役立たずと蔑まれ、食糧難の辺境へ追放された引きこもり令嬢、前世の経営シミュレーション知識で極寒の地を美食の都に変えてしまう

旅する書斎(☆ほしい)

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農夫たちの顔には、確かな希望の色が浮かんでいました。
彼らの瞳は、燃え盛る焚き火の炎を映して力強く輝いています。
その光景を見て、私の胸はとても熱くなりました。
この土地に来て、本当に良かったと心の底から思います。

翌日、私は城の裏手にある建設現場を訪れていました。
そこでは、霜降りトロールを飼うための巨大な施設が完成に近づいています。
「おお、親方。良いところに来てくださいました。」
棟梁が、私の姿を見つけると威勢の良い声をかけました。
彼は、誇らしげに目の前の建物を指差します。
「どうでしょうか。親方の設計図通り、いやそれ以上のものができましたぜ。」

私の目の前には、巨大な円形の囲いがそびえ立っていました。
その壁は、分厚い石と鉄骨でとても頑丈に作られています。
囲いの内側には、トロールが快適に暮らせるように色々な工夫がしてありました。
地面には、水はけの良い砂が敷き詰められています。
水浴びができる、大きな池もちゃんと作られていました。
そして、日差しや雨を避けられるように岩山を真似た大きな屋根もあります。
それは、単なる檻ではありませんでした。
トロールの習性を、細部まで計算して作られた理想的な住まいなのです。

「素晴らしいですわ。これなら、彼もきっと気に入ってくれるでしょう。」
私は、その完璧な出来栄えに心からの褒め言葉を送りました。
棟梁は、照れくさそうに頭をかいています。
「へへ、親方にそう言ってもらえるのが一番の褒美ですよ。職人たちも、皆きっと喜ぶでしょう。」
いよいよ、この前捕まえた霜降りトロールをこの新しい住処へ移す時が来ました。
彼は、城の地下にある頑丈な倉庫で今までぐっすりと眠り続けています。

私が特別に作った、カブ酒を毎日飲ませていたからです。
騎士たちが、十人がかりで巨大な荷台に眠っているトロールを乗せました。
そして、ゆっくりと新しい飼育場へと運び込みます。
トロールの巨体が、囲いの中にそっと降ろされました。
彼は、まだ気持ちよさそうに大きないびきをかいています。
私たちは、彼が目を覚ますのを息を殺して見守っていました。
しばらくして、トロールの大きな体がもぞもぞと動き始めます。
そして、ゆっくりとそのまぶたを開きました。

彼は、寝ぼけた目で辺りを見回しています。
自分が、全く知らない場所にいることに気づいたのでしょう。
その豚のような顔に、戸惑いの色が浮かびました。
「グオ…?」
彼は、低い唸り声を上げます。
そして、ゆっくりと巨大な体を起こしました。
その瞬間、囲いの外で見守っていた騎士たちが緊張したように身構えます。
しかし、トロールは暴れ出すような様子を見せませんでした。
それどころか、彼は自分の新しい住処を興味深そうに観察し始めたのです。
ふかふかの砂の感触を確かめるように、足踏みをしています。
池の水を、鼻先でくんくんと嗅いでいました。
そして、岩山の屋根の下に入ると気持ちよさそうに体を擦り付けます。
その様子は、まるで新しい家に引っ越してきたばかりのペットのようでした。

「…どうやら、気に入ってくれたみたいだな。」
私の隣で、レオニール様がぽつりと呟きました。
彼も、この歴史的な瞬間を見届けるために駆けつけてくれたのです。
「ええ。トロールは、縄張り意識が強いですが清潔で快適な環境を好む生き物なのです。」
「それにしても、だ。あの凶暴な魔物が、こんなにも大人しくなるとはな。」
彼は、心から感心したように言いました。

やがて、トロールはお腹が空いたのでしょう。
囲いの中に用意されていた、餌場へと向かいました。
そこには、大きな石の桶が置いてあります。
中には、たっぷりとカブ酒が注がれていました。
トロールは、その甘い香りに気づくと嬉しそうに駆け寄ります。
そして、夢中になってそれを飲み始めました。
その飲みっぷりは、見ていて実に気持ちが良いです。
あっという間に、桶は空になってしまいました。
満足したトロールは、大きなあくびを一つします。
そして、日当たりの良い砂の上にどさりと寝転がってしまいました。
すぐに、また大きないびきが聞こえ始めます。

その安心しきった姿を見て、騎士たちの緊張もすっかり解けてしまったようでした。
あちこちから、ほっとしたため息や笑い声が聞こえてきます。
「なんてこった。まるで、ただのデカい豚じゃないか。」
「ああ。あれが、村を荒らした魔物とはとても思えないな。」
ゲルトさんも、呆れたような、それでいて嬉しそうな顔で笑っていました。
こうして、霜降りトロールの飼育計画は順調な第一歩を踏み出したのです。
これからは、このトロールを元にして繁殖を試みます。
そして、安定して肉を供給できる仕組みを整えなければなりません。
まだまだ、やるべきことは山積みでした。

その夜、私は久しぶりに自分の書斎でゆっくりとした時間を過ごします。
日当たりの良い、あの小部屋でした。
机の上には、整理を終えた会計帳簿が綺麗に積み重ねられています。
私は、その中からこの前見つけた古い交易記録を再び取り出しました。
『太陽の涙』。
三十年前に、この土地から王都へ売られていたという謎の品物です。
それが何なのか、どうしても気になって仕方がありませんでした。

私は、他の古い資料も調べてみることにします。
すると、先代の辺境伯が残した日誌のようなものが見つかりました。
羊皮紙は黄ばみ、インクの文字もかすれています。
それを、一枚一枚丁寧に読み解いていきました。
ほとんどは、日々の天候や収穫量に関する記録です。
しかし、その中に興味深い一文を見つけました。
『…本日、山の神より『涙』を授かる。今年の冬も、これで安心だ…』
山の神からの、授かりもの。

やはり、何か特別な鉱石か植物なのでしょうか。
私は、さらに古い時代の資料を探しました。
すると、このヴァインベルクの土地に古くから伝わる神話について書かれた本が見つかります。
その本は、ほとんどが傷んでいて読めませんでした。
しかし、最後のページに一枚だけ美しい挿絵が残っていたのです。
それは、雪深い山の頂に立つ一本の巨大な木を描いたものでした。
その木の枝からは、太陽の光を受けて黄金色に輝くしずくが落ちています。
そして、その下にはこう書かれていました。
『聖なる白銀樹。その樹液は、万病を癒し不老の命をもたらすという。人々は、それを太陽の涙と呼び神の恵みとしてあがめた…』

「…これだわ。」
私は、思わず声を漏らしました。
聖なる、白銀樹。
その樹液こそが、『太陽の涙』の正体だったのです。
万病を癒し、不老の命をもたらす。
もし、それが本当ならとてつもない価値を持つお宝です。
霜降りトロールの肉など、比べ物にならないくらいでしょう。
しかし、その取引は三十年前に途絶えています。
一体、何があったのでしょうか。

その白銀樹は、今もこの土地のどこかにあるのでしょうか。
私の胸は、新たな謎への好奇心で高鳴りました。
コンコン、と扉を叩く音がします。
「アニエス、いるか。」
レオニール様の声でした。
「はい、どうぞ。」
彼が、部屋に入ってきます。
その手には、温かいハーブティーの入ったカップが二つありました。

「また、根を詰めているのではないかと思ってな。」
彼は、そう言って私の隣に腰掛けました。
そして、机の上に広げられた古い本に目を留めます。
「それは、ずいぶんと古い本だな。何が、書いてあるんだ。」
「この土地の、古い言い伝えですわ。とても、興味深いことが書かれていました。」
私は、彼に白銀樹と太陽の涙の伝説について話しました。
彼は、私の話を黙って聞いています。
その表情は、とても真剣でした。

全てを話し終えると、彼は深いため息をつきます。
「…その話は、俺も父から一度だけ聞いたことがある。」
「まあ、本当ですか。」
「ああ。だが、禁句として固く口止めされた。『その木に近づいてはならない』と、言われたんだ。三十年前に、その木を巡って大きな悲劇があったらしい。」
彼の声には、重い響きがありました。
その悲劇が、取引が途絶えた原因なのでしょう。
「だから、アニエス。あまり、深入りはしない方がいい。それは、この土地の古い傷なのだから。」

彼の、心配そうな瞳が私を見つめています。
私は、素直に頷きました。
「はい、分かりました。今は、目の前のことを一つずつ片付けます。」
私たちは、しばらくの間ハーブティーを飲みながら穏やかな時間を過ごしました。
窓の外には、満月が明るく輝いています。
その光が、部屋の中を優しく照らしていました。

「それにしても、だ。」
不意に、レオニール様が口を開きました。
「お前は、本当に次から次へと新しいことを見つけてくるな。まるで、魔法使いのようだよ。」
「魔法では、ありませんわ。わたくしは、ただ知っているだけです。この世界には、まだたくさんの可能性があるということを。」
私は、窓の外に広がるヴァインベルクの領地を見つめながら言いました。
痩せた畑、厳しい冬、そして貧しい暮らし。
でも、その下には霜降りトロールや太陽の涙のような素晴らしい宝が眠っているのです。
この土地は、決して呪われているわけではありませんでした。
ただ、その価値に誰も気づいていなかっただけなのです。

「レオニール様、これからもわたくしに力を貸していただけますか。このヴァインベルクを、世界一豊かな場所にしてみせます。」
私は、隣に座る彼を見つめて言いました。
彼は、私のまっすぐな視線を受け止めます。
そして、ふっと穏やかに微笑みました。
その笑顔は、今まで見た中で一番優しくて温かいものでした。
「ああ、もちろんだ。俺は、お前の騎士だからな。どこまでも、ついていくと決めよう。」
彼の言葉が、私の心の一番奥深くまでじんわりと染み渡っていきます。
私たちは、肩を寄せ合うようにして窓の外の景色を眺めました。
月明かりに照らされた銀世界は、どこまでも美しく広がっています。
遠くで、眠りについたトロールの小さないびきが聞こえたような気がしたのです。
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