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1章.嘘つきたちの想い。
01.終わりの始まりテンペスト
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なんの記念日でもなかったのだけれども、お兄ちゃんがデパ地下の有名な老舗洋菓子店のケーキを買って帰って来た。
10歳年上のお兄ちゃんは、スイーツだのケーキだのは誕生日かクリスマスくらいにしか買って来ない。女子が多いオシャレなスイーツ店やデパ地下スイーツ店は『大きい身体のむさいオレが行くところじゃない』と恥ずかしそうに言っていた。そんなお兄ちゃんも、諸手を挙げてかわいいと思う。
一軒家の我が家・稲代家に間借りしているセキ──時任 世基という赤の他人──もダイニングでコーヒーを入れながら、狐につままれたような顔をしていた。
それくらい天変地異。だけど、お兄ちゃんがケーキを買ってきてくれたのは、嬉しい事実であるのは変わりない。
ダイニングテーブルに並んだケーキは、『このケースにあるやつ全部下さい』と言わんばかりの種類と数。さながら、ネットでしか見たことがないデザートビュッフェのようでもある。
かわいい苺のショートケーキは、セキが入れてくれたちょっと苦めのコーヒーによく合うではないか。さすがお兄ちゃんの見立てのケーキだ。
「季結、世基。座って落ち着いて聞いてくれ」
「なに、譲。俺たちはとっくの前に座ってるよ。改まって話かな?」
実質剛健を人体に表すとお兄ちゃんになり、温厚で柔和を人に表すとセキになる。そんな真逆のふたりは、小学生からの友人であり、親友だ。
「よく、聞いてくれ」
「うん。よく聞いてるよ、お兄ちゃん」
わたしは2つ目のケーキを、ベリーたっぷりの色鮮やかなレアチーズケーキにしようか、濃厚そうなベイクドチーズケーキか迷っている。気になるのはカロリーよりもお腹がいっぱいになってしまうことだ。平気でお兄ちゃんは4つくらいペロリと食べちゃうから、明日にはないかもしれない。わたしのお小遣いでは老舗洋菓子店で豪遊できないから、真剣に選ばざるを得ない。
そうしていると、目の前にひとくちほどの大きさのザッハトルテを向けられた。セキがひとくちくれるらしい。
セキとはある協定を結んでいる関係だが、これはこれ、それはそれ。もらってやるとしよう。
ひとくちだけのザッハトルテでわたしを買収できると思うなよ。
柔らかな色のセキの瞳が『早く食べろ』と促しているので、遠慮なく食べてやるのする。わたしの広い心に感謝するように。
ザッハトルテは舌の上でクリームかのように溶けて、濃厚で上質なチョコレートと洋酒の香りを口の中いっぱいに広げる。いいや、バッサリとテーブルクロスをかけるかの如く、濃厚なチョコが口の中をいっぱい広げた。
んんんーっ! おいしい!
それでいて微かにオレンジの香りもするからこれは永遠に食べられる系ではなかろうか。古代インカより伝えられし神の食べ物・チョコレート。恐るべし。
よし、2つ目はベリーたっぷりのレアチーズケーキにしよう。濃厚の後に濃厚なものを食べると胃もたれをするかもしれない。そうなっては、お兄ちゃんが買ってきてくれたケーキに申し訳が立たない。
「よく聞いてくれ」
2度目だ。お兄ちゃんはなにをそんなに緊張しているのだろう? わたしに愛の告白をしてくれるとか?
それならケーキより花束と指輪がいいし、セキはいなくてもいい。戸籍が共にある今、結婚はできなくても、愛の告白と肉体的・精神的に合体できれば良いとさえ思う。
「け、んっ、んご……」
「譲、落ち着いて。コーヒー飲んでさ。ケーキも食べてないだろ? ベイクドチーズケーキ? それともモンブラン?」
セキは、ベイクドチーズケーキとモンブラン、クリームたっぷりのチョコレートケーキをお皿に盛ってお兄ちゃんの前に置いた。
こういう気配りができる男なので、セキは要注意なのだ。
「結婚する」
天変地異の後は青天の霹靂。すわ、テンペスト。
「………………」
お兄ちゃんがまっすぐ見ているのは世基だ。脳内ではモーツァルトの魔笛が演奏される一歩手間で、オーケストラの団員は静かに指揮者を注目している。なぜテンペストではないのか、謎である。
ええい、今は楽曲だのオーケストラだの関係ない。
世界は世紀末になっているのだ!? 天の御使いはラッパを吹きし世に地獄を溢れさせた! なんてことだ! やはりテンペストを奏でるのだ、脳内オケ団員たちよ!
わたしの脳内と精神は荒れ狂っているが、その実、ピクリとも動いていない。隠密起動実装で片想いをしてきたスキルは、こんなところでも役に立つ。
同じく高度なステルス片想いをしているセキは、柔らかい色の目を何度もしばたたいて驚いている。
お兄ちゃんはガチガチに緊張をして、それはもうリアス式海岸の巌のようになっている。
「式場は押さえた。来年の今頃だ。入籍は半年後」
「……譲、落ち着こう。そう、落ち着こう。……たぶん、いろんな言葉が抜けていると思うんだ」
わたしはマヌケ面で口をポカンと開ける以外できていない。さっきの至福のガトーショコラはどこかの彼方だ。
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