役立たずと蔑まれ、食糧難の辺境へ追放された引きこもり令嬢、前世の経営シミュレーション知識で極寒の地を美食の都に変えてしまう

旅する書斎(☆ほしい)

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王都を出てから、三日が過ぎました。
馬車の旅は、快適とは言えません。
道はどんどん険しくなり、揺れもひどくなる一方です。
食事は、携帯用の干し肉と固いパンと水だけ。
普通の貴族令嬢なら、もう音を上げているところでしょう。

でも、私はまったく平気でした。
むしろ、この状況を楽しんでいたのです。
「ゲルトさん、少しよろしいでしょうか」
私は意を決して、御者台にいるゲルトさんに声をかけました。
彼は馬を操りながら、肩越しにこちらを振り返ります。
「なんでしょうか」

相変わらず、愛想のない声でした。
「ヴァインベルク辺境領の食事情について、もう少し詳しく教えていただけますか」
私の質問に、ゲルトさんは少しだけ眉をひそめました。
「なぜ、そのようなことを」
「これから、私が暮らす場所ですから。ぜひ、知っておきたいのです」
「そうですか」

ゲルトさんは少し考えるような素振りを見せた後、ぽつりぽつりと話し始めました。
「先ほども申し上げた通り、主な作物はカブとジャガイモです。あとは、岩塩が採れるくらいで」
「お肉は、食べないのですか」
「狩りをして、雪ウサギなどを捕ることもありますが数は多くありません。それに、冬になるとそれも難しくなります」
雪ウサギ。

図鑑で、見たことがあります。
寒い土地に住む、真っ白な毛皮を持つウサギです。
きっと、美味しいに違いありません。
「他に、何か食べられるものは。例えば、魔物とかは」
「魔物、ですか」

ゲルトさんは、心底意外だという顔をしました。
「霜降りトロールという魔物が、いると聞きました」
「ええ、いますが。あれは凶暴なだけで、食べるなどと考えたこともありません」
「そうですか、もったいないですね」
私の言葉に、ゲルトさんは完全に黙り込んでしまいました。

きっと、頭のおかしな令嬢だと思われたでしょう。
でも、仕方ありません。
私にとって、未知の食材は宝の山なのです。
霜降りトロールは、名前からして絶対に美味しいはずです。
きっと、上質な脂が乗っているに違いありません。

どうやって、調理しましょうか。
ステーキもいいですし、煮込み料理も良さそうです。
ああ、早く試してみたいです。
「アニエス様は、料理をされるのですか」
しばらくして、ゲルトさんが不意に尋ねてきました。

「ええ、趣味です。作ることと、食べることが大好きなんです」
「そうですか」
彼の声の調子が、少しだけ和らいだ気がしました。
気のせい、かもしれません。
「もしよろしければ、今夜の食事は私が作りましょうか。材料は、この干し肉とパンしかありませんが」

私の提案に、ゲルトさんは驚いたように目を見開きました。
「いえ、しかし、そのようなことをさせては」
「気にしないでください、私がやりたいだけですから」
私は、にっこりと笑いかけました。
その日の夜、私たちは森の中で野営をすることになりました。

ゲルトさんが、手際よく火をおこしてくれます。
私は持参した小さな鍋を取り出し、水を汲んできました。
まずは、固いパンを水に浸して柔らかくします。
それから、干し肉を細かく刻んで鍋に入れました。
「ゲルトさん、何か周りに食べられる野草などはありませんか」

「野草、ですか」
彼は戸惑いながらも、辺りを見回してくれました。
「これくらいなら」
そう言って彼が摘んできたのは、少し苦みのある葉っぱでした。
図鑑で、見たことがあります。

体の毒を消す作用のある、薬草の一種です。
少量なら、料理の良いアクセントになります。
「ありがとうございます、それで十分です」
私はその葉っぱを洗い、鍋に加えました。
最後に、持ってきた岩塩で味を整えます。

ぐつぐつと煮込むうちに、香ばしい匂いが立ち上ってきました。
ただのパンと、干し肉の雑炊です。
でも、温かい食事は冷えた体を芯から温めてくれます。
「できました、どうぞ、召し上がってください」
私は木製の器にスープをよそい、ゲルトさんに手渡しました。

彼は、恐る恐るといった様子でそれを受け取ります。
そして、一口スープを口に運びました。
彼の目が、わずかに見開かれます。
「うまい」
ぽつりと、彼が呟きました。

「温かい、それに、味がする」
「お口に合って、よかったです」
「いつもは、ただ水で戻した干し肉をかじるだけでしたから。こんなに美味いものを食べたのは、久しぶりです」
ゲルトさんは、夢中になってスープを飲んでいます。
その姿を見て、私は心から嬉しくなりました。

私の料理で、人が喜んでくれる。
これ以上の、幸せはありません。
「辺境領に着いたら、もっと美味しいものをごちそうしますね」
「はい、楽しみにしております」
ゲルトさんは、少しだけはにかんだように笑いました。

石像のようだった彼の顔に、初めて人間らしい表情が浮かんだ瞬間でした。
旅は、その後も続きました。
ゲルトさんとの会話は、あの一件以来少しずつ増えていきました。
彼は私が尋ねる辺境領の様々なことについて、真面目に答えてくれるようになったのです。
土地のことや、気候のこと、領民たちのこと。

そして、領主であるレオニール・ファルケン様のこと。
「辺境伯様は、口数の少ない方ですが誰よりも領地と民を愛しておられます」
ゲルトさんは、誇らしげに語りました。
「厳しい方ですが、とても優しい。我々騎士団の者も、皆心からあの方を尊敬しております」
それを聞いて、私は少し安心しました。

夫となる人が、領民から慕われる立派な人物であるのは喜ばしいことです。
あとは、私の料理を気に入ってくれるかどうか。
それだけが、少し心配でした。
旅の終わりは、突然訪れました。
馬車が峠を越えた瞬間、目の前に広大な雪景色が広がったのです。

その中心に、灰色の石でできた質素で頑丈そうな城が見えます。
あれが、ヴァインベルク城。
私の、新しい家です。
「着きましたな」
ゲルトさんが、深い思いを込めて呟きました。

城門の前には、数人の兵士が立っていました。
私たちの馬車に気づくと、彼らは一斉に敬礼をします。
ゆっくりと、城門が開かれました。
馬車は、城の中庭へと進んでいきます。
中庭では、一人の男性が私たちを待っていました。

背が高く、がっしりとした体格です。
黒い髪を短く刈り込み、顔には古い傷跡があります。
そして、何よりも印象的だったのはその瞳でした。
凍てついた湖のような、深くて青い瞳。
あの人が、レオニール・ファルケン。

私の、夫になる人です。
馬車が止まり、ゲルトさんが先に降りて私のためにドアを開けてくれました。
私はゆっくりと馬車を降り、その男性の前に立ちました。
彼はじっと、私を見つめています。
その視線に、値踏みするような色はありませんでした。

ただ、観察しているという感じです。
「レオニール・ファルケンだ、ようこそ、ヴァインベルクへ」
低く、落ち着いた声でした。
噂に聞いていたような、威圧感はありません。
「アニエス・ド・ヴェルフォールです、本日よりお世話になります」

私も、精一杯の礼を尽くして挨拶をしました。
すると、彼は少しだけ意外そうな顔をします。
「ヴェルフォール公爵家の令嬢と聞いていたが、ずいぶんと質素な身なりなのだな」
彼の視線が、私の着ている旅装用のドレスに向けられました。
王都の令嬢たちが着るような、派手な飾りは一切ない実用的なドレスです。

「長旅でしたので、それに、私はあまり派手な服は好まないのです」
「そうか」
彼は短く答えると、私に背を向けました。
「中へ、案内しよう」
それだけ言って、彼はさっさと城の中へ歩き始めました。

私は慌てて、その後を追います。
ゲルトさんが、私の荷物を運びながら隣に並んでくれました。
「辺境伯様は、ああいうお方です。どうか、お気を悪くなさらないでください」
「いいえ、大丈夫です。分かりやすくて、私は好きですよ」
口数は少ないけれど、裏表のない誠実な人。

ゲルトさんの話を聞いていたから、私にはそれが分かったのです。
レオニール様は、大きな背中で何かを語っているようでした。
この厳しい辺境を、たった一人で背負ってきた人の背中です。
その背中を見ながら、私は気持ちを新たにしました。
この人の隣で、この土地を豊かにしていこうと。

冷たい石造りの廊下を歩きながら、私は決意を固めていました。
案内されたのは、城の一室でした。
部屋は広く、清潔に保たれていましたが装飾品はほとんどありません。
大きなベッドと、簡素なテーブルと暖炉があるだけでした。
「今日から、ここがお前の部屋だ」

レオニール様は、そう言いました。
「ありがとうございます」
「何か不自由があれば、侍女に言え。すぐに、用意させる」
「はい」
彼はそれだけ言うと、部屋から出て行こうとしました。

その背中に、私は思わず声をかけます。
「あの、レオニール様」
彼は、足を止めて振り返りました。
「なんだ」
「お食事は、もうお済みですか」

私の言葉に、彼は不思議そうな顔をしました。
「まだだが、それがどうかしたのか」
「もし、よろしければ。私が、何かお作りしましょうか」
「お前が」
彼は、信じられないという目で私を見ました。

その反応は、ゲルトさんと同じです。
やはり、貴族の令嬢が料理をするなどこの世界では考えられないことらしいですね。
「はい、長旅で体が冷えているでしょうから温かいものを」
私は、微笑んで言いました。
ここが、私の腕の見せ所です。

『氷壁の狼』の胃袋を、まずは掴んでみせましょう。
彼はしばらく黙って私を見ていましたが、やがてふっと息を漏らしました。
「好きにしろ」
そう言い残して、彼は今度こそ部屋を出て行きました。
よし、許可は得ました。

私は早速、ゲルトさんに厨房の場所を案内してもらいました。
ヴァインベルク城の厨房は、広くて立派です。
しかし、食材庫の中は寂しい限りでした。
棚には、カブとジャガイモが山積みにされているだけ。
あとは、干し肉と岩塩の塊が少し。

予想通りの光景に、私はむしろ笑みがこぼれました。
これぞ、やり込み甲斐のあるステージです。
「何か、お手伝いすることはありますか」
厨房の隅で、年配の料理人らしい女性がおずおずと尋ねてきました。
「大丈夫です、少し、厨房をお借りしますね」

私は腕まくりをして、早速調理に取り掛かりました。
まずは、ジャガイモの皮をむき適当な大きさに切ります。
カブも、同じように。
干し肉は、味が出やすいように細かく刻みました。
それらを大きな鍋に入れ、水を加えて火にかけます。

料理の基本は、スープからです。
胃に優しく、体を温めてくれます。
そして何より、少ない食材でも満足感を得られるのです。
鍋が煮えるのを待つ間、私は持参した荷物の中から小さな布袋を取り出しました。
中に入っているのは、私が育てた乾燥ハーブとスパイスです。

これを少し加えるだけで、料理の味は格段に良くなります。
コトコトと、鍋が優しい音を立て始めました。
厨房に、食欲をそそる香りが広がります。
さあ、辺境伯様。
私の最初の料理、気に入ってくれるといいな。

私は期待に胸を膨らませながら、スープの味見をしました。
うん、上出来です。
これなら、きっと喜んでくれるはず。
料理を盆に乗せ、私はレオニール様のいるであろう食堂へと向かいました。
食堂は、がらんとしていて寒々しいです。

長いテーブルの向こう側に、レオニール様が一人で座っていました。
私が盆をテーブルに置くと、彼は無言でスープの器を見つめます。
それは、茶色くて具がごろごろ入っているだけの見た目は地味なスープでした。
「どうぞ、召し上がれ。ジャガイモとカブの、ポタージュです」
私の言葉に、彼はゆっくりとスプーンを手に取りました。

そして、一口スープを口に運びます。
彼の動きが、ぴたりと止まりました。
青い瞳が、驚いたように大きく見開かれています。
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