ウェーレイキオルは微笑んでいる

綿入しずる

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十五 北へ(前)

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 その日は来た。エドアルドの婚儀のさらに七日後、幼い女王の御座おわす玉座の間にて、輝く鎧の戦士十名が頭を垂れた。宰相に参謀、父や他の六氏族の代表たちも並び見守る中に進み出、王と対面するエドアルドは白銀の甲冑の上に長く白い外套マントを羽織っている。金銀の糸で星が縫い取られた、同盟国の勇士の最上礼装だ。
 王は、厳かに告げた。
「ここに。我が三つの名、スザナ・エル・ログラの名の下に、英雄クラウスの後継、エドアルドをスヴィエー砦の総督に任ずる。これの着任を以て、先任者ゲオルク・ハーヴィーの任を解くものとする」
 エドアルドが応じる。
「――拝命致します。陛下。我らがログラ、同盟国に栄光を」
「その貴き使命に、向かう旅に、我が祖と星の加護があらんことを」
 一層に深く頭を垂れ、エドアルドは立つ。外套を翻し歩めば戦士たちが従った。そのまま外へ、城から踏み出せば兵士と馬の用意がある。跨る彼らに武器が手渡されたのを確かめ、例の長衣コートを纏うウェーレイキオルは飛び立った。星日の下に輝く翼は英雄たる人物が此処に居ることを教え、その旅路を導く。
 エドアルドは一度、確かめるように空を見た。戦ったときのように、頭上に天使の居ることがとても頼もしかった。
 金管ラッパの威勢よい音が響き渡り、紋章旗が掲げられた。エドアルドたちは馬を促す。
 城門を潜ると歓声が上がった。見送りの民衆が並んで手を振り、王国と英雄の末裔を讃える。一名とその部下が往くだけの出立の行進は勝利祭カンテリーのときよりささやかだが、熱気は負けていなかった。
 行進は大通りを経て、兵舎へと向かった。エドアルドは馬上で忙しない日々を振り返った。

 ソフィアの腹にはやはり、新しい命が宿っているようだった。その結果にソフィアもエドアルドも、皆が浮かれたが、喜んでばかりもいられなかった。
 エドアルドのスヴィエー砦行きは間違いがない。ならば妻ソフィアとその子、クラウスの次代の後継者をどうするかは、大きな課題だった。ウェーレイキオルが黒き星の再来を告げた今、殊更に難しい問題となっていた。
 エドアルド自身すぐには決めかねた。オリヴァーは苦悩した。六氏族の末裔としての思い、父として子に、祖父として孫に抱く思いもある。
 そして話はクラウス家の内に留まらなかった。婚儀の後、懐胎も確実となると、六氏族議会でも取り沙汰された。
 つまりは――戦いの予兆があると諸国に知れ渡った今、自分たちだけ堅牢なログラに留まるというのは、外聞が悪く、ログラの立場を悪くするのではなかろうか、という話だった。彼らは砦も何処も危険に晒すつもりはないが、英雄の末裔が怯んで見せては周りがどう思うか、という懸念だった。
 こと重大な局面で、六氏族の立ち振る舞いは影響が大きい。今回の総督就任は騒動以来の大きな動きで注目されてもいる。今後を左右する判断であることは明らかだった。
 ――ゆえに結論は、ソフィアもエドアルドに同行する。戦士の妻として砦に立つ、というものだった。
「あんまりだわ」
 パウラは嘆いた。
 家族の集まる食卓で用意された紅茶は誰もほとんど手をつけず冷めていた。向かい合う家族、離れた席で座って見守る天使たちは黙している。
「せめて子供は、こっちで産んだらどうなの。その後は私たちが見るから――」
 パウラはそこまで、もうほとんど全てを言いかけて顔を覆う。子供と、母を引き離すようなことを言っていると気づいた。
「ああ、ごめんなさいソフィア、違うのよ」
 気遣い見遣るエドアルドの傍らで、ソフィアは微笑んだ。
「分かっていますわ、お母様、家族を案じてくださっているのですよね」
「そう、心配なのよ、貴女も、子供も皆……」
「ありがとうございます」
 パウラは、本当はエドアルドのことだって心配なのだ。戦士の母、英雄の一族の一員として辛うじて留まっているだけで、本当は我が子にだって戦場に行ってほしくはなかった。その上ようやく結婚が叶った娘と、まだ生まれてすらいない孫までとられると思うと、平静は保ちかねた。
 一方ソフィアは気丈だった。無論彼女も思うことは多くある。自分が戦いに出るわけでなくとも砦は作戦の最前線になるに違いないし、ただでも見知らぬ土地での出産には不安がある。けれど――彼女の心は誰よりも早く、もう決まっていた。
 ――ついてきて。
 新たな命が宿る腹に呼びかけた。母は父と共に行くから、貴方もと。
 エドアルドも、妻に負担をかけること、苦労をかけた両親に孫の顔を見せてやれないことに負い目も感じたが。クラウスの後継として決断していた。
「砦を守り生き抜くこと、俺たちが示して見せます」
 父とは話した。母に言いきる。まだ惜しむ彼女に、ソフィアも言った。
「エドアルドは私が守ります。必ず」
「……逆じゃないのか」
「両方でいいでしょう」
 呟くといつものように微笑んだ。パウラは痛ましそうに二人を見て、まだ縋るようだったが黙り込んだ。
 離れた席で見守りながら待っている天使たちも、落ち込んだ顔をしていた。
「――君のせいじゃないよ」
 リベルヨルンがそっと、ウェーレイキオルに告げた。ウェーレイキオルは覇気なく彼を見返した。
「……そうでしょうか」
 ――私が早く降臨していればあるいは。
 そう考えてしまうのだった。何か、変わっていたのではないかと。
 リリアンリヴも頷いて、小さな声で言う。
「そうよ、貴方に非はないわ。頑張って来たのだもの」
「不甲斐ないのです。私たちはこのようなとき、何もできはしないのですね」
 ウェーレイキオルは俯く。早く来れず、今も無力だ。主の助けになりたいと思うのに状況を覆すような力はなく、ただ彼らと従うしかない。ウェーレイキオルはこういう思いをするのは初めてのことだった。
 もっと些細なことでも、多く経験してきたリベルヨルンとリリアンリヴは視線を通わせた。
「そうね……」
 リリアンリヴは、自分の無力さを痛感したことは幾度もある。エドアルドを待ち耐え続けるしかないソフィアに、寄り添うだけの時間の長かったこと。それでも、長かった分知ってもいる。
「ソフィア様はね、ご自分で選んで、ご自分で立てるのよ。そういう意味では、私は居なくても平気なの。でも、だから――私も、共に、自分で立つの。しっかり立つのよ、ウェール」
 優れて、強い、英雄たる主。だからこそ天使は降り立つ。その道を守る為に。
「エドアルドを、お願いだよ。ウェーレイキオル」
 リベルヨルンもそう言って名を呼びかけた。言うまでもないことだとは思ったが、言わずにはおれなかった。天使も祈るのだ。
 ウェーレイキオルはゆっくりと瞬いて、近しく同胞の二羽ふたりを見つめた。
「……オリヴァー様とパウラ様はお任せ致します。エドアルド様とソフィア様、御子は、我らが」

 ウェーレイキオルは暫しの物思いを打ち切り、空を巡り地上の様子に問題ないのを確かめた後、エドアルドの元へと降りた。
 兵舎の広大な鍛練場には場を埋めるほどの巨大な白岩が現れていた。横長のそれは山のようでありながら、滑らかな肌をし口を開いた、魚か竜かの生き物のようでもあった。
 此度、スヴィエー総督の着任を急ぐにあたり、名乗りを上げた者が居た。
 巨人族――長じるほど巨大化する傾向にある意思持つ石の一族。そのうち数少ない、白き星に従った側の一派ソリエェス。その一人、エルカーン・ネ・ソリエェス。
 巨人族は普通その身を石の柱のように立てるが、彼と友人は大きな試みをした。このように横たわり、物を乗せる舟となったのである。それも小舟ではない。巨人の名に相応の、百人も乗れるほどの大船である。
 しかもこれは水ではなく、空に浮くのだ。非常に画期的な運搬、移動手段だった。
 ウェーレイキオルが降りた先、エドアルドが馬を降り歩み寄った先では、白い巨体とはまた別に彼らの背丈ほどもある巨大な金剛石様ダイヤモンドようの巨石が待っていた。
「ご苦労様、エドアルド卿。準備は万端だ。いつでも発てる」
 石が輝き声を発する。澄んだ不可思議な音声はしかし、同盟諸国で共通語として用いられる結束言語レンカの発音を正確に辿ってもいる。これが巨人の核――頭脳にして心臓だ。
「エルカーン殿。此度の助力に今一度感謝申し上げます」
「大きな務めを任されて光栄だ。――さあ、私とは後で話せばいい。挨拶し給え」
 促す彼の周りには大勢の人が集っていた。船出の準備をする人々と、戦士たちの見送りの家族だ。クラウス家もまた揃い、執事や使用人も数名見られる。特に乳兄弟でもあるエドアルドの側仕えの男は、ぎりぎりまでエドアルドについていくと言っていたが、エドアルドがそれを断ったので今日もまだ物言いたそうにしていた。彼にも娘が居る。連れて行っては、危険かもしれない、帰るのが何年後になるかも分からない。ならば家で父母を支えてくれと、エドアルドは託した。身の回りのことはウェーレイキオルが何とでもする。
 彼や執事に頷いて、エドアルドは並んだ父母とリベルヨルンを見た。微笑む。
「――行ってまいります。どうか待っていてください。家のことを頼みます」
「ああ。お前は優秀だ。クラウスの後継者だ。立派にやれ」
「どうか気をつけて。無事帰ってくるのですよ――貴女も、無事で、きっと無事で」
 オリヴァーは堂々と振る舞い、パウラも抑えた。エドアルドとソフィアを順に抱き締めて、離れた。リベルヨルンもエドアルドを抱き締めた。
「本当に大きくなったよね。君ならできる、何事も遂げられる。いってらっしゃい」
 口々に、息災で、と言い合って、エドアルドは船を見遣った。
 荷は既に積み込まれている。後は人間が乗るだけでよかった。エドアルドとソフィア、その天使が二羽、エドアルド隊と、呪術師が二名、医師がソフィアの他に三名、ソフィアの侍女が二人、随行詩人エピシジルアーサー、伝令者シャードはナルダの親メインダが就いた。彼らも家族と別れの挨拶をし、船へ、巨人の肉体へと乗り込んだ。内も白く滑らか、洞窟のようで、その先を進めば幾つかの区画に区切られていた。それを布の幕で分けて、旅の間過ごす部屋にしている。人々は決められたとおりに部屋に入った。
 全員が乗り込むのを見届けて、エルカーンの核は顎を開いたかの船の舳先に据わった。見送りの人々が名残惜しみながらも離れて見守る。
「スヴィエー総督御出立!」
 号令がかかった。
「それでは同志諸君、皆の家族は私が無事に届ける。吉報だけ待ち給え」
 エルカーンは軽やかに言いきった。地鳴りと共に浮かび上がる巨人が、ゆったりと、空へ発った。

「まさか巨人の体に乗ることになるとはな」
「これが……飛ぶのか? 本当に?」
 船内では恐々呟く者も居た。イザークとライナーは壁を擦って、線引くように細く空いている窓を覗いた。硝子も嵌っていないのに風の入ってこない、不思議な窓だった。そこからだけ光が入って、この部屋は薄暗い。
「怖くなるな」
「お前たちそんなことに怯んで竜と戦えるか」
「問題なく飛ぶとも。けれど少しだけ揺れるよ、同志たち。座っているといい」
 サイラスが笑う。と共に、余所からも声が響くのに驚いて皆顔を上げた。エルカーンは自分の体内の様子を把握している。特に会話は響くので、筒抜けだ。
 暫し後、彼らが座していると言うとおりに一度揺れ、なんとも言えない浮遊感があり――皆様子を窺うように黙っていたが、その後は意外に何事も無いかのように安定している。真っ先に窓を覗いて遠い地上を確かめ、アーサーが碧眼を細めて無邪気に笑った。
「ああ! すごい! 飛んでますよ! 皆見ないんですか!」
 手元にはばっちりと記録用の紙が用意されている。彼が一番元気だった。ケネスやランドルフも横で外を覗いて、息を吐いた。
「ここでビビってると書き残されるぞ」
 ユーインが呟く。そうして彼も気合いを入れて、見てみるのだった。
「それは嫌だ」
 結局皆揃って窓を覗いては思わず目を閉じたりした。戦士とはいえこんな高所には慣れていない。城塞や橋の上に立つならばともかく、建物の中のようでいて、その物自体が飛んでいるというのも、なかなか恐ろしいものだった。

「自分で飛ばないのに浮くのは奇妙です」
 ウェーレイキオルはエドアルドの部屋となった一室で、まずエドアルドの鎧を外しながら呟いた。椅子に腰かけたソフィアが、手を貸すリリアンリヴも見遣る。
「そういうもの?」
「確かにそんな感じがします……慣れてるはずなのに、ちょっと緊張する」
「俺はまだ実感が湧かんくらいだ。まさか砦まで、飛んでいくことになるとは」
「そうね、馬に揺られる覚悟をしていたから、大違いだわ」
 鎧を外し終わって鎧下ギャンベゾン姿のエドアルドは肩を回して、普段よりも質素な旅装のドレスで腰掛けるソフィアを眺めた。
「お疲れ様。――どうかした?」
 問いかけには首を振った。
「こんな状況で喜んでいいのか分からないが、……君と居られて嬉しいんだ」
 皆、自分も家族と別れたのに、妻は傍に居る。そのことが単純に嬉しくもあった。ただそれだけだと告げれば、ソフィアも明るく笑う。
「いいのよ。貴方だけは喜ばなかったら、私悲しいもの」
「ついてきてくれてありがとう、ソフィア」
「私も嬉しいのです」
 微笑むエドアルドの横からウェーレイキオルも主張した。新婚夫婦の甘い雰囲気に割って入るのにリリアンリヴは些か驚いたが、すぐにもう一言続く。
「エドアルド様はソフィア様が居られると大変嬉しそうなので私も嬉しいのです」
 にこやかに、おべっかなどではなく心底そう思っている調子で言うと、場の空気はむず痒く温んだ。エドアルドもソフィアも、さすがに少し照れた。
 ウェーレイキオルの感情の軸はエドアルドにある。エドアルドのこと以外は大体どうでもよいが、逆に、エドアルドが嬉しいなら彼もとても嬉しかった。今回の同伴は思い悩むことが多くとも、そういう意味では間違いなく嬉しいものだった。
「……そう?」
「はい」
 他者――天使の目で見てもエドアルドは喜んでいるのだという事実は、ソフィアをふんわりと上機嫌にした。リリアンリヴも、ウェーレイキオルがエドアルドを見て感じるようにそれを見て嬉しく思う。振り回されて、もう、と思いながらもまったく悪い気はしなかったので、ウェーレイキオルを許した。
 気を取り直し、彼らは揃って船首側の大部屋へと向かった。此処は丁度巨人の喉元にあたり、核の据わる舳先が覗いて空が見え明るい。その総員が会する一堂に立って、同じように落ち着いて出てきた者たちを見渡し、エドアルドは改めて語りかける。
「皆、ひとまずご苦労。このようにソリエェスの助力で我々は楽ができそうだ。ただ、その分よからん余裕も出ることだろう。長旅は長旅だ。弛まず、和を乱すな。――まあ、しかし、慣れぬ者もいる。四六時中息を詰めても疲れる。一旦休憩としよう。……この先も頼みます、エルカーン殿」
「任せ給え。皆、よろしく」
 エルカーンは呼びかけに張り切って答えた。なんとなく核を向いて話しかけてしまうが、声は辺りから響いてくる。慣れぬことにエドアルドも落ち着かないが、澄ました顔を保って頷いた。
「お茶をご用意致します」
 皆の表情が緩む中、ウェーレイキオルがリリアンリヴや侍女たちと共に支度した。旅道具の簡素なテーブルに木杯ではあるが、この船ならば移動しながらテーブルを囲んで湯沸かしも使えるのだった。要するに部屋ごと運んでくれるのだから本当に楽なものだ。
 そうして一同はまだ出立の空気を引っ張ったまま、どことなく浮き立った雰囲気で過ごし、夜には第一の中継地、山脈を隔てたサーラ国に到着した。これは馬や徒歩かちの五倍もの速さだった。
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