けじめをつけさせられた男

杜野秋人

文字の大きさ
6 / 6
【裏編】(2024/10/22追加)

ヒルデガルトの悔恨

しおりを挟む


「…………そう。あの人、死んだのね」

 報告を聞いて、出てきた感想はそれだけでした。
 かつての婚約者。公爵家の次男で、わたくしの侯爵家に婿養子に入ってくれるはずだった、彼。
 そしてあろうことか、嫡女のわたくしではなく、我が家の猶子ゆうしを選んで人生を踏み外した愚かな男。
 自分の夫となるはずだった男の哀れな最期を聞いても、わたくしの心は凪いだままでした。

「ずいぶんと、コメントが薄いね?」

 向かいあって座る彼が、ニヤニヤしながらそんなことを仰います。

「……そうかしら?」
「だって一度は婚約して、将来を誓いあった相手だろう?そんな男が死んだというのに、君は悼む言葉のひとつも言わないじゃないか」

「悼む必要が、あったのかしら……?」

 5年に及ぶ婚約期間中、これでもそれなりに寄り添う努力はしてきたつもりでした。ですが侯爵家の後継教育が大変だったのと、学舎に入学してからは成績維持のための予習や復習が忙しくなったこともあり、彼との交流は定例のお茶会くらいしか時間が取れなかったのも事実です。
 それでも婚約者に対する当然の礼儀として、折々の信書や時候の挨拶は欠かしませんでしたし、誕生日をはじめ記念日に贈るプレゼントも、彼の公爵家への定期訪問も怠らないよう努めました。彼の父である公爵閣下は冷徹な仕事人間として有名だったから会う時はいつも緊張しておりましたし、彼の母である公爵夫人は王妃様とともに社交界のトップに立つ方で、少しのマナーのミスも見逃してはもらえませんでした。
 ⸺でも、ああ、そうね。公爵閣下お義父さま公爵夫人お義母さまの歓心を買うことに腐心するあまり、わたくしも彼のことをちゃんとよく見ていなかったのかも知れないわ。

 彼はわたくしをよく遊びに誘ってくれました。それは今にして思えば、後継教育と学舎の勉学で余裕のなかったわたくしに、気分転換をさせてあげようという配慮だったのかも知れません。けれど婚約した当初に何度かそうして連れ出された街では彼の行きたいところ、見たい場所やもののために連れ回されるだけでちっとも楽しくなかったから、特に学舎に入学して以降は基本的にお断りしていたのよね。
 それを不満に思っているのは態度で分かっていたのだけれど、わたくしはゆくゆくは侯爵位を継がねばならないひとり娘だもの。のんびり遊んでいる暇などなかったのです。
 けれど、何度説明しても結局、彼は理解を示してくれることはありませんでした。

 そうして彼は、いつかのお茶会に乱入者してきた我が家の猶子ウルドと出会い、わたくしの知らない間に彼女と仲良くなっておりました。
 そのウルドの言葉を鵜呑みにして、公爵ちちおやに相談することも侯爵わたくしの父に確認することもなく、ある日突然公爵家に呼びつけた上で一方的に婚約破棄を宣言して、そしてわたくしを追い払ったのよね。

「まあ一方的に蔑ろにされた君の憤懣ふんまんは分からなくもないが」

 蔑ろにされた……そうね、割と早くからわたくしに不満をお持ちだったようですしね。

「それだけではないわ。あの人は多くの貴族家や王家まで絡む国家事業の提携を、わたくしが気に食わないという理由だけで、のよ」

 わたくしが気に入らないのなら、わたくしと夫婦になりたくないのならもっと早く、もっと違う形でそれを公爵閣下にお伝えすれば良かったのに。閣下は仕事に対しては冷徹だけれど家族への情はきちんとお持ちの方だったのだから、正直に打ち明ければどうにでもして下さったはずですのに。

「彼にそんな気を使うだけの知性があったとは思えないな」

 そう言われると、わたくしも言い返せませんけれども。何度伝えてもわたくしが公爵家の嫁になるのだと、妻は夫に従うべきだと頑なに言い張って、話を聞こうともなさらなかったのですから。
 貴方の役割はわたくしの婿として侯爵家に入り、両家の縁を繋いで侯爵家の跡継ぎを儲けることだと、最初からずっと聞かされていたはずですのにね。ウルドのことも、我が家で保護しているだけの猶子に過ぎず相続権を得られる養子ではないのだというのに、ずっとわたくしの義妹いもうとだと勘違いしていましたしね。

 ……ああ、もしかしてそれもご不満だったのかしらね。公爵家は優秀な兄君がお継ぎになるし、侯爵家の跡継ぎはあくまでもわたくしで、どちらの家も継げずなんの期待もされない、ただの入婿の立場が我慢ならなかったのかも。
 でも、だからといって猶子のウルドに手を出したところで、わたくしの代わりにはならないというのにね。そういえばあの子、今回のことで猶子縁組を解消されて公爵閣下に引き渡されたままそれっきりだけれど、今頃どこでどうしているのかしら。知らなくていいとは言われているけれど、やっぱり慰謝料支払いのために働かされている……のよね?

「だがまあ、彼がやらかしてくれたおかげで私は貴女を手に入れられたのだから、その点に関しては感謝しているがね」
「まあそこは。わたくしも彼よりは貴方のほうがよほど好ましいですし」
「そう言ってくれて嬉しいよ」

 彼が公爵閣下にわたくしとの婚約破棄を告げたあと、わたくしが邸に戻ってそう経たないうちに公爵家の家令であるマクシム卿が我が家にいらして、わたくしも同席させて頂いた上で侯爵おとうさまとの話し合いが持たれました。わたくしたちの婚約は、公爵家の有責として慰謝料は侯爵家の要求を全て呑む、その上で今回の提携を壊さぬ形で新たな縁談をまとめるよう助力を惜しまないと、侯爵家わがやとしては破格の条件での示談を提示されたのです。
 そこまでの誠意を見せられれば、こちらとしても事を荒立てるつもりもありません。公爵家への賠償請求はなし、ただ口約束だけで手打ちにするわけにもいきませんから彼本人に白金貨フィオーラ200枚分の慰謝料請求、そして公爵家縁戚の伯爵家から新たに婿養子を迎えるということで、父は話をつけました。
 公爵家を除籍されることになる彼に白金貨200枚もの賠償はきっと払えませんから、父もそれは分かっていたでしょう。彼が真摯に反省して態度を改めるようなら、事業の一部を任せてみる事も検討するとのことでした。そうすればわたくしへの慰謝料も回収の目処が立ちますし、提携事業に彼本人の業績が加われば公爵家の体面も保てたはずでした。


 だというのに彼は、除籍され追放されたことに絶望してろくに働くこともしないまま、無為に3ヶ月を過ごした上で先日、凍死体となって発見されました。


 彼に公爵家から与えられた労働者長屋は誰に貸し出されることもなく、公爵閣下が餞別として彼に残してあげた資産のほとんどは盗まれ奪われて、発見時には着衣と大きなベッドひとつしか残っていなかったそうです。
 発見したのは公爵家が監視としてつけていた諜報員で、侯爵家わがやの情報員も現場を確認しています。具体的な最期の様子は聞かされておりませんけれども、すっかり朝晩の冷え込むようになったこの季節に、マットレスさえ失くなったベッドで丸まっていたそうですから、さぞかし寒かったことでしょう。
 彼が亡くなったことで、彼の血筋を担保にかけられていた保険から死亡金が支払われるとのこと。彼に請求した慰謝料の半額はそれで戻ってくるだろうとのことでした。

「…………やっぱり、悼む気持ちは持てないわ」
「うーん、そうか」

「……何か言いたそうね?」
「私は君のそういうところも好ましいと感じているのだけれどね。人によってはやはり、冷酷だと言われかねないなと思ってね」

 わたくしのことを冷たい女だと仰る方々がおられるのは知っています。学舎に在籍していた頃は『氷の淑女』などと揶揄されておりましたしね。
 いいのです。淑女とは人前では常に仮面をつけるもの。淑女の微笑アルカイックスマイルで隠しておけば、それで済むのですから。

「ヒルデガルト」

 不意に彼が立ち上がり、わたくしの側まで歩み寄りました。何事かと顔を上げると、彼はわたくしの頭をそっと優しくひと撫でしてから、わたくしを胸元に抱き寄せました。
 いくら婚約者とはいえ、そして侯爵邸わがやのテラスだとはいえ、婚姻が成立するまでは男女の距離は適切に取って頂きたいもの。そう思って抗議しようとしたわたくしの頭上に、彼の声がふわりと舞い降りました。

「いいんだよ。今なら誰にも見られない。私が隠してあげるから」

 一瞬、意味が分からなくて。
 でも一度気付いてしまえば、それはもう止まらなくて。

「う……ふぅ……っ、うぅう……っ」

 彼の服がシワになるのも構わずに、握りしめて縋り付きました。そうしてわたくしは彼の胸に顔を押し付けて。震える肩に回された彼の腕が、とてもとても暖かくて。

 わたくしが落ち着くまで、彼は約束通り隠し通して下さいました。





しおりを挟む
感想 3

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(3件)

けいと
2022.06.29 けいと

スッキリ爽快で面白かったです!
素敵な作品をありがとうございました(^^)

2022.06.29 杜野秋人

感想ありがとうございます。

おバカな婚約破棄をした側の家の視点で書いてみました( ̄∀ ̄)

解除
江戸川ばた散歩

本当にアルファにもヒューマンドラマ欲しいです。
でもそうするとアルファの大半の恋愛がが実は純粋なそれではなかったことがわかるんでは。

2022.06.28 杜野秋人

ですよねー( ̄∀ ̄;

キャラ文芸がそれっぽいのかなあ、とか思ってますけど、なんかジャンル説明見てたら異世界物は弾かれるらしくって…(・ω・`)



ていうかまあ、恋愛そのものが「人間のドラマ」ではあるんで…(^_^;

解除
UR10k
2022.06.27 UR10k

初めまして。

杜野さんの作品は結構楽しみに読んでる物が多いのですが、感想は他の方に対しても余り書かないものでして。

頑張ってください、更新楽しみにしています!

2022.06.27 杜野秋人

感想ありがとうございます。


あ、いえいえ。なんか感想を強要しちゃったみたいになっちゃってすいません。ただ読者さんからの反応が何もないと、書いてる方としては手応えがなくて(^_^;
他の方の作品でランキング上位のものとか感想だけで数百あったりしますからね。そういうのもちょっと羨ましいというか。

まあ単にそれだけの話ですので、お気になさらず!(笑)

解除

あなたにおすすめの小説

お姉様から婚約者を奪い取ってみたかったの♪そう言って妹は笑っているけれど笑っていられるのも今のうちです

山葵
恋愛
お父様から執務室に呼ばれた。 「ミシェル…ビルダー侯爵家からご子息の婚約者をミシェルからリシェルに換えたいと言ってきた」 「まぁそれは本当ですか?」 「すまないがミシェルではなくリシェルをビルダー侯爵家に嫁がせる」 「畏まりました」 部屋を出ると妹のリシェルが意地悪い笑顔をして待っていた。 「いつもチヤホヤされるお姉様から何かを奪ってみたかったの。だから婚約者のスタイン様を奪う事にしたのよ。スタイン様と結婚できなくて残念ね♪」 残念?いえいえスタイン様なんて熨斗付けてリシェルにあげるわ!

婚約破棄ですか? では、最後に一言申しあげます。

にのまえ
恋愛
今宵の舞踏会で婚約破棄を言い渡されました。

婚約者から婚約破棄のお話がありました。

もふっとしたクリームパン
恋愛
「……私との婚約を破棄されたいと? 急なお話ですわね」女主人公視点の語り口で話は進みます。*世界観や設定はふわっとしてます。*何番煎じ、よくあるざまぁ話で、書きたいとこだけ書きました。*カクヨム様にも投稿しています。*前編と後編で完結。

悪役令嬢に相応しいエンディング

無色
恋愛
 月の光のように美しく気高い、公爵令嬢ルナティア=ミューラー。  ある日彼女は卒業パーティーで、王子アイベックに国外追放を告げられる。  さらには平民上がりの令嬢ナージャと婚約を宣言した。  ナージャはルナティアの悪い評判をアイベックに吹聴し、彼女を貶めたのだ。  だが彼らは愚かにも知らなかった。  ルナティアには、ミューラー家には、貴族の令嬢たちしか知らない裏の顔があるということを。  そして、待ち受けるエンディングを。

婚約破棄?何を言ってるの?

榎夜
恋愛
「アリア・ヴィッカーナ!貴様のティアに対する非道な行いはもう耐えられん!よって、婚約を破棄する!!」 あらまぁ...何を言ってるのやら ー全7話ー

王太子から婚約破棄……さぁ始まりました! 制限時間は1時間 皆様……今までの恨みを晴らす時です!

Ryo-k
恋愛
王太子が婚約破棄したので、1時間限定でボコボコにできるわ♪ ……今までの鬱憤、晴らして差し上げましょう!!

嘘からこうして婚約破棄は成された

桜梅花 空木
恋愛
自分だったらこうするなぁと。

まさか、今更婚約破棄……ですか?

灯倉日鈴(合歓鈴)
恋愛
チャールストン伯爵家はエンバー伯爵家との家業の繋がりから、お互いの子供を結婚させる約束をしていた。 エンバー家の長男ロバートは、許嫁であるチャールストン家の長女オリビアのことがとにかく気に入らなかった。 なので、卒業パーティーの夜、他の女性と一緒にいるところを見せつけ、派手に恥を掻かせて婚約破棄しようと画策したが……!? 色々こじらせた男の結末。 数話で終わる予定です。 ※タイトル変更しました。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。