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Ⅰ ヒューロス国

1 鬼火

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意識が突然戻った、腕の中に真理亜を庇うように抱きしめて、石だらけの地面の上に俯せになっている。

身体を起こす、ん?たぶん真理亜だと思う、なんかだいぶ縮んでいる。
俺の直観はこの娘が真理亜だと告げているんだが、理性が何だか嫌がっている。
肩で切り揃えたプラチナブロンドに紫色の目、粗末な服を纏っているが、華奢な御人形さんの様に美しい女の子だった。
その娘も不思議そうな顔をして俺を見上げている。

その時、前方から何か凶悪な気配が迫って来た。
慌てて顔を上げると赤い火の玉が九個、俺達に向かってゆらゆらと近づいて来る。
これが神様の言っていた此奴らの魂を食った鬼火だろうか、再び魂の宿った肉体を見て喰らいに来たのだろう。
俺はどうして良いか解らず、近付いて来る鬼火をただ見詰めていた。

そんな俺の顔の直ぐ脇を、何かが背後から通過して行った。
バレーボールほどの、何かの動物の頭蓋骨だと思う、物凄い勢いで鬼火の群れの中を抜けて行き、その風圧で鬼火を二つ吹き飛ばした。

「兄ちゃん邪魔」

後ろから聞こえて来た真理亜の声に、俺は慌てて座り込む。
その俺の頭上を、石やら土塊やら草やら骨やらが物凄い勢いで鬼火に向かって飛んで行き、鬼火が次々と吹き飛ばされて消えて行く。
そして最後の一個が土塊の直撃弾を正面から受けて消し飛んだ。

突然ファンファーレが聞こえて来た。
慌てて周囲を見回すと、鬼火が浮かんでいた空間に二つの小さな光の粒が現れ、俺達に向かって飛んで来た。
慌てて飛び退いたのだが、その光は軌道を変えて、一つは俺の胸の中に、もう一つは少女の胸に吸い込まれる様に消えて行った。
突然俺は強い感情に囚われ、少女に走り寄った。

「マリア」

その少女も俺に飛付いて来た。

「兄さん」

強く抱き合い互いに頬を擦り寄せ、そして互いの唇を・・・。
おっと、俺達は唇を合せる寸前で飛び退いた。
はあ、はあ、はあ、危なかった、姿が変わっているとは言え、真理亜とキスする所だった。

その時、突然脳天から爪先へ雷の様な強い衝撃が身体の中を突き抜けた。
飛んで来た光の粒はこの身体の持ち主の魂の断片だったのだろうか。
俺の中に別人の記憶が流れ込んで来た。

ーーーーー
神様の言っていた通り、この二人は兄妹で兄の名はジョージ・ネルトネッテ十五歳、妹の名はマリア・ネルトネッテ十三歳、ここヒューロス王国の東部辺境に領地を持つネルトネッテ伯爵の六男と八女だった。
兄妹共に銀色の髪と紫の瞳、白い透き通るような肌に長く細い手足、そうお人形さんの様に美しい兄妹だった。

そして記憶が戻ったことにより、俺達は大いに困惑することになった。
この二人、困ったことに許されぬ恋による駆落ちの真っ最中だったのだ。
驚いた事にこの世界の習慣では、兄妹や姉弟間で肉体関係を持つことは、神への反逆と見なされ死刑になる大罪だった。
駆落ちして家を逃げ出すくらいだから、当然この兄妹はしっかりと一線を踏み越えている、何度も。
勿論この濃厚でジューシーな記憶は鮮明に俺達の中にも共有されている。
もう顔を見合わせて笑うしか無かった。

「あっはっはっ、この子私よりエッチだわ」

更に悪い事には、妹のマリアは一千万人に一人と言われている聖女の職スキルを持つ少女だった。
本来であれば、神殿に昇って神の言葉をもたらす神聖な存在の筈であったのに、この少女は神への冒涜と言える兄妹エッチをしてしまったのである。
捕まれば単なる死刑どころか、神殿前の広場での公開火炙りが持っている。
だからこの二人は必死で逃げ回っていた。

この二人を追掛けているのは父親や兄達などの親族である、親族なら手心を加えて貰えると思うだろうが全く逆で、神殿から背教者と見なされない様に、殺す気満々で大勢の兵を率いて追い掛けて来ている。

この兄妹、街道に伯爵の非常線が張られていたので、しばらくは伯爵の治めるネルトネッテ地方を転々と逃げ回っていた。
だが、遂に逃げ切れなくなって、魔獣や怨霊が跋扈する危険なアカクルカ荒野に逃げ出したのだ。
自殺行為である、案の定、荒野に入って直ぐ、鬼火に襲われて命を落としている。

「此奴等、詰みだな」
「何他人事みたいな事言ってるのよ兄ちゃん、私達の事でしょ」
「そうなんだけどよー」
「私、火炙りは嫌よ、何か考えてよ兄ちゃん、RPGゲームは得意なんでしょ、アクションは下手糞だけど」
「放っといてくれ、うーん、じゃっ、基本として所持品の確認から始めるか」
「ほい、了解」

まずは安全な場所に移動だ、ここは危険地帯、何時周囲の野犬や野獣に背後から襲われるか判らない、うん、基本だ。
近くの大岩の上にマリアを抱えてよじ登った、ここならば周囲が見渡せて、突然襲われる心配は無い。
マリアは見た目以上に軽く、そしてこの身体も体力が無かった。

周囲は名前の通り、見渡す限り岩が散在する赤茶色の寂寞とした荒野で、所々に小さな灌木が生えている。
背後には小高い岩山が遠くに見えるが、この身体の持ち主、ジョージの記憶では、兄妹はその岩山を越えるルートでこの荒野に入っている。
天気は快晴だ、左方の上空にはクスク山脈、右方の上空にはメノト山脈の雪に覆われた神々しい峰々が浮かび上がっている。

平らな場所に背負子を下ろして荷を開く。

まずは服、俺は剣道着の様な厚手の荒い生地のワイシャツとズボン、マリアは少し生地の薄いブラウスと膝丈の厚手のスカート、両方とも彩色されていない薄茶の素の生地である。
二人とも素足で革のサンダルを履いている。

「真理亜、パンツは履いてるのか」
「失礼ね、履いてるに決まってんでしょ」
「此奴が履いてないから念のために聞いたんだ。男の下着は無いらしいぞ」
「女の下着はちゃんと有るわよ」
「すまん、此奴にはマリアの裸の記憶しか残ってないんだ」
「・・・・、それは忘れて良いわよ」

シャツもブラウスも、袖は手首の所を紐で結ぶ様な形になっており、動き易いし暖かい。
太いズボンも裾を紐で足首に結び付ける様になっており、ちょうどニッカズボンの様な感じだ。
ボタンはすべてガラスで出来ている。

防具は皮のベストと革の手甲と足甲で、足に巻いた足甲には鉄線が入っている。
マリアの頭には銀のカチューシャ、ジョージの被っていた革の帽子は、岩山で風に飛ばされている。

武器は、ジョージが細身の片手剣とナイフ、両方鉄製だ、真理亜が木の杖と銀のメイス、杖は長さ一メートル半くらい、メイスは一メートルくらいの神官用のメイスで、細かい彫刻が施してあり、ずっしりと重たい。
マリアが素振りでメイスを確認している、こら、石でノックするな、周りの野獣に気が付かれるだろう。

背負っていた荷を確認する、竹の様な素材で編んだ五十センチ角の行李が三つ、表面に雨避けの油紙が貼ってある。

一つ目の行李にはジョージの服とマリアの服が入っていた、ジョージの服は三組、逃げ出した時に着ていた絹の服が上下一組と木綿の厚手の服が二組だ。
マリアの服は五組、絹の服が一組と木綿の服が二組、神官服が一組とそして母親が残してくれた婚礼衣装が一式だ。

二つ目と三つ目の行李には旅の装備が入っていた。
毛布が二枚に小さな銅製の鍋とコップが各二つ、木のスプーンとフォークが二組、木の皿と椀が二組、小さな俎板が一枚、麻紐が二巻。
灯の簡易魔道具と火の簡易魔道具、鏡の魔道具と水の簡易魔道具が各一個、石鹸替りの泡立ち草と油紙の合羽と筆記用具と紙綴り、草木書と薬書が各一冊。
皮袋に入った干し肉と黒パンと穀物粉、銀貨九枚と銅貨三十三枚、魔石が四個と商売用の紙袋が百枚とガラス瓶が五本、売り物用の薬草が一袋だ。

灯、火、水の簡易魔道具とは、見た目三センチ角の軽石で、魔石で魔力を補充しておけば、それぞれ光を放ったり、火を出したり、水を出したりする便利な旅道具だ。

これとマリアが腰に巻いているウエストバックに化粧品やアクセサリーが入っている。
このバックはマリアが神殿から送られたマジックボックスなのだが、所有者の最大保有魔力の量に応じて中の空間の大きさが変わる仕組みで、今のマリアの力では普通のウエストバックと大差無い。

「所持金は銀貨九枚と銅貨三十三枚か、私達の感覚で九千三百三十円ってとこだよね。うーん、ちょっとこれはきついねー、兄ちゃん。婚礼衣装かー、この子中央大陸の魔法国なら兄妹の婚姻が許されるから、そこで式を挙げたかったらしいよ」
「お金の心配は街に着いてからで良いんじゃないか、問題はこの荒野を横断して街に辿り着けるかどうかだよな。追手も来るしさ。念のため俺達のステータスも確認しておこうか」
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