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亡霊
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しおりを挟むぐずぐずと泣く声が、近くで聞こえる。
「ほらほら、イオリス様。泣いていないで、おやつにいたしましょう?」
優しい声に促された私は、俯いて顔を覆っていた両手を外し顔を上げる。
すると目の前はぼけていて、私が見上げる人物が滲んで見えた。
けれど、その人物が誰かわかる。
侍女長のマリーだ。いや。今は、元が付くが。
「あらまぁ。涙する美少年は良きことですが、お鼻のもので美貌が台無しですよ」
そう言って、マリーがハンカチで私の涙やらなにやらを優しく拭う。
そして、マリーが優しく慈悲深い微笑みで私の頭を撫でた。
私の背の高さに合わせるため、屈んでいる目の前のマリーは、現在よりかなり若い。
これは…………。
ああ。十五年前ほど前の――――私が八歳の頃の…………。
「王太子にまた嘘を吹き込まれたのですか? 王太子の言う貴方の悪口は、全部嘘です」
「――――でも…………」
「まあ!」
驚嘆したような声を出したマリーは、情けない言葉を発しそうになった私の震える唇に人差し指を軽く当てる。
「『でも』も『だって』も不要でございます。 イオリス様、そのお美しい御尊顔はただの飾りでございますか? ええ。このマリーは知っておりますよ。 慈悲深くそれでいて艶のある『女神の微笑』で、民に慕われていること。 堅物とも朴念仁ともいわれる宰相や古狸共をメロメロにさせていることを」
「わたしの顔は『男を惑わす阿婆擦れの様だ』と。わたしがオメガだから…………」
「お黙りなさい。イオリス様! この際言いますが、自身がオメガだと劣等感に浸かるのはお止しなさい。 劣等感よりも優越感に浸りましょう。 貴方は、皆がうらやむほどの良い素材を持っています。 オメガの弱さも、オメガの中でも頂点にある儚い美しさも、そのために滲み出る妖艶さも利用してしまえば良いのです!」
自信満々に長々と語るマリーに、私は呆気にとられ涙が引いていた。
「りよう?」
「そうです。このマリーが、教えて差し上げましょう。 まずは、悪口を言う王太子には『氷の微笑』でもお見舞いしてやりましょう!」
「こおりのびしょう?」
「今、マリーが付けた名前です。その綺麗な青い目が冷たく嘲笑う色に染まれば、向けられた者は、口を凍らせ心臓を縮めるでしょう。 もしかすると、心臓を止めてしまうやもしれません」
そこで、マリーが片目を瞑ろうとして四苦八苦しはじめ、それがあまりに面白いものだから私は大笑いした。
そんな私を見て、マリーも声を上げ笑い出す。
ひとしきり二人で笑い、息を整えたマリーが言う。
「やはりマリーは『天使の大笑い』が一番好きです。 イオリス様。マリーは、イオリス様の事を誇らしく思っております。 何れ、マリーは城を去らなければなりません。その時は、私の子供をお側に置いてくださいまし。 イオリス様に仕える者として、良き理解者として――――そして、盾として」
「マリー?」
晴れ渡った青い空を感情のない瞳で見詰めたマリーの言葉に、意味が理解できなくて幼い私は首を傾げた。
今ならわかる。
とても心強い味方の従者、コニ―のことを言っていたのだと。
この約一年後、マリーは城から去る。コニ―が来るまでの十二年間は遠い。
「あら。あの方は…………」
立ち上がり、首を傾げたマリーの視線の先、私は『誰だろう』と背後を振り返る。
そう遠くない場所で、庭で迷ってしまい疲れているのか、少女がぼうっと突っ立っている。
少女の黒色の長髪が、風に遊ばれ揺蕩う。
見た目からだが、歳は当時の私と同じぐらいだ。
「ロザリア様」
マリーの小さくも大きくもない良い呼び掛けに、少女がこちらを見た。
その瞬間、私の心臓は一つ大きく鼓動し、ルビーのような瞳に囚われた。
その瞳をきらりと煌めかせた少女は、花が咲いたように微笑む。
私は息を小さく呑んだ後は、何も、瞬きすることさえ忘れて魅入った。
立ち上がったマリーの高い目線ではない、少女の視線。
彼女と私は、互い目を見つめ合っている。
自覚したと途端、私の心臓が早鐘を打った。
――――運命の女性。
すぐにわかった。
あの少女は、私の運命。
私の番だ。
見詰め合っていたかったが、少女がそのままの表情をマリーへ向けてしまう。
一気に、私は虚無に襲われた。
「マリー。良かった」
洗練された歩きで近づいてくる少女は、私に対して何も思わないのか。
情けないが、八歳の私には耐えきれなかった。
当然だがそんな私に気付かず、マリーは少女に話しかける。
「迷子ですか?」
「はい。お父様の邪魔はできないものですから、庭で散歩をしていたのだけれど、恥ずかしいことに迷子になってしまいました」
「大人ですら迷う庭です。それこそ、この城に仕える侍女が迷うくらいですわ。だから、お気になさらずに。 それよりも、ロザリア様が庭で迷い続けなかった。それは、良いことですわ」
要するに、少女が迷うよりも良い。と言うことだ。
回りくどい言い方をマリーがするのは、少女に合わせてだろう。
そんなことを思っていると、少女が目の前にいる私を見た。
「それよりも。そちらの方は何故、泣いていらっしゃるのかしら?」
少女は私の目尻に、どこからか出したハンカチをそっと当てる。
当時の私が、自身が泣いていたことに驚く。
そうだ。いつの間にか泣いていた涙は、止まらなくて焦ったのを思い出した。
「涙の初対面ではなく、互いに笑い合って会いたかったですわね」
少女は、するりと私の頬を優しく撫で、目をすっと細める。
ルビーのような輝く瞳が、血のような真紅に変わり、何かが私の足元から頭へ駆け上がった。
私にそんな衝撃を与えた少女は、スカートを少し持ち、膝を折って可愛らしくお辞儀をした。
「わたくしは、アイリス様の大神殿がある国の王女、ロザリアです。これからよろしくお願いしますね」
所作も容姿もすべて美しい。
本当に美しい人だ。
私の運命の人、少女―――ロザリアの笑顔は、眩しいほどにとても輝いていた。
◆ ◆ ◆
良い夢は、永遠には続かない。
誰かと誰かの話し声で、少し意識が浮上する。
「…………で、お願いいたします」
「良いだろう」
「ありがとうございます」
一人はコニ―だ。もう一人は、誰だったか…………。
上下の瞼が繋がってしまっているかのように動かない状況で、そんなことを考えていると、唇に温かく柔らかい何かが当たった。
「んっ」
開かれていた私の口に何かが差し込まれ、水が送られてくる。
急な喉の渇きに、その水を疑いもしないで飲んだ。
水の冷たさが身体に染み渡り、自身がかなり熱を持っているらしいことに気付く。
ほうっと溜息を吐くと、額を撫でられた。
誰だろうか?
確認したかったが、魔法にかけられたように楽になった身体はまた睡眠を欲していた。
私の意識は、底へ沈んでいった。
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