愛縁奇祈

春血暫

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深雪の空

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 紀治は、解離性同一性障害がある。
 簡単に言うと、多重人格者。

 これを知っているのは、俺と引馬さんと社長だけ。

 本当は、誰にも知られたくなかったけど。
 引馬さんは、専門家みたいなもんだし(あの人、精神科医)
 社長は、調べたらしい。

 ちょくちょく引馬さんに相談をしながら、生活をしている。

 治花は、異性人格のひとつ。
 大人しくて、家事をそつなくこなす。
 ちょっと甘えん坊なところがある、普通の女って感じ。
 まあ、男なんだけど。

 治花は、俺のことを旦那だと思っている。
 俺も普通に嫁だと思っている。

――治花が出てきたのって、いつだったけ。

 中学二年の時だった気がする。

 突然のことだった。
 男子トイレで、悲鳴をあげたのだ。

 泣きながら、俺に抱きついてきて。

――助けて、私、殿方なんですか?――

 と、言ったのだ。

 初めは、何を言い出したのだろう、と思ったが。
 そのときには、すでに障害はあったから、もしかしたら、と思った。
 案の定、もうひとつの人格だった。

 名前は、聞かなかったが。
 名乗ってきたのだ。

――梔治花と言います――

 ニコッと、嬉しそうに笑うのが、可愛らしくて。

 気づいたら、好きになっていた。

「なんて、治花には言えないがな」

 と、呟いて、シャーペンをくるりと回す。

――新曲、な。

 時期的に、社長の誕生日だし。

 いや、別に社長のため、とかではない。
 ただ、俺らのことを覚えていてくれた人たち。
 知らないけど、興味を持ってくれた人たち。
 そういうのに向けて、て感じだ。

――いや、俺、誰に言い訳をしているんだ?

 と、思いながら、ノートに文字を書いていった。

 少ししてから、後ろから急に抱きしめられた。
 少し驚いて、見てみると、治花がムスッとした顔で俺を見る。

「ご飯、できたよ? てか、なあに?」

「これ? 詞だよ」

「詞?」

「ああ。ほら、紀成としなりと大学んときにバンドやったって話したじゃんか」

「ああ、言ってたね。もしかして、またやるの?」

「一回だけな。そのやつ」

「へえ! じゃあ、私から紀晶としあきさんに伝えとくね!」

「いや、紀晶さんは知っているんじゃないか?」

 紀成とは、普段、出ている人格のこと。
 紀晶さんは、いわゆる統括人格。
 年に一度か二度くらいしか出てこない。
 年末と年始だけ、て感じ。
 何回かは、話したことあるけど。
 俺はあまり得意な人ではない。

「でも、一応ね」

 と、治花は言う。

「てか、それより。早くご飯食べなよ。文人さん。冷めたら、勿体ない」

「そうだね、食べるわ」

 俺は部屋から食卓の方へ行った。

 食卓には、美味しそうな和食が並んでいる。

「鯖、安かったの?」

「そうみたい。冷蔵庫にメモ帳と一緒にあったんだ『鯖、安かったから、買っちゃった。良かったら、食べて』て」

「へえ、誰から?」

紀恵としえ姉さん」

「あー。あいつ、治花のこと、好きだからな。うっかり、やっちゃったんだろ」

「まあ、和食にしようと思っていたから、良かったんだけどね」

「うん」

 と、俺は頷いて、鯖の塩焼きを食べる。
 ほどよい塩加減と、焼き加減。
 さすが、としか言えない。

「治花は食べなくて良いのか?」

「私は、いいや。文人さん、食べて?」

「調子でも悪いの?」

「うん。なんかね」

 困った顔をしながら、頷く。

「食欲が全然ないの」

「そうか。心配だな」

 何か、精神的なものがあるのだろうか。
 明日とか、メールで引馬さんに聞いてみようかな。

「無理はしないようにな。てか、顔色悪くない? 布団で寝とけ」

「大丈夫。お風呂とか、まだだよね。やっておくよ」

「いや、俺、できるからさ。お前、寝ろよ」

「……大丈夫?」

「なめんな」

 てか、味噌汁とかうまい。
 そういえば、味噌汁、得意って話していたよな。

「じゃあ、寝ようかな」

「うん。おやすみ、治花」

「おやすみなさい。あなた」

 と、治花は部屋に行った。
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