【完結】胎

七瀬菜々

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CASE1:冴島あずさ

7:拗らせ女の罪と罰(7)

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 常に楽な方を選択して生きてきた。
 選択を迫られた時、いつも考えるのは“頑張らなくて良い方はどちらか”ということだった。

 例えば大学受験の時。私は就職を勧める両親の反対を押し切り、進学した。理由は簡単で、まだ働きたくないから。社会の厳しさをよく理解していた私は、まだ気楽な学生という身分でいたかったのだ。
 そうして、逃げるように進学した大学では単位を落とさない程度に遊んだし、暇があればバイトに明け暮れた。
 両親には『どうしても会計士になりたいの!』なんて思ったこともないような適当な夢を語って進学したくせに、実際は会計士の勉強なんて一度もしたことがない。
 会計士になるためにダブルスクールをしている友達もいたが、私はそんな彼女の姿を見ても、『私は学費が自腹だからバイトしないといけない』とか言い訳をして勉強から逃げた。
 自腹と言っても奨学金をもらっているから、今すぐにお金が必要になるわけでもないのに。

 就職活動の時期になった時もそうだった。私はまた逃げた。
 頑張ることが面倒くさくて、適当に受かりそうなところを何社か受けて早々に就活をやめた。周りは次々と大手企業やメガバンクに就職を決めていく中、私は卒論を書きながらアルバイトを掛け持ちして働いた。
 
 大学を卒業後は小さなブライダル関連の映像制会社に就職した。
 ブライダルといえば華やかな印象を持つかもしれないが、私の勤め先は体力勝負で力仕事が多く、休日出勤も残業も当たり前のブラックな会社だった。
 職場内恋愛から発展したギクシャクした人間関係や、整っていない教育環境。労基に訴えてやりたくなる雑な労務管理に横行するパワハラ。
 親睦会と称した飲み会に呼ばれ、上司のセクハラ発言と愚痴を延々と聞かされながらお酌して回るたびに、きちんと就活をしなかったツケが回って来たのだと思った。
 慣れれば大したことはないのかもしれないが、怠惰な私は慣れようと努力する気も起きなかった。

 だから“もしもの時の保険”にと思い、大学卒業前から付き合っていた聡に結婚を仄めかした。
 相手は結婚適齢期真っ只中の一回り年上の男。真面目で誠実で安定した収入があった彼は私の寄生先としては最適だった。

 私は良識的な大人でいようとした聡を言葉巧みに唆し、入社半年で妊娠した。もちろん、仕事を辞めるためだ。私は自分が楽をするために母親になろうと画策した。
 当然、私の両親はせっかく大学まで出してやったのにと激怒した。聡も良い大人が何をしているのだと義両親に呆れられていた。
 けれど何だかんだと孫の誕生は嬉しかったのだろう。特に、結婚適齢期真只中の息子を心配していた義両親は、妊娠した私を受け入れて優しくしてくれた。
 私の両親も散々嫌味を言ってきたが、最後には出来てしまったものは仕方がないと私の妊娠と結婚を認めてくれた。
 そうして私と聡は結婚式はせず、親族の顔合わせを兼ねた食事会だけをして入籍した。

 すべて計画通りだった。

 私は安定期に入る前に仕事を辞めること上司に報告した。当たり前だが、入社後わずか半年足らずでの妊娠と退職に周囲の目は冷たかった。
 元から妊婦や母親に優しい職場ではなかったことも相まって、私は先輩たちから分かりやすい嫌がらせを受けた。
 しかしまあ、こればっかりは仕方がない。だって全部私の自業自得だから。
 どうせ辞めたら会うことはないしと思ってくだらない嫌がらせを軽く受け流しながら、カレンダーを眺めながら悠々自適に退職までの残り日数を数える日々を過ごしていた。
 すべてが順調に思えた。頑張りたくない私の頑張らないための人生計画は完璧だった。
 けれど、やはり神様は人の行いをよく見ている。
 かの存在は怠け者には甘くなかった。
 だからだろう。その瞬間は何の前触れもなく訪れた。

 流れたのだ。私の腹で、確かに育っていた小さな命が。

 私は理解できなかった。
 だって、母子手帳をもらったばかりだった。
 心拍だって確認できていて、産院の先生も順調だと言っていた。
 毎週、大きくなっていく我が子の姿を確かにこの目で確認していた。
 すべて順調だったはず。それなのに。

 どうしてーーー?

 私は訳がわからないまま、流産の手術をした。
 泣いているつもりなはないのに涙が溢れて止まらない私を聡も先生も看護師さんもみんな心配してくれたけれど、多分、あの時の私の心を正確に理解できる人はいないと思う。

 あの虚無感は今でも忘れられない。
 私はあの時、自分のカケラをひとつ、無くした。


 
 会社には流産したことを言えなかった。当然だ。入社早々に妊娠して辞めると言っておきながら、やっぱり辞めるのなしにしますなんてどの口で言える?
 聡は動揺する私を見て、そのまま仕事を辞めることを勧めてくれた。
 その言葉に甘えて、私は予定通りに退職した。

 23歳で子なし専業主婦という名のニートになった。別に専業主婦が悪いとは思わない。家庭の事情はそれぞれだから、他人がとやかく言うことは許されない。
 ただ私は打算で結婚した身だから……。だから、働かないのならせめて子どもくらいはちゃんと産まないといけなかった。

 そうじゃなきゃ、自分を保てなかった。

 私は流産後、先生の許しが出たらすぐに妊活をした。自分から聡をベッドに誘うのは恥ずかしかったけれど、仕方がない。私は私の体を気遣う彼を強引に押し倒した。
 そうして、半年後に二度目の妊娠をした。妊娠検査薬で陽性を確認できたのは、24歳の誕生日を目前に控えた日曜日の朝のことだった。
 けれど、その子ははじめから危うくて、心拍を聞くことなく死んだ。


 二度も立て続けに流産したことで、産院の先生に血液検査を勧められた。私は言われるがまま検査を受けた。
 結果を待つ間、私の心はずっとざわついて落ち着かなかった。これでもし『産めない体だ』と言われたら、私はどうしたらいいんだろう。頭の中で様々なパターンをシミュレーションした。
 しかし、そのシミュレーションは杞憂に終わった。
 検査の結果は“異常なし”。先生は2回の流産は偶然重なっただけだろうと言った。
 そしてさらに月日は流れ、その年の暮れ、三度目の妊娠をした。
 今度は心拍を確認できた。一度目のことがあるから安心はできないけど、三度続くことはそうそうないだろうし、今度こそは大丈夫だとたかを括っていた。  

 けれど、現実とは残酷なもので。彼、もしくは彼女は大きく育つことなく私の膣を通り、外へと流れ出た。

 三度目の流産。私はまたか、と乾いた笑みをこぼした。

 稽留流産ということで、掻爬手術をした。
 麻酔が効いて、視界がぐるぐると回る中、夢を見た。
 私は暗い穴の中にいて、白衣に防護マスクをつけた男が穴の向こうから手を伸ばしてくる夢だ。
 男は私の手に触れると、いつのまにか腕の中にいた赤ちゃんを奪っていった。
 必死に手を伸ばして私に縋りつこうとする赤ちゃんを私はただ眺めていることしかできず、切り刻まれた赤ちゃんが血まみれになりながら穴の外へと連れ出された。

『冴島さん!冴島あずささん!』

 看護師さんの呼びかけでフッと目を覚ました。
 気づいた時にはうまく呼吸ができなくて、先生が『大丈夫。大丈夫』と優しく声をかけ、肩をさすって落ち着かせてくれた。


 あの手術の日から、私はうまく眠れない。目を閉じると、赤ちゃんが助けを求めてくる。  
 助けて、助けてって小さな手を必死に伸ばしてくる。
 でも私はその手を握り返すことができない。つかもうとすると擦り抜けて、触れることができない。
 私はいつもあの子達を助けてあげられない。

 私は毎夜、赤ちゃんを殺している。

 
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