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第2章 怨霊屋敷に巣食うモノ
1 時峰の武勇伝
しおりを挟む「今日は、貴女の興味を惹きそうな話を携えてきましたよ。」
花房家の次女、土筆姫の部屋に通された近衛中将、藤原時峰が、腰を下ろすなり、挨拶もそこそこに、御簾の内の土筆に向けて、そう話しかけた。
「私の興味を惹きそうなお話?」
土筆が「何でしょう?」と尋ねると、時峰は、やや間を取ってから、
「右京の……怨霊屋敷をご存知ですか?」
「右京の怨霊屋敷?」
土筆は眉を顰めて、時峰の言葉を繰り返す。
「それは文字通り、怨霊が出るお屋敷……ということですか?」
「えぇ、そうです。」
至って当たり前の質問に、頷く時峰。
「その……怨霊というは、一体どのような?」
「女の怨霊だ、と言われています。」
「女の怨霊? 本物の…ですか?」
疑りながら問う土筆に、時峰が「そうです」と、ニヤリと笑った。
「どうです? 聞きたくなったでしょう?」
◇ ◇ ◇
話は、少し前に遡る。
花の宴から、一月近く経った、ある日のこと。
その日、花房邸の奥の部屋では、御簾が高くあげられ、几帳は避けられ、久方ぶりの風通しをしていた。
「ここのところ、雨ばかりでしたからね。部屋が湿っぽくて仕方がありません。」
土筆の女房、タマが忙しく動き回りながら言った。
「今日は、久しぶりに気持ちの良い晴れ間が見えていますから、しっかりと部屋を乾かしましょうね。」
部屋の主の土筆も、あげた几帳から差し込む日差しと風を楽しみながら、
「本当。随分と長い雨だったものね。ずっと空が暗くて、気が滅入りそうだったわ。」
「降ったり止んだりを繰り返していましたからね。」
まだ雨の季節には早いはずだが、先週はずっと、空を厚い雲が覆っていた。しとしとと降る雨が続き、ようやく止んだと思っても、また降るの繰り返しで、地面が乾く間もない程だ。
「日照りなのも作物が実らなくて大変だけど、こう雨が多くて日差しがないのも心配ね。」
呟いてから、土筆はふと思い出して、
「そういえば先月、花の宴を覗き見た折に、皆が吉野川のことを話していたけれど……」
「吉野川?」
「えぇ、なんでも少し前に大水で川が氾濫して、大変だったとか。」
吉野のあたりは桜の名所で、貴族の別荘も多い。それで、京からも人を何人か派遣して、被害の様を見に行ったのだとか。
「あの川、半年ほど前にも大水で大変だと言っていませんでしたか?」
「暴れ川で有名だそうよ。だから今度、川のほとりに鎮めるための神社を建てるとか、何とか……」
「あら、まぁ。大変ですわね。」
タマは行ったことがない土地の話に、さして興味なさそうに相槌を打った。
「この雨でまた被害が出ていないといいですね。」
「本当に。」
そんなことを取り留めもなく二人で話していると、部屋に藤原時峰来訪の旨がもたらされた。
それでタマは、「えぇっ?! 今ですか?」と、慌てて、さっきあげたばかりの御簾をおろした。
端近で日向ぼっこをしていた土筆も、急ぎ、御簾の奥に引っ込む。
「中将さまったら、相変わらず突然何だから!!」
やや口を尖らせるタマ。
だが、今をときめく公達が自分の主の元にやってくるからか、文句のわりに、そう不満げには聞こえない。
そもそも、なぜ時峰が当たり前のように土筆の部屋にやってくるのか。
それは、あの花の宴の晩の『奇妙な逢瀬』のせいだった。
あの時、土筆は、時峰からある事件について相談を受けた。そして、その事件ーー夕星と明星の入れ替わりーーについて、土筆は話を聞いただけで、見事、真相を言い当てたのだ。
それに感服したのか、時峰は、その事件以来、宣言通り、何かにつけて花房邸に顔を出すようになった。
当代きっての好色男と評判のこの男が、最初、「土筆姫に面会を。」と、花房邸にやって来たときは、屋敷中、上を下への大騒ぎだった。
この手のことを望む場合、普通は、まず文を出して、本人と交流を深めつつ、親の耳にさりげなく入れながら、既成事実を積み上げていくものだ。それが、白昼堂々、正面切って目当ての姫に会いに来るなんて、慣例破りも甚だしい。
加えて、菫付きの女房は、「時峰さまは三女の菫姫とデキているのだから、そんなはずはない」などと言いはる始末だし、父は父で、末娘と婚約させるはずの有望な中将が、変わり者の次女姫のところを訪問とは何事かと、目を白黒させた。
だが、結局、父からしたら、時峰を婿に取り込みたいだけで、相手は次女でも三女でもよかろうーーーいや、よくよく考えてみれば、引く手あまたの三女より、引き取り手に困りそうな次女のほうが、いっそ好都合だとでも言わんばかりに、華麗に方針転換をして、時峰を歓待した。
それで今では、真っ昼間に時峰が土筆目当てにやってくるのは、花房邸の常識になっていて、誰も驚きはしない。
念のため、父や他の女房には、「くれぐれも、自分の承諾なしに、日が落ちてから部屋に手引きするような真似はやめてくれ」と伝えていたし、タマにも、「絶対に阻止するように」とお願いしていたが、最近では、中将は、こちらの承諾なしに御簾の中に押し入ってくるような人間ではないのだな、と多少は信頼するようになっていた。
その信頼を得る程に、時峰は花房邸に通い詰めていた。
そして今日、その時峰が、土筆の興味を惹きそうな土産話だといって、持ってきたのが、その『怨霊屋敷』の話だった。
「怨霊屋敷とは、どんな屋敷なのですか?」
土筆が尋ねる。
何せ、ここは平安の都。
夜には、魑魅魍魎や物の怪たちが表を賑わす。
ましてや、屋敷は右京だとういう。
右京は、かつては家が多く建てられていたが、土地の悪さから、徐々に住む人がいなくなり寂れていった。ただでさえ、そうして朽ちた家が多いのだから、幽霊が出ると曰くのついた家など、掃いて捨てるほどありそうだ。
にも関わらず、時峰がわざわざ土産話だと持ち出してきたからには、何か特別に土筆の興味を惹きそうなことがあるのだろう。
「話を聞きたくなりましたか?」
「えぇ……まぁ。」
そこまで煽られたら気になるというもの。
すると時峰は、どこか嬉しそうに、
「それでは是非、土筆姫に、私の武勇伝とも言える話を聞いていただきましょう。」
* * *
時峰が、その屋敷の噂を聞いたのは、近衛府に所属する下級役人、近衛の舎人たちの噂話だった。
怨霊屋敷か。話の次第によっては、土筆姫の興味を惹くかもしれぬなと、時峰が舎人たちの噂話に交じると、そのうち一人が詳しく話しだした。
「最近、ある縁から、屋敷を譲っていただけることになりまして……」
男は中将に萎縮してか、やや遠慮がちに言う。
「右京とはいえ、私などには手が届かないほど広い屋敷でしたから……初めは喜んだのですが、どうも、その屋敷……周囲で、『怨霊屋敷』と呼ばれているらしく……」
「怨霊屋敷? どんな怨霊が出るんだ?」
「女の霊……だそうです。」
譲り受ける予定だった男は、その噂を知らなかったらしい。それで、他の男たちが、口々に補足する。
「その屋敷、昼間は誰も人がいる様子がないのに、夜になると、ぼうっと明かりが灯るのです。」
「その明かりに照らされて、髪の長い女の姿が、チラチラ見えるのだとか。」
「しかも、シクシクと啜り泣くような声が聞こえることもあるそうです。」
男たちの話に、時峰は、
「うーん……啜り泣く女の霊か……。一体、どんないわくがあるのか……」
すると、また、他の男が、
「何でも、以前、そこには夫婦者が住んでいたそうで。ところが、男が外に女を作り、段々とその家から足が遠のき、ついに女の元に通うのをやめた。それで、捨てられた女の怨霊が、今も夜になると、男を待って啜り泣いているのだ……という噂です。」
舎人たちは口々に、「怖い、怖い」と言って、身震いした。
なるほど。たしかに、なかなか不気味な話だ。しかし、あまりに不気味すぎると、かえって土筆に嫌がられるかもしれぬな……などと考えていると、最初の男が言った。
「それで、あまり気持ちの良い噂ではないゆえ、せっかくの話ですが、譲り受けるのをお断りしようかと思うのです。」
その方がいいかもしれぬな、と相槌を打とうとしたところで、男が呟いた。
「せめて、その怨霊とやらが本当にいるのか、見極めてくれる人でもいればいいんですがね……」
男がゲンナリとした顔で言う。
「そんな勇敢な方、なかなかいませんよね。」
すると、他の男が口を挟んだ。
「あの方なら、どうでしょう? ホラ、中将と仲の良い小野……」
その言葉で、時峰の矜持に火がついた。
「よし、それなら私が一度、見てみよう!」
「えぇっ!?」
唐突に、そんなことを言い出した時峰に、皆が一斉に驚く。
口々に、「しかし……」と「大丈夫ですか?」を繰り返す男たちに、時峰はキッパリと言い切った。
「案ずるな。本当に、その屋敷に何かあるのか、私が実際に訪れて、見極めてやる。」
何もなければそれで良し。何か面白いものでも見つかれば、土筆への土産になるだろう。
だが、それより何よりーーーあの男の名を出されて、近衛中将・藤原時峰が黙っていられるか。
* * *
「まさか……それで本当に、その屋敷とやらに乗り込んでいったのですか?」
土筆が尋ねると、時峰は、「そうです」と、妙に自信に満ちた様子で頷いた。
その少年のような無謀さと、それを得意げに話す様に、土筆は思わず、「まぁ……呆れた……」と呟いた。
「もし本当に怨霊がいたら、どうするのです? 時峰さま、呪われるかもしれないのですよ?」
時峰は、土筆の苦言にも、
「ご心配いただけるなんて、光栄です。」
とニコニコしている。
「まぁ、でも流石に、私もいきなり踏み込んだりはしません。念のため、陰陽寮の友人に、屋敷のことを尋ねました。」
すると、時峰がその屋敷を訪ねる分には特段、障りわないと言われたと言うが、
「『障りはない』とは、なんだか、ハッキリしない物言いですね。」
「陰陽師なんて、並べて皆、そういう言い方をするものでしょう。何より、今、私が無事に、ここにいることこそが、何事もなかった証拠。」
それは、そうなのかもしれないが……。
「とはいえ、一人というのは、何かあった時に心許ない。そこで、友人の小野明衡を誘って、ともに乗り込んだのです。」
「小野明衡さま…ですか?」
「えぇ。明衡は、右大臣殿の息子で、私の親友でもあります。彼に話したら、『楽しそうだ。是非、自分も行きたい』と。」
そんなことを言い出すなんて、親友というより、悪友じゃないのかと思う。
だが、ともかく、時峰は既に行ってしまったというのなら、今更、土筆が、そんな事に苦言を呈しても仕方あるまい。
「それで、二人で、その怨霊屋敷とやらに、乗り込んだのですね?」
「えぇ、そうです。でも、それだけじゃありません。」
時峰は、美しい顔に自信を漲らせて言った。
「何せ、私たち二人で、その怨霊の正体を、粗方解き明かしたのですから。」
「まぁ?! 正体が分かったのですか?」
時峰の目論見通り……というと少し癪だが、土筆の中の好奇心が、むくむくと湧きたつ。
「あの、それで………その怨霊屋敷とやら、結局、なんだったのですか?」
土筆が話を促すと、時峰は嬉しそうに笑って、話し始めた。
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