役立たずと蔑まれ、食糧難の辺境へ追放された引きこもり令嬢、前世の経営シミュレーション知識で極寒の地を美食の都に変えてしまう

旅する書斎(☆ほしい)

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父の書斎に呼ばれた私は、冷たい声で言い渡されました。
「アニエス・ド・ヴェルフォール、お前をヴァインベルク辺境領へ嫁がせる」
その言葉に、驚きはありませんでした。

むしろ、ようやく来たかという気持ちです。
父であるヴェルフォール公爵は、私を汚いものでも見るような目で見ています。
隣に立つ姉のセレスティーナは、扇で口元を隠していました。
その目が、明らかに笑っているのが分かります。

「ヴァインベルクですって、まあ、お可哀想にアニエス」
姉は、わざとらしく同情するふりをしました。
「あのような地の果て、食べる物もない極寒の地へ行かされるなんて」
「これも王家のご命令だ、先日の失態を考えれば当然の罰だろう」
公爵は、吐き捨てるように言いました。

私が犯したという、先日の失態。
それは、王太子殿下が主催した晩餐会でのことでした。
出された魚料理のソースは、ひどく生臭かったのです。
添えられた野菜も、煮崩れて形がありませんでした。
美食家を名乗る家の人間が、とても口にできるものではありません。

つい、顔をしかめてしまったのです。
それを見ていた王太子殿下のプライドを、ひどく傷つけてしまったようでした。
「まったく、我がヴェルフォール公爵家の恥さらしめ」
「お父様、あまりアニエスを責めないであげてくださいませ。この子は昔から、美味しいもの以外は食べられない子でしたから」
セレスティーナは、心から楽しそうでした。

見ているこちらが、愉快になるくらいです。
私を追い出せるのが、そんなに嬉しいのでしょうか。
地味な私は、社交界にも興味がありません。
いつも厨房にこもっている、そんな妹でした。
きらびやかな姉にとっては、邪魔な存在だったのかもしれません。

「ヴァインベルク辺境伯のレオニール殿は、氷壁の狼と呼ばれる武人だそうだ。お前のような弱い女は、すぐに凍え死ぬのがおちだろうな」
「まあ、お父様。でも、ちょうどよかったではございませんか。食糧難の辺境領へ食料を送る代わりに、我が家から花嫁をというお話でしたもの」
「ふん、本来であればお前が行くべきだったのだがなセレスティーナ」
「わたくしには、もっとふさわしい方がおりますもの。それにアニエスなら、ちょうどいいではありませんか。どうせ王都にいても、何の役にも立たないのですから」

二人の会話は、私をいないものとして進んでいきます。
それは、いつものことでした。
私は気にせず、頭の中では別のことを考えていました。
ヴァインベルク辺境領。
一年を通して寒く、主な作物はカブとジャガイモだけです。
そして、岩塩が少し採れるのみ。

資源の乏しい、攻略が難しいマップ。
私の頭の中に、懐かしいゲームの画面が浮かび上がりました。
『キングダム・オブ・グルメ』。
それは、前世の私が寝る間も惜しんで遊んだ経営シミュレーションゲームです。
限られた資源で国を発展させ、住民の満足度を上げていくゲームでした。

私はそのゲームで、伝説的なトッププレイヤーだったのです。
ヴァインベルク辺境領の状況は、まさにゲームの初期設定にそっくりでした。
むしろ、それ以上にやり込み要素が満載に見えます。
「聞いているのか、アニエス」
公爵の怒鳴り声で、私は我に返りました。
「はい、お父様」
「返事だけは良い、とにかくこれは決定事項だ。すぐに荷物をまとめ、辺境へ向かう準備をしろ。お前の顔は、二度と見たくない」
「かしこまりました」

私は、深くお辞儀をしました。
心の中では、ガッツポーズをしています。
やった、これで思う存分に領地経営ができます。
姉や父の冷たい視線も、今はまったく気になりません。
むしろ、感謝したいくらいでした。
こんなに素晴らしい舞台を用意してくれて、ありがとうと。

「部屋に戻って、準備をいたします」
私はそう言って、二人に背を向けました。
書斎の扉を閉める瞬間、セレスティーナの高い笑い声が聞こえた気がします。
自室に戻る廊下を歩きながら、私はこれからの計画を練り始めました。

まずは、情報収集です。
ヴァインベルク辺境領の正確な地図、人口、主な産業。
それから、特産品についてです。
カブとジャガイモと岩塩以外に、何かあるはずです。
ゲームなら、隠し資源や特別なイベントがあるものでした。
この世界でも、きっと何かあるに違いありません。

部屋に着くと、専属の侍女であるアンナが心配そうな顔で待っていました。
「お嬢様、旦那様とのお話は」
「決まったわアンナ、私、お嫁に行くことになったの」
「まあ、どちらへ」
「ヴァインベルク辺境領よ」
私の言葉に、アンナは顔を真っ青にしました。

「そ、そんな、あのような寒い土地へ。お嬢様のお体が、持ちませんわ」
「大丈夫よ、私は意外と丈夫だから」
それに、寒さ対策ならゲームで嫌というほどやりました。
断熱材の作り方や、効率的な暖炉の設計も知っています。
温かい料理のレシピも、たくさんあります。

「それよりアンナ、荷造りを手伝ってくれる。持っていくものを、リストにしないと」
「はい、もちろんです。ドレスやお召し物は、どれになさいますか。宝飾品も」
「いいえ、そういうものは最低限でいいわ。それよりも、私が厨房で使っていた道具を一式、全部持っていきたいの」
「えっ、料理道具、ですか」

アンナは、きょとんとしています。
「それから、書斎にある植物図鑑と鉱石の図鑑。あと、歴史書もお願い。特に、ヴァインベルク周辺の古い言い伝えが書かれているものがいいわ」
「お嬢様、嫁入り道具が本と鍋でよろしいのですか」
アンナは、本気で心配しているようでした。
無理も、ありません。

普通の貴族の令嬢が辺境に嫁ぐなら、美しいドレスや宝石をたくさん持っていきたがるでしょう。
でも、私にはそんなものより、知識と道具の方がずっと価値があるのです。
「ええ、それが一番大事なものよ。それから、私が集めていたスパイスの種も忘れないで。どんな土地でも育つように、品種改良したものだからきっと役に立つわ」
「はあ」
アンナは戸惑いながらも、私の指示に従ってくれました。

私は机に向かい、羊皮紙に持っていくもののリストを書き始めます。
ナイフセットや、寸胴鍋、フライパンにすり鉢。
燻製器の設計図まで、書いていきます。
書き出していくうちに、どんどん楽しくなってきました。
これはもう、嫁入りというより新しいゲームの始まりです。

タイトルは、辺境領グルメ開発といったところでしょうか。
住民満足度を最大にして、美食の都に変えてみせます。
もちろん、私の夫になる辺境伯様にも美味しいものをたくさん食べさせてあげないと。
『氷壁の狼』なんて呼ばれるくらいだから、きっと普段はろくなものを食べていないに違いありません。
まずは、温かくて栄養のあるスープから始めようかしら。

ジャガイモとカブだけでも、工夫次第でごちそうになるのです。
それに、辺境には独自の生き物を持つ魔物がいると聞きました。
霜降りトロールに、雪ウサギ。
調理法が確立されていないだけで、きっと美味しいはずです。
未知の食材、未知のレシピ。

考えただけで、胸が高鳴ります。
追放される令嬢。
普通なら、絶望するところなのでしょう。
でも、私にとっては最高のチャンスでした。
誰にも邪魔されず、自分の好きなことに打ち込める環境が手に入るのですから。

「お嬢様、本当に楽しそうですね」
私の顔を見て、アンナが不思議そうに言いました。
「ええ、とても。これから始まる生活が、楽しみで仕方ないの」
私の言葉に、アンナはますます混乱しているようでした。
でも、それでいいのです。
私の楽しみは、きっと誰にも理解されないでしょうから。

前世の知識と、この世界で身につけた料理の腕。
その二つがあれば、私はどこでだって生きていけます。
そして、ただ生きるだけじゃない。
私の料理で、たくさんの人を幸せにしたいのです。
荷造りは、数日かけて行われました。

ヴェルフォール公爵家の誰も、私の準備を手伝おうとはしません。
それどころか、廊下ですれ違う使用人たちまで私を遠巻きにしているようでした。
まるで、悪い病気をもたらす神か何かのように。
「見て、あの方よ。辺境に、追放されるんですって」
「王太子殿下を、怒らせたらしいわ」
「自業自得ね」

そんなひそひそ話が聞こえてきても、私の心は少しも揺らぎませんでした。
むしろ、清々した気分だったのです。
この息苦しい公爵邸から、出られる。
美食を気取りながら、本当の美味しさを理解しない人たちと離れられる。
それだけで、十分すぎるほどの価値がありました。

出発の日の朝、空はどんよりと曇っていました。
屋敷の正面には、質素ですが頑丈そうな馬車が一台停まっています。
ヴァインベルク辺境領からの、迎えの馬車です。
御者の隣には、鎧をまとった騎士が一人立っていました。
年の頃は、三十代半ばくらいでしょうか。

日に焼けた肌と、無精髭が印象的です。
私がアンナと一緒に玄関から出ると、騎士は無言でこちらに一礼しました。
表情ひとつ変えない、石像のような人でした。
「私がアニエス・ド・ヴェルフォールです、長旅よろしくお願いします」
私が挨拶をすると、騎士は短く答えました。

「はっ、辺境伯様よりアニエス様をお迎えするよう命じられております。私は、騎士のゲルトと申します」
それだけ言うと、彼はまた黙り込んでしまいました。
口数の少ない、人らしいですね。
これは、道中も退屈せずに済みそうです。
辺境について、色々と質問できますから。

父と姉は、見送りには来ませんでした。
まあ、来るわけがないとは思っていましたが。
最後の最後まで、私に関心がないらしいです。
「お嬢様、お元気で」
アンナだけが、目に涙を浮かべて私の手を取りました。

「アンナも元気でね、今までありがとう」
「いいえ、わたくしお嬢様にお仕えできて本当に幸せでした」
「私もよ、アンナが淹れてくれるハーブティーが飲めなくなるのは少し寂しいわ」
「いつでも淹れに参ります、辺境領まで」
「ふふ、ありがとう。でも、大丈夫。これからは、自分で美味しいものを見つけるから」

私はアンナの肩を優しく叩いて、馬車に乗り込みました。
ゲルトさんが、何も言わずにドアを閉めてくれます。
馬車が、ゆっくりと動き出しました。
窓から、どんどん小さくなっていく公爵邸が見えます。
私が生まれ育った家。

でも、そこに良い思い出はほとんどありませんでした。
さようなら、私の息苦しい鳥かご。
これから私は、広い空へ羽ばたくのです。
馬車の中は、必要最低限の設備しかありませんでした。
座り心地の悪い木の椅子と、小さな窓が一つ。

貴族の令嬢を運ぶにしては、あまりにも簡素です。
でも、私はそれで十分でした。
窓の外を流れる景色を眺めているだけで、気分が良かったのです。
王都の華やかな街並みが、次第に寂しい田舎道へと変わっていきます。
その変化が、私の新たな門出を祝福してくれているようでした。

しばらくすると、馬車は大きく揺れました。
石畳の道から、舗装されていない土の道に入ったのでしょう。
「道が悪くなります、ご注意を」
外から、ゲルトさんの声が聞こえました。
「はい、大丈夫です」

私は、しっかりと座席の縁を掴みました。
この程度の揺れは、なんともありません。
それよりも、私の興味は別のところにありました。
道端に、生えている草花。
見たことのない種類のものが、たくさんあります。
あれは、食用になるでしょうか。

あのキノコは、どうでしょう。
図鑑で、調べなければなりません。
私の頭は、もうすっかり辺境モードに切り替わっていました。
これから始まる冒険に、期待で胸がいっぱいです。
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