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第45話 隠し資産の摘発と宣戦布告
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ポルトゥスの空は、昨夜の嵐が嘘のように澄み渡っていた。
窓から差し込む朝日は、私の手元にある新しい帳簿を明るく照らしている。
私は、ペンを置いて大きく伸びをした。
「ふう、ようやく終わったわね」
目の前のテーブルには、ほかほかと湯気を立てる一皿があった。
セバスチャンが用意してくれた、最高級のシーフードピラフだ。
大きな海老が赤く輝き、貝の旨味が凝縮された香りが鼻をくすぐる。
バターとニンニクの風味が、食欲をこれでもかと刺激してくる。
「フェン、ノクス。お待たせ。一緒に食べましょう」
私が声をかけると、足元で待機していた二匹が元気よく顔を上げた。
二匹の皿には、あらかじめ身をほぐした魚とミルクが用意されている。
「わんっ!」
「にゃあ」
フェンは尻尾を激しく振り、ノクスは静かに喉を鳴らした。
二匹とも、私の許可が出るのを今か今かと待っていたらしい。
「ふふ、いい子ね。さあ、召し上がれ」
私は、木製のスプーンを手に取った。
まずは、黄金色に輝くライスを一口。
口に入れた瞬間、魚介の濃厚なスープが米の一粒一粒から溢れ出した。
「……美味しい。やっぱり、港町の食材は格別だわ」
私は、自分でも驚くほど頬が緩むのを感じた。
前世では、こんなに贅沢な朝食を食べる時間は一分もなかった。
冷めたおにぎりや、栄養ドリンクだけで済ませていた日々が遠い昔のようだ。
プリプリとした海老を噛みしめると、海の豊かさが全身に染み渡っていく。
この美味しいものを守るためにも、この街の経済を清掃したのは正解だった。
私が至福の時間を楽しんでいると、部屋の扉がノックされた。
「リリア様、失礼いたします」
入ってきたのは、護衛騎士のレオン様だった。
彼の顔は、いつになく晴れ晴れとしている。
「リリア様、マルコたちの資産凍結、及び没収手続きが完了いたしました」
レオン様が、部屋に入ってきて凛々しく報告した。
彼は私の食事の邪魔をしないよう、少し離れた位置で直立不動のままだ。
「ご苦労様です、レオン様。没収した資産の内訳は?」
私はスプーンを置き、ナプキンで口元を拭ってから彼に向き直った。
「はい。金貨五百枚、銀貨三千枚。それに加えて、隣国の密書と裏契約書が数通です」
レオン様は、淡々と数字を読み上げていく。
その数字を聞いて、私は小さく眉をひそめた。
「それだけ? マルコのような小悪党が、それだけの財産で満足するとは思えないわ」
私は、テーブルの上で指をトントンと叩きながら考え込んだ。
帳簿の数字と、現実の資産が微妙に噛み合っていない。
必ず、どこかに「隠し口座」か「簿外資産」があるはずだ。
私の指摘に、レオン様がハッとした表情を見せる。
「確かに、彼の羽振りの良さを考えれば、少なすぎるかもしれません」
「ええ。おそらく、愛人か親戚の名義で、どこかに隠しているはずよ」
私は、確信を持って断言した。
「レオン様、もう一度徹底的に洗い直してちょうだい。床下から屋根裏まで、徹底的にね」
「はっ、ただちに!」
レオン様は、私の指示に一切の疑問を挟まずに部屋を出ていった。
彼は、私の勘が一度も外れたことがないのを、身をもって知っているのだ。
頼もしい部下を持ったものだと、私は満足げに頷いた。
私は再び、ピラフに向き合った。
最後の大きな貝柱を口に放り込む。
噛むたびに旨味が弾け、多幸感が脳を支配した。
「……さて、食後のデザートの前に、もう一仕事終わらせましょう」
私は、アークライト商会の新しい支店長候補の名簿を開いた。
ポルトゥスは、我が国の経済の心臓部だ。
ここに信頼できる人間を置くことは、最優先事項だった。
私は、候補者の経歴を驚くべき速さで読み解いていく。
学歴や過去の実績ではない。
金の使い道の癖や、交友関係のわずかな歪みを見つけるのだ。
「この男はダメね。接待費が売上の五パーセントを超えているわ」
私は、一人の名前に容赦なくバツをつけた。
無駄な付き合いに金を使う人間は、いずれ会社の資産を私物化する。
私は、経理としてその手の人間を山ほど見てきたのだ。
「こっちの男も怪しいわね。賭け事が好きだという噂があるわ」
会社の金をギャンブルに使い込む手口は、古典的だがよくある話だ。
リスク管理のできない人間に、私の大事なお店は任せられない。
「リリア、こっそり裏の整理も進んでいるぞ」
不意に、バルコニーから低い声がした。
ゼロ兄様が、風と共に音もなく部屋に降り立った。
彼は、私の食べ残したピラフのパセリを、ひょいとつまんで口に入れた。
「兄様、行儀が悪いですわよ。それで、収穫は?」
「マルコの愛人の家から、さらに金貨三百枚分の宝石が見つかった」
ゼロ兄様は、布に包まれたきらびやかな宝石をテーブルに置いた。
ルビー、サファイア、エメラルド。
どれもが一級品の輝きを放っている。
「やはり、分散させていたのね。助かりましたわ」
「お前の鼻は、金銀の匂いには敏感すぎるな」
ゼロ兄様は、呆れたように笑った。
「失礼ね。私はただ、数字の矛盾を正しているだけですわ」
私は、宝石の目録を帳簿に追記した。
「さすがは兄様です。仕事が早くて助かります」
「フン、褒めても何も出ないぞ。だが、これで掃除はほぼ終わりだな」
「ええ。これで、ポルトゥスの『毒』はほぼ全て抽出できたと言っていいわ」
街はこれから、私の管理下で正しく成長していくことになるだろう。
午後になり、私は街の広場へと向かった。
そこには、新しい貿易ギルドの設立を待ちわびる商人たちが集まっている。
数千人の視線が、一斉に私へと向けられた。
私が姿を見せると、先日の殺伐とした空気は一変していた。
商人たちが、我先にとひれ伏して道を空ける。
彼らの瞳には、恐怖と尊敬、そして強い期待が混じっていた。
「リリア様だ! アークライト家のリリア様がお見えだぞ!」
「あの方が、悪徳商人たちを一網打尽にしたのか」
「なんて神々しいお姿なのだ……」
彼らのひそひそ話が、私の耳にも届いてくる。
私は、壇上の真ん中に立ち、ゆっくりと周囲を見渡した。
フェンとノクスも、私の両脇で堂々と胸を張っている。
「皆さん、新しい規約はすでに配布した通りです。これより、ポルトゥスは透明性の高い公正な取引のみを認めます」
私の声は、広場全体に凛として響き渡った。
魔法で声を大きくしているわけではない。
しかし、誰もが息を呑んで私の言葉に耳を傾けている。
「不正を働く者は、二度とこの港の土を踏めないと思いなさい。ですが、正直に汗を流す者には、私が最大限の利益を約束しましょう」
四歳の少女が放つ、圧倒的な威圧感。
商人たちは、生唾を飲み込んで私の言葉に聞き入っていた。
「まずは、銀行システムの導入試験を開始します。これより、現金での直接取引は原則禁止とし、アークライト商会の手形を使用してもらいます」
「て、手形ですか?」
一人の老商人が、不安そうに声を上げた。
彼は、紙切れ一枚で取引をすることに不安を感じているのだろう。
「そうです。重い硬貨を持ち運ぶリスクがなくなります。そして、全ての取引履歴が公的に記録される。これは皆さんの財産を守るためでもあるのです」
私は、現代的な銀行業務の利点を、彼らに分かりやすく説明した。
「例えば、皆さんは大量の金貨を馬車で運ぶ時、盗賊に襲われる心配をしたことはありませんか?」
「あります、ありますとも! 何度怖い目にあったことか」
別の商人が、大きく頷いて答えた。
「この手形を使えば、その心配はゼロになります。もし手形を盗まれても、私たちが支払いを止めることができるからです」
「おお……! それはすごい!」
広場に、どよめきが広がった。
「さらに、遠く離れた街への送金も、一瞬で完了します。もう、重い金貨を持って何日も旅をする必要はないのです」
最初は戸惑っていた商人たちも、私の具体的な計算を聞くうちに、顔色を変えていく。
手数料の安さと、決済の速さ。
それが、どれほどの利益を生むかを彼らは瞬時に理解した。
「さすがはリリア様だ……。我々の考えていることの、遥か先を行っておられる」
「これなら、商売の回転が倍になるぞ!」
「リリア様についていけば、間違いなく大儲けできる!」
感嘆の声が、あちこちから漏れ聞こえた。
彼らの目は、もはや私をただの貴族の娘とは見ていない。
富をもたらす女神として、崇めているようだった。
私は満足げに頷き、次の指示を出すために書類をめくった。
その時、一羽の伝書鳩が私の肩に舞い降りた。
足には、赤いリボンが結ばれている。
王都にいるセバスチャンからの、緊急の報せだ。
私は小さな筒から紙を取り出し、その内容に目を通した。
私の眉が、ぴくりと跳ねる。
「……王都の財務大臣が、私の銀行構想を『国家への反逆』だと言い始めたようね」
私の言葉に、周囲の空気が一瞬で凍りついた。
レオン様が、驚いて私の方を見る。
「反逆ですと!? 殿下の許可も得ているというのに!」
「ええ。どうやら、既得権益にしがみつく古狸たちが騒ぎ出したようね」
老獪な政治家たちが、私の利益を横取りしようと動き始めたのだ。
彼らにとって、私が作る新しいお金の流れは、自分たちの利権を脅かす邪魔な存在なのだろう。
「ふふ、面白いじゃない。私から金を奪おうなんて、百年早いですわ」
私の口元に、冷徹な挑戦の笑みが浮かんだ。
売られた喧嘩は、倍以上の値段をつけて買い取ってあげるのが私の流儀だ。
「レオン様、すぐに王都へ戻る準備を。財務省のゴミ掃除が必要になったわ」
「はっ! ただちに馬車の手配をいたします!」
レオン様は、喜びすら感じさせる声で答えた。
彼もまた、私の敵がどれほど悲惨な末路を辿るかを知っているのだ。
私は、フェンとノクスを抱き上げた。
二匹の瞳も、戦いの予感に鋭く光っている。
「さあ、行くわよ。悪い虫を退治しにね」
ポルトゥスの商人たちに別れを告げ、私は足早に馬車へと乗り込んだ。
「リリア様、ご武運を!」
「我々は、いつまでもリリア様をお待ちしております!」
商人たちの熱烈な声援を背に、私は出発の合図を出した。
「兄様、財務大臣の裏の交友関係、全て洗っておいてくださいね」
私は、窓の外の闇に向かって静かに命じた。
姿は見えないが、彼が近くにいることは分かっている。
「言われるまでもない。あいつの貯金箱の中身まで、全部数えておいてやるよ」
影の中から、ゼロ兄様の楽しそうな返事が返ってきた。
さすがは兄様だ。
私の欲しい情報を、言わなくても理解してくれている。
馬車は、王都に向けて最大速度で走り出した。
道中の揺れなど、今の私には全く気にならなかった。
いかにして、国家の予算という巨大な財布を私の支配下に置くか。
そのシミュレーションが、脳内で高速回転を続けている。
財務大臣の弱点はどこか。
彼が一番恐れているものは何か。
そして、どうすれば彼を社会的に抹殺できるか。
答えは、すでに私の中に出ていた。
数時間後、馬車は王都の第一関門に差し掛かった。
そこには、財務大臣直属の兵士たちが検問を敷いていた。
普段なら素通りできるはずの場所だ。
明らかに、私を足止めするための嫌がらせだった。
「止まれ! アークライト家の馬車だな。積み荷を検査させてもらう!」
兵士の一人が、強引に馬車を止めようとした。
槍を構えて、威圧的な態度を取っている。
「中に誰が乗っているか、分かっているのか!」
御者が怒鳴り返すが、兵士たちは引こうとしない。
「大臣の命令だ! 例外は認めん!」
私は、馬車のカーテンを静かに開けた。
「……私を誰だと思って、そんな口を利いているのかしら?」
私の冷たい視線が、兵士を射抜いた。
その兵士は、私の瞳に宿る魔力のような威圧感に、思わず数歩後ずさった。
「リ、リリア・アークライト……」
彼らも、私の噂は聞いているはずだ。
ポルトゥスをたった数日で制圧し、帝国軍すら手玉に取った少女。
その本人が、目の前にいるのだ。
「通りなさい。私の時間を一秒奪うごとに、あなたたちの給料を一割ずつ減らしてあげてもいいのよ?」
私の脅しは、冗談ではなかった。
私はすでに、兵士たちの給与支払いシステムの脆弱性を把握しているのだ。
彼らの給料が、どの商会を経由して支払われているか。
そして、その商会の首根っこを誰が押さえているか。
それを知れば、彼らは逆らうことなどできない。
兵士たちは、顔を真っ青にして慌てて柵を退けた。
彼らにとって、大臣の命令よりも明日の生活の方が大事なのだ。
「……失礼いたしました! お通りください!」
「それでいいわ。忠実な番犬には、ご褒美が必要ね」
私は、窓から銀貨を一枚弾き飛ばした。
兵士は、それを地面に這いつくばって拾い上げた。
馬車は、スピードを緩めることなく王都へと滑り込んでいった。
私の目的はただ一つ。
私の新しい「お城」を守り、私のビジネスを邪魔する者たちに絶望を与えること。
屋敷の門が見えてくると、セバスチャンがすでに玄関で待ち構えていた。
彼の姿を見ると、私はようやく家に帰ってきたのだと実感する。
「おかえりなさいませ、リリア様。戦場の準備は、全て整っております」
セバスチャンは、一通の分厚いファイルを私に差し出した。
それは、財務省の過去十年の予算執行記録の、非公式なコピーだった。
入手困難なはずの極秘資料が、なぜここにあるのか。
それは、セバスチャンの優秀さと、私の情報網の広さを証明していた。
「ありがとう、セバスチャン。中身は確認した?」
「はい。埃が出すぎて、部屋が汚れるほどでございました」
セバスチャンは、涼しい顔で皮肉を言った。
「いいわ。今夜は徹夜で、大臣の首を撥ねるための数字を見つけましょう」
私は、不敵に笑いながら屋敷の中へと入っていった。
私の戦いは、これからが本当の佳境に入るのだ。
フェンとノクスも、やる気満々で私の足元をついてくる。
さあ、楽しい数字合わせの時間の始まりだ。
窓から差し込む朝日は、私の手元にある新しい帳簿を明るく照らしている。
私は、ペンを置いて大きく伸びをした。
「ふう、ようやく終わったわね」
目の前のテーブルには、ほかほかと湯気を立てる一皿があった。
セバスチャンが用意してくれた、最高級のシーフードピラフだ。
大きな海老が赤く輝き、貝の旨味が凝縮された香りが鼻をくすぐる。
バターとニンニクの風味が、食欲をこれでもかと刺激してくる。
「フェン、ノクス。お待たせ。一緒に食べましょう」
私が声をかけると、足元で待機していた二匹が元気よく顔を上げた。
二匹の皿には、あらかじめ身をほぐした魚とミルクが用意されている。
「わんっ!」
「にゃあ」
フェンは尻尾を激しく振り、ノクスは静かに喉を鳴らした。
二匹とも、私の許可が出るのを今か今かと待っていたらしい。
「ふふ、いい子ね。さあ、召し上がれ」
私は、木製のスプーンを手に取った。
まずは、黄金色に輝くライスを一口。
口に入れた瞬間、魚介の濃厚なスープが米の一粒一粒から溢れ出した。
「……美味しい。やっぱり、港町の食材は格別だわ」
私は、自分でも驚くほど頬が緩むのを感じた。
前世では、こんなに贅沢な朝食を食べる時間は一分もなかった。
冷めたおにぎりや、栄養ドリンクだけで済ませていた日々が遠い昔のようだ。
プリプリとした海老を噛みしめると、海の豊かさが全身に染み渡っていく。
この美味しいものを守るためにも、この街の経済を清掃したのは正解だった。
私が至福の時間を楽しんでいると、部屋の扉がノックされた。
「リリア様、失礼いたします」
入ってきたのは、護衛騎士のレオン様だった。
彼の顔は、いつになく晴れ晴れとしている。
「リリア様、マルコたちの資産凍結、及び没収手続きが完了いたしました」
レオン様が、部屋に入ってきて凛々しく報告した。
彼は私の食事の邪魔をしないよう、少し離れた位置で直立不動のままだ。
「ご苦労様です、レオン様。没収した資産の内訳は?」
私はスプーンを置き、ナプキンで口元を拭ってから彼に向き直った。
「はい。金貨五百枚、銀貨三千枚。それに加えて、隣国の密書と裏契約書が数通です」
レオン様は、淡々と数字を読み上げていく。
その数字を聞いて、私は小さく眉をひそめた。
「それだけ? マルコのような小悪党が、それだけの財産で満足するとは思えないわ」
私は、テーブルの上で指をトントンと叩きながら考え込んだ。
帳簿の数字と、現実の資産が微妙に噛み合っていない。
必ず、どこかに「隠し口座」か「簿外資産」があるはずだ。
私の指摘に、レオン様がハッとした表情を見せる。
「確かに、彼の羽振りの良さを考えれば、少なすぎるかもしれません」
「ええ。おそらく、愛人か親戚の名義で、どこかに隠しているはずよ」
私は、確信を持って断言した。
「レオン様、もう一度徹底的に洗い直してちょうだい。床下から屋根裏まで、徹底的にね」
「はっ、ただちに!」
レオン様は、私の指示に一切の疑問を挟まずに部屋を出ていった。
彼は、私の勘が一度も外れたことがないのを、身をもって知っているのだ。
頼もしい部下を持ったものだと、私は満足げに頷いた。
私は再び、ピラフに向き合った。
最後の大きな貝柱を口に放り込む。
噛むたびに旨味が弾け、多幸感が脳を支配した。
「……さて、食後のデザートの前に、もう一仕事終わらせましょう」
私は、アークライト商会の新しい支店長候補の名簿を開いた。
ポルトゥスは、我が国の経済の心臓部だ。
ここに信頼できる人間を置くことは、最優先事項だった。
私は、候補者の経歴を驚くべき速さで読み解いていく。
学歴や過去の実績ではない。
金の使い道の癖や、交友関係のわずかな歪みを見つけるのだ。
「この男はダメね。接待費が売上の五パーセントを超えているわ」
私は、一人の名前に容赦なくバツをつけた。
無駄な付き合いに金を使う人間は、いずれ会社の資産を私物化する。
私は、経理としてその手の人間を山ほど見てきたのだ。
「こっちの男も怪しいわね。賭け事が好きだという噂があるわ」
会社の金をギャンブルに使い込む手口は、古典的だがよくある話だ。
リスク管理のできない人間に、私の大事なお店は任せられない。
「リリア、こっそり裏の整理も進んでいるぞ」
不意に、バルコニーから低い声がした。
ゼロ兄様が、風と共に音もなく部屋に降り立った。
彼は、私の食べ残したピラフのパセリを、ひょいとつまんで口に入れた。
「兄様、行儀が悪いですわよ。それで、収穫は?」
「マルコの愛人の家から、さらに金貨三百枚分の宝石が見つかった」
ゼロ兄様は、布に包まれたきらびやかな宝石をテーブルに置いた。
ルビー、サファイア、エメラルド。
どれもが一級品の輝きを放っている。
「やはり、分散させていたのね。助かりましたわ」
「お前の鼻は、金銀の匂いには敏感すぎるな」
ゼロ兄様は、呆れたように笑った。
「失礼ね。私はただ、数字の矛盾を正しているだけですわ」
私は、宝石の目録を帳簿に追記した。
「さすがは兄様です。仕事が早くて助かります」
「フン、褒めても何も出ないぞ。だが、これで掃除はほぼ終わりだな」
「ええ。これで、ポルトゥスの『毒』はほぼ全て抽出できたと言っていいわ」
街はこれから、私の管理下で正しく成長していくことになるだろう。
午後になり、私は街の広場へと向かった。
そこには、新しい貿易ギルドの設立を待ちわびる商人たちが集まっている。
数千人の視線が、一斉に私へと向けられた。
私が姿を見せると、先日の殺伐とした空気は一変していた。
商人たちが、我先にとひれ伏して道を空ける。
彼らの瞳には、恐怖と尊敬、そして強い期待が混じっていた。
「リリア様だ! アークライト家のリリア様がお見えだぞ!」
「あの方が、悪徳商人たちを一網打尽にしたのか」
「なんて神々しいお姿なのだ……」
彼らのひそひそ話が、私の耳にも届いてくる。
私は、壇上の真ん中に立ち、ゆっくりと周囲を見渡した。
フェンとノクスも、私の両脇で堂々と胸を張っている。
「皆さん、新しい規約はすでに配布した通りです。これより、ポルトゥスは透明性の高い公正な取引のみを認めます」
私の声は、広場全体に凛として響き渡った。
魔法で声を大きくしているわけではない。
しかし、誰もが息を呑んで私の言葉に耳を傾けている。
「不正を働く者は、二度とこの港の土を踏めないと思いなさい。ですが、正直に汗を流す者には、私が最大限の利益を約束しましょう」
四歳の少女が放つ、圧倒的な威圧感。
商人たちは、生唾を飲み込んで私の言葉に聞き入っていた。
「まずは、銀行システムの導入試験を開始します。これより、現金での直接取引は原則禁止とし、アークライト商会の手形を使用してもらいます」
「て、手形ですか?」
一人の老商人が、不安そうに声を上げた。
彼は、紙切れ一枚で取引をすることに不安を感じているのだろう。
「そうです。重い硬貨を持ち運ぶリスクがなくなります。そして、全ての取引履歴が公的に記録される。これは皆さんの財産を守るためでもあるのです」
私は、現代的な銀行業務の利点を、彼らに分かりやすく説明した。
「例えば、皆さんは大量の金貨を馬車で運ぶ時、盗賊に襲われる心配をしたことはありませんか?」
「あります、ありますとも! 何度怖い目にあったことか」
別の商人が、大きく頷いて答えた。
「この手形を使えば、その心配はゼロになります。もし手形を盗まれても、私たちが支払いを止めることができるからです」
「おお……! それはすごい!」
広場に、どよめきが広がった。
「さらに、遠く離れた街への送金も、一瞬で完了します。もう、重い金貨を持って何日も旅をする必要はないのです」
最初は戸惑っていた商人たちも、私の具体的な計算を聞くうちに、顔色を変えていく。
手数料の安さと、決済の速さ。
それが、どれほどの利益を生むかを彼らは瞬時に理解した。
「さすがはリリア様だ……。我々の考えていることの、遥か先を行っておられる」
「これなら、商売の回転が倍になるぞ!」
「リリア様についていけば、間違いなく大儲けできる!」
感嘆の声が、あちこちから漏れ聞こえた。
彼らの目は、もはや私をただの貴族の娘とは見ていない。
富をもたらす女神として、崇めているようだった。
私は満足げに頷き、次の指示を出すために書類をめくった。
その時、一羽の伝書鳩が私の肩に舞い降りた。
足には、赤いリボンが結ばれている。
王都にいるセバスチャンからの、緊急の報せだ。
私は小さな筒から紙を取り出し、その内容に目を通した。
私の眉が、ぴくりと跳ねる。
「……王都の財務大臣が、私の銀行構想を『国家への反逆』だと言い始めたようね」
私の言葉に、周囲の空気が一瞬で凍りついた。
レオン様が、驚いて私の方を見る。
「反逆ですと!? 殿下の許可も得ているというのに!」
「ええ。どうやら、既得権益にしがみつく古狸たちが騒ぎ出したようね」
老獪な政治家たちが、私の利益を横取りしようと動き始めたのだ。
彼らにとって、私が作る新しいお金の流れは、自分たちの利権を脅かす邪魔な存在なのだろう。
「ふふ、面白いじゃない。私から金を奪おうなんて、百年早いですわ」
私の口元に、冷徹な挑戦の笑みが浮かんだ。
売られた喧嘩は、倍以上の値段をつけて買い取ってあげるのが私の流儀だ。
「レオン様、すぐに王都へ戻る準備を。財務省のゴミ掃除が必要になったわ」
「はっ! ただちに馬車の手配をいたします!」
レオン様は、喜びすら感じさせる声で答えた。
彼もまた、私の敵がどれほど悲惨な末路を辿るかを知っているのだ。
私は、フェンとノクスを抱き上げた。
二匹の瞳も、戦いの予感に鋭く光っている。
「さあ、行くわよ。悪い虫を退治しにね」
ポルトゥスの商人たちに別れを告げ、私は足早に馬車へと乗り込んだ。
「リリア様、ご武運を!」
「我々は、いつまでもリリア様をお待ちしております!」
商人たちの熱烈な声援を背に、私は出発の合図を出した。
「兄様、財務大臣の裏の交友関係、全て洗っておいてくださいね」
私は、窓の外の闇に向かって静かに命じた。
姿は見えないが、彼が近くにいることは分かっている。
「言われるまでもない。あいつの貯金箱の中身まで、全部数えておいてやるよ」
影の中から、ゼロ兄様の楽しそうな返事が返ってきた。
さすがは兄様だ。
私の欲しい情報を、言わなくても理解してくれている。
馬車は、王都に向けて最大速度で走り出した。
道中の揺れなど、今の私には全く気にならなかった。
いかにして、国家の予算という巨大な財布を私の支配下に置くか。
そのシミュレーションが、脳内で高速回転を続けている。
財務大臣の弱点はどこか。
彼が一番恐れているものは何か。
そして、どうすれば彼を社会的に抹殺できるか。
答えは、すでに私の中に出ていた。
数時間後、馬車は王都の第一関門に差し掛かった。
そこには、財務大臣直属の兵士たちが検問を敷いていた。
普段なら素通りできるはずの場所だ。
明らかに、私を足止めするための嫌がらせだった。
「止まれ! アークライト家の馬車だな。積み荷を検査させてもらう!」
兵士の一人が、強引に馬車を止めようとした。
槍を構えて、威圧的な態度を取っている。
「中に誰が乗っているか、分かっているのか!」
御者が怒鳴り返すが、兵士たちは引こうとしない。
「大臣の命令だ! 例外は認めん!」
私は、馬車のカーテンを静かに開けた。
「……私を誰だと思って、そんな口を利いているのかしら?」
私の冷たい視線が、兵士を射抜いた。
その兵士は、私の瞳に宿る魔力のような威圧感に、思わず数歩後ずさった。
「リ、リリア・アークライト……」
彼らも、私の噂は聞いているはずだ。
ポルトゥスをたった数日で制圧し、帝国軍すら手玉に取った少女。
その本人が、目の前にいるのだ。
「通りなさい。私の時間を一秒奪うごとに、あなたたちの給料を一割ずつ減らしてあげてもいいのよ?」
私の脅しは、冗談ではなかった。
私はすでに、兵士たちの給与支払いシステムの脆弱性を把握しているのだ。
彼らの給料が、どの商会を経由して支払われているか。
そして、その商会の首根っこを誰が押さえているか。
それを知れば、彼らは逆らうことなどできない。
兵士たちは、顔を真っ青にして慌てて柵を退けた。
彼らにとって、大臣の命令よりも明日の生活の方が大事なのだ。
「……失礼いたしました! お通りください!」
「それでいいわ。忠実な番犬には、ご褒美が必要ね」
私は、窓から銀貨を一枚弾き飛ばした。
兵士は、それを地面に這いつくばって拾い上げた。
馬車は、スピードを緩めることなく王都へと滑り込んでいった。
私の目的はただ一つ。
私の新しい「お城」を守り、私のビジネスを邪魔する者たちに絶望を与えること。
屋敷の門が見えてくると、セバスチャンがすでに玄関で待ち構えていた。
彼の姿を見ると、私はようやく家に帰ってきたのだと実感する。
「おかえりなさいませ、リリア様。戦場の準備は、全て整っております」
セバスチャンは、一通の分厚いファイルを私に差し出した。
それは、財務省の過去十年の予算執行記録の、非公式なコピーだった。
入手困難なはずの極秘資料が、なぜここにあるのか。
それは、セバスチャンの優秀さと、私の情報網の広さを証明していた。
「ありがとう、セバスチャン。中身は確認した?」
「はい。埃が出すぎて、部屋が汚れるほどでございました」
セバスチャンは、涼しい顔で皮肉を言った。
「いいわ。今夜は徹夜で、大臣の首を撥ねるための数字を見つけましょう」
私は、不敵に笑いながら屋敷の中へと入っていった。
私の戦いは、これからが本当の佳境に入るのだ。
フェンとノクスも、やる気満々で私の足元をついてくる。
さあ、楽しい数字合わせの時間の始まりだ。
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溺愛する女性がいるとの噂も!
それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。
それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから!
そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー
最後まで書きあがっていますので、随時更新します。
表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
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アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
世界最強の公爵様は娘が可愛くて仕方ない
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トゥイリアース王国の筆頭公爵家、ヴァーミリオン。その現当主アルベルト・ヴァーミリオンは、王宮のみならず王都ミリールにおいても名の通った人物であった。
まずその美貌。女性のみならず男性であっても、一目見ただけで誰もが目を奪われる。あと、公爵家だけあってお金持ちだ。王家始まって以来の最高の魔法使いなんて呼び名もある。実際、王国中の魔導士を集めても彼に敵う者は存在しなかった。
ただし、彼は持った全ての力を愛娘リリアンの為にしか使わない。
財力も、魔力も、顔の良さも、権力も。
なぜなら彼は、娘命の、究極の娘馬鹿だからだ。
※このお話は、日常系のギャグです。
※小説家になろう様にも掲載しています。
※2024年5月 タイトルとあらすじを変更しました。
魔力ゼロだからと婚約破棄された公爵令嬢、前世の知識で『魔法の公式』を解明してしまいました。
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追放先の辺境の地で、彼女は魔力ではなく『知識』を使い、生活を豊かにする画期的な道具を次々と開発。その技術は『失われた古代魔法』と噂になり、いつしか人々から本物の聖女よりも崇められる存在になっていく。
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獅子王の運命の番は、捨てられた猫獣人の私でした
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「もう誰にもお前を傷つけさせない」
一方、ミミを捨てた元夫は後悔の日々を送っていた。そんな彼の元に、次期王妃の披露パーティーの招待状が届く。そこで彼が目にしたのは、獅子王の隣で誰よりも美しく輝く、ミミの姿だった――。
これは、不遇な少女が本当の愛を見つけ、最高に幸せになるまでの逆転溺愛ストーリー。
※気を抜くと読点だらけになることがあるので、読みづらさを感じたら教えてくれるとうれしいです。
祝:女性HOT69位!(2025年8月25日4時05分)
→27位へ!(8/25 19:21)→11位へ!(8/26 22:38)→6位へ!(8月27日 20:01)→3位へ!(8月28日 2:35)
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