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第四章

第九十三話 彼女の名前

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 ◆◇◆◇◆◇


 レイティシアとの邂逅から三日が経ったある日。
 レイティシアが迎えに寄越してくれた馬車に乗って、俺は帝都エルデアスの中心部に聳え立つ皇城へとやってきていた。
 前々日にやってきた使いの人からは今日の日時を伝えられただけで、特に何の説明も無いままに皇城に連れて来られたのだが、予めレイティシアの正体を知っていたので微塵たりとも動揺は無い。
 道中の車内では、向かい側に座る紫色を帯びた銀髪が綺麗な侍女から観察されていたが、特にこちらから話すことも無いので黙って窓から外を眺めていた。
 城門で入城手続きを済ませ、皇城の敷地内をそのまま馬車で暫く移動した後は、馬車から降りて城内を徒歩で移動する。
 品の良い調度品が飾られている回廊を、すれ違う人達からの視線を集めながら歩いて行った先は、皇族の居住エリアである皇宮の手前にある応接間の一つだった。


「ーー入りなさい」


 馬車から引き続き案内してくれていた紫銀色の髪の侍女が扉をノックすると、此方から声を掛ける前に室内から入室の許可がおりた。
 皇城に来るにあたって追加で用意した礼服を今一度確認して問題無いことを確認すると、此方を振り返っていた侍女に頷きを返す。
 此方の準備が出来ていることを確認してから開けられた扉の先には、冒険者の時とは異なるより肌の露出が多い黒紫色のドレスに身を包んだレイティシアが一人でいた。
 身を飾る装身具は魔導具マジックアイテムではあるが、冒険者としては実用性の低い物ばかりだ。
 だが、彼女の妖艶な美貌と身に纏っているドレスには良く合っており、これまた高そうなソファに優雅に座っている姿は、このまま絵画としてカタチに残したいほどに美しい。
 前もって心の準備は出来ていたのと、同格の美貌を持つリーゼロッテで慣れていたので、惚けることなくその場で跪いて最敬礼をする。


「あら。全く驚いていないわね? ユーリ、馬車の中ではどうだったの?」

「特に驚いた様子はありませんでした」

「驚かせようと思ってたのに残念ね。顔を上げていいわよ、リオン。私の正体を知ってたのかしら?」

「知ったのは割りと最近ですよ、皇女殿下。噂は流れているところには流れていますので」

「有名すぎるのも考えものね……まぁ、いいわ」


 レイティシアは俺が全く驚かなくて残念そうだった表情を消すと、ソファから立ち上がり俺に向かってカーテシーを行なってきた。


「ーー改めまして、ようこそお越しくださいました。私の名は、レティーツィア。レティーツィア・リル・アークディアと申します。今代皇帝陛下の同腹の妹になります。真なる竜殺したる貴方に本当の私をお見せ出来たことを嬉しく思います」


 お、おお。思ってたより真面目に紹介されたな。
 こういうのは苦手なんだがね……ま、分かってたことなんだが。


「改めまして、リオン・エクスヴェル名誉男爵です。矮小なる身である私が皇女殿下に拝謁出来たことを心より感謝致します」

「リオン、私のことはレティーツィアとお呼びください」

「皇帝陛下の皇妹である殿下のことを私如きが名前で呼ぶなど、畏れ多く……」

「ーーあら、名前で呼んでくれないの?」


 あっさりと元の口調に戻るレイティシア。もといレティーツィア。
 どうやら真面目モードはもう終わりらしい。


「……口調が戻っておりますよ、皇女殿下」

「リオンはあっちの方がお好みかしら?」

「そういうわけではありませんが、真面目な話、私が名前呼びをしたら不敬罪になりませんか?」

「そのあたりは考えているから大丈夫よ。それに、張本人である私自身が名前で呼んで欲しいとしているのよ? たとえ皇帝である兄上であろうと口は出させないから安心して頂戴」


 これは、仲の良い同腹だからこそ言えるセリフだろうな。


「では、レティーツィア殿下と」

「私は名前でと言ったはずよ」

「……私的な場所でのみの呼称ですよね?」

「安心なさい。公的な場では今ので良いわ。プライベートでは敬称無しよ」

「胃が痛くなりそうですね……」

「リオンはそんな可愛らしい神経はしていないでしょう?」


 今回で会うのは三回目な上に、時間で言えば合わせても一時間も接して無いのに俺のことをよくご存知なようで。


「本当に大丈夫なのですか?」

「ちゃんと対策は考えてあるから安心なさい」

「それでは、レティーツィア。これでよろしいでしょうか?」

「……肉親以外の男性から呼び捨てにされるのって初めてだけど、なんだか不思議な感じね」


 まぁ、皇女であり皇妹であるレティーツィアを面と向かって呼び捨てにする命知らずはいないだろうよ……。


「っと、立たせたままだったわね。リオンも座ってちょうだい。あと、名前で呼び合うんだから、もっと楽に喋って構わないわよ」

「こういう場だけですよね?」

「あとは私が冒険者レイティシアの時もかしら?」

「それならまぁ、分かった」


 レティーツィアの対面に座ると、いつの間に用意したのか俺達の前にお茶が置かれた。
 給仕してくれたレティーツィア付きの紫銀色の髪の侍女が俺に向かってお辞儀をしてきた。


「リオン様、私はレティーツィア殿下の専属侍女を務めております、ユリアーネ・リーベルと申します。私のことはユリアーネとお呼びください」

「それじゃあ、ユリアーネさんで」

「殿下を名前呼びですので私もそのように」

「……ユリアーネ?」

「ありがとうございます。もっと親交を深めてからはユーリと呼んでいただけると嬉しく思います。それから私にはいつであっても敬語は不要です」

「分かった」


 つまり、いずれは愛称で呼べということだろうか。何というか、中々にクセのある主従だな。
 表情を変えることなく、その血赤珊瑚のように暗い赤みのある瞳でジッと見つめて圧をかけられたので、仕方なくユリアーネも呼び捨てにした。
 ちなみに、ユリアーネの種族は吸血鬼ヴァンパイア族だ。レティーツィアの種族に合わせて選ばれたのかもしれない。

 それから暫しの間、二人と世間話に興じた。


「へぇ、じゃあ普段はレティーツィアとユリアーネの二人で依頼を受けてるんだ?」

「そうよ。受けた依頼にもよるけど、基本的には私が前衛でユーリが後衛の陣形ね」


 精霊水を取りに行く時などはレティーツィア一人で行動するようだが、それ以外の時は公私ともに二人で行動することが殆どなんだそうだ。
 ユリアーネ自身はAランク冒険者で、Aランクの上位ぐらいのレベルがある。
 レティーツィアの乳母はユリアーネの母親だったので、ユリアーネとは友人兼乳姉妹の間柄なんだそうだ。
 皇妹を一人だけで冒険者としての活動はさせないだろうとは思っていたが、まさかパーティーメンバーが友人一人だけだとは思わなかったな。


「ユーリ以外にもメンバーを増やそうとしたら、貴族達からの自己アピールが鬱陶しくなるのよ」

「殿下は皇帝陛下のご兄弟になります。その殿下に取り入り、あわよくば殿下の伴侶の座を勝ち取ろうとする者は数え切れないほどいますから」

「なるほど。だから人数を増やせないわけか。そんな状況下でSランクとAランクにまでなるのは大変だっただろう」

「依頼の先で偶然を装って男性貴族が現れるのは珍しくはなかったわね」

「うわぁ……」


 行く先々で現れる求婚者とか嫌すぎる。
 しかもそいつらの行動は、レティーツィア達の邪魔ばかりして足を引っ張るところまで想像出来た。


「確か、先帝陛下には皇子が一人に皇女が二人いるんだっけ?」

「ええ。父上は身体が弱かったから子供は私達三人のみよ。妹は既に嫁いでいるから、未婚なのは私だけね」

「現皇帝陛下唯一の未婚の皇妹で、国内有数の実力を持つSランク冒険者とか……難題だな」

「貴族の家に嫁いだら、その家は一級品の権力と武力、そして美女が一挙に手に入るんだから、躍起になるのも分かるんだけどね。狙われる側からすれば堪ったもんじゃないわよ……」

「私も殿下専属の侍女ですからオマケで狙われますね。殿下とは違って皇族ではなく伯爵家の出ですから、殿下と比べれば手に入れやすいと思われてるのがなんとも……」

「……すげぇ食うな」

「食べたかった?」

「いや、別にいいけど」


 俺達三人以外に誰もいないからか、侍女であるユリアーネもソファに座ってレティーツィアと共に愚痴りつつ、テーブルの上の茶菓子を二人で食べまくっていた。
 二人ともかなりストレスが溜まっているみたいだな……。


「リオンってなんだか話しやすいのよね」

「リオン様は聞き上手ですね」

「ただ聞いて応えてただけなんだがな」


 んー、発動させっぱなしの【百戦錬磨の交渉術】と【親愛】の効果だろうか……いや、スキルとか魔法が無い前世でも、よく他人から愚痴られたりしてたから関係ない可能性もあるな。
 まぁ、他人の話を聞くのは内容にもよるが、大して苦にならないから良いんだけど。


「俺、しがらみの無い平民で良かったよ」

「……厄介ごとに巻き込んであげましょうか?」

「あ、間に合ってるんで」

「遠慮しないで良いのよ」

「うおっ……⁉︎」


 俺が座ってるソファへと移動してきたレティーツィアが、俺の横に座ると身体をくっつけてきた。
 柔らかい、良い匂い……世間体と理性がヤバい!


「ユーリは反対側からね」

「分かりました。隣に失礼します、リオン様」

「今すぐ逃げ出したい……」


 反対側からも柔らかいのが来た。主従揃って肉感的な身体をしているので大変危険だ。
 何でこの人達こんなに距離感近いんだろう……理性がレッドゾーンに突入しそうだ。
 身体が正直になる前に、【復元自在】で身体の状態を元の状態に戻し続けるしかない。
 この世界に来てからというもの、人間の三大欲求の一つを発散してないことによる弊害が出てしまった。
 こんなにくっつかれたら【復元自在】の発動兆候に気付かれるかもしれないが、取り返しのつかない事態になるよりはマシか。
 そう決意し、スキルを発動させようとした瞬間ーー。
 

「失礼致します、皇帝陛下のご準備が整われました」


 ノック音と共に室外からかけられた声に両隣の美女の動きが止まる。
 俺が応接間に来る少し前ぐらいに皇帝に使いを出していたそうなので、その返答のようだ。


「……あの、皇女殿下?」

「聞こえてるわ。すぐに向かいますとお伝えして頂戴」

「かしこまりました」


 扉の前から去っていく侍女の足音を確認しつつ二人は俺から離れた。


「二人の戯れの所為で此処に何しに来たか忘れかけてたよ」

「至福のひと時だったでしょう?」

「国内の青年貴族達が血の涙を流すほどの経験を与えられたと自負しております」

「まぁ、否定はしない」


 くっつかれて僅かに乱れた服を整えると、同じように身なりを整えた二人が扉の前へと移動したので俺も続いた。


「これから皇宮へ向かうけど、兄上を治療する準備は出来てるの?」

「えっ、今更すぎない?」


 スッと顔を逸らすレティーツィアに更なるツッコミを入れたかったが、本題に入る前の世間話から軌道修正するのを忘れて話し込んでいたのは俺も同じなので見逃すことにした。


「まぁ、別に道具とかが必要なわけじゃないから大丈夫だよ。あ、大丈夫ですよレティーツィア殿下。あれ、皇女殿下の方がいいのか?」

「一応皇宮は私的な空間だから最初ので良いわよ。準備が出来てるなら良かったわ。それじゃあ、行きましょうか」


 ユリアーネが開けてくれた扉から回廊に出ると、レティーツィアの案内に従って皇帝がいる皇宮へと足を踏み入れた。


 
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