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王への道のり

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 乳母のエイダは、元々アルオの母の侍女だった。王に嫁いでからしばらくは離れていたが、アルオが産まれる三月前に子を産んでおり、ちょうどよいから乳母になれと後宮に呼び寄せられた。

 エイダの息子である、モンタギューと一緒に。モンタギューの父は、ひと月前に事故で亡くなっていた。

 アルオの母は元より気性は荒かったが、王に相手にされない苛立ちから、情緒不安定になることが多くなった。後宮に上がるまでは周りからもてはやされ、男も思い通りにしてきた。王の気に入りになる自信があったのだろう。

 だが、王は懐妊を知るやいなや、アルオの母の元へは来なくなった。そしてその苛立ちは、主にアルオに向かった。

 アルオの容姿は、兄弟の中でも特に王と似ていた。銀の髪、銀の瞳を受け継いだのも、皮肉なことにアルオだけだった。それが余計に王を思い出させ、母の怒りを助長させた。

 育児は乳母任せ。それでもたまにアルオの前に顔を出しては罵り、蔑み、暴力を奮った。

 異母兄弟たちからも叩かれ、蹴られ、罵声を浴びせられることもあった。一番小さいから。王位を継ぐのに最も遠い子だから。そんな理由で。モンタギューが巻き添えを食らうこともあった。

 エイダは必死に、たった一人で二人の息子を守った。反撃することが許されない中、二人を腕の中に抱きしめ、ただ相手の気がすむまで耐えた。それしか、二人を守る方法がなかった。誰も助けてはくれない。みな見て見ぬふり。それがここでの日常だった。

「愛していますよ。私の可愛い息子たち」

 それは、エイダの口癖だった。エイダはアルオを、モンタギューとなんら区別することなく育て、慈しみ、愛してくれた。

 エイダはそばかすのある、赤毛の女性だった。少したれ目で、エイダが笑うと何だかほっとした。モンタギューはエイダの特徴をよく受け継いでおり、アルオはいつも羨ましく思っていた。

 確かに美貌では、父や母が勝っていたかもしれない。でもアルオは自分の顔を鏡で見るたび、嫌悪しか感じなかった。

 自分のせいでエイダとモンタギューが辛い目に合う。それが理解できる年になったアルオはただひたすら謝罪した。泣きながら、二人から離れる決意をした。そんなアルオを、エイダは優しく抱き締めてくれた。

「親離れには早いですよ。愛しい子。まだしばらくは、私にあなたを守らせて下さい」

 人として大切なことをたくさん教えてくれた。エイダがいなければ、他の兄弟たちと同じ価値観しか持てなくなっていただろう。

 不満はあった。怒りもあった。何故理不尽な行為を、ただ耐えるしかないのか。何故自分のせいで二人がこんな目に合わなくてはいけないのか。何より、二人から離れられない自分が情けなかった。

 それでもモンタギューが、エイダがいてくれたから、生きてこれた。ほんの少しだけでも、笑うこともできた。

 ──なのに。


 アルオ。モンタギュー。
 共に七歳の、春の終わり。
 
 ぽつぽつと、雨が降る朝。目を覚ましたアルオは、きょろきょろと部屋を見渡した。二人の姿がない。アルオは寝台からおり、エイダとモンタギューを探すために部屋を出た。ほどなく、後宮の庭の隅に立ち尽くすモンタギューの背中を見つけた。

 ほっとし、名を呼ぶ。モンタギューは振り向かない。駆け寄り、モンタギューの視線の先を追った。

「……エイダ?」

 アルオは千切れそうなほど両目を見張った。木の陰。雨に打たれ、血まみれの海に横たわっていたのは。

 乳母の、エイダだった。

 モンタギューが地面に膝をつき、横たわるエイダを揺さぶった。エイダは薄く目を開いたまま、ぴくりとも動かない。応えない。

 母様、母様。
 エイダに覆い被さり、泣きじゃくるモンタギューの横で、アルオは目を見開いたままじっとエイダを見ていた。

「うるさいわね。何事?」

 屋根の下。鬱陶しそうにぼやいたのは、アルオの母、第七公妾だった。アルオは振り返り「……エイダ、が」とすがるように呟いた。第七公妾は「あら」と右手で口を覆った。

「もう殺してくれたのね。でも死体をそのままにするなんて。雑な仕事ぶりだこと」

「…………?」

 吐き捨てた意味を、アルオは理解できなかった。代わりのようにモンタギューが「あなたが、母を、殺すように命じたのですか……?」と震える声で訊ねた。

 まさか、そんな。どうして。

 アルオは思った。が。第七公妾は「ええ、そうよ」と、拍子抜けするほどあっさりとエイダの殺害を指示したことを認めた。

「母であるわたくしより、あんな下賎な者を慕うお前が悪いのよ、アルオ。王族として恥を知りなさい。あなたが七歳になるまで生かしておいてやったのだから、感謝なさいね」

 そう言って、去って行った。

 アルオはただ、産みの親である第七公妾の背中を見ながら愕然としていた。

 今までどんな扱いを受けようが、どうしてか恨みきれず、心から嫌いになれない自分がいた。そんな自身が心底情けなく、エイダに泣きついたことも何度かあった。

『それでよいのですよ』

 脳裏に甦る、優しい声音。

 どんどん激しくなる雨に混じり、アルオの双眸から涙が溢れていく。

 産みの親に対する僅かに残った情は、残さずアルオの中から消えていった。


 その後。第七公妾がエイダを殺したと、目につく大人に、手当たり次第に訴えた。ほとんどの公妾には、話しを聴く前に手を叩かれたり、打たれたりした。そんな中、第二公妾だけは耳を傾けてくれた。しかし。

「それの何がそんなに悪いのかしら。だって、実の母親より、王族でもない乳母を慕ったあなたが悪いのではなくて?」

 心底不思議そうに返された言葉にぞっとし、追い詰められたアルオは王宮に乗り込み、王である父に直接訴えた。けれど、第七公妾が罪に問われることはついになかった。

 それどころか。王宮に無断に入った罪により、アルオが牢に閉じ込められてしまった。


 ──三日後。

「……モンタギュー?」

 牢から出され、絶望にうちひしがれながら後宮の隅にある、エイダとモンタギューといつも一緒にいた小さな部屋に向かった。そこにある寝台に、モンタギューは横たわっていた。痛みに唸りながら。身体中あざだらけ。所々に、深くはないが血が流れている。

 幸いにも命に別状はなかったものの。やったのは第七公妾ではなく、異母兄たちだった。異母姉たちは傍で、ただ嗤っていた。それを目撃していた城の者もいたが、誰も助けてはくれなかった。そう、モンタギューは震えながら語った。むろん、誰も罪に問われることもなく。

 ──あいつらは、何だ。
 本当に、人なのか。
 
 偉い? 何が?
 何をしても赦される?

 王族だから?

 何故? 誰が決めた?

『人はみな、平等なのですよ』

 エイダの言葉が脳裏に甦る。

 平等? これが?
 いや。あいつらは、人ではないのだ。外の世界のことは知らない。エイダの言っていた通りの平等とやらがあるのかもしれない。けれど、ここにそんな理想は存在しない。

 ここにいるのは、人の皮を被った心のない化け物たちだけだ。

 アルオが深く、深く、心を閉ざしていく。
 産みの親への、王族への、城の者たちへの恨みを抱えながら。こいつらに、言葉は通じない。人の持つ温かみなどない。それがようやっと理解出来た。

 ──遅すぎたけれど。

 そして。
 この小さな城の世界で信じられるのは、モンタギューだけとなった。
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