役立たずと蔑まれ、食糧難の辺境へ追放された引きこもり令嬢、前世の経営シミュレーション知識で極寒の地を美食の都に変えてしまう

旅する書斎(☆ほしい)

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次の日の朝、私は少しだけ緊張しながら診療所を訪れました。
ドアを開けると、そこには信じられないような光景が広がっています。
昨日まで、ぐったりとベッドに横になっていた子供たちがいました。
その子供たちが、今は元気に部屋の中を走り回っていたのです。
その頬は、健康的な赤色を取り戻しています。
額には、楽しそうな汗をたくさん光らせていました。
「アニエス様、見てください!もう、咳が全然出ないですよ!」
「体も、すごく軽くなりました!早く、外で思いっきり遊びたいです!」
子供たちは、私の姿を見つけると嬉しそうに駆け寄ってきました。
そして、私の周りで楽しそうにはしゃぎ始めます。
その、あまりにも大きな変化に私は驚きを隠せませんでした。
太陽の涙の力は、私の想像をはるかに超えるものだったようです。

「こ、これは…!一体、どういうことなのですかな…!」
診療所の隅の方で、エルマン先生がぼうっと立ち尽くしていました。
その手は、驚きのあまりわなわなと震えています。
彼は、医者としてとても長い経験がありました。
しかし、これほどの奇跡は一度も見たことがなかったのでしょう。
子供たちの、親たちも泣きながらその光景を喜んでいます。
「ありがとうございます、アニエス様!そして先生も!」
「あなた方は、私たち家族の命の恩人です!」
診療所の中は、感謝と大きな喜びの声でいっぱいでした。
私は、その様子を微笑みながら見守ります。
そして、エルマン先生にそっと近づきました。
「先生、少しだけ二人きりでお話ができますでしょうか」
私の、真剣な様子の声に彼はこくりとうなずきます。
私たちは、診療所の奥にある先生の書斎へと場所を移しました。
彼は、椅子に深く腰掛けると大きなため息を一つだけつきます。

「アニエス様…!昨日の、あの特別な薬は一体何なのですか!あれは、ただ元気が出る薬などでは決してありますまい!あのような奇跡は、まるで神様の仕業としか思えませぬ!」
彼は、興奮した様子で私に強く問いかけました。
その目は、真実を知りたいという強い探究心で燃えています。
私は、彼のまっすぐな視線をしっかりと受け止めました。
そして、この賢くて信頼できる老人になら打ち明けても良いかもしれないと考えます。
「先生、落ち着いて聞いてください。これからお話しすることは、このヴァインベルクの絶対に他の人には言えない秘密です」
私の言葉に、彼はごくりと息をのみました。
私は、白銀樹の伝説の全てを話したわけではありません。
ただ、この土地の、人里離れた場所に特別な力を持つ樹液が採れる場所があることだけを伝えました。
そして、それがどんな病をも癒す不思議な力を持っていることもです。
「これが、その樹液ですわ」
私は、懐から太陽の涙が入ったガラス瓶を取り出します。
そして、その一滴を彼の目の前にあるお皿に落としました。
黄金色のしずくは、部屋のランプの光を受けて不思議な輝きを放っています。
エルマン先生は、まるで宝物でも見るかのようにそれにじっと見入っていました。
「なんと…!この世に、これほど生命の力に満ちあふれたものが存在するとは…!」

彼は、震える指でその黄金のしずくにそっと触れます。
そして、その指先を恐る恐る自分の舌で舐めてみました。
次の瞬間、彼の顔が大きな驚きの色に染まります。
「こ、これは…!体の奥の方から、力がみなぎってくるようです…!長い間、私を悩ませていた腰の痛みが、すっと消えてしまいましたぞ!」
彼は、驚きのあまりその場で勢いよく立ち上がりました。
そして、何度も腰を曲げたり伸ばしたりして確かめています。
「アニエス様!この奇跡の薬があれば、この世から病で苦しむ人々をなくすことができますぞ!これは、まさしく人類全体の宝です!」
彼は、医者としての純粋な感動に体を震わせていました。
しかし、私はゆっくりと首を横に振ります。
「いいえ、先生。この力は、あまりにも強すぎますわ。もし、この薬の存在が世の中に知られてしまえば必ずこれを独り占めしようとする者が現れるでしょう。三十年前に、この土地で起きた悲劇を二度と繰り返してはならないのです」
私は、先代の領主様が遺した手帳の物語を彼に聞かせました。
人の欲望が、どれほど恐ろしい悲劇を生んでしまうかという物語を。
エルマン先生は、黙って私の話を聞いていました。
そして、全てを聞き終えるとがっかりしたように深くうなだれます。

「…なんと、人間とは愚かなのでしょうか。奇跡を目の前にして、人はこれほど醜くなれるものなのですね」
彼の声には、深い悲しみと怒りがこもっていました。
「ですから先生、この薬は私たちだけで管理するのです。そして、本当に助けを必要としているこの土地の民のためだけに使いましょう。決して、お金儲けの道具にしてはならないのです」
私の決意のこもった言葉に、エルマン先生は顔を上げました。
その目には、新たな決意の光がはっきりと宿っています。
「…分かりました、アニエス様。あなたの、その気高いお考えにこのエルマン、とても感心いたしました。この老いぼれの、残りの人生をあなたの理想のために捧げましょう」
彼は、その場で私に深々と頭を下げました。
こうして私は、また一人頼もしい協力者を得ることができたのです。
私たちは、診療所の地下に秘密の研究室を作ることにしました。
そこで、太陽の涙の力を最大限に活かすための研究を始めるのです。
エルマン先生は、まるで若い頃に戻ったかのように生き生きとしていました。
その豊かな知識と経験は、必ずやこの土地の宝となるでしょう。

そんなある日、王都にいるゲオルグさんから一通の手紙が届きました。
霜降りトロールの肉の取引は、相変わらずものすごくうまくいっているようです。
しかし、その手紙には少しだけ気になることも書かれていました。
『アニエス様、お喜びください。霜降りトロールの肉の人気は、とどまるところを知りません。しかし、その人気のためにこれを良く思わない人たちも出てきたようです』
やはり、そうなりましたか。
人の、嫉妬というものはどこにでも存在するものです。
『特に、王太子殿下の周りにいる貴族たちが妙な動きを見せております。「辺境の田舎者に、これ以上儲けさせておくわけにはいかない」と怒っているとか。彼らが、直接ヴァインベルクに何かしてくることはないでしょう。しかし、私たちの輸送隊を狙った盗賊が増えてきたという噂もございます。どうか、くれぐれもお気をつけください』
なるほど、少し面倒なことになってきましたわね。
しかし、手紙はそれだけでは終わりませんでした。
『そこで、一つご提案があります。いっそのこと、王都にアニエス様のお店を出してはいかがでしょう。ヴァインベルクの、食材を使った最高級のレストランです。そうすれば、我々が安定して商品を運び込めます。そして、アニエス様の素晴らしい料理を王都の皆に知らせることもできます。これは、きっと大きな商売になりましょう』

レストラン、ですって。
それは、今まで考えたこともありませんでした。
しかし、確かにとても面白い提案です。
王都に、私たちの活動の拠点を作るということ。
それは、ただ商品を売るよりもずっと大きな力を持つでしょう。
しかし、そのためには信頼できる料理人と支配人を王都へ送らなければなりません。
大きな、危険も伴うはずです。
私は、その手紙を手にレオニール様の執務室を訪れました。
彼は、私の話を聞くと腕を組んでゆっくりと目を閉じます。
「…なるほどな。面白い提案だが、危険な挑戦でもある。下手をすれば、王都の貴族たちとの全面的な争いになりかねん」
「ええ、わたくしもそう思います。ですが、このまま守りに入っていても状況は悪くなる一方かもしれませんわ」
攻めるべきか、それとも守るべきか。
私たちは、しばらくの間黙って考え込みました。
やがて、彼がゆっくりと目を開けます。
その青い瞳は、どこまでも澄み切っていて綺麗でした。
「アニエス、この件は君に全て任せるよ。君の、やりたいようにやるといい」
「レオニール様…!」
「俺は、君の判断を信じている。君が、攻めると言うなら俺は全力で君を守る剣となろう。守ると言うなら、誰にも破れない鉄の盾になる。だから、君の信じる道を行くといい」
彼の、その言葉が私の心に温かく染み渡っていきました。
これほどの信頼を、寄せられているのです。
迷うことなど、もう何もありませんでした。
私は、窓の外に広がるヴァインベルクの領地を見つめます。
畑は、豊かな緑色に輝いていました。
城下町には、人々の活気ある声がたくさん満ちています。
この、愛しい土地をさらに発展させていくために。
私は、次の段階へ進む覚悟を決めました。
「レオニール様、わたくし、やってみますわ。このヴァインベルクを、もっと素晴らしい場所にするために」
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