竜焔の騎士

時雨青葉

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第3章 さまよう心

涙に暮れる病室

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 カラリ、と静かに引き戸を開ける。


 真っ白な部屋。
 真っ白なカーテン。


 薬の香りが漂う無機質な部屋の中で、キリハは深い眠りについていた。


 どれくらいぶりに、この顔を見ることができたのだろう。
 ベッドの脇に置かれた椅子に腰かけ、サーシャは眠るキリハの頬にそっと手を添えた。


 キリハはピクリとも動かない。
 それでも頬に触れた手に伝わってくる体温と、生命維持装置が刻む一定リズムの電子音が、キリハがちゃんと生きていることを自分に教えてくれた。


 キリハの面会謝絶が解かれたのが三日前。
 それから今まで、我ながらよく我慢できたと思う。


 昨日までは、この病室には常に誰かがいる状況だった。
 ミゲルたちドラゴン殲滅部隊の面々やララたちなど、宮殿でキリハと関わっていた人々が、休憩時間の度にここを訪れていたから。


 皆、やりきれない表情で己の感情を押し殺していた。
 特別に面会が許されたメイやナスカ、エリクに至っては、突然突きつけられた現実に茫然としていたほどだ。


『竜騎士になんて、選ばれなければ…っ』


 真っ赤な目で涙を零しながら、ナスカはそう言った。
 そんなナスカをたしなめていたメイも、心のどこかではそう思っているに違いない。
 そして、悲しみに暮れる二人を見つめることしかできなかった自分自身も、やはりそう思わずにはいられないのだった。


 キリハが竜騎士に選ばれなければ、自分はこの温かくて愛しい人とは出逢えなかった。
 だから、この理不尽な運命の巡り合わせには感謝している。


 だがそんな気持ちも、今目の前にある現実には到底敵わない。


 竜騎士になんてならなければ、キリハは今頃、レイミヤで笑って過ごしていたことだろう。
 メイやナスカたちといった心温かな人たちに囲まれて、自分のことなど知らずに生きていたはずだ。


 そう思うと少し切なくなるが、こうしてキリハが死の淵に立たされるくらいなら、たとえ彼と出逢えなくても、その方が何倍もよかった。
 キリハは、こんなところで消えてもいい存在ではないはずだから。


「あなたの言葉は、まるで魔法ね……」


 ぽつりと呟く。


 分かっていたはずのことだった。
 こんな戦いを強いられる毎日の中で、本当ならいつ誰がこうなってもおかしくはなかった。
 むしろ、特に重傷者を出していなかった今までの方が奇跡だ。


 危険性は十分に知っていた。
 それなのに、不思議なほど皆笑って現場に向かい、強い心で剣を振ることができていた。


〝帰ったら何をしようか。〟


 当然のように笑って、キリハがそう言っていたからだ。
 これを魔法と呼ばずしてなんと呼ぼう。


「ねえ……キリハ……」


 小さく名を呼んで、サーシャはキリハの手を取った。


「みんな、あなたがいないとだめみたい。……ふふ、おかしいよね。あなたはこの中で一番年下で、本当なら私たちがあなたに頼られて、守ってあげなきゃいけないのに。」


 眉を下げてサーシャは笑う。


 こんな状況になって痛感する。
 自分たちは、明るくて優しいキリハの背に、何もかもを預けすぎていたのだと。


 ドラゴンにとどめを刺す責任と義務も、皆の精神状況を左右するほどの影響力も、キリハは苦にすることなく平然と背負っていた。


 キリハのことだ。
 自分の背にそんなものが乗っかっているなんて、気づいてもいなかったに違いない。


 だからこそ、傍にいる誰かが気づいてあげないといけなかったのだ。


 キリハが無自覚で、相当な無理をしていたことに。
 そして、無理をさせているのが自分たちであることに。


 今思い返せば、明らかじゃないか。
 キリハが目に見えて落ち込み始めた頃から、それに引きずられるようにして、宮殿の空気もびついていたのだから。


「ごめんね、キリハ。でも……」


 キリハの手を両手で包み、サーシャは祈るようにそこへ額をつけた。


「私、弱いよね。これ以上、あなたに寄りかかっちゃいけないって思ってるのに……やっぱり、だめなの。あなたの笑顔が見たい。あなたと話したいよ……」


 ずっとこらえていた涙が双眸からあふれてしまい、サーシャはベッドの上に顔をうずめた。


 我慢していたけれど、やはり無理だった。
 こんなキリハを前にして、平常心を保ってなどいられない。


 寂しい。
 苦しい。


 どんなに語りかけても、少し高めの明るい声が返ってこない。
 どんなに塞ぎ込んで弱気になっても、優しい手で頭をなでてもらえない。
 どんなに笑いかけても、あの花のような笑顔を見ることができない。


 つらくてたまらない。
 だめだと思うほど、キリハを求める自分の心を止められなくなる。


「キリハ……帰ってきてよぉ…っ」


 ずっと言うまいと抑えていた本音が零れてしまう。


 こうなると思っていた。
 だから、キリハと二人きりになれるタイミングが来るまではと、会いに行きたい衝動を必死にこらえたのだ。


 不安なのは皆同じなのに、自分だけがいつまでも泣いていられない。
 少なくとも、他の人の前では泣けないと思っていた。
 今こうやって泣いてしまうのも、本当はよくないと思う。


 でも、どうせ誰も見ていないのなら、今だけはこの胸にすがりついたっていいではないか……


「うっ……ひっく……」


 押し殺しても抑えられない嗚咽おえつが小さく響く。


 今までたくさんの恐怖を味わってきたけど、きっとこの先、これ以上の恐怖を感じることはない。
 それほどまでに、キリハを失うのが怖かった。


 相手に溺れていくのが恋だと、カレンはそう言った。
 本当にそのとおりだ。


 キリハを好きだと自覚して、自分を取り巻く環境がぐるりと百八十度変わった気がした。
 足がすくみそうになるシミュレート訓練も、怖くて震える対人訓練も、そこにキリハがいるだけで、まるでイベントのように感じられた。
 一人で寂しい夜も、朝になればキリハに会えると思うといくらでも乗り越えられた。


『一緒に戦おうよ。』


 いつだって、彼はそう言って手を差し伸べてくれた。
 こんなに弱くて怖がりな自分を、温かな心で包んでくれた。


 自分の心を止めることなどできなかった。
 キリハと過ごす時間が長くなるほどに、どんどんキリハのことを好きになっていく。
 もう、キリハがいない毎日など考えられないのだ。


「キリハ……キリハぁ……」


 肩を震わせ、サーシャは涙を流す。




 それを見ていた人物がいたとは気づかずに―――



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