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第三章 愛・おぼえていますが

本当の気持ち

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 淡々とした中に、抑えきれない激情がにじむ。
 その激しくも哀しい声音こわねに、私は涙が止まらない。

 ファンブックに書かれた内容だけを見て、好きだと騒いでいた私。
 そんな自分が想像すらしなかった過酷な人生を、彼は歩んできたらしい。

「クロム、様……」

 鉄格子てつごうしの向こうにいるあなたを、今すぐ抱きしめられたなら!

「これでわかったはずだ。血で汚れ、親友さえ手にかけた俺は、王女の近くにいてはいけない」
「いいえ」
「本来なら、表に立つことさえ許されない身だ」
「いいえ!」
「君がどう思おうと、それが事実だ。王女の君を巻き込みたくなくて、城を出たのに……」
「いいえ、いいえ!」

 首を激しく横に振る。
 
 ――それでも私は、あなたがいい。悲しい過去を背負ったあなたの、力になりたいの。

「泣かないでくれ。どうせ覚悟していた身だ。このまま処刑されたとしても、誰も恨まないと誓う」
「ダメよ!」

 私は鉄格子を掴み、揺さぶろうとする。
 けれど囲いはびくともせず、冷たいだけだった。

 彼の大きな手が、私の手を包み込む。

「クロム……様?」

 喜んだのもつかの間。
 彼は私の指を、外そうとしている。
 ならばと逆に手を握り、ほおをすり寄せた。

「ねえ、聞いて。お友達が亡くなったのは、あなたのせいじゃない。悪いのは、命令を出した組織の人間よ」
「いや、実際に手を下したのは俺だ」
「いいえ。そうしなければ、生きていけなかったからでしょう? だったら自分を責めないで」

 手を引き抜かれるかと思いきや、彼は動かない。

「話してくれてありがとう。過酷な運命に耐えたあなたを、私は尊敬する。引き合わせてくれた神様にも、感謝しているわ」
「カトリーナ……」
「だからお願い、生きることを諦めないで。ここで生きて、世の中には楽しいこともあるとわかってほしい。そしていつか、笑顔を見せて」

 それが私の、いつわらざる本心だ。
 ゲームより悲惨な現実なら、変えればいいだけのこと。
 何より私が、彼を守りたい。

 前世も今世も私の推しは、クロム様。
 日々のうるおいと生きる希望を与えてくれた彼を、今度は私が幸せにしたい。

 言い終えてホッとしたせいか、全身の力が抜けていく。
 両手がだらんと床に落ち、身体がかたむいた。

「カトリーナ!」

 ――変ね。さっきまで寒いと感じていたのに、なんだか暑いわ。

 急な眠気でまぶたが下がり、起き上がるのも億劫おっくうだ。このままここで眠れたら、どんなにいいだろう。

「頬が少し熱かったのは、熱のせいなのか? カトリーナ!」

 推しが私を呼んでいる。
 光栄だわ!

「カトリーナ、カトリーナ!!」

 ――ここにいるのに。何度も呼ぶなんて、おかしな人ね。

 その考えを最後に、私の意識は途切れた。
 


 かすむ視界の中、天井てんじょうの愛らしい天使が笑うように揺れている。
 これは「芸術に力を入れたい」と告げた五歳の私が、名のある画家に頼んで自分の部屋に描いてもらったものだ。

 青く澄んだ空も白い雲も、雲の隙間すきまから差し込む虹も気に入っている。
 けれど私が見たいのは、金髪の天使ではなくあの人だ。

 ――黒髪の彼は今、どこで何をしているの?

「クロ……しゃ……ま」

 大好きな人の名をつぶやくと、周りの影が動く。

「カトリーナ、気がついたんだね」
「カトリーナ!」
「ハーヴィー様、ルシウス殿下、落ち着いてください。熱が高く、予断を許しません」

 全身がバラバラになりそうなほど痛むのは、高熱のせい?

「カトリーナが苦しがっている。なんとかならないのか?」
「……に……さま?」
「ああ、そうだ。ここにいるからね」

 ハーヴィーが取り乱すなんて珍しい。

 浅く荒い息を吐きながら、私はぼんやり考える。
 優しい兄も好きだけど、今はもっと好きな人がいる。
 彼と巡り会えたおかげで、私の日々は薔薇色だ。

「クロ……しゃま……」

 けれど大好きな人は、いつまで経っても応じない。
 私は悲しくなって目を閉じた。

「カトリーナ、ダメだ! 私を置いてくな!」
「カトリーナ! しっかりするんだ、カト……」

 自分の名前が遠くに聞こえ、徐々に音が消えていく。
 ふいに身体が軽くなり、全ての痛みから解放された。

 ――ああ。私、このまま死ぬのね。

 その瞬間、目の前が赤くチカチカした。
 薔薇の花びらが、いつものように通り過ぎていく。

 ――違う、これじゃない!

 私が好きなのは、この赤じゃない。
 恐ろしいほど美しく、哀しみをたたえた深い赤。赤い瞳が嬉しそうに輝くところを、いつか見てみたい。

 このまま意識を手放せば、楽になるだろう。
 でもここで諦めれば、二度と会えない。

 ――ダメ。ひとりぼっちのクロム様を、置いてはいけないわ。

 彼を一番理解しているのは、私。
 彼を一番好きなのも、私
 彼のために自分を犠牲にできるのも、彼を支えたいと願うのも、この私だ。

 それなら私の愛で、満たせばいいのでは!?

 ――そうか。私は推すだけでなく、恋人になりたかったのね。

 熱に浮かされているせいで、自分の本音が見えてきた。

 毎日彼に好きだと告げたい。
 大事な彼を私の愛で包めたら、どんなにいいだろう。
 
 花弁の残りはまだ、二つある。
 決して遅くはないはずだ。

「カトリーナ、頼む。なんでもするから、戻ってこい!」

 悲痛な叫びは兄のもの? 
 だったらお願いしてみよう。

「……に……様……」

 私はかつてないほど力を入れて、懸命に唇を動かした。

「カトリーナ! 良かった。ああ、カトリーナ……」

 兄の柔らかい髪を、頬に感じる。
 彼の気が変わる前にと、私は声を絞り出す。

「……クロ…………牢……ら……出し……て」

 ハーヴィーの表情がわからず、不安に駆られた。
 声がガラガラだったけど、これ以上しゃべれば痛くてのどつぶれそう!

【薔薇の瞳】の能力で、全ての感覚が戻ってきていた。
 そのほとんどが痛みで、あとは全身の倦怠感けんたいかん
 痛みが薄れたさっきの方が、よっぽど楽だった。

「…………わかった、約束する。だからお前は、良くなることだけ考えて」

 私はふっと微笑んだ。
 ハーヴィーが保証してくれたから、クロム様はもう大丈夫。

 全身が熱く、なまりのように重い。
 だるくてかなり痛いけど、推しを思えば乗り越えられる。

 治ったら真っ先に彼に会いに行こう!

 水薬を飲み終えた私は、たちまち睡魔すいまに襲われた。
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