愛縁奇祈

春血暫

文字の大きさ
上 下
76 / 96
深雪の空

21

しおりを挟む
 久しぶりに三沢の家を見た。
 感想を言うとするなら、まだ爆発してなかったんだな、である。

「やあ! 文ちゃん! 待ってたよ」

「待ってなくて良いけど。てか、本当にその呼び方やめてくれる? ぶち殺すよ?」

「はっはっはっ! 相変わらずひどいなあ」

 三沢は軽快に笑う。

「さて、歌詞見せてくれないか? そっから、曲を作るから」

「ん」

 俺は頷いてノートを渡す。

「そういや、謎だったんだけどさ」

「ん? なんだい?」

「お前、なんで一人称『三沢』なの?」

「三沢だから三沢だよ」

「そりゃ、婿養子にならなきゃね? そうなんだけど」

 学生の頃から気になっていた。
 矢沢的なやつなのか? と思ったけど。
 なんだか、違うらしいし。

「気になったんだよ。大体は『私』とか『俺』とかじゃん」

「んー。じゃあ、試しに言ってみようか」

 三沢はそう言うと、少し咳払いをする。

「一人称をとりあえず『俺』にしてみようと思うのだが。どうかな」

「いや、全然わからねえよ」

「そうか。なかなか言おうと思っても、俺は難しいな」

「あ、今言った。全然違和感ないよ」

「おお。じゃあ、しばらくはこれでいこうか」

「そうしたら、多少のキモさは減るな」

「待って、文ちゃん。お前の中で俺はキモいやつなの?」

「だいぶ、キモいって言ってる気がするが」

 基本的に人の話は聞かないんだよな、こいつ。

 それでも、周りに好かれていたりするのは、優しくて良いやつだからだと思う。
 少なくとも、俺はそう思う。

 と、思っていると、三沢は俺のノートを見ながら少し笑う。

「神呪らしいな」

「は?」

「いや、一つ一つの言葉がさ。お前らしくて、俺は好きだな。なんて」

「……あ、ありがと」

「タイトルとかも良いと思うよ。『深雪の空』なんて」

「い、言うな。恥ずかしいだろうが」

「いや、書いたのお前だろ?」

「そうだけど、改めて聞くとさ。嫌なものがある」

「そんな嫌な感じではないだろ」

「うるせえ、くそナルシスト」

 ほんと、恥ずかしいんだよ。
 いや、もう。
 何が恥ずかしいって、わりとガチで考えてしまったことだ。

「俺、予定があるのを思い出したから。先に帰るわ」

「あ、そうか。わかった。曲できたら連絡するね」

「ああ、よろしく」

 と言って、俺は三沢の家を出た。

 予定なんて特にない。
 ただ、もうすぐ紀治が病院から帰ってくると思ったから、家に帰ろうと思った。
 病院の後は、いつも不安定だからな。
 俺がそばにいないと、と思う。

「ただいま」

 と、紀治の家の中に入る。

「あれ、紀治? いねえの?」

 部屋は暗い。
 電気も何もついていない。
 カーテンは閉めきっている。
 外は明るいから、多少は見えるけど。

――なんだろう、嫌な予感しかしない。

「紀治? おーい」

 と呼びながら、家の中を歩き回っていると、寝室から泣き声が聞こえた。
 泣いている感じが、治花のような気がした。

「治花?」

「っ、あ、文人さん……?」

「どうした? 何かあった?」

「うっ、うわあああああああああああんん」

 と治花は俺に抱きつく。
 俺はそれをなるべく優しく受け止める。

 他の人格と喧嘩でもしたのだろう。

 でも、泣くほどの喧嘩ってなんだろう。
 何か言われたのか。
 何かされたのか。

――今は良いか。

 とりあえず、泣き止むまで俺はずっと治花の背中を優しく撫でた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

彼方

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:3

溢れる雫

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:40

例えば何かを失くしたら+ネタ倉庫集

エッセイ・ノンフィクション / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

買った天使に手が出せない

BL / 連載中 24h.ポイント:688pt お気に入り:4,582

捜査一課のアイルトン・セナ

ミステリー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

怪物が望むトゥルーエンド

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

 気ままに…スライムの冒険…

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:9

冬の窓辺に鳥は囀り

BL / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:209

処理中です...