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23.赤色

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 ぶつり、と鈍く大きな音が耳の後ろを叩いた。
 一拍遅れて、冷たさと熱さが神経をかき回すように走る。

「――あ」

 噛みつかれている。

 零れた声に意味はない。ただ、この身を襲った衝撃が音を口へと押し出しただけだ。
 真後ろから噛みつかれて見えるはずもないのに、自分に何が起こったのかだけは不思議と理解できた。
 誰かの叫ぶ声、悲鳴、怒号――それらすべてが幕の向こうにあるように遠い。ただひとつ、獣のように唸る婚約者の声だけがはっきりと聞こえた。

(なんて、ひどいおこえをしているの)

 「これは自分のだ」と主張して泣いているようなその声に、サラージュは笑った。
 うなじから溢れて頬をどろりどろりと滑り落ちる鉄臭い液体の正体も、自分の肉体の自由がどんどん利かなくなっていっていることも、背に縋るように覆いかぶさる人のせいで周囲が処置できずに混乱に陥っていることも、――このまま放っておけば、自分は死ぬことも。
 はっきりと、理解できている。
 それでも、こみ上げる感情の渦を前にして、少女はその口元に笑みを浮かべずにはいられなかった。

 否――玉の緒が切れてしまいそうな今だからこそ、サラージュは自分のためだけに笑うことができた。
 それは自嘲であり、喜びの笑み。

 ――いたい
 うれしい
 ――やめて
 やめないで
 ――はなして
 はなさないで
 ――どうして
 まってた

 ――なかないで

 ――あなたのなみだは、ひどくくるしい
 わたくしだけにみせて

 まったく、こんな土壇場で、我ながらあさましく、理性の欠片もない。
 濁流となって襲う感情は、とても今更で。

「……でん、か」

 それでも、手を伸ばさずにはいられない星のような――燃える恒星に似た、その感情を。 
 与えられた傷の痛みを上回る、締め付けるようなその想いを。
 散々口にしてきたそれが、上っ面のものでしかなかったと突き付けられるこの熱を。

 伝えなくては。

「――あれくしす」

 貴方に恋をしました。

 続けようとした言葉は口の中に溢れた血に呑まれ、上手に音にできなかったけれど。
 何とか一番大切なことは伝わっただろうか。今更過ぎて、ますます貴方を傷つけただろうか。
 もしもそうだとしても、悔やむつもりはないのだから、救いようがない。

 ごめんなさい。ひどい女で。これはわたくしのエゴです。
 あなたにだけは、産声のような拙い恋を聞いてほしかったのです。

 視界が黒に落ちる寸前、嗅ぎ慣れたシトラスが怯えたようにびくりと震えて、遠ざかって――頬を濡らした血が、涙に一筋融けるのがわかった。

 ああ、ひどく、寒い。
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