そして――微笑んだ。
「シン、お願いがあるの」
「なんだ?」
「私に……魔法を教えてくれない?」
思わず彼女を見る。
怯えも、迷いもない瞳だった。
光を映すその瞳に俺は一瞬だけ何かを見た。
「俺が……お前に、か?」
「そう、私もあんな魔法使ってみたい!」
キラキラとした瞳。
その光を見ながら、わずかに口角が上がる。
懐かしいとそう感じた。
「いいだろう。だが、そう甘くはないぞ」
風が吹き抜けた。
死の匂いはもうなかった。
竜が遺した呪いの跡に、俺と彼女の小さな約束だけが残った。
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