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ARKADIA──それが人であるということ──

ラグナちゃん危機一髪?──言ってくれれば

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「…………」

「…………」

 当然の話ではあるが、棺の中は真っ暗だった。真っ暗で、そして狭かった。見た目からしてそれもわかっていたことだが、いざこうして入ってみると本当に狭い。恐らく先輩が今の、小柄な女の子になっていなかったら収まり切れていなかっただろう。

 まあそれはともかく。この棺はこういった遺跡にありがちな、トラップだっただろう。そしてそれに僕(言ってしまえば巻き込まれたようなものだが)と先輩は見事に引っかかり、閉じ込められてしまった訳だ。

 棺の中に閉じ込められてから、一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。まだ一時間は経っていないと思うが、果たして。

 そして気になることが一つ。それは──こんな事態になってから、まだ一度も先輩と会話をしていない、いや先輩が一切口を開いていないということ。

 ──……先輩。

 確かに棺の中は真っ暗闇だ。しかし流石にしばらくすれば、その暗闇にも目が慣れてくる。闇の中、薄らと見える先輩は、何故かその小柄な身体をより縮こまらせながら、その顔を俯かせていた。

 ……先ほども言った通り、この棺は狭い。とても窮屈だ。なのでこれは仕方のないことではあるのだが、今僕と先輩は互いに向かい合う形で、互いの身体を密着させていた。

 服越しに、先輩の熱が伝わってくる。時折その身体が微かに震え、それも余すことなく僕に伝わってくる。まあ、それだけだったらまだいい。まだマシだった。

 これも仕方のないこと、致し方ないことなのだが──当たって、いる。先輩の、程よいサイズ感の、母性の象徴が。僕の、下腹部辺りに押しつけられている。この棺に閉じ込められてからずっと、僕の下腹部辺りをふにゅん、とした感触が覆っている。

 目線を下にやれば、きっと押し潰されている先輩のそれ・・が見えることだろう。薄闇の中で、朧げに。本音を言えば見たい。是非ともその様を見てみたいが──そうすると色々拙い状況になる。主に僕が。

 ──ああ、柔らかい。相変わらず柔らかいなあ……もういい加減、慣れないかなあ。この感触。

 別に、これが初めてという訳ではないのに。もう何度かこの身で味わったことのある感触だというのに。未だに僕の意識はこれに慣れてくれない。そんな自分が、情けなかった。

 それと、この狭い空間による問題はこれだけではない。あと二つほど、残っているのだ。

 一つは──空気。この狭さと、お世辞にも通気性が良いとは言えない空間。当然、空気……というより、匂いが篭る。

 今、この空間を満たしているのは、汗と──何処かほんのりと甘い、匂い。こちらを鼻腔を悪戯に弄る、香水とは根本的に違う、そんな匂い。

 言うまでもないが、その匂いの主は──先輩だ。この匂いも下腹部に伝わる感触同様、もう既に何度か嗅いでいる。……しかし、やはりこの匂いにも慣れることができない。こちらの理性を、容赦なく淫らに掻き回してくる。

 まさに雄を誘う芳香──相も変わらず、とんでもない強敵だ。しかもこの中途半端な密室……その牙が、いつにも増して鋭く輝いている。

 そして二つ目──沈黙。今この通り、僕と先輩は会話らしい会話を一切していない。というか、先ほどからずっと先輩がその口を開いていない。

 沈黙。ひたすらに、沈黙。おかげさまで感触やら匂いやらから気を逸らせず、僕はどうしてもそれらを気にしてしまう。……しかも、だ。

 先輩は口を開いていない。が、それも完全ではない・・・・・・

 時折その身体を震わせるのと同時か、少し遅れてから────

「……ん、んん…っ」

 ────という、必死に噛み殺したような、実に悩ましい呻き声を漏らすのだ。本来であれば僕の耳に決して届かないだろう声量なのだが、この狭い密室空間の中、その上僕も先輩も基本無言──嫌でも、届いてくる。

 本当にそれが、キツい。一応今はまだ自分を抑えられているが……正直、限界は近いと思う。幸い僕の身体は反応せずにいられているが、それも時間の問題だろう。

 ──それだけは駄目だ。こんな密着してるんだ……絶対にバレる。気づかれる。なんとか、堪えなくては……!

 そう固く心に誓いながら、僕は先輩を見やる。……問題はこの三つだけだ。この三つだけだが、あくまでもそれは僕にとっての・・・・・・問題であるということだけ。

 思い出す。この棺に近づいていた先輩の状態を。あの姿勢を。……もし、僕が思う通りならば。今この人は──僕のこれらの問題など軽々吹っ飛ぶほどの、人の尊厳に関わってく問題を、その小さな身体で抱え込んでしまっている……はずだ。確証は、まだない。

 しかしもし仮にそうであるとすれば──全ての辻褄が合う。先輩が不調そうにしていたことも、やたらと挙動不審だったことも、なにもかも。何故そうしていたのか、合点がいく。

 ……ただ、それを確かめるのには、少々勇気がいる。こんなことを確かめるのには、躊躇いを覚えてしまう。

 それでも、僕は確かめなければならない。後輩として、先輩の尊厳を守るために。

「……あの、先輩」

 気まずい沈黙を破って、僕は先輩に訊ねる。

「その……つかぬことをお聞きするんですが」

 僕の言葉に、先輩はすぐには答えない。やはりぶるり、と。その身体を微かに震わせて、少し経ってから、ようやく今まで閉ざしていたその口を、開いてくれた。

「……なん、だよ」

 途中つっかえながらも、そう言ってゆっくりとこちらに、この棺の中に閉じ込められてから俯かせていたその顔を、先輩は上げる。頬は熱っぽいように染まり、宝石のような琥珀色の瞳は潤んでいた。

 ──ぐッ……!!

 その表情が持つ、あまりの破壊力に、僕の理性が大いに揺さぶられる。庇護欲を凄まじく刺激され、思わず先輩のことを抱き締めそうになってしまう。しかし根性と気合でそれを強引に捻じ伏せ、苦渋に苛まれながらも────意を決して、僕は目の前の先輩にそれ・・を訊ねた。



「…………せ、先輩。ひょっとして今……我慢、してます?……トイレ」



 ……場の空気が、固まった。薄闇の向こうで見える先輩は、赤い顔のまま呆けたようにしており、それから一気に、そのまま火でも噴き出すじゃあないかというほどに真っ赤になった。

「しッ、してな「嘘は駄目ですよ、先輩」

 僕に言葉を遮られ、先輩は言い止まる。そして酷く動揺するように僕からその視線を逸らして、泳がして──やがて、観念したかのように、真っ赤になったまま、また俯いて。それから小さく、こくりと頷いた。

 ──やっぱり……。

 思わず嘆息しそうになるのを抑えて、僕は言い聞かせるように口を開く。

「なんで道中で言ってくれなかったんですか……休憩の時にだって。というか、いつもなら言ってましたよね?」

 特にそのことを責める気も、咎める気も僕にはなかったのだが、自然とそんな風な言い方になってしまう。僕の言葉に先輩はすぐに答えず、躊躇するように身体を揺らして、俯いたまま消え入りそうな声で、僕に言った。

「お前に……知られたく、なかった……から」

「…………え?」

 先輩の言葉は、僕にとっては予想外のものだった。というか、僕が知る先輩なら、絶対にそうは言わない。

「ぼ、僕に知られたくなかったって……どうして」

 呆然としながらもそう訊くと、やはり俯いたまま先輩は僕に言う。

「だ、だってお前、俺がションベンしたいって言ったら、絶対近くで見張るだろ?」

「そりゃ見張りますよ。単独ならともかく、複数で動いているんですから」

「…………それが、嫌だった…んだよ」

 ──え、ええ?そんな、なんで今さら……。

 僕はひたすら困惑せざるを得ない。こんなことも、以前の先輩なら絶対に言わない。言うはずがない。

 冒険者ランカーはその職業柄、止むを得ず野外で排泄する機会が多い。僕とて既に経験済みだし、なんなら先輩だってそうだ。

 それを、何故今になって嫌がったのか。何故今さら抵抗感を覚えたのか。そう、今────

 ──……ん?今……?

 ────ふと、僕はそこに引っかかりを覚える。それから改めて先輩を見やる。恥ずかしそうに俯く、赤髪の少女・・となった先輩を。

 ──…………あー、あーーー……そうか。そういう、ことか……というか、そうだった……!

「…………あの、先輩。その……は、配慮が足りなくて、本当にすみませんでした……」

 今度こそ全て合点がいき、納得した僕は、先輩に謝罪の言葉を述べる。しかしそれはあまりにも唐突なもので、当然意味がわからないとでも言うかのように、俯いていた先輩がその顔を上げる。

 きょとんとする先輩に、僕は罪悪感に包まれながら、そして躊躇しながら、続けた。

「えっと、ですね……いや、まあ。確かに、確かにですよ?僕は見張りに回りますよ?ですが、その……一応……最低限、距離は取りますし……言ってくれれば、耳とかだって、塞ぎました……よ?」

「……………………」

 その時向けられた、先輩の恨みに満ちた眼差しを、僕は一生忘れることはないだろう。
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