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一章 邂逅編

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 色々聞きたいと言った一賀課長は、片手に持っていたコンビニ名が印字されているビニール袋から、500mlのペットボトルを何本も取り出しソファー前のローテーブルに置いた。

「何か飲んだら、少しは良くなるかと思って」

 炭酸水、お茶、水、フルーツジュース、野菜ジュース、コーヒー……

 ーーーわざわざ買いに行ってくれたんだ。

 買いすぎ、と言いたくなるくらいの並んだ数種類のペットボトルを見て、思わずくすぐったくなる。
 私はソファから身体を起こして座り直した。

「あの、今日は助けて下さってありがとうございました」

 言うと、一賀課長は少しホッとした様子で私を見る。珍しい表情だった。
 私が今まで見て知っている顔とは違う、感情のある表情に思わずドキリとした。

「…………まさか耐性が無いとは思わなかった。負担をかけて悪かった」
「課長のせいじゃありませんから、気にしないで下さい。私も知らなかったんですから」

 一賀課長の判断が間違っていたわけではない。術者の名前や住んでいる場所を知ってるなら最初から耐性がある人間だと思うのが普通だろう。

 ただ、今は私の事より重要な事があった。

「三国くんも私と同じようにんです。名前をはいますけど本当にそれだけで、私と同じ普通の人で、だから……」

 だから道雄の事は忘れて欲しい。

 道雄は車の中で、一賀課長に対して芹沢さんさあ、などと普通に話かけていた。聞いてた私はギョッとした。
薬を盛られた話を、端折って話さなかった私が悪いのだろうけど、警戒心が無さすぎだ。
 前情報があったからか、ゾンビ見ても平然としてたし、雷の凄いやつ(いいかげん名前を知りたい)を見ても平気そうだったし、弟は現実を受け入れるのが早すぎるのではないだろうか。
 ただそのぶん、私以上にすごく怪しい。

「三国君については、今は報告するつもりはないよ。これから忙しくなるからきっと手が回らないし」
「そう、ですか」

 良かったと胸を撫で下ろした。

「ただ、確認したいのだけど、彼は本当に弟のようなもの? 君のお兄さんの部下なら身元は確かだと思うし、その言葉を信じてもいいけど……」
「も……もちろんです!」

 一賀課長の瞳の奥に剣呑な光を見た私は激しく頷く。
 ここは激しく肯定しろ、と本能が言っていた。

「まあ、彼は弟というよりーーー君の番犬みたいだね」

 ……ミッチー、ごめん、お姉ちゃん否定出来ないや……。

「でも忠犬じゃないですよ。とってこい、は絶対しません」
「確かに」

 一賀課長は道雄の様子を思い出したのか笑う。

 あ、レアな笑顔。

 思わずじっと見てしまう。
 夜遅いというのに、いまだきっちりとスーツを着たままの一賀課長は……なんという事でしょう、目を伏せて笑うさまが妙にセクシーです。
 眼鏡で少し冷たく見える所もスパイスになっていて、萌え震える私がいる。

 第一ボタンすら外していない綺麗な首もとを乱したいとか、あの袖からチラリと見える手首と長い指の手がキレイすぎて触りまくりたいとか…………そんな変態じみた事は思ってません。断じて思ってませんよ! ……でも、艶めかしく感じて見てるこっちが恥ずかしい。
 ここがホラー小説じゃなくてラブコメの世界ならこの人は間違いなく危険なエロいお兄さんだ。この必要以上の色気が特に。というか、ホラー小説でここまで綺麗めにする必要があったのだろうか。謎すぎる。

 ふと、一賀課長と視線が合う。
 がっちりと合った視線に、今思っていた事を悟られそうで心の中で悲鳴をあげて強引に視線をそらせた。


「佐保」


 声のトーンが変わり、ギクリとする。

「三国君の事は報告しない代わりに、口止め料くれる?」
「く、口止め料?」
「そう、術者は無報酬で仕事は出来ない」

 別の部屋にはまだ瑠璃や他の男性陣がいて、けしてここは二人だけの空間ではない。いつ誰が入ってくるかわからないリビングだ。
 だから、手を伸ばせば触れられる距離にいる一賀課長から、咄嗟に距離をとったーーーはずだった。

「三国くんの事を言わないのは、別に仕事じゃ……」
「そうかな? 大事な仕事だよ」

 そう言って、ソファに座った私が移動出来ないように上から抑え込むと私の顎を上に向ける。

「 ………ふ……ん…、……や……、……ぁふ……。……ん、…………ふ………、……………ん」

 毎回噛みつきそうな勢いでキスをするのに、今は触れて慈しむような優しいキスだ。首の後ろに回された手が優しく動き、ゾクゾクする。
 キスする時間が長い。観察されているのがわかった。


 とにかく恥ずかしくて死にそう。


 思わず目尻に浮かべた涙に、一賀課長が満足げな笑みを浮かべていた。











 『赤狗あかいぬ』が目を覚ましたのは、見知らぬ車の中だった。まだぼうっとした頭をふる。
 なぜこんなところにいるのか。
 確か、強い光と衝撃を受けてからの記憶がない。

(そうだ、あの女ーーー)

 町中佐保まちなかさほという女をに合わせて欲しい。
 そういう依頼だった。

 けれど、町中佐保には術者からの守護があった。だから魘魅えんみが効かなかった。

 だが、きっとチャンスはある。なぜなら彼女への守護は、兄にかかっている守護の恩恵を受けているだけだからだ。

 そういった二次的な守護は何かの拍子に外れる事があるのだ。たとえばどちらかが長期旅行に行って物理的に離れるとか、術者が不測の事態に陥った場合などに、だ。本人が直接の守護を受けていないならば、可能性はゼロではない。

 を使い監視し始めてすぐ、同じ会社の同僚らしき男といるのを見た。その男が一瞬だけこちらを見たような気がしたが気のせいだろう。普通の人間ならこのは気づくことはない……。

 けれど、それ以降は使え無くなった。兄の方の守護が強化されたのかもしれない。

 他の仲間と協力して、可能な限り尾行をし直接の監視を続け守護が無くなる隙を待った。
 自宅付近は守護の力が大きいので、主に会社周りでの監視だ。

 ある朝、同僚女性と出社する町中佐保から、守護が消えているのに気がついた。
 昼間の会社内にいるのを狙うのは無理なので、帰宅途中を狙う事にした。

 しかし、帰宅後はすぐに社外の男と食事に行き、さらには帰り道で車に乗った男がもう一人現れた。なかなか一人にならない。

 仲間の内で一番若い『白蛇しろへび』が焦れたのか、佐保が車に乗りこんだ所で攻撃を仕掛けてしまった。
 『赤狗』は舌打ちをした。
 『白蛇』はまだ新入りだ。他人を巻き込むなというルールがわかっていないらしい。けれどすでに仕掛けてしまったのはしょうがない。同じように仲間の『黒兎くろうさぎ』もそう考えたようだ。同時に術を展開させた。
 たまたま今は守護が外れているだけで、もしかしたらすぐにでも守護が元に戻るかもしれないのだ。

 せっかくのチャンスだった。



(本当にーーーチャンスだった、のか?)



 気を失う前に見たのは、噂に聞く、雷清らいせいではなかったか。
 雷のような衝撃と光で全てを分解してしまうという、高位の術者でないと使えない術、なのではないか。


 ーーーいや、そんなはずは……。


 『赤狗』は首をふる。まるで自らに言い聞かせるように。
 高位術者と契約するのは、ただの金持ちというだけでは無理だ。町中佐保は金持ちと縁続きというだけの女だ。加えて本人は狙われている事も知らない。


 車の外は雨が降り、フロントガラスを叩いていた。
 車のラジオからはニュースを読むアナウンサーの声がする。
 『赤狗』は運転席で気を失っている『白蛇』と、助手席で同じように気を失っている『黒兎』を揺さぶり起こした。

「あれ? ここ、どこだ……俺、家にいたはず」

 『白蛇』が頭を抑えながら言う。

「何言ってやがる。お前が真っ先に、対象以外も巻き込んで攻撃を仕掛けたんだろうが」

 『黒兎』がイライラした様子で言う。目が覚めて即、非常事態だと察した彼の額には汗が浮いていた。

「え、俺、そんな事してないですよ。それに対象以外は襲うなって言われてるから、それは守ってーーー」

 『赤狗』はそれを聞いて『白蛇』の肩を掴む。

「待て、お前……覚えていないのか」
「覚えてないのかって、何を?」
「雷清も見ていないのか?」
「雷清? 俺みたいな下っ端がそんな技出せないですよ」

『黒兎』と『赤狗』は顔を見合わせた。



「……やられた……」



 『白蛇』は操られた。


 おそらく、わざと町中佐保を襲うように操作されて。
 相手にはこちらの動きは全て見られていたのだ。襲わせて、三人をおびき出し、術を雷清で返して三人を捕らえた。

 ならばあの時の男二人のどちらかか、もしくは両方が高位術者なのだろうか。

(ーーーいや、今はそんな事はどうでもいい)

 ここはおそらく形式かたしきの中だ。
 形式かたしきとは、術者が大きな術を展開する時や霊的な物を入れる大きな空間だ。『赤狗』はそれに気がついたが、おそらく他の二人はまだ気がついていない。

 ただ『赤狗』が知っている形式かたしきとは、ここはまるで違う。
 今いる車の中も、窓の外も、まるで現実のようだ。こんな風に作られたものは見た事がない。普通の術者ならもっと単純な空間になるはずだ。
 だが、高位術者ならば、この形式かたしきも説明出来る。認めたくはないが、やはり高位術者は恐ろしい能力を持っているーーー

(早く、逃げなければ)

 『赤狗』がそう思ったと同時に、唐突に、ラジオが途切れた。

「なんだ? 壊れたのか?」

 まだ状況を把握できていない『白蛇』は、のんきにラジオを操作する。おそらくこの奇妙な空間での沈黙に耐えられなかったのだろう。

 ガガ……と混線したような音がし、曲が流れてくる。異国のもののような、そうでないような、少し旋律がズレたピアノの音楽。

「なんだこれ、気味悪……」

 そう言って、『白蛇』はラジオを切った。車内に沈黙が広がる。 
 気味が悪い。本当にその通りだ。

 急に、ドカッと音がし、『白蛇』と『黒兎』が「ひっ」と声をあげた。大きな黒い何かーーーおそらくカラスだろうーーーが、車のフロントガラスに体当たりしてきたのだ。

「早く車を動かせ!」

 『黒兎』に言われて『白蛇』が慌ててエンジンをかける。だがエンジンが反応する様子は無かった。

「……くそっ、降りるぞ!」
「待て、罠があるかもしれない」
「だからってこのまま車にいてもしょうがねえだろ!」

 『黒兎』と『赤狗』の言い争いを見て慌てて『白蛇』が止める。

「れ、冷静になりましょうよ……」

 そうだ、と『赤狗』は考えた。冷静にならなければいけない。
 まずはここから出なくては。
 それに高位術者の形式かたしきがどんなものかを知る良い機会だ。これをチャンスと捉えればいい。


「車を降りよう」


 降りた先に、何がいるのか、見てやろう。
 そう息巻いた『赤狗』は、だが数刻も経たないうちにそれを後悔したーーー
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