【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬

文字の大きさ
11 / 42

(十一)無清の日々

しおりを挟む
 淡河定範と皐姫の婚礼がつつがなく執り行われてからしばらくの後、則頼は仏門に入ることを決意した。

 表向きは、恩人である三好実休が討死したことで、世の儚さを知ったためである。

 しかしそれ以上に、己の判断を狂わせた皐姫に対する煩悩を捨て去りたいとの考えが秘められていた。

 「無清」と称した法号は、その思いの表れであった。



 突然、頭を丸めて僧形となった則頼の姿をみて、一切の相談を受けていなかった振は悲し気な顔を見せた。

 しかし、取り立てて文句をつけることもなく、いつもの冷えた目で則頼を見つめ、「励まれませ」と小さな声で告げただけに終わった。

 もちろん、剃髪して出家したとはいうものの、萩原城の城主であることを捨てた訳ではない。

 それでも、僧としての修行をこなしながらとなるため、政事の一部は吉田大膳ら家臣に委ねることになる。

 いずれにせよ、皐姫を迎えて別所の縁者となった淡河相手に積極的に仕掛けられる状態ではなくなっていた。

 結果、則頼はその後の十年近くに渡り、比較的平穏な時を過ごすことになる。

 とはいえ、僧形になっても俗世から離れた訳ではなかった。

 事実、永禄六年には待望の長男(後の四郎次郎則氏)が産まれている。



 一方、畿内の過半を制してその名をとどろかせてきた三好家は、三好実休の死を契機として、次第に家運が傾いていくことになる。

 前年の十河一存に続き、身内であり、かつ四国勢の有力な指揮官でもある実休をも亡くしたのは痛手であった。

 加えて、足利将軍や朝廷とのいつ果てるとも知れない駆け引きに疲れ切ったのか、当主である三好長慶自身が心身の不調に陥ったことも大きい。

 その衰勢は、永禄七年(一五六四年)七月に、享年四十三歳という若さで三好長慶が病死したことで決定的となる。

 十河一存の子で養子に入っていた三好義継が後を継いだが、若年であることから、松永久秀と三好三人衆と呼ばれる三好長逸、三好政康、岩成友通が後見役とする体制となった。

 しかし、永禄八年(一五六五年)五月十九日、三好三人衆と松永久秀の手勢が京都二条御所において十三代将軍・足利義輝を自刃に追い込む事件を起こす。

 三好長慶亡き後、将軍の権威を回復させようと尽力する義輝の存在が目障りであったともされるが、その動機は明確ではない。

 しかし、天下の大悪事の共犯でありながら、程なくして三好三人衆と松永久秀は対立し、三好家は内紛状態に陥ってしまう。

 永禄九年(一五六六年)八月には、三好家による摂津および播磨攻略の拠点として松永久秀が長らく治めてきた滝山城が、三好三人衆の軍勢により包囲され、総攻めを受けて陥落した。

 なお、この城攻めには別所勢も三好三人衆側として派兵している。

 別所家は翌年の永禄十年(一五六七年)九月にも、三好三人衆の援軍として手勢を大坂に送り出している。

 表面上は、かつてと変わらず三好家に従属する姿勢を崩していないことになる。

 しかし、三好家が内紛を続けている限り、播磨に大軍で攻め寄せてくることなど考えられない。

 つまり、もはや別所家が三好家に従属し続けねばならない理由はなくなりつつあった。



「予期していたとは申せ、三好の栄華がこうも呆気ないものとはのう」
 萩原城の書院にて、豊助から送られた書状を手に則頼は嘆息する。

 かつて三好家に人質として差し出され、実休の元で使番として三好家が統治する京や堺を駆け巡った日々は、随分と遠いものになったと思われた。

 しかし一方で、世の動きは、豊助から送られてくる葛屋の連雀がいち早く伝えてくれる。それは、口伝えであったり今回のように書状であったりした。

 おかげで則頼は、萩原城に居ながらにして主筋である別所家よりも数日早く最新の情勢を得られる。

 現状では、その強みを大きく活かす機会こそまだ訪れていないが、いずれなんらかの役に立つと則頼は確信していた。


 足利義輝が二条御所で討たれた際、一条院門跡として僧籍にあった弟・覚慶は、細川藤孝ら義輝の側近に助け出され、近江の矢島へ逃れていた。

 覚慶は亡き兄の無念を晴らし、足利将軍家を再興するため、還俗して義秋と名乗り、次の将軍となることを目論んだ。

 当初は最初は若狭国の武田家を頼ったが、頼りにならぬとみるや越前の朝倉義景の元に身を寄せ、兵を起こして上洛を願った。

 しかし朝倉義景には、義秋を奉じて上洛する意思はみられなかった。

 そこで、一念発起の証として義秋は義昭と改名し、美濃を平定して勢いに乗る織田信長に期待を寄せることになる。

 そして永禄十一年(一五六八年)九月、信長は義昭の要請を受けるや、素早く大軍を率いて上洛の途に就いた。

 信長の前には南近江の六角承禎・義賢父子が立ちはだかったが、北近江の浅井長政と同盟を結んだ信長は六角勢をものともせずに蹴散らしてしまう。

 上洛を果たした信長に対し、三好三人衆を相手に劣勢であった松永久秀はいち早く信長の元に馳せ参じて臣従の意思を示した。

 足利義昭にとっては久秀は兄の仇である一人であったが、信長はあっさり臣従を認めた。

 この時、久秀は信長に対して人質だけなく、九十九髪茄子を差し出したおかげで許されたと世間で評判となった。

 一方、数年に渡って松永久秀と内紛を続けていた三好三人衆の軍勢は信長の大軍を前に成す術もなく撃破され、畿内の拠点を捨てて三好本貫地である阿波へと逃げ落ちることになる。

 なお、別所家も信長の上洛を受けて、これまで従属していた三好三人衆と手を切り、足利義昭を擁立する信長と誼を通じている。

 則頼の中に三好の凋落を嘆く気持ちもなくはないが、それよりも否応なく信長に関心を抱かずにはいられない。

「三好に代わり、織田が天下に覇を唱えるのであろうか」
 僧としての勤行に励みながらも、俗世を捨てきれない則頼は漠然とそんな未来を思い描いていた。




 永禄十二年(一五六九年)九月。

 淡河城の嫡男・淡河定範の実家である美作国の江見城が宇喜多直家勢に攻められ、定範の実父である江見祐春が自刃した。

 事の発端は、尼子残党の中でも勇名を馳せた山中鹿介幸盛が中心となって、京に出て東福寺の僧となっていた尼子誠久の五男を還俗させて尼子勝久と名乗らせ、御家再興を目指して挙兵したことにある。

 尼子残党はかつての本拠たる月山富田城の奪還こそ果たせなかったものの、出雲国や伯耆国のみならず、かつての尼子家の勢力圏内には呼応して味方する勢力も少なくない。

 美作国もまた毛利の影響下にあったが、尼子残党の美作侵入を受けて、かつて尼子に仕えていた経緯もあって美作国の三浦氏が馳せ参じ、さらに備前の宇喜多勢が尼子方として起った。

 いわば、美作国は毛利と宇喜多の代理戦争の場に選ばれ、江見城は巻き込まれた形である。

 もっとも、美作国だけにとどまる話であれば、則頼に直接かかわりのある出来事ではない。

 しかしながら厄介なのが、定範の実弟である江見小三郎定治が、生き残りの一族郎党や江見家の旧臣を引き連れて、兄を頼って淡河城まで落ちのびてきたことだ。

 江見定治は淡河姓と長範の名を新たに与えられて淡河新三郎長範と名乗り、野瀬城を守る定範の義理の叔父・範政の元に預けられることになる。

 だが、江見家旧臣に分け与えられる余分な禄など、ただでさえ有馬家に蚕食された淡河の領地にある筈もない。

 新田を拓こうにも、谷筋のめぼしい平地は既に田畑になっているうえ、北は石切山の出城、東は萩原城、そして西には三津田城と三方を有馬方が抑えている。

 唯一、手を伸ばせる南側には丹生山の山塊が迫るため、日当たりの悪い山の北斜面や水はけの悪い湿地などを開拓しなければならない。

 当然、ここ数年来の平穏は否応なく破られ、なにかにつけて有馬家と衝突する機会も増えることになる。

 敵方に加わった江見家の旧臣は、有馬家が支配する田畑を奪い取って自らの所領としようと目の色を変えている。

 則頼にとっては、単に敵の人数が増えた以上に手ごわい相手だった。

「どうにも、逆風が吹いておるな」
 三好家の没落により後ろ盾を失った則頼には、状況を打開する方策はそう簡単には思いつかない。

 しかし、閉塞した状況を大きく揺るがす波が、まもなく東から訪れようとしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

処理中です...