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第七話 メリアーナの最も長い五日間が始まる
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◇ ◇ ◇
同時刻、フラナド伯爵の領主館はにわかに騒がしくなり、住み込みの者たちが一斉に移動する準備を始めた。
書記とその部下たちも執務室を退室し足早に移動する。
まだ執務室の一行はメリアーナが一人で注意を引き付けている最中だ。
最も重要な書類は大事にしまい込み、真っ先に書記は別館に向かう。
事前の打ち合わせ通り、王城までの早馬に離婚証明書類を手渡すと、荷物をまとめに自室に戻る。生まれ育った故郷を見限ることに後悔は無い。尽くしても尽くしても、相手が必ずしも同じ思いを返してくれることは無いのだと既に知っていたからだ。
メリアーナが執務室から退室し別館に移動すると、早馬が出立したことを知らされる。
今のところ伯爵は離縁の方向で動いていて、侯爵家の令嬢という身分が盾となる。だが自分だけ助かればいいわけではない。
同時にメリアーナには、この三年の間共に過ごした、フラナド伯爵領の身分なき者たちに対する雇用主としての責任があった。
ベルシュタインに移動するという彼らの意思は確認済みであり、ベルシュタイン城まで一人も欠けることなく共に帰還せねばならない。
もう一つの懸念──
執務を自分の代わりに行わせ、有益な駒として飼い殺しに出来ることに気が付いてしまえば、伯爵は離婚証明書を破棄すべく動き出すだろう。
そうなれば人知れず幽閉か。
ジゼルが思った以上に人道から外れることを厭わなければ、病死に見せかけた毒殺か。
どちらにしてもろくな未来にはならない。
妻は夫の所有物に過ぎないのだと痛感させられる。
非戦闘員の使用人たちを護衛しながらフラナド領を抜け、中立の小領地を一つ、ベルシュタイン領と友好同盟を結んでいる小領地を一つ通過したあと、侯爵に忠誠を誓った騎士たちが治める、村や町単位の土地をいくつか通り過ぎれば、荘園の広大な穀物畑が姿を現しベルシュタイン領地に入ったことが分かるだろう。
ベルシュタイン城に到着するまでに要する日数はおよそ四日間半。
一方、フラナド領主館を出立し、途中から替え馬有りの早馬で離婚証明書が王城に到達するのが最短で五日。それも中継地点まで今も移動しているであろう、替え馬たちと早馬に何事も無ければ、だが。
国王の印璽を頂き正式に離婚が認められるまで、メリアーナのこれまでの生涯で最も長い五日間が始まった。
移動の準備を始めるが、持ち物は多くない。
ドレスも必要ないし、動きやすく一人でも着替えられる服があれば十分だった。しかもメイドたちがテキパキと帰還の準備を進めてくれていた。
庭仕事用の服から、乗馬も可能な女性用の騎士服への着替えを侍女頭が手伝ってくれ、帯剣するための腰ベルトを装着しながら、メイドたちに話しかける。
「ねえみんなの用意もあるでしょう? わたくしは必要最低限でいいのよ? 何日も野営することになるでしょうし、長年この領にいたあなたたちのほうが持っていく物も多いと思うもの」
「大丈夫です! もうあらかじめみんな荷物はまとめてあったんです。この最後の荷物の移動が終わり次第わたしたちも残りの準備をしに行きますね」
荷物の移動が終わると、メイドたちは一斉にメリアーナに礼を取った。
「わたしたちは皆メリアーナ様に救われました。お給金をなかなか頂けなかったり、紹介状も頂けず解雇され、身を売る一歩手前まで堕ちていた子もいます。わたしたちに再び生きるすべを見出してくださったことを感謝しています」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。これからもよろしくお願いするわね。ベルシュタイン城までの道のりはそれなりにあるし、野宿だから大変だけれど皆でたどり着きましょう」
「はいっ」
メイドたちが立ち去ると、侍女頭のミランダが最後のかばんに荷物を詰め込んで、馬車に載せるように手配していく。
彼女だけはベルシュタインからメリアーナが連れてきたたった一人の侍女だ。親子二代で仕えてくれていて、母親は長旅を考慮して侯爵家に残してきている。
下手に情報が流れても困るので、フラナド領の貴族子女を雇うわけにはいかず、結局ここではミランダ以外の侍女を付けられなかった。
三年もの間全部彼女に任せてしまって申し訳なかったと思う。
「メリアーナさま、これでようやくベルシュタインに帰れますね!」
いつも明るいミランダに心が救われる。
「三年間ありがとう」
「全然ですよぅ! 侍女頭なんてすごい役職まで頂いちゃって。お給金ガッポガ……いえ失礼しました」
……ああ、こういう子だったわね。忘れてたわ。
同時刻、フラナド伯爵の領主館はにわかに騒がしくなり、住み込みの者たちが一斉に移動する準備を始めた。
書記とその部下たちも執務室を退室し足早に移動する。
まだ執務室の一行はメリアーナが一人で注意を引き付けている最中だ。
最も重要な書類は大事にしまい込み、真っ先に書記は別館に向かう。
事前の打ち合わせ通り、王城までの早馬に離婚証明書類を手渡すと、荷物をまとめに自室に戻る。生まれ育った故郷を見限ることに後悔は無い。尽くしても尽くしても、相手が必ずしも同じ思いを返してくれることは無いのだと既に知っていたからだ。
メリアーナが執務室から退室し別館に移動すると、早馬が出立したことを知らされる。
今のところ伯爵は離縁の方向で動いていて、侯爵家の令嬢という身分が盾となる。だが自分だけ助かればいいわけではない。
同時にメリアーナには、この三年の間共に過ごした、フラナド伯爵領の身分なき者たちに対する雇用主としての責任があった。
ベルシュタインに移動するという彼らの意思は確認済みであり、ベルシュタイン城まで一人も欠けることなく共に帰還せねばならない。
もう一つの懸念──
執務を自分の代わりに行わせ、有益な駒として飼い殺しに出来ることに気が付いてしまえば、伯爵は離婚証明書を破棄すべく動き出すだろう。
そうなれば人知れず幽閉か。
ジゼルが思った以上に人道から外れることを厭わなければ、病死に見せかけた毒殺か。
どちらにしてもろくな未来にはならない。
妻は夫の所有物に過ぎないのだと痛感させられる。
非戦闘員の使用人たちを護衛しながらフラナド領を抜け、中立の小領地を一つ、ベルシュタイン領と友好同盟を結んでいる小領地を一つ通過したあと、侯爵に忠誠を誓った騎士たちが治める、村や町単位の土地をいくつか通り過ぎれば、荘園の広大な穀物畑が姿を現しベルシュタイン領地に入ったことが分かるだろう。
ベルシュタイン城に到着するまでに要する日数はおよそ四日間半。
一方、フラナド領主館を出立し、途中から替え馬有りの早馬で離婚証明書が王城に到達するのが最短で五日。それも中継地点まで今も移動しているであろう、替え馬たちと早馬に何事も無ければ、だが。
国王の印璽を頂き正式に離婚が認められるまで、メリアーナのこれまでの生涯で最も長い五日間が始まった。
移動の準備を始めるが、持ち物は多くない。
ドレスも必要ないし、動きやすく一人でも着替えられる服があれば十分だった。しかもメイドたちがテキパキと帰還の準備を進めてくれていた。
庭仕事用の服から、乗馬も可能な女性用の騎士服への着替えを侍女頭が手伝ってくれ、帯剣するための腰ベルトを装着しながら、メイドたちに話しかける。
「ねえみんなの用意もあるでしょう? わたくしは必要最低限でいいのよ? 何日も野営することになるでしょうし、長年この領にいたあなたたちのほうが持っていく物も多いと思うもの」
「大丈夫です! もうあらかじめみんな荷物はまとめてあったんです。この最後の荷物の移動が終わり次第わたしたちも残りの準備をしに行きますね」
荷物の移動が終わると、メイドたちは一斉にメリアーナに礼を取った。
「わたしたちは皆メリアーナ様に救われました。お給金をなかなか頂けなかったり、紹介状も頂けず解雇され、身を売る一歩手前まで堕ちていた子もいます。わたしたちに再び生きるすべを見出してくださったことを感謝しています」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。これからもよろしくお願いするわね。ベルシュタイン城までの道のりはそれなりにあるし、野宿だから大変だけれど皆でたどり着きましょう」
「はいっ」
メイドたちが立ち去ると、侍女頭のミランダが最後のかばんに荷物を詰め込んで、馬車に載せるように手配していく。
彼女だけはベルシュタインからメリアーナが連れてきたたった一人の侍女だ。親子二代で仕えてくれていて、母親は長旅を考慮して侯爵家に残してきている。
下手に情報が流れても困るので、フラナド領の貴族子女を雇うわけにはいかず、結局ここではミランダ以外の侍女を付けられなかった。
三年もの間全部彼女に任せてしまって申し訳なかったと思う。
「メリアーナさま、これでようやくベルシュタインに帰れますね!」
いつも明るいミランダに心が救われる。
「三年間ありがとう」
「全然ですよぅ! 侍女頭なんてすごい役職まで頂いちゃって。お給金ガッポガ……いえ失礼しました」
……ああ、こういう子だったわね。忘れてたわ。
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