運命のあなた

月日

文字の大きさ
5 / 10
亡霊

しおりを挟む


ぐずぐずと泣く声が、近くで聞こえる。

「ほらほら、イオリス様。泣いていないで、おやつにいたしましょう?」

優しい声に促された私は、俯いて顔を覆っていた両手を外し顔を上げる。
すると目の前はぼけていて、私が見上げる人物が滲んで見えた。
けれど、その人物が誰かわかる。
侍女長のマリーだ。いや。今は、元が付くが。

「あらまぁ。涙する美少年は良きことですが、お鼻のもので美貌が台無しですよ」

そう言って、マリーがハンカチで私の涙やらなにやらを優しく拭う。
そして、マリーが優しく慈悲深い微笑みで私の頭を撫でた。
私の背の高さに合わせるため、屈んでいる目の前のマリーは、現在よりかなり若い。

これは…………。
ああ。十五年前ほど前の――――私が八歳の頃の…………。

「王太子にまた嘘を吹き込まれたのですか? 王太子の言う貴方の悪口は、全部嘘です」
「――――でも…………」
「まあ!」

驚嘆したような声を出したマリーは、情けない言葉を発しそうになった私の震える唇に人差し指を軽く当てる。

「『でも』も『だって』も不要でございます。 イオリス様、そのお美しい御尊顔ごそんがんはただの飾りでございますか?  ええ。このマリーは知っておりますよ。 慈悲深くそれでいて艶のある『女神の微笑』で、民に慕われていること。 堅物とも朴念仁ともいわれる宰相や古狸共をメロメロにさせていることを」
「わたしの顔は『男を惑わす阿婆擦れの様だ』と。わたしがオメガだから…………」
「お黙りなさい。イオリス様!  この際言いますが、自身がオメガだと劣等感に浸かるのはお止しなさい。 劣等感よりも優越感に浸りましょう。 貴方は、皆がうらやむほどの良い素材を持っています。 オメガの弱さも、オメガの中でも頂点にある儚い美しさも、そのために滲み出る妖艶さも利用してしまえば良いのです!」

自信満々に長々と語るマリーに、私は呆気にとられ涙が引いていた。

「りよう?」
「そうです。このマリーが、教えて差し上げましょう。 まずは、悪口を言う王太子には『氷の微笑』でもお見舞いしてやりましょう!」
「こおりのびしょう?」
「今、マリーが付けた名前です。その綺麗な青い目が冷たく嘲笑う色に染まれば、向けられた者は、口を凍らせ心臓を縮めるでしょう。 もしかすると、心臓を止めてしまうやもしれません」

そこで、マリーが片目を瞑ろうとして四苦八苦しはじめ、それがあまりに面白いものだから私は大笑いした。
そんな私を見て、マリーも声を上げ笑い出す。
ひとしきり二人で笑い、息を整えたマリーが言う。

「やはりマリーは『天使の大笑い』が一番好きです。 イオリス様。マリーは、イオリス様の事を誇らしく思っております。 何れ、マリーは城を去らなければなりません。その時は、私の子供をお側に置いてくださいまし。 イオリス様に仕える者として、良き理解者として――――そして、盾として」
「マリー?」

晴れ渡った青い空を感情のない瞳で見詰めたマリーの言葉に、意味が理解できなくて幼い私は首を傾げた。

今ならわかる。
とても心強い味方の従者、コニ―のことを言っていたのだと。
この約一年後、マリーは城から去る。コニ―が来るまでの十二年間は遠い。

「あら。あの方は…………」

立ち上がり、首を傾げたマリーの視線の先、私は『誰だろう』と背後を振り返る。
そう遠くない場所で、庭で迷ってしまい疲れているのか、少女がぼうっと突っ立っている。
少女の黒色の長髪が、風に遊ばれ揺蕩う。
見た目からだが、歳は当時の私と同じぐらいだ。

「ロザリア様」

マリーの小さくも大きくもない良い呼び掛けに、少女がこちらを見た。

その瞬間、私の心臓は一つ大きく鼓動し、ルビーのような瞳に囚われた。

その瞳をきらりと煌めかせた少女は、花が咲いたように微笑む。

私は息を小さく呑んだ後は、何も、瞬きすることさえ忘れて魅入った。
立ち上がったマリーの高い目線ではない、少女の視線。

彼女と私は、互い目を見つめ合っている。
自覚したと途端、私の心臓が早鐘を打った。

――――運命の女性ひと

すぐにわかった。
あの少女は、私の運命。
私の番だ。

見詰め合っていたかったが、少女がそのままの表情をマリーへ向けてしまう。
一気に、私は虚無に襲われた。

「マリー。良かった」

洗練された歩きで近づいてくる少女は、私に対して何も思わないのか。
情けないが、八歳の私には耐えきれなかった。

当然だがそんな私に気付かず、マリーは少女に話しかける。

「迷子ですか?」
「はい。お父様の邪魔はできないものですから、庭で散歩をしていたのだけれど、恥ずかしいことに迷子になってしまいました」
「大人ですら迷う庭です。それこそ、この城に仕える侍女が迷うくらいですわ。だから、お気になさらずに。 それよりも、ロザリア様が庭で迷い続けなかった。それは、良いことですわ」

要するに、少女が迷うよりも良い。と言うことだ。
回りくどい言い方をマリーがするのは、少女に合わせてだろう。
そんなことを思っていると、少女が目の前にいる私を見た。

「それよりも。そちらの方は何故、泣いていらっしゃるのかしら?」

少女は私の目尻に、どこからか出したハンカチをそっと当てる。

当時の私が、自身が泣いていたことに驚く。
そうだ。いつの間にか泣いていた涙は、止まらなくて焦ったのを思い出した。

「涙の初対面ではなく、互いに笑い合って会いたかったですわね」

少女は、するりと私の頬を優しく撫で、目をすっと細める。

ルビーのような輝く瞳が、血のような真紅に変わり、何かが私の足元から頭へ駆け上がった。

私にそんな衝撃を与えた少女は、スカートを少し持ち、膝を折って可愛らしくお辞儀をした。

「わたくしは、アイリス様の大神殿がある国の王女、ロザリアです。これからよろしくお願いしますね」

所作も容姿もすべて美しい。
本当に美しい人だ。
私の運命の人、少女―――ロザリアの笑顔は、眩しいほどにとても輝いていた。



◆ ◆ ◆



良い夢は、永遠には続かない。
誰かと誰かの話し声で、少し意識が浮上する。

「…………で、お願いいたします」
「良いだろう」
「ありがとうございます」

一人はコニ―だ。もう一人は、誰だったか…………。
上下の瞼が繋がってしまっているかのように動かない状況で、そんなことを考えていると、唇に温かく柔らかい何かが当たった。

「んっ」

開かれていた私の口に何かが差し込まれ、水が送られてくる。
急な喉の渇きに、その水を疑いもしないで飲んだ。
水の冷たさが身体に染み渡り、自身がかなり熱を持っているらしいことに気付く。
ほうっと溜息を吐くと、額を撫でられた。

誰だろうか?
確認したかったが、魔法にかけられたように楽になった身体はまた睡眠を欲していた。
私の意識は、底へ沈んでいった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。 2026/02/14 累計30万P突破御礼バレンタインSS追加しました 2026/02/15 累計いいね♡7777突破御礼SS 19時に公開します。 様々な形での応援ありがとうございます!

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *本編完結しました

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

六年目の恋、もう一度手をつなぐ

高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。 順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。 「もう、おればっかりが好きなんやろか?」 馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。 そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。 嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き…… 「そっちがその気なら、もういい!」 堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……? 倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡

処理中です...