【完結】胎

七瀬菜々

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CASE1:冴島あずさ

8:拗らせ女の罪と罰(8)

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「これは罰なのだと思った。安易に子どもを欲しがった罰なのだと」

 赤ちゃんが育たないのは子どもを利用して楽に生きようとした罰。
 赤ちゃんは私が良い母親になれない事を知っているから、私の胎に来てもすぐに空へと還るのだ。
 神様は人の行いを見ている。努力することを怠ってきた私に神様は怒っているのだと思う。

 私は呆然とした様子の千景に淡々と語った。

 どう思われただろうか。軽蔑されただろうか。
 でももう、どうだっていい。何だかもう疲れた。
 もし千景が私を軽蔑して、それで離れていくのなら仕方がない。
 周りに誰もいなくなれば、私はもう生きる事を頑張らなくていいし……。うん、その方が楽だな。

「聡はしばらく妊活はやめようと言ってくれた。でも、彼は12も年上でしょう?あまり長い間、待たせられない」

 仕事もしていなくて、子どもさえ産めない私は、彼に何も返せない。だから、

「……離婚しようと思うの」

 私はずっと口には出せなかった言葉を吐いた。自然と笑みが溢れた。この笑みは自分自身に対する軽蔑からくる嘲笑だ。
 千景は何か言いたそうに少し前のめりになったが、私のお願いを思い出したのかすぐに姿勢を元に戻し、口を真一文字に結んだ。

「やり直すなら早い方がいいでしょう?」
 
 聡は何の特徴もないけど、馬鹿みたいに真面目で優しいだけの人だけど、酒は飲まず、タバコも吸わず、女遊びもギャンブルもしない。安定した収入があって、率先して家事もしてくれる。きっとこんな素敵な旦那様は他にいない。
 学生時代は地味すぎてモテなかったかもしれないが、結婚市場においては超優良物件。きっとすぐに相手が見つかるだろう。

「…………聡はきっと良い父親になれるはずなのよ」

 だからあの人は私なんかに構って大事な時間を浪費していてはだめだ。
 彼は幸せになるべき人。でも彼を幸せにできるのは私じゃない。

「あずさ……」
「ごめんね、急にこんな話をして。でも多分もう限界だったんだと思う」
「……うん」
「本当は誰かに話を聞いて欲しかったのかもしれない。でも聞いて欲しいだけで、何も言われたくはなくて……」

 慰めが欲しいわけじゃない。説教もいらない。
 今、正論なんて言われたら私は多分、暴言を吐く。
 私は湧き出てくる色んな感情をカフェラテと一緒に飲み込んだ。

「だからありがとう、千景。話を聞いてくれてありがとう」
「そんな……、私は何も……」
「さあ。そろそろ帰ろうか」

 ずっと何かを言いたそうにしている千景の様子に気づかないふりをして、席を立つ。
 けれど千景は顔を伏せたまま動かなかった。

「千景?」

 私は首を傾げる。すると千景は意を決したように顔を上げた。

「ごめん。何も言わないって約束を反故にする」
「……え?」
「ひとつだけ言わせて欲しい」
「う、うん」
「全部、1人で決めちゃダメだよ」
「何が?」
「離婚のこと」
「……」
「離婚するにしても、ちゃんと聡さんと話さないとダメだよ。決定事項として突きつけるんじゃなくて、相談をするの。自分の思っていることを全部ちゃんと伝えるの」

 千景は真剣な顔をして訴えてきた。

「自分の心の内を見せずに一方的に別れを告げるのは……、相手に対して不誠実だわ」
「千景……」

 言いたいことは山ほどあるだろう。けれど千景はそれらを全部飲み込んでくれた。
 そんな彼女が唯一これだけは言っておかねばならないと思ったこと。だからこそ私はその不誠実という言葉が胸に刺さった。

「そう、だね……。千景の言う通りだわ」

 聡は、私の夫は、いつだって私に対して誠実だった。
 こちらが息苦しくなるくらいずっと、私のことを大切にしてくれていた。
 私は彼に対してこんなにも不誠実なのに。

「今日帰ったらちゃんと話す」

 私は千景にそう約束した。
 千景は泣きそうな顔をして、うんと小さく頷いた。


 *


「次はいつ会えるかな?」

 帰りの切符を買う私の横で千景はそう話しかけてきた。
 まるで遠くに越してしまう友人に尋ねるかのように、その声は少し震えていた。

「……さあ、どうだろう。愛花の体調次第じゃないかな?」
「そう、だね」
「でもまあ、生まれる前にはもう一度会いたいな。生まれた後じゃ数年は気軽に会えないもの」
「うん……」

 私は無難な返しをする。でも嘘じゃない。次の機会は多分、愛花次第だ。
 体調のことももちろんある。でも何よりも私は今日、愛花には気まずい思いをさせてしまったから……。もしかしたら愛花はもう、私に会いたくないかもしれない。
 私は小さなため息をひとつついて、改札から見える電光掲示板へと視線を向けた。
 
「あ、そろそろ電車来そう。もう行くね」
「うん」
「千景は地下鉄?」
「うん……」
「わざわざここまで送ってくれてありがとね」
「別に、通り道だし」
「じゃあ、気をつけてね」
「……あずさもね」

 私は寂しそうに顔を伏せる千景にもう一度、ありがとうと言った。それはこんなどうしようもない私に心を砕いてくれたことに対する純粋な感謝からくる言葉だった。
 けれど、言い方のせいだろうか。千景には別れの挨拶に聞こえたのかもしれない。彼女は咄嗟に私の袖を掴んだ。

「……あ、あずさ!」
「な、何?」
「……何かあったらすぐに連絡してね。いつでも話聞くから。話聞くくらいしかできないけど、でもそれくらいならできるから。ほら、私って夜行性だし、深夜でも比較的起きてるし……。だから……」
「……千景」
「頑張れって言葉は言いたくないから言わない。でも……、でもその……、応援してる」
「うん、ありがとう」
「……またね、あずさ。また、絶対集まろうね」
「うん」
「絶対だよ。約束だよ」
「うん。約束」

 私の返事にホッとしたように肩の力を抜いた千景は、私の背中に腕を回し、力強くぎゅーっと抱きしめてくれた。
 この光景、はたから見たらなかなか会えない友人同士が別れを惜しんでいるように見えるかもしれない。だが実際は電車で30分程度の距離に住んでいる2人だ。
 そう思うと私はなんだか気恥ずかしくて、駅の改札を通ってから千景の方を振り返ることはできなかった。



 千景と別れた私は階段を登り、駅のホームへ向かう。
 足取りが重いのは友人との楽しかった時間が名残惜しいからか、それともまだ聡に別れを告げる決意ができていないからか。
 いずれにせよ、今の私の気分は最悪に落ち込んでいる。これは大変よろしくない。帰宅するまでに笑顔を作れるようにならなくては。
 だから私はワイヤレスイヤホンを右耳にだけ装着し、スマホで音楽を流した。
 聞く曲はいつも決まっている。SEKAI NO OWARIの“幻の命”だ。
 どうしてだか、この曲を聴くと少しだけ心が救われる気がする。

「……あ、電車」

 気がつくといつの間にか、私の前には電車が停まっていた。乗り換えが必要だが、最短時間で聡の元へと帰るにはこれに乗らなければならない。
 でも何故だろう。私の足はその電車から遠ざかってしまった。
 私は踵を返し、反対側に停車していた各駅停車の電車に乗り込む。

 ーーー別に、帰りたくないからじゃない。ただ乗り換えが面倒なだけ。

 心の中で自分にそう言い訳をして、私は一番前の車両の運転席が見える位置に座った。
 私の特等席だ。私はいつも一両目の一番前に座る。
 理由は簡単。事故があったときに一番前が一番危険だと聞いたことがあるから。

 ……。

 ………。

 ……………。


 ………………………ああ、死にたいなぁ。
 


 

 
 

 


 
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