もう一度を聴きながら

ゆく

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7. 奔放

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 綾子とは大学時代に知り合った。

 と言っても同じ大学じゃない。悠介は理系国立、綾子は近隣にある私立の女子大に通っていて、共通点のない二人を繋いだのは、同じ大学に通う高校からの友人だ。

 友人は社交的な性格で、お互いに彼女がいた高校時代はよく四人でデートをしていた。放課後、本屋に寄り道したり、ファストフードで食べて帰ったり、週末には映画に行ったり。高校生らしいお付き合いだったけれど、高三になって受験勉強が忙しくなるまでは四人で楽しく遊んだ思い出がある。結局受験が忙しくなって進路も別になることが決まった時に、お付き合いも終わったのだけれど。

 そんな友人が大学進学後にインカレサークルに入ったと思ったら、あっという間に別の大学に彼女を作った。友人は悠介がバイトしているカフェにやたらと彼女を連れてきたから、そのうち悠介も含めた三人でよく遊ぶようになった。

 そして夏が終わる頃、友人の彼女が連れてきた女子が、綾子だった。



 そこそこ値の張るらしいマンションはセキュリティが売りだったらしくエントランスにはオートロックがある。

 入居者は専用のICカードか暗証番号で解錠できるけれど、入居後すぐ在宅勤務になった悠介は綾子に暗証番号を知らせていなかった。ICカードも部屋のオーナーからは二枚渡されていたものの、紛失した場合のことも考えて普段は使用していない。

 綾子と外出先から戻った際は毎回暗証番号を入力して解錠するようにしていたし、悠介の在宅時に綾子が訪ねてくる時は、インターホンで呼び出して遠隔解錠するようにしていた。もちろん、半同居人と化している樫谷も同じ扱いだ。


「おい綾瀬。あそこにいるの、アレじゃ」
「……いや、だから、アレって言い方やめろって」


 樫谷が何を言いたいのかはわかるけれど、その言い方に小声で苦笑いを返す。

 オートロックの解錠装置があるエントランスホールまでは自動ドアを挟んでいる。手をかざさないと開かない仕組みで、悠介と樫谷の二人は、ガラスの向こう側にいる〝アレ〟の姿を凝視していた。相手はこちらに背を向けているからか、見られていることに気がついていない。

 指の動きを見るに、オートロックのテンキーを四回押すけれど、ドアは開かなかった。距離があるせいでテンキーのどのキーを押しているのかはっきりとは見えない。


「アレ、もしかして暗証番号を当てずっぽうっで入力してるのか……?」
「…………た、多分」


 多分。だけれど、樫谷のその推測は当たっている。
 きっと今まで自分の隣で悠介が暗証番号を入力しているのを見ていたんだろう。断片的に覚えている数字を適当に押している気がした。


「ねぇ綾子、何してんの……!?」


 連続で何度か間違えると、警備会社に通報されてしまうことを入居時にオーナーから説明されていた。

 慌てて悠介は自動ドアに手をかざして、アレ、もとい綾子のもとへ駆け寄って、今まさにテンキーを押そうとしている手を掴んで止めた。その瞬間、素早い動きでテンキーに食いついていた綾子の顔が悠介の方へと向き直った。目をつり上げて、きっとにらみつけている。


「何よ、いるんじゃない!」
「はあ?」
「だって悠、今日デートだから会えないって言ってたでしょ!」
「え?」
「LINEよ、忘れたの!?」
「……ええと、それが、今ここで綾子がオートロックを突破しようとしてる理由なのか?」


 綾子の言うことが、朝、樫谷が自分のふりをして送ったLINEのことだ、と気づいて、悠介は少し距離をとっている樫谷を一瞥した。エントランスホールの壁にもたれかかって腕を組んでいる。だが、その眉間には深いシワが寄っていて、口も見たことがないくらいの〝への字〟だ。

 綾子は綾子でどうしてこんなに激昂しているんだろうか、と悠介は不機嫌な二人に挟まれてただただ頭を掻いた。


「オートロック突破だなんて、そんな嫌な言い方しないでもいいじゃないっ」
「じゃあ何のつもりで、オートロックを操作してたんだ」
「……それは、えーと、その」


 悠介の問いに綾子はわかりやすく言いよどんで、掴まれた手を振りほどく。そして悠介の少し後ろに立つ男の姿に気づいて、一瞬ぎくりと顔を強張らせた。まさか悠介の他にも誰かこの場にいるとは思っていなかったらしく、他人の視線に、途端にさっきまでの勢いを失っておとなしくなる。

 そうだ、綾子は、人の目をことさら気にするタイプだったな――と思いながら、じゃああの夜、あんな場所であんな様子だったのは何だったんだろう、とも。


「綾瀬。ここじゃ他の人の邪魔になるし、ひとまず部屋に上がってもらったらどうだ」
「……そうだね」


 樫谷のその言葉に、綾子は悠介の背に隠れるようにしながら発言主を見た。及び腰のせいで少し屈んだ状態となって悠介の腕にしがみつき、目には「誰だ」と警戒の色が濃い。そう大して近いわけでもないのに上目遣いでにらみつけられている樫谷は、より眉間のシワを深くした。

 悠介がオートロックを解除しようとテンキーに手をかざしたところで、樫谷はそれを覗き見ようとした綾子を、急いで悠介の腕から引き剥がす。

 そのおかげで四桁の暗証番号を見られることなく、閉じていた最後の自動ドアが開いたのを見届けて、樫谷は掴んだ綾子の腕を離した。その瞬間に小さく舌打ちをした綾子を、三十センチ上から樫谷は見下ろしてほくそ笑む。

 自動ドアを抜けた先のエレベータホールで、三人は立ち止まった。十階建てのマンションで、悠介の部屋は七階角部屋。最上階で止まっているエレベータを△ボタンを押して呼んだものの、一階に降りてくるまでの沈黙が辛い。早く来い、早く来い、と悠介は祈るように待った。


「……ねぇ。このでかい男、悠の知り合いなの……?」


 エレベータに乗り込むと同時に、綾子が言いさして腕に絡みつく。腕に触れる柔らかい感触と、まとわりつく甘いコロンの香り。自分を見る目を縁取る、くるんと上がった睫毛。桃色の頬。可愛い。出会った頃と同じ、甘えてくる素振り。可愛い。でも。

 今までだったらそこで抱き寄せて、キスをしたけれど――その様子が、あの夜見たあの光景を思い出させて、悠介の顔から表情が抜け落ちた。悠介はそっと絡みついた手をほどいて、エレベータの階数表示を見上げるだけにとどめた。

 七階に着いて部屋に向かう時も、綾子は悠介の隣にぴったりとくっついてくる。それがたまらなくいらついて、突き放したいのを悠介は必死にこらえた。それが生ぬるい夏の空気の中触れた人肌のせいじゃないのは明らかだ。


 突き当たりの角部屋。
 スラックスのポケットから鍵を取り出して、上下二箇所の鍵をそれぞれ開けると、我先にと綾子が玄関へすべり込む。

 その奔放さに背後の樫谷が「は?」とつぶやくのが聞こえた。

 そういえば樫谷はここに来るようになった当初は、悠介が「どうぞ」と言うまでは上がらなかったな、と気づいた。もちろん綾子だって最初の頃は言っていたと思うけれど、引越から一年以上経って、その頃のことはもう思い出せなかった。

 自分と樫谷の声が重なって、乱雑に脱ぎ捨てられた黒いパンプスを拾い揃え置いて、悠介は樫谷と一緒に部屋へと上がる。背後で樫谷が鍵を閉める音と一緒に「ただいま」と低い声がはっきり言ったのを聞いて、悠介はなぜだか嬉しくなった。



――
書き直してたら遅くなりました‎(߹ㅁ‎߹)
本当なら悠介と綾子の話し合いまでいくはずだったのに全然いけず…💦

悠介のマンションについては、お勤め時代の職場の近くにあるマンションたちを参考にしました。(そこはコンシェルジュがいたけど)
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