ウェーレイキオルは微笑んでいる

綿入しずる

文字の大きさ
21 / 22

十五 北へ(中)

しおりを挟む
 エドアルドら、六氏族の子たちは身分相応に使用人に囲まれる暮らしをしているが、あくまで戦士である。身支度は自分一人で出来るし、それを嘆くこともない。
 それに。エドアルドにはもう、天使がいる。
「ふん……」
 白く長い指が夕日色の美しい髪を一本に編み上げる。つった感じは一切なく、かと言って緩みもなく絶妙な纏め具合。編み目も整って美しい。慣れた側仕えや髪結いの手際も彷彿とさせ、一人で使う船首側の一室、床に敷いた寝具に座したまま待つエドアルドは感心した。
「上手くやるものだな、ずっと髪結いしていたようだ」
「ありがとうございます。そうなのです、私は上手に編めるのです。ずっと練習したのです」
 ウェーレイキオルは胸を張って言いきった。髪を梳り結うのは特別な仕事だ。時に慈しみを持って、時に技巧を凝らして、行われる。ウェーレイキオルも降臨するまでの間、幾度導父どうふの髪を編んで思いを馳せていたことか。だから今任せてもらえたことが大変に嬉しいのだった。
 エドアルドとしてもやらせたほうが早く綺麗に出来上がるのならば任せない理由はなく――これもやはり昔リベルヨルンにもやってもらった、自分の天使が来たらしてほしいことの一つだったので、こうして名分が出来たのを嬉しく思ってもいた。誰にも何にも構わず望めば叶うことであるというのに、大人になってしまった彼はどうしても格好をつけて素直になれない部分があったので。
 ともかくこれからはウェーレイキオルに任せればよい。
「自分の髪は編まないのか」
 エドアルドは、まっすぐに落ちる黒髪を見て訊ねた。ウェーレイキオルはぱちりと瞬いた。
「編みましょうか」
「癖がつくかな……」
 エドアルドは美しい長い髪が好きだった。近頃ログラでは流行した劇の影響で男女問わず断髪も流行っており、リリアンリヴの銀の髪なども切って整えられていたが、エドアルドは正直如何なものかと思っている。ウェーレイキオルの髪を眺めるたびに思う。やはりこうでなくてはと。
 エドアルドは一房掬って勝手に編み始めた。金の艶が見えるのを楽しみながら。
 頭の横。腰までの長さを編みきる。エドアルドの手もなかなか上手いものだった。髪留めはないので、指で押さえる。
 ウェーレイキオルはその間、喜びのあまり固まっていた。
 編み終えて、いっときその髪型を眺めて。ふ、とエドアルドは頬を緩めた。
 ――これもいい。
 先日、結婚式の際に纏め上げたのも非常によかった。そのものが十分に美しいが、形を得ると品よく映える。
 ただ。――そうすると背が見える。
 翼を秘めた白い背の滑らかさを、エドアルドは思い出す。一度触れたことで増して素肌であることを意識する。十年蓄えた情欲が、ふつ、と沸く。
 ――やはり普段は髪で隠してもらっていたほうがいいかもしれないな……
 ウェーレイキオル当人はともかく。自分が落ち着かないだろうと考え、口に出さず決める。
 今のこの三つ編みも手を離し、解くと癖など残さず、絡むこともなく元に戻る。エドアルドは少し安堵したが、ウェーレイキオルはそれを惜しんだ。
 最北の砦まで二月はかかるところを十日余りに縮めての旅程。エルカーンの休息さえ済めば、他が寝ていても動き出すことができる。地上を行くのと違って移動は随分楽だが、それは憚らず言えば、少し暇だ。朝早く目覚めればこんなことをする余裕もあった。

 エドアルドが顔を拭い着替えなどして大部屋に向かうと、早くももう皆集まり始めていた。空高いゆえに肌寒く着込んでいるので、どことなく屋外のような雰囲気もある。そのうち、ライナーが武装しているのを見てエドアルドは瞬いた。横に居るイザークとサイラスが顔を見合わせて肩を竦める。
「なんだ、どうした。それはライナーか?」
「おはようございます、エドアルド様。――それがこいつ、朝起きたら急に、落ちてもこれなら助かる、と言い出しまして……」
 イザークの説明にエドアルドは眉を上げた。青天を突き進む船首を見遣って、床に座り込む、兜で顔もよく見えないライナーに問う。
「……飛び出す気ではないだろう?」
「用心です! 皆着ておいたほうがいい」
「ええつまり、この船が、落ちたらどうしようと、そういうわけで」
 彼の主張、サイラスが補足するのに、エドアルドは成程と思って一瞬天井を仰いだ。
 エドアルドは平気だったが。何人か――ライナーとフークバルト、医者の一人と侍女の一人あたりがこの移動手段、高さに眩んでいるようだとは、部隊の長として把握していた。気の毒なことだがどうしようもない。そのうち慣れるだろうと思うしかなかったし、実際昨夜までは皆なんとか落ち着いていたのだが。
 当人もまた考えていたのだ。自分は降りるなど軟弱なことは言えないが、不安で落ち着かないのも本当だ。ライナーは一晩寝つきの悪い夜を経て、思いついたのだった。
「用心に越したことはありません」
「落ちないよ同志、安心してくれ給え。私にとっては歩いているのとそう差は無いんだ。躓かない分よりよいくらいだよ。巨人はもっと早くこうなってもよかったと思っている」
「エルカーン殿もそう仰っているんですがね」
 朝起きての第一声で鎧の装着を促されたイザークは呆れ顔だ。こうして説得を繰り返しているが、ライナーも手強い。
「平気だろう。エルカーン殿に失礼だろうが。あまり滅多なことを言うものではない。戦士がそのようで、情けない」
 船が落ちる――ということは、巨人が倒れるということに他ならない。大変に不穏な発想で、エドアルドは許すわけにはいかなかった。しかしエドアルドの叱咤にも、ライナーは引けず唸る調子だった。まだ駄目か、とイザークとサイラスはまた顔を見合わせる。
 そこに、ウェーレイキオルが元気よく囀った。
「何が起きようとエドアルド様は私がお守りします。エドアルド様の御意とあらば他の方もお助け致しましょう。必ずや。何卒ご安心ください」
「ウェーレイキオル……」
 だから不穏なことを言うなと言っているのにとエドアルドは眉を寄せたが、ライナーの強情を和らげるにはあまり手段を選んでもいられない。今居る者は呆れて見ている風だが、これをきっかけにまた誰かが怯えだしては大変だ。
「まず。この船は落ちん。俺は無事総督に就かねばならないんだ。これから戦いに行くのだぞ。そんなことで皆無駄死にでは困る」
 エドアルドは力強くなおはっきりと言いきる。絶対の確信を持っての、断言だった。
「お前もえある輝く鎧エレイアの一人ならば。打ち克つことができるはずだ。怯むのではない。自分の運命の手綱をとれ」
 ライナーは黙り込んだ。エドアルドの信頼と、不安を秤にかけている。沈黙が長い。
 次に誰が口を開くかとなったところで、離れたところから声が飛んだ。エドアルドと同じ頃にやってきて、成り行きを見守っていたランドルフの声だった。
「ライナー、その有様はご婦人方に見られても平気か? ソフィア様たちもそろそろいらっしゃると思うがね」
 言い――彼らとは離れて、日当たりのよいところで座っているメインダを見た。ナルダと見分けがつきづらいほどよく似ているが、彼は額に白い斑紋があった。日向ぼっこしている彼も両性であるし、ご婦人の枠に入るかも知れない、どこか淑やかな居住まいだった。
 それに、ソフィアやその天使、侍女がやってきたら。そうして、何故鎧を着ているのかと訊ねられたら。用心しているのだと言って、しかし仲間たちが呆れているように、笑われでもしたら――
 考え、ぐぬとライナーは唸った。もう暫し悩み、鎧を鳴らして立ち上がる。
「……脱ぐ、か……」
「すぐそうしろ。誰か手を貸してやれ」
 エドアルドは一安心して促した。イザークがすぐ動く。サイラスは笑いを堪えた。
 二人が後ろの部屋へと戻っていくのを横目に、やっと座って、エドアルドはランドルフを向く。
「ランドルフ、助かった。……やはり部下の扱いはお前のほうが手慣れているか」
「なに、多少は年の功と申しましょう。最後の一押しに手を変えただけです。エドアルド様に言われた時点で、決まっていたと思いますよ。――私も正直、自分が飛んでいるというのは、不安と言うか、まさに地に足が着かん感じがするのも確かです。しかし人前ではどんと構えていないとそれも具合が悪い……結局意地が勝つ。皆、ライナーも同じでしょう。仰るとおり、栄えある輝く鎧エレイアの一員ですからな!」
 ランドルフは体を揺らし、はっはと威勢よく笑う。エドアルドは息を吐いて思い至って顔を上げた。
「――ご不快をお詫びします、エルカーン殿」
「なに、彼の言うとおり、不安も仕方がないとも。これは初の試みゆえ。私にも発見がある。この旅はこれからの為に大いに参考になる」
 謝罪に、金剛石ダイヤモンドめいた核は寛容に煌めいた。船になるほど柔軟な思考の持ち主である。体内での揉め事に発展しなかったので、十分よしとしていた。
 そのうちにソフィアが身支度を整えて侍女を連れ現れる。やはり皆落ち着かず、予定より早起きだ。
「おはよう。よく眠れたか?」
「まあまあね。皆はどうかしら?」
 エドアルドが声をかければ、リリアンリヴが傍へと椅子を置く。今のところ体には変化はないものの、一応気遣い、そうして腰掛ける流れがもう出来ていた。
「我々はご心配なく。野営にも慣れております。比べれば随分寝やすい」
「寝てる間だって進んでくださるんだから凄いものですな」
 皆、勿論ライナーのことなど考えたが。全体的な評価ではそういうものだった。サイラスとランドルフが頷き合うのにソフィアも頷いた。明るく空の色が見える船首を仰いで、口元には感嘆の吐息が混じる。
「そうね、本当に素晴らしいものだわ」
「白銀の、紫水晶アメシストの君。お褒めにあずかり至極光栄」
 エルカーンはきらきらと笑い、弾かれた光が壁や床に散る。その美しさにも、ソフィアは微笑んだ。
「なにか不調でもあれば言って頂戴な。薬も積んであるから、煎じられるそうよ」
 彼女はエドアルドの妻としてだけでなく、一人の医師として少し意気込んで言った。これまで多くの傷病を癒した実績のある彼女だがそれはほとんどが個人的な診察によるもので、こうして任務に付き随うのは初めてだった。同行の医師のほうは普段から戦士の為に働く専門家であるのでそう不安は抱いていないが、一員として相応の覚悟をして、備品の確認など大体の情報共有は済ませていた。
 そのように互いを気遣い話す間に他の医師や呪術師も集まり、ライナーとイザークも戻ってきて全員揃った。ソフィアの話の続きのようにまず体調など確認して、問題のないことを確かめながら朝食となる。
 椅子を用意されたソフィアの他は各々敷物など尻の下に挟みつつ、床に座ってテーブルを囲んだ。香草の効いた豚脂ラードをパンに塗る。これと少しの乾し肉を噛み、熱い茶で腹を満たす。これが旅の間の基本の食事だ。普段、たとえば兵舎での生活なら腸詰めや具沢山のスープなどつくところだから比べると量が少ないのは否めないが、発ったばかりなので積み荷に余裕があり、口直しに黒梨トゥランや、煮詰めた果汁と胡桃を練った菓子も積み込まれていた。これも日持ちと体力の充実を考えられた旅の食事である。途中でも補給をし煮炊きをするので全部質素に切り詰めるというわけでもなかった。水も限りはあるが、これも毎晩補給できる計算なので飲み水以外の用水を節制していれば十分に間に合う。ただし、天使は飲み食いをしないで過ごす。
「なんだか慣れないわ」
 手隙の手持無沙汰ゆえにせっせとソフィア以外の食事にも気を遣い動くリリアンリヴを眺めて、ソフィアは呟く。エドアルドは頷いた。
「ああ、そうだろうな……ウェールは兵舎では食っていないが、リリーはそういうことはないだろう」
 彼は半分、慣れていた。エドアルドも仕事のときには食堂で他の戦士に交じって食事を摂るが、それは当然食費がかかる。国庫から出るもの一食とはいえ無駄にできないので、ウェーレイキオルはその間は横で見守っているのだった。今も――リリアンリヴと違って主の隣をほとんど離れず――エドアルドがパンを一枚食べ終えると見るや追加の一枚に脂を程よく塗り皿に差し出し、それを食む間に茶のおかわりも注ぐ。淀みないほどの手際だった。
「そういえば、ウェール殿はそろそろ何か好きな食べ物でもできましたか?」
 前に座っているアガトンが話の隙間に軽く問う。エドアルドとソフィアを窺っていたウェーレイキオルは自らの名前の響きにすぐ、そちらを向いた。
巻き菓子パーガが好きです。甘くておいしいので」
 訊ねられたのがなんとなく嬉しく、彼自身が機嫌よく素直に答えた。聞こえた辺りから声が上がる。
「甘党だったか」
「上品な菓子だなあ」
「この前食ったな」
 フークバルトが呟くのは、クラウス家の婚儀のときの話だ。
「食った食った。他の料理も美味かったよなあ。やっぱり六氏族のおいえとなると質が違う」
「は、そりゃ比べるべくもない」
 大いに飲み食いして、今も食欲は十分なライナーが言うと皆が笑う。ましてや、宴の食事だ。急いでの挙式だったとはいえ、他の六氏族や貴族も招くとあってはエドアルドたちも気を抜けなかった部分だ。
蜂蜜のパイベルベル・フィーも美味しゅうございましたね」
 ソフィアの横で侍女たちも微笑み合う。二人は、ソフィアがビヒ家から連れてきた気心の知れた存在だ。友人のように親しくもあった。宴の後に使用人の席で与えられたご馳走だが、思い入れも含めて格別のものだった。
 祝いの菓子は甘くて甘くて、主人の幸福の象徴なのだと思うと一際幸せな一切れだった。リリアンリヴもウェーレイキオルも思い出して微笑んだ。
 ソフィアは嬉しそうに目を細めた。
「皆が喜んでくれたなら甲斐があったわね。いつか戻ったら、また大宴会をしましょう」
「ああ、約束しよう。皆を集めて」
 相談ではなく言いきる妻に、エドアルドも笑って快く応じた。先の長い話だが、約束が多くて悪いことはない。それは困難な日々の支えにもなるものだ。

 食事が済んだ後も暫くは皆集まって過ごしていたが、時間が経ってくると徐々に数人ずつ分かれていった。多くは明るい大部屋で寄り合い、雑談などして時間を潰す。大体はエドアルド隊や、呪術師や、医師が、知った顔で集まっている。メインダは日当たりのよい辺りを居場所と定めて座り込み、ログラへの朝の報告ついでに伝令者シャード同士のおしゃべりをしている。
 やがてソフィアたち女は落ち着くべく部屋に引っ込んだ。エドアルドはソフィアと居るか少し迷ったが、自分が居ては侍女たちの気が休まらないだろうと思えばまず今日のところは大部屋に居残ることにした。
 そうして女が消えて戦士たちが集うと普段どおり、話は多少俗なほうにも向いてくるのだった。
 エドアルドの横にはウェーレイキオル。イザークとアガトン、サイラスとユーインが座っていた。残してきた家族のことを話すうち、エドアルドの後にすぐ結婚したイザークの夫婦仲についてに話題が向くのは皆の関心度からして当然と言えた。
「抱いてきたか?」
「――まあ。初夜だったし」
 ユーインが小声で下世話に問うのに、イザークは軽く気のなさそうな返事をした。部下のほうも一連の流れが済んだことにエドアルドは多少安堵した。本当なら親密に過ごしたい時期だろうにと思えば同情したが、妻を連れない判断をしたのはイザークだ。いくら上官とはいえ他人が、下手に口を出したくなかったので黙った。イザークという男は何を押し殺してもついてきてくれるのだという信頼もあった。その忠義に応えようと思った。
「折角結婚して何もしないんじゃ話にならないもんな」
 一方ユーインは興味津々に羨んでこの調子だ。窘めつつ、アガトンも呟く。
「しかししてすぐ旦那が居なくなるんじゃ、奥さんも寂しかろうなぁ」
「どうかな……」
「若いんじゃそうだろう」
 イザークは曖昧に苦笑いした。もう結婚して長く、尻に敷かれている節もあるサイラスが笑って言う。
「うちは暫らく居ないくらいが気楽でいいと。しっかり働いてこいってさ」
 大仰に続けると、ユーインが肘で小突いた。
「そんなの、口だけだろ。奥さん涙ぐんでるとこ見たぜ」
「恥ずかしいから言うなっていうんだよ」
「なんだ、隠すことないのに!」
 周りに教えてしまうのに、サイラスは途端に照れて鼻の上を渡る傷痕を擦った。エドアルドは顔くらいは知っている彼の妻を思い浮かべながら、隣へと視線を移した。
「――お前は、その、どうだ」
 アガトン、同期でもある男を窺った。どうだ、とは、イザークは婚約していた女とそのまま結婚したが、お前は見込みはあるのか、という話だが。真剣なエドアルドに対し、アガトンは気負わずへらっと笑った。
「北は色白の美人が多いから連れて帰ってこいと」
「……そうか。……頑張れ、でいいのか、こういうのは」
「ええ。綺麗な人を見かけたら教えてください」
「美人が多い、はよく言うが本当かね」
「ほら……第二戦士団のアンハイサー殿の奥方がそうです、あれは確かに美人でしょう」
 冗談か本気かも掴み損ねるエドアルドは返事を迷って歯切れ悪く言うが、彼の調子は軽い。サイラスが呟くのに実例も出して頷く。
「いいなあ、そういうのもありだな。――選ばれた砦の戦士となれば、ちょっとはモテるかな?」
 ユーインがぼやくのには、皆曖昧に笑った。
「さあなあ、ユーセベルでも駄目だったなら駄目じゃないか?」
 アガトンは辛辣である。
「なんだよ、こんなにいい男は居ないってのに」
「やっぱりアーサーにもっとかっこよく書いてもらう必要があるな」
「賄賂が要るか?」
 くだらないことを言い合えば、少し離れて、テーブルの端でケネスとフェルテンと持ち込んだ遊戯札カードで遊んでいた随行詩人エピシジルは笑い飛ばした。
「そういうのはちょっとー。それに盛ったところで、後で実際を知って幻滅されるのもキツいですよ? 堅実に行きましょうよ」
「どうして幻滅されることになってんだよ!」
「そういう魂胆がそれっぽいんですよ」
 アーサーはフェルテンと、ねえ、と頷き合う。ケネスも否定はしてやらなかった。ユーインは輝く鎧の中でもエドアルドに選ばれるくらいには優れた戦士であるのだが、こういうところがありどうしても、女の人気とは遠いのだった。
「本当にエドアルド様くらい……イザークくらい顔がよければなあ、笑いかけるだけでころっと行くのに」
 悔しがるのに、イザークは溜息を吐いて見せた。
「顔でモテるのもいいことばかりじゃないよ」
「いいや得だね、この前果物屋でまたおまけして貰ってただろ。いつもそうだ」
 親しく、普段共に行動することも多いライナーが背後から絡みに来る。まだ多少落ち着きがなかったが、腹は据わったようでいつもの調子だった。エドアルドは安堵する。
 ライナーはもっと言う。
「これからは気をつけないといけないぞ。奥さんに妬かれたら機嫌とりも大変だ」
「いや、いい男を貰ったと自慢に思ってくれるんじゃないか? どんな感じだ――名前はなんと言った?」
「オイラリエ。――大人しい女だ」
 アガトンが横から問うのには、イザークは控えめにそれだけ述べた。エドアルドはゆっくりと一つ瞬きをした。
 大人しい女は、夫が旅立つのをどういう思いで見送っただろうかと思う。彼女にも、他の者の家族にも一声くらいかけるべきだったか、その時間も惜しかったかと、思うが、どうあれもう遅いのだった。
 ――己のことに手一杯で、気が回らなかったな……
 ――この先も。俺も知らぬ地での生活だが、皆そうなのだ。もう少し気を使ってやらねば……
「夜も大人しいのか」
「静かだったよ」
「そのほうが好みか?」
「――おい止せ、ソフィアも居るんだぞ。聞こえたらどうする」
 物思いに沈みかけるうちに、ユーインの所為で話はどんどん怪しくなる。エドアルドは慌てて遮った。当のイザークがどこかなげやりな風なのもある。多く語らないがむしろ、彼も結婚してすぐ離れた妻を気にしているのだろうと思った。
「分かっておりますエドアルド様、気をつけますので」
「よくやるよ。酒も無いし――ウェール殿が見ているとこういうのはちょっと話しづらいだろ」
 サイラスは呆れ気味に揶揄して笑った。
 普段ならもっと低俗な話にもなりそうなところ。エドアルドも居れば、ウェーレイキオルも居る。横にやたらと姿勢よく膝を抱えて座っている。中性的でどこか無垢、そしてじっと見つめられるとあまりの目力にたじろぎそうになる天使は、こういう話には向かなかった。その分一応、抑制されてはいる。
「ウェール殿はどうですかと聞いても仕方ないしな」
「お気になさらず。私はエドアルド様の他に興味はございません。何を話してくださっても結構です」
 アガトンの軽口にウェーレイキオルははきはき述べる。話は一応聞いてはいたが、興味があって聞いているとは言わなかった。それを言うのも堂々としている。アガトンは気になって問うた。
「本当に何も思わないのか。こう、なんというか、女とか?」
「無論区別はつきますが、女も男も差はありません。エドアルド様と、その他ですので。……他の天使は存じませんが。リリアンリヴにも訊いて参りましょうか?」
「いやいや」
 その他と言い切られた彼らは――その包み隠さない言い方にエドアルドさえも、どう反応したものか微妙な顔をしていたが、勢いよく立ち上がりそうな気配があるのはすぐ制した。エドアルドもやんわり腕を掴んだ。どういう聞き方をされるかも分かったものではない。ウェーレイキオルは当然、エドアルドに止められれば大人しく座りなおした。
「まあ……やっぱり無いんだろうな。天使は美しいから懸想されることもあるらしいが、だからって天使が誰かとどうこうなった話は一つも聞かない」
 サイラスは今まで見聞きした記憶で言いきる。ユーインとライナーも頷いた。
 主と守護天使の場合は、別である。それを噂に知っている者は、適当に調子を合わせた。目の前の、天使を切望していた上官はどうなのか、やってきたのがこの変わった天使ではどうなのか、気にはなってもさすがに本人の前では口にしなかった。
 本人、エドアルドはウェーレイキオルが余計なことを言わないかとひやりとしていたが。ウェーレイキオルは以前に注意されたのをしっかり覚えているので口を閉ざしていた。エドアルド様とのことは秘密で、誰かとどうこうは一切ない。それも、言わないのだった。
「……黒梨でも食うか。ウェール、持ってこい」
「はい、かしこまりました」
「自分も行きます。体が鈍ってしまう」
「俺も俺も」
 提案にイザークとユーインが続く。
 そのように誰もが時間を持て余す間にも旅は順調に進んだ。皆些か退屈そうだが、ウェーレイキオルだけは実はご機嫌だった。初めての船旅で手探りで動く中、とりあえず使用人がいない分エドアルドの為に働くことが増えたので喜びに満ちていた。朝にエドアルドが髪を編んでくれた歓喜も続いて、いつもに増してにこにことしていた。
 途中、エルカーンが地に降り休息をとる中継地点では各国の要人と会って話をする機会もあったが、あまり手間はかけなかった。折角このような手段まで使って急いでいるのに、呼び止められても仕方がない。
 ただ共に焚火を囲み、親書を手渡し、盟約を確かめ合う。そうして竜を討つべく北へと向かう話をするのは、人々の心に、伝え聞くのみの戦いの景色を静かに呼び起こすのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

嫌われ将軍(おっさん)ですがなぜか年下の美形騎士が離してくれない

天岸 あおい
BL
第12回BL大賞・奨励賞を受賞しました(旧タイトル『嫌われ将軍、実は傾国の愛されおっさんでした』)。そして12月に新タイトルで書籍が発売されます。 「ガイ・デオタード将軍、そなたに邪竜討伐の任を与える。我が命を果たすまで、この国に戻ることは許さぬ」 ――新王から事実上の追放を受けたガイ。 副官を始め、部下たちも冷ややかな態度。 ずっと感じていたが、自分は嫌われていたのだと悟りながらガイは王命を受け、邪竜討伐の旅に出る。 その際、一人の若き青年エリクがガイのお供を申し出る。 兵を辞めてまで英雄を手伝いたいというエリクに野心があるように感じつつ、ガイはエリクを連れて旅立つ。 エリクの野心も、新王の冷遇も、部下たちの冷ややかさも、すべてはガイへの愛だと知らずに―― 筋肉おっさん受け好きに捧げる、実は愛されおっさん冒険譚。 ※12/1ごろから書籍化記念の番外編を連載予定。二人と一匹のハイテンションラブな後日談です。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される

秋津むぎ
BL
第13回BL大賞奨励賞頂きました! 最終17位でした!応援ありがとうございます! あらすじ 魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。 ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。 死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――? 傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。

処理中です...