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【レティシア12歳】
052.平穏な日々
しおりを挟むその後、しばし談笑して茶と菓子を振る舞われてから、アンドレは別邸を辞去した。
門扉を通って敷地から出る前に、アンドレは今一度別邸を振り返る。レティシアとはそのうちまた顔を合わせる機会があると確信しているが、彼女からの愛が詰まったこの別邸を訪れる機会は、おそらくもう二度とないだろう。半年経って年が明ければ彼女は大学へ入学する。それがルテティア国立学園にしろ賢者の学院にしろ、全寮制なので三年間は彼女も寮住まいになる。
そして16歳になって卒業すれば、成人した貴族令嬢として彼女は首都公邸で過ごすことになる。女主人のいない首都公邸で、彼女が亡き母に代わってその役目を果たすことになるはずだ。
つまり、レティシアがこの別邸に住むことはもう二度とないのだ。時折避暑に立ち寄ることくらいはあるかも知れないが。
そのことに少しだけ寂しさを感じ、後ろ髪をひかれつつも、アンドレはゆっくりとした足取りで別邸を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
セーの街には以前のような平穏が戻ってきた。
レティシアの別邸はすでにアルドワン伯爵夫妻も残った使用人たちも退去して、今は住み込みの管理人の老夫婦がいるだけだ。元はノルマンド公爵家の領都本邸で庭師をしていた老人と、侍女を務めていた老婆の夫妻だとアンドレは聞いている。
他に、月に一度ほどノルマンド家の使用人たちが派遣されてきて邸内の掃除を手伝っているようだが、彼らは基本的には街へは降りてこないため、別邸は外観以外にセーの街での存在感をなくしていた。
暑季を過ぎ、稔季になってもセーの街は平穏なままだった。部分的に焼失したエールスの森の生態系も少しずつ落ち着いてきて、だからエールスの湖周辺も稔季の半ばには再び市民に開放された。
だが市民たちが湖を訪れるのは騎士団の巡回がある日中だけで、それまで時折いた夜釣りを楽しむ市民はいない。夜も含めて完全に元通りになるのは来年か、再来年か、いずれにせよもう少し先のことになるだろう。
アンドレは中隊長に昇格した。それまで三人いた中隊長のうち、年齢を理由にお役御免を願い出た最年長の中隊長と入れ替わりの形になった。
アンドレの麾下に入った小隊は三隊。ジャックの小隊とアランの小隊、そしてアンドレが抜けたあとリュカが新たに小隊長となった元アンドレ小隊である。
「よろしくお願い致します中隊長」
「おう、よろしくな」
アランはすっかり小隊長としての格が身についてきて、この先の昇進も危なげなさそうである。まあ元が子爵家の次男なので、兄に万が一のことがあれば生家へ戻ってしまうかも知れないが、そこはそれ。
「しっかしお前の部下になる日が来るとはねえ」
「一応上司だからな?」
「わーかってるよ」
ジャックは相変わらずである。だがアンドレとしても地位の差を理由に態度を改められても困るので、この方が好ましい。
「僕を小隊長に推したの、中隊長でしょう?」
「そうだが?なんだ、嫌なのか?」
「嫌ですよ~もう、面倒くさい」
そしてリュカも悪い意味で変わらなかった。伯爵家の四男として、それまで地位や責任とは無縁の人生を歩んできたであろう彼は、責任ある地位に就くのを昔から嫌がっていた。
「残念だが諦めろ。伯爵家の世子が、そういつまでも無役でいられるはずがないだろ」
「もう何かって言うとみんなすぐそれだ。こんな事なら、さっさと実家に離籍しといてもらえばよかった」
離籍して平民になろうが同じことである。リュカの父はボードレール伯爵、つまりこの西方騎士団の副騎士団長なのだから、騎士団にいる限りはどうしたって誰もがそういう扱いになる。
レティシアからはあのあと、アンドレにはなんの便りもないが、アンドレはそれを特に気にも留めなかった。関心がないのではなく、きっと彼女なら元気に淑女教育に励んでいるだろうと信じているからである。
それでも何かにつけて、彼女の噂は耳に入る。王位継承権持ちの子女を集めての前お披露目が開かれて、そこで見事な立ち居振る舞いを披露しただとか、その容姿や所作の見事さから早速“至高の淑女”と呼ばれて社交界の噂になっているだとか。
ガリオン王国を代表する形で、アルヴァイオン大公国にある最難関大学〈賢者の学院〉へ留学する事が決まったという話も聞こえてきた。
なんでも、同い年の第二王子シャルルが合格ラインに届く学力を示せなかったらしく、それに合わせる形で彼の婚約者にして才媛と名高いアクイタニア公女ブランディーヌ嬢まで受験を辞退したらしい。王家王族ならびにもうひとつの公爵家であるロタール公爵家には今年の受験に臨める子女が他にいないそうで、レティシアが受験しなければロベール王家の面目を潰すことになるのだとか。
ただ、レティシアが受験するのは〈賢者の学院〉の3つの塔のひとつ“知識の塔”であるらしい。王侯貴族や勇者候補を育成し、帝王学を含めた“力”の扱いを学ぶ力の塔ではなく、魔術と学術を究める知識の塔を受験するということは、とりもなおさずレティシアが王位を継承する可能性を放棄するに等しい。学究を目指すのは本人の意向であるとのことだが、アンドレには却って彼女らしいと思えた。
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※貴族子弟の敬称や季節、月の名称などお忘れの場合は、『世界観説明&用語解説』の項を参照願います。
※シャルル、ブランディーヌなど拙作『王子妃教育1日無料体験実施中!』のメインキャストの名がチラホラ出てますが、同じ国の同時期の同世代の話なので今後も密接にリンクします。『王子妃教育~』ではこちらの話のこの先の(だいぶ先の)ネタバレも含みますので、未読の方はご注意を。読んでおいてこちらでの展開と経過を楽しむのも、それはそれでアリかと思います。
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