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47 大海原

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 さらに三ヶ月が過ぎた頃、お得様の旅船組合のイチロー爺ちゃんから耳寄りな情報を聞いた。
 近々、中央大陸へ向かう遠海航路船が寄港するらしいのだ。

「おー、気持ち良いわい。そこじゃ、そこ。船に乗りたいのか。船室の空きは有るぞ。西大陸からの観光客は、ここで南大陸行きの便に乗り換えるからの。料金も安いぞ、びっくりするくらいガラガラに空いとるからのー。もそっと右、おおそこ、そこじゃ。じゃが、お勧めはできんの、なんせ難所じゃからのー。海は荒れとるし、化け物も多い。乗っとる客は、竜神様の狂信的な信者くらいかのー。オー、利くー、そこじゃ、そこ。どーしても乗りたかったら、手配してやるがの」
「お願いします、イチローさん」
「魔法は使えるか、タケミチ」
「ええ、多少」
「なら大丈夫じゃろ、化け物に襲われたら客船員関係なく、全員で戦うことになっておるからの」

 稼いだ金の大半がアルコールに化けてしまうので、船に乗れるのは一年以上先と思っていた。
 教えてもらった船賃は、手持ちの資金で十分に足り額だったので、急いで手配して貰った。
 しかも、眺めの良い一等船室だから破格値だ。

「明美、船頼んで来たぞ」
「えー兄ちゃん、僕はここで暮らしても良いよ。毎日楽しいしさ」
「駄目、帰るんだよ」

 出港当日、停泊していたのは、二百人くらい泊まれそうな、ビックリするほど大きな帆客船だった。
 
「アキちゃんと飲み比べが出来なくなるなー。達者に暮らせよ」
「うん、僕も寂しいよ、おっちゃん。おっちゃんも飲み過ぎるなよ」
「うー、アキちゃんは本当に良い子だよな。しみったれでケチのタケミチには勿体ない。アキちゃんを大事にしろよ」
「へい、へい、へい」
「赤ちゃん頑張って作りなよ」
「うん、任せて」
「よーし、万歳、万歳」
「万歳、万歳」

 飲み仲間のタローさんやジローさんやハナコさんが見送ってくれた。
 姿が見えなくなるまで、手を振り続けた。

 海が良く見える広い風呂付の客室だった。
 本当に、ビックリするほど客が少なく、広い食堂でゆったり食事ができた。
 僕は、快適な船旅が送れると思っていた、・・・二日間ほど。

「ウゲー、ゲロゲロ」
「ウップ、ゲーゲー。兄ちゃん、港へ戻ろうよー。ゲーゲー」
「無茶言うなよ。ゲロゲロ」

 僕達は海を舐めていた。
 遠海に出た途端、大きな船は、その十倍程の高さの有りそうな波に翻弄され始めた。
 強い力でグググと波に持ち上げられ、ウップとなったところへ、更に三回程胃を持ち上げる様な追撃が来る。
 そして、ずーんと沈んで、ゲロとなった所へ、胃を絞る様な追い打ちが四回ほど来る。
 正に拷問だ、こんなに苦しいのに逃げ場がない。
 僕だって、港へ泳いで帰りたいくらいだ。

「化け物だ。全員甲板で迎え討て」

 それだけじゃない、船は時々、化け物の群の中へ迷い込んでしまう。
 巨大な波の中から巨大な烏賊や蛸がヌッと現れ、次々に襲い掛かって来る。
 その度に船室から甲板へと連れ出され、ゲロを吐きながら一緒に戦わされるのだ。

 蔓は僕達と違って元気一杯だ、相手の足が八本だろうが十本だろうが、こちらの蔓は五十本もある。
 がっぷり四つに組んだ後、残った蔓が相手を抑え付ける。
 動きを止めた蛸や烏賊に、船員と乗客が協力して、至近距離から一斉に電撃を喰らわせ、タコ焼きやイカ焼きにする。
 
 何度か、黒龍が蛸や烏賊を喰らっている場面に遭遇した。
 逃げ惑う巨大な蛸や烏賊とそれを追う物凄く巨大な黒龍が船の回りを物凄い速さで飛び交う光景は、此の世の物とは思えない、地獄にでも居るような修羅場だった。
 同乗している竜神の信者達は、船首で跪いて熱心に祈りを捧げていたが、僕は何時船が弾き飛ばされないか物凄くひやひやしていた。

 タツハラは黒龍に襲われないと言われている。
 理由は海で腹を満たすからと聞いて居たが、この光景を見て納得した。
 船と同じ様な大きさの蛸や烏賊をバクバク食っているのだ。

 なら何故北大陸で黒龍に襲われたのか、タツハラの飲み屋で竜神の神殿の神官に聞いてみたことがある。

「黒龍様は、年に数回、西大陸の赤竜様に会いに行かれるそうじゃ。勿論子作りの為なんじゃが、たまたま赤竜さまの機嫌が悪いと、させて貰えんで追い返されるそうじゃ。そんな時は、北大陸で人を喰らってから戻られるそうじゃ」

 うーん、八つ当たりか、困ったものだ。

 拷問の様な日々は半月程続いた。
 そして急に波が穏やかになり、船は大きな港へと入っていった。

 中央大陸南部のヘベルの港だった。
 海路で北大陸へ向かうルートは勿論有ったのだが、僕等は陸路を選択した。
 船から降りても、まだ足元が揺れている様な気がする。
 
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