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【レティシア12歳】

051.別邸からの招待

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 更新が止まって申し訳ありません。少しずつ再開していきます。
 とりあえず、レティシア12歳編はあと数話続きます。


 ー ー ー ー ー ー ー ー ー


 レティシアは正式にセーの別邸を引き払うことになり、しばらくは慌ただしく引っ越しの準備が進められた。セーの街の住人たちにも、説明はされずともそのことが伝わったらしく、しばらくはその話題でどこも持ちきりだった。

「なんだよ~レティシア様帰っちゃうのかよ~」

 大袈裟に落胆しているのはもちろんジャックである。

「しょうがねえだろ、エールスの森を焼いちまった責任取らないと」

 レティシアがセーを離れて首都ルテティアに戻るのは、彼女がエールスの湖に遊びに行った際にと出くわして、身を守るために放った[火球]で森を焼いてしまったからだ。ジャックたちは騎士団のセー支部でそのように説明されている。もちろん支部長など上層部は真相を知っているし現場にいたアンドレも同様だが、ジャックなど小隊長や平隊員クラスは消火活動に駆り出されただけなので、詳しいことは知らないのだ。
 レティシアは魔術の再教育のために首都に戻るのであり、そのまま大学受験に向けて首都に残る。そういう事になっている。


 この世界では“大学”とは、6歳から12歳の花季はるまでで基礎教育を終えたあと、1年間の受験勉強期間を経て13歳の花季に入試を受けて入学する高等教育機関を指す。
 誰でもが魔術を使いこなせるこの世界では一般常識や魔力マナのコントロールを覚えさせる意味合いでも教育が盛んで、だから6歳からの初等教育、9歳からの中等教育まではどの国でも公的補助があり、比較的低所得層でも子供を学ばせることができる。だが大学は任意進学であり学費も全額が自費になる。
 そのため、平民で大学入学を目指すのはある程度の富裕層や専門職を目指す者など一部だけだが、貴族子女は高い教養を身につけるために、あるいは将来の社交界での人脈を得るために、大学に入学し卒業しておくことがある意味で必須になる。
 レティシアがどこの大学を受けるか、アンドレは聞かされていない。おそらく首都にある〈ルテティア国立学園〉だろうが、もしかするとアルヴァイオン大公国にある最難関大学〈賢者の学院〉かも知れない。レティシアお嬢様は天才だからそれも充分あり得る、などと大真面目にアンドレは考えている。


 ちなみに燃えたのは森の南東部の一角で、範囲はさほど広くはないものの部分的に森が焼失する事態になった。そのため森の獣や魔獣たちの生態系が乱れて動きが読みづらくなり、そのせいで湖の周囲も一時的に立ち入り禁止になっている。
 森が落ち着いて、騎士団の掃討が済んでしまうまでは安心できないので、残念ながらこの暑季なつの水遊びは諦めてもらうほかはない。

 レティシアが遭遇した灰熊に関しては、手負いのまま森の奥に逃げ戻らせたことで危険はないと判断されている。森の周縁部に出てきて痛い目に遭ったのだから、しばらくは仲間共々森の奥でひっそりしていることだろう。アンドレもそれを狙って見逃したし、騎士団の上層部も同じ判断だった。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 セーの別邸から使者が来て、アンドレは初めて正式に別邸に招待された。迎えの使者はアルドワン伯爵だった。

「一瞥以来、お変わりなさそうで何よりですな」
「伯爵も。まあ私は変わりなさすぎて忸怩たるものがございますが」
「ご謙遜なさいますな」

 別邸まで案内され、その応接室まで通されて着席を勧められて座ったアンドレの向かいに、アルドワン伯爵も腰を下ろした。すぐさま侍女として控えていたジョアンナが紅茶を淹れて、ふたりの席にそっと供した。
 アルドワン伯爵とはアンドレがノルマンド公爵家の首都公邸に召喚された時の迎えの使者としてやって来て、セーまでの送迎で世話になって以来である。その後のレティシアとの関わりの中で、侍女ジョアンナの夫である事もアンドレは聞かされている。その妻のジョアンナとは8歳違い、つまりアンドレの8歳上ということになる。
 伯爵というからには彼も自身の領地を持っているはずだが、そちらは代官に任せてノルマンド家の執事として働いているらしい。そしてレティシア付きの執事としてこの別邸に移ってきていたそうだ。

 つまりアルドワン伯爵もまた、今回のレティシアの失態で処分を受けた人物のひとりということになる。彼はこの7年で執事長セバスチャンに次ぐNo.2の執事補にまで昇進していたらしいが、今回のことでヒラの執事に降格処分になったという。

「改めて、伯爵にもお詫びを申し上げます」
「なんの。私どもはお嬢様を無事に連れ戻して頂けただけで感謝の念に堪えませんとも」

 おそらく護衛騎士たちだけでは森の奥に踏み入ったレティシアを探すことも難しかっただろう、とアルドワン伯爵は穏やかに語る。それは事実その通りなので、アンドレもその謝意を受け取るほかはない。

「本日はその、レティシア様は……」
「お嬢様はすでに首都公邸へお戻りです。我々居残りの使用人一同も荷物がまとまり次第こちらを引き払い、その後は管理人を置いて邸の管理に当たらせることになりますな」
「そうですか……」

 なんとなく寂しさを感じてしまうのは、アンドレの気のせいではないだろう。この別邸が建ってからここまで1ヶ月ほどの短い期間だったが、久々にレティシアが身近にいる日々は、存外に楽しかったのだと否応なく気付かされる。

「寂しくなりますな」
「おや、ブザンソン卿もそうお思いで?」
「も、というと?」
「なに、お嬢様がことのほかお寂しそうでいらっしゃるのでね」

 レティシアはあの事件以降、自覚が出てきたのか公私ともに、ごく親しい人の前でも常に気を抜かず、公女としての振る舞いを崩さなくなったという。だがそれでもまだ12歳の彼女のことだから、普段から側仕えしてきた伯爵夫妻を始めとする使用人たちには彼女が寂しがっていると見て取れるらしい。
 一度だけでも顔を見せてやれれば、どんなにか彼女を元気づけられるだろう。自惚れとも取られかねないが、彼女は必ず喜んでくれるとアンドレは思っている。ただアンドレに会わせないというのも今回のことでのレティシアへの処罰に含まれているので、会うことは叶わないとアンドレも分かっている。
 そして、だからこそ今日この別邸に呼ばれたのだということも、アンドレは理解していた。

「お嬢様によろしくお伝え下さい」
「承りましょう。⸺して、なんと?」

 アンドレが座る応接間のソファは、彼の体重を受け止めてなお小揺るぎもしない。玄関扉を含めて応接間に入るまでに潜ったどの扉も、アンドレが屈まなくてよいだけの高さが確保されていた。もちろん廊下やエントランスホールの天井は高く幅も充分な広さがあり、故郷の実家以来久々に、アンドレは背を伸ばして屋内でリラックスできていた。
 今回試せていないが、おそらくは階段もアンドレの体重に合わせて頑丈に造ってあるのだろう。食堂のテーブルも椅子も、そして客間のベッドさえも同様のはずだ。

 そう、この別邸は最初からアンドレを招くことを想定して設計されているのだ。ノルマンド家の首都公邸に招かれたあの時、応接室やサロンの扉を通るたびにアンドレがわずかに背を屈めていたことをレティシアはずっと憶えていてくれたのだろう。そしてそのことを、アルドワン伯爵はアンドレに伝えたかったのだ。
 この別邸にはアンドレへのレティシアの気遣いと愛が溢れている。公共のカフェや居酒屋ブラスリーでさえ背を伸ばせば天井に頭が届きそうになり、椅子に座れば確実に壊すアンドレである。住んでいる騎士長屋ででさえ常に身を屈めて生活しているし、行きつけの酒場がアンドレ専用に改修強化されているのは、セーの街では有名な話である。
 そんなアンドレだからこそ、この別邸のどこにもことにすぐに気付いたのだ。

「たとえ離れていても、会えずとも、私の心は常にお嬢様……いえレティシア様とともにある、と」
「確かに、お伝え致しましょう」
「貴女様から受けた恩愛を、1日たりとも忘れたことはございません、と」
「はは、お嬢様がお喜びになるお姿が目に浮かびますな」





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