橘言

綿入しずる

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 情交の最中はよく噛まれました。見極めたように牙は柔く肉を食むだけで退き血で汚すことこそありませんでしたが、ときにそのことを惜しむように舌や息が歯型を撫でるので、初めの頃は今日こそ食い破られるのではと思っていました。その繰り返しに体は冷えて、熱く。はしたなく昂ってゆく。
 陛下がそのように獅子である下で、タチバナは毎回精霊のことを思い出すのでした。自分のした作り話の中、鬣の毛繕いをするか弱い虫を。
 あるときタチバナはやっと手を持ち上げて、指先で御髪の一筋に触れてみました。陛下はお許しになりました。肌を舐りながら頭を寄せて、続きを催促します。思えばこういうとき、ただ寝そべっているだけというのはなかなかにつまらぬことのように思えますが、何せ帝の御前でしたので、それに気づくには時間が要ったのでした。
 初めは畏れ多くやんわりと。そのうちにも身が暴かれるので堪えきれず抱くようになり、乱しては撫でつけ。握り締めていた袖とは違うその手触りに漏れる吐息が声へと変えられる。
 己の指先が白い御髪の中ではまさに薄紅に見え、そのことに心が震えました。
 ――この方は冷徹な帝であられる。
 また一人、斬られた。今度は流された。そう聞こえてくる度にタチバナは思いなおしました。
 ……思いなおすほどには、もう怖くはなかったのでしょう。
 斬りたくて斬ったわけはない。それは帝としてのご決断なのだと考えました。治世する為に必要なことなのだ、他には誰もできぬことを果たしてらっしゃるのだ。恐ろしいこともやりとげる立派な方なのだ。そのように、政など端しか知らぬ身で思いました。事実世は良くなっていき、巫覡たちも国に吹く風向きをよしとしておりました。帝は暴君ではなく、恐れられても、正しく在りました。
 タチバナのお召しは帝が后を迎えられて暫らくは途絶えることがありましたが、もう会わないものかと思ううちにまた呼ばれるようになり、抱かれ、話を請われました。やがて后の御懐妊が伝わってきて、無事に御子がお生まれになります。
 そうして細々、三人の御子を儲けられる間に、間を縫うように呼ばれ続けました。
 寵愛は寝所のみに留まらず、タチバナは宝物を幾つも賜りました。新しく倉を建てたほどです。曰く、帝にとっては日用の品だというものもありましたが、何よりそのように下された事実がそれを立派な宝としました。
 使え、売れと申されましてもおいそれとは致しません。ただ不思議と、そうして家に置いていると財が潤うようになりました。
 ひとつ、白いぎょくの簪だけは身につけました。そのようにと仰せになられたので。御前に侍るときは勿論、普段も欠かさず髪に挿してから巾を被せました。
「お前の名は……」
 あるとき簪を弄んで帝が呟くのに、タチバナは居直って答えました。
「タチバナと申します」
 すると怒られた。
「知っておるわ」
 と。もう忘れておられて、それで尋ねられたのかと思ったがそうではないようだった。帝は重ねて尋ねられた。
「それは、木の名か」
 頷き、タチバナは述べました。
「はい。生まれたのが丁度実りの時期だったので庭木が父の目に留まり、名づけたものだと聞いております」
 それはその頃には変わった名づけだったが、その分、似たような名前ばかりの中で目立っていて、誰にもすぐ覚えられるので気に入っていた。名に音だけでなく、わけがあるのもよいと思っていた。
「それはよいな。そういうのは、よい」
 帝もそう思われたようでした。
 以来、名を呼ばれるようになった。そうすると己の名が一層誇らしいもののように感じられて、タチバナはそれだけで大変な褒美を貰った気になったのでした。
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