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第六話 ギルバートの願い
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部屋から先に退出したメリアーナの執事ギルバートは、外れにある別館にいた。
先々代のフラナド伯爵夫妻が使用していた館で、誰も住まなくなってからかなりの時間が経過しており、ボロボロになっていたのを改修し増築も行った。
元使用人たちから、祖母を毛嫌いしていた伯爵はこの館に近付こうともしないと聞いている。
領地各地に派遣されたベルシュタイン侯爵家に仕える者たちが密かに報告するための場所でもあった。
広い元執務室の壁の一角にはフラナド伯爵領の地図が貼られており、この地図で人の流れを研究するのにも使われた。
たくさんの赤色のピンが元使用人の居場所だった箇所を表わし、白色のピンは土壌研究者、黄色のピンは酪農・放牧経験者を指している。が、黄色のピンは既に三年が経過し、数は少なかった。
本館と別館の間には背の高い木を植林し、意図的に人工林にしたあとは完全に視界を遮る役割を果たしている。
視覚障害の魔導具も設置されていて、人工林に入る際に特定の言葉を唱えないと同じような景色が続き、館には辿り着けずいつの間にか元の場所に戻るようになっている。
更地にしたかつて中庭だった場所には、出発直前の馬車がずらりと整列していて、馬丁が馬の世話に忙しい。館とその周囲の小屋に貯蔵された大量の食料と飼い葉、樽や桶の積み込みを、従者たちが下男に指示しながら進めていく。
この別館で一番特筆すべきは、大広間の床全面に描かれている移動魔法陣の存在だろう。
二階部分が吹き抜けになっている大広間の窓という窓は全て潰され、馬車を丸ごと屋外に移動出来るように巨大な両開きの扉がある。
ギルバートは移動魔法陣を自身の魔力で起動させると、繋がっている魔塔へと飛んだ。
通信が届く距離になったのを見計らい、片耳に装着した通信用の魔導具で、メリアーナが離縁を申し渡されたこと、彼女が帰還することを伝えた。フラナド領の者だけでは足りていない御者の要請を同時に行う。
騎兵の選定は城の家令に任せてある。城住みの騎士たちも三年ぶりのメリアーナの帰還となれば、こぞって参加したがるに違いない。
魔塔へは限られた者しか入ることが出来ないため、ベルシュタイン城にある移動魔法陣へ魔力を込めに、魔塔に住む大半の魔導士が向かった。
滅多に魔塔を出ることのない魔導士が、たった一人の女性に尽力するのは何故なのか。
それは魔導士たちが、ベルシュタイン侯爵家門にかつて保護されたからに他ならない。
遺跡となっていた魔塔を復活させたのは、ベルシュタイン小侯爵と呼ばれるメリアーナの兄である。
ベルシュタイン侯爵領は魔素量が多く、生まれつき魔力を多く持つ子が生まれやすい。
常に暴走しがちな魔力の扱いに悩み怯える子等を保護する場所として、魔塔の封印を解き復活させたのである。
魔塔で魔力の研究を続けている魔導士たちは、手厚く庇護してくれている侯爵家門への恩を決して忘れない。
人を数人移動させるだけでも相当な魔力量を必要とする。
魔塔に残る魔導士たちが総出で魔法陣に魔力を込めていく。彼らはこれから短時間で魔力を込めることで、酷い頭痛を経験することになるだろう。
ギルバートは、数名の魔導士と共に床に描かれた魔法陣の上に立つと、移動魔法陣に魔力が満ちるのをじりじりしながら待つ。
感情を消し、表情には出ないよう努めているが、メリアーナのことを思うと焦りと怒りの感情が今にも溢れそうだった。
辛い思いをしていることだろう。そんな時に離れなくてはならなかったのがもどかしい。
うまく事を運ぶため、護衛騎士のガルディも退室させたに違いない。
彼女を敵視する者たちの中、同志の書記らを守りつつ、たった一人で対峙している姿を想う。
"メリアーナ・フラナド伯爵夫人"は"メリアーナ・ベルシュタイン侯爵令嬢"となり、三度目の出戻りとなる。
正確には離婚証明書類が王城に到着し、国王が許可するまでは正式な離婚とならないため、未だフラナド伯爵夫人のままである。
離婚が成立しないとどうなるのか。
最悪なのは存在を葬られることだろう。
三年の間、愛人のジゼルが正妻の座を狙うよう誘導してきたので、可能性は低いだろうが──
妻の肩書きのまま監禁され、粗末な食事と引き換えに執務を無理矢理行わされる人生もありうる。
表向き病死とされ、秘密裡に飼い殺しにされる可能性もまだ残っている。
移動魔法陣にびっしり描かれた言の葉全てに光が灯った。
魔力が満ちた合図だ。
移動の瞬間、脳裏に浮かんだ最愛の女性の姿が、眩暈のせいで揺らいで思わず目を閉じる。
今まで静観してきたのは、彼女が好きなことに全力で取り組むのを眺めることが、自分にとって何よりも代えがたく至上だったからこそ。
彼女の心はいつも彼女のものだった。
紙切れ一枚の契約に過ぎないと、二度目の婚姻まではそう思っていたのだが──
彼女の三度目の婚姻で時が満ち、自分の身分でも彼女を満足させることの出来る唯一の方法が可能になった。
必ず離婚は成立させる。だからそれまでは……
あまり一人で抱え込まないでくれないか──
これ以上無茶をされると心が砕けそうだ……
彼女を閉じ込め監禁し永遠に二人だけの世界で生きていけたらどんなにか……
遊び相手として初めて出会った十歳の時から狂気は続いている。
きっと永遠に続くのだろう。
自分が相当歪んでいることを自覚している。
妄執を振るわず踏み止まれたのは、彼女の輝く笑顔を見てきたからこそ。
どうかお願いだ……
私が戻るまで何事もなく無事でいてくれ──
先々代のフラナド伯爵夫妻が使用していた館で、誰も住まなくなってからかなりの時間が経過しており、ボロボロになっていたのを改修し増築も行った。
元使用人たちから、祖母を毛嫌いしていた伯爵はこの館に近付こうともしないと聞いている。
領地各地に派遣されたベルシュタイン侯爵家に仕える者たちが密かに報告するための場所でもあった。
広い元執務室の壁の一角にはフラナド伯爵領の地図が貼られており、この地図で人の流れを研究するのにも使われた。
たくさんの赤色のピンが元使用人の居場所だった箇所を表わし、白色のピンは土壌研究者、黄色のピンは酪農・放牧経験者を指している。が、黄色のピンは既に三年が経過し、数は少なかった。
本館と別館の間には背の高い木を植林し、意図的に人工林にしたあとは完全に視界を遮る役割を果たしている。
視覚障害の魔導具も設置されていて、人工林に入る際に特定の言葉を唱えないと同じような景色が続き、館には辿り着けずいつの間にか元の場所に戻るようになっている。
更地にしたかつて中庭だった場所には、出発直前の馬車がずらりと整列していて、馬丁が馬の世話に忙しい。館とその周囲の小屋に貯蔵された大量の食料と飼い葉、樽や桶の積み込みを、従者たちが下男に指示しながら進めていく。
この別館で一番特筆すべきは、大広間の床全面に描かれている移動魔法陣の存在だろう。
二階部分が吹き抜けになっている大広間の窓という窓は全て潰され、馬車を丸ごと屋外に移動出来るように巨大な両開きの扉がある。
ギルバートは移動魔法陣を自身の魔力で起動させると、繋がっている魔塔へと飛んだ。
通信が届く距離になったのを見計らい、片耳に装着した通信用の魔導具で、メリアーナが離縁を申し渡されたこと、彼女が帰還することを伝えた。フラナド領の者だけでは足りていない御者の要請を同時に行う。
騎兵の選定は城の家令に任せてある。城住みの騎士たちも三年ぶりのメリアーナの帰還となれば、こぞって参加したがるに違いない。
魔塔へは限られた者しか入ることが出来ないため、ベルシュタイン城にある移動魔法陣へ魔力を込めに、魔塔に住む大半の魔導士が向かった。
滅多に魔塔を出ることのない魔導士が、たった一人の女性に尽力するのは何故なのか。
それは魔導士たちが、ベルシュタイン侯爵家門にかつて保護されたからに他ならない。
遺跡となっていた魔塔を復活させたのは、ベルシュタイン小侯爵と呼ばれるメリアーナの兄である。
ベルシュタイン侯爵領は魔素量が多く、生まれつき魔力を多く持つ子が生まれやすい。
常に暴走しがちな魔力の扱いに悩み怯える子等を保護する場所として、魔塔の封印を解き復活させたのである。
魔塔で魔力の研究を続けている魔導士たちは、手厚く庇護してくれている侯爵家門への恩を決して忘れない。
人を数人移動させるだけでも相当な魔力量を必要とする。
魔塔に残る魔導士たちが総出で魔法陣に魔力を込めていく。彼らはこれから短時間で魔力を込めることで、酷い頭痛を経験することになるだろう。
ギルバートは、数名の魔導士と共に床に描かれた魔法陣の上に立つと、移動魔法陣に魔力が満ちるのをじりじりしながら待つ。
感情を消し、表情には出ないよう努めているが、メリアーナのことを思うと焦りと怒りの感情が今にも溢れそうだった。
辛い思いをしていることだろう。そんな時に離れなくてはならなかったのがもどかしい。
うまく事を運ぶため、護衛騎士のガルディも退室させたに違いない。
彼女を敵視する者たちの中、同志の書記らを守りつつ、たった一人で対峙している姿を想う。
"メリアーナ・フラナド伯爵夫人"は"メリアーナ・ベルシュタイン侯爵令嬢"となり、三度目の出戻りとなる。
正確には離婚証明書類が王城に到着し、国王が許可するまでは正式な離婚とならないため、未だフラナド伯爵夫人のままである。
離婚が成立しないとどうなるのか。
最悪なのは存在を葬られることだろう。
三年の間、愛人のジゼルが正妻の座を狙うよう誘導してきたので、可能性は低いだろうが──
妻の肩書きのまま監禁され、粗末な食事と引き換えに執務を無理矢理行わされる人生もありうる。
表向き病死とされ、秘密裡に飼い殺しにされる可能性もまだ残っている。
移動魔法陣にびっしり描かれた言の葉全てに光が灯った。
魔力が満ちた合図だ。
移動の瞬間、脳裏に浮かんだ最愛の女性の姿が、眩暈のせいで揺らいで思わず目を閉じる。
今まで静観してきたのは、彼女が好きなことに全力で取り組むのを眺めることが、自分にとって何よりも代えがたく至上だったからこそ。
彼女の心はいつも彼女のものだった。
紙切れ一枚の契約に過ぎないと、二度目の婚姻まではそう思っていたのだが──
彼女の三度目の婚姻で時が満ち、自分の身分でも彼女を満足させることの出来る唯一の方法が可能になった。
必ず離婚は成立させる。だからそれまでは……
あまり一人で抱え込まないでくれないか──
これ以上無茶をされると心が砕けそうだ……
彼女を閉じ込め監禁し永遠に二人だけの世界で生きていけたらどんなにか……
遊び相手として初めて出会った十歳の時から狂気は続いている。
きっと永遠に続くのだろう。
自分が相当歪んでいることを自覚している。
妄執を振るわず踏み止まれたのは、彼女の輝く笑顔を見てきたからこそ。
どうかお願いだ……
私が戻るまで何事もなく無事でいてくれ──
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