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第四章【騒乱のアナトリア】
4-34.皇国の真の狙い(1)
しおりを挟む「では、ここまでに得られた情報を整理するわね」
蒼薔薇騎士団に与えられた居室内、そのリビングで、おもむろにヴィオレが口を開く。
滞在4日目。この日も予定されていた晩餐は開かれず、居室内で無為に1日を過ごしたその夜のことである。すでに晩食も終えて、本来ならばあとは寝るだけ、というタイミングだ。
この日、蒼薔薇騎士団は室外に出ることを禁じられていた。
いや拘束力のある命令など彼女たちに出せるはずもないのだが、朝っぱらから騎士たちが何人も押しかけてきて「賊の侵入があったため、念のため部屋から出ないように」と要請されたのである。
真偽のほどは分からないが、そう言われてしまうと皇国のメンツを立てるためにも外に出づらい。騎士たちは蒼薔薇騎士団の手を借りるつもりもないようで、だが警護と称して騎士の小隊が居室前の廊下に常に張り付いてしまったため、彼女たちも侍女の四人も、それに続き間の護衛詰所で過ごすアルタンとスレヤも、半ば閉じ込められるようにして部屋で過ごすしかなかった。
まあヴィオレだけはちょいちょい姿を消していたが。こういう時、隠密技能の高い者は自由で羨ましい。
ともあれ、そうやってヴィオレが集めてきた情報を今共有して整理しているところだ。
「すでに皇城、皇宮では勇者がアナトリアに帰属するという話が広まりつつあるわ」
蒼薔薇騎士団がアナトリアの皇都アンキューラに入ってちょうど丸3日、まだ3日である。そのわずか3日間だけで、早くもその噂は既定事実であるかのように語られているという。
「え、なんでよ。誰よそんなデマ流してるのは」
「それはこの際問題ではないわね。というか出処なんてもう知れているでしょう?」
「あーまあ、間違いなかろうねえ」
誰が、と言われれば、まあまず間違いなく皇太子と皇后だろう。レギーナに毒を盛り、既成事実を作ってまで婚姻に持ち込もうとした事実がある以上疑いようがない。というか彼らにしか動機がない。
だって何もせずとも勇者はアナトリアの国民を守るのだ。勇者とは人類全ての守護者であり、特定の国だけ守らないなどという事は基本的にはあり得ないのだから、わざわざ婚姻で国に縛る必要などないのだ。
そして何故そんな噂が流れているかと言えば。
「おおかた、姫ちゃんと事に及べんやったけんが、噂で縛って断れんごとしよる、ってとこかねえ」
「まあ、そんなところでしょうね」
「ねえ、その噂ホントに流れてるの?」
「本当よ。私や侍女が聞き込んできただけでも皇宮の女官や侍女たちも知っていたし、アルベルト氏からも皇城の使用人や下男たちまで噂していたと報告があったわ」
「うえぇ…」
「上から下まで万遍なく、やねえ」
「ねえ、条約は?」
クレアが不思議そうに訊ねた。
「そっちは、何故か誰も気にしてないのよねえ」
それを受けて、ヴィオレが軽く額を押さえて嘆息した。
「まあ、知らんとやろうねえ」
「知っていたらここまで噂が広まってないわね」
「なんでよおかしいでしょ!常識じゃないの!?」
「あんまり推測で物言うもんやないばってん、多分教えとらんっちゃろうと思うばい」
勇者に関する各種の取り決めは、どの国でも基礎教育のひとつとして周知されるものだ。だから普通は庶民であろうと知っている。
西方世界では、誰しもが魔力を持つがゆえに教育が盛んである。子供のうちから正しい知識を身につけさせて、一般常識や魔力のコントロール方法を教えこまなければ魔力の暴走や魔術による犯罪行為が頻発するので、それでどの国も制度を整えて、ほとんど無償で教育を受けられるようになっている。
だから各国とも教育普及率、特に識字率は平均で7割ほどと非常に高い。日常生活にはさほど関係のない勇者関連の知識も、それと同程度には広まっているのだ。
勇者がなぜ国境を超えて活躍できるのか。それはひとえに国際的な協力組織の存在があればこそである。勇者は少数の仲間たちだけで活動するわけではないのだ。
各地の冒険者ギルドあるいは騎士団、政府などが窓口となり、勇者依頼の案件は全てその協力組織へと回される。勇者を選出し、認定するのもその組織であるため、上位組織と言い換えてもいいかも知れない。そうした組織的な支援体制があってこそ、勇者は特定の国家に縛られずに自由に活動することが可能になるのだ。
魔獣や魔物に関するトラブルがあった際、通常は冒険者ギルドに金銭で報酬を準備して討伐を依頼するものだが、勇者にだけは無償で誰でも依頼を出していいことになっている。そして勇者への報酬は、その協力組織が用意するのだ。ただし勇者が受けるのは相応に危険性と緊急性が認められる事案だけであり、それ以外の大半は冒険者ギルドに改めて依頼するよう差し戻される。
そんな勇者を自国に縛り付けようとするなど、通常は考えないし考えても実行できない。他の全ての国々から猛烈に非難されるからである。
だというのに、アナトリア皇国は今、それをしようとしているのだ。そんな非常識な事態が、特に批判も反論もなく噂という形で国家の中枢たる皇城と皇宮を覆いつつある。
そこから考えられることはただひとつ。
通常あるべき教育の根本が、この国には無いということだ。
「もうそこからおかしいでしょ」
レギーナが呆れる通りで、西方世界の一般的な国家としてはあり得ない事態である。アナトリアだって西方世界の国家群の一員、どころか有数の大国のひとつであるはずなのに。世界の常識を知らぬはずもないのに。
「まあこの国は、他とは事情が違うのだけれどね」
ヴィオレが思わせぶりに言って、べステをチラリと見た。べステやナズたち侍女四人はリビングの壁際に佇んで気配を殺していたが、視線を向けられて彼女たちはビクリと身体を揺らした。
その気配に、レギーナもミカエラもクレアまでもが、侍女たちに視線だけ向ける。
「ああ、気にしないで。別に貴女たちを責めているわけではないの。異邦人に国内事情をおいそれと話すわけにはいかないものね?」
「どういうことよ、ヴィオレ」
「この国はね、今の私たちに南へ行って欲しくないのよ」
べステの目線があからさまに逸れる。
それが何よりも雄弁に、ヴィオレの言葉を肯定していた。
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