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第7章
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しおりを挟む「それはこちらのセリフですよ、お嬢さん」
パタパタと傘がリズムよく雨を跳ね返していた。優しく微笑む男性は、今日もスーツをお洒落に着こなして気品が漂っていた。
「先日、BARでお会いした・・・」
「ええ、そうです。兎に角ここは寒い。私と一緒に来てくれますか?」
優しい言い方だったが、有無を言わせぬ雰囲気に黙ってこくりと頷いた。このままここに居ても仕方ないし、何より帰る場所も行く場所も無かった。男性の皺の寄った手に自分の冷たくなった手をのせると、そっと優しく引かれた。
「何処に行くんですか?」
「私たちの出会いの場所だよ」
「___ホテル、ですか?」
ざーざーと雨粒が車の窓を叩く音が聞こえている。しんとした車内で、一瞬ついてきたことを後悔した。まさかこんな年上の男性もお盛んだとは・・・
「はっはっは。そんな顔しないでおくれよ。安心してくれ。お嬢さんの為に部屋は取ってあるが、私はBARで待たせてもらうよ。お嬢さんはとっても魅力的だが・・・、私には心に決めた女性がいるんだ」
「心に決めた・・・」
「ああ。一生守って共に生きたいと思える、そんな人に出会えたんだ」
「そう・・ですか」
何時もならもっと上手に笑顔をつくれるのに、今は人の幸せな話なんて聞きたくなかった。そう思ってしまう私なんて、やっぱり幸せになる価値なんてないのかもしれない。
「寒いだろう。これを羽織って?」
「でも、濡れてしまいます」
「そんなことより君の体の方が心配だよ」
肩にかけられた上質なコートは温かいが、肌に触れる布は密着して気持ち悪いままだった。普段聞くことのないジャズが会話の邪魔をしない音量で流れている。外を見ると灰色のぶ厚い雲が空を覆っていた。全てを知ったのにモヤがかかったままの自分の心のようだった。
「着きましたよ。ゆっくりとお風呂に浸かってください。その後は私と一緒にお酒を飲みましょう。その時に・・・、色んな話を聞かせて貰えますか?」
無言で頷いた。ホテルマンに連れられてホテル内を進み、大きなベッドのある広い部屋に案内された。入り口右側の扉を開くと、ダークブラウンの重厚な洗面台の向こうにガラス張りのバスルームがあった。ガラス張りには慣れたので、驚く事は無い。
洗面台に向かうと、鼻を赤くした貧相な自分が映っていた。濡れた髪をくくるように持ち上げると、首筋の内出血が見えた。
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