ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

旅する書斎(☆ほしい)

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第72話 黄金のタルトと愚者の首輪

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翌朝、私は西方の太陽のような黄金色のタルトで目を覚ました。
王都の別邸、その最上階にある私の寝室には、朝日と共に甘く芳醇な香りが満ちている。
サイドテーブルに置かれた銀の皿の上で、焼き立てのタルトが湯気を立てていた。
幾重にも折り重なったサクサクのパイ生地の器に、濃厚なカスタードクリームがなみなみと注がれ、その上にはシロップ漬けにされた西方の果実が、宝石のように並べられている。
私はベッドから身を起こし、寝巻きのままフォークを手に取った。
先端を軽く突き刺すと、パリッという軽快な音と共に生地が崩れ、とろりとしたクリームが溢れ出す。
それを口へと運ぶ。

「……んっ、素晴らしいわ」

舌の上で、太陽が弾けたようだった。
西方の果実特有の、強烈だが爽やかな酸味。
それを濃厚なカスタードの甘みが優しく包み込み、バターの香ばしさが鼻腔を抜けていく。
朝一番の空腹の胃袋に、糖分という名の活力が染み渡る。
これこそが、私が求めている「豊かさ」の味だ。
私は一口かじるごとに脳が覚醒していくのを感じながら、今日の予定を脳内で高速整理した。
西方の果樹園での不正、これは単なる横領ではない。
市場価格を意図的に操作しようとする、悪質かつ組織的な仕掛けの匂いがする。
タルトの甘さとは対照的な、苦い毒の味がした。

「おはようございます、リリア様。昨夜の調査結果をお持ちしました」

タイミングを見計らったように、カシアンが執務室から姿を現した。
彼の手には、最新の市場相場表と、独自の調査報告書が握られている。
私はタルトの最後の一口を飲み込み、ナプキンで口元を拭ってから彼に向き直った。

「早いわね、カシアン。それで? 王都のレモン相場はどうなっているのかしら」

「異常事態です。王都の中央市場におけるレモンの卸値が、昨日に比べて三割も急騰しております」
「三割……。現地の収穫報告書には、過去最高レベルの豊作だと書いてあるわね」

私はカシアンが広げた資料を一瞥し、冷ややかに鼻を鳴らした。
供給が増えれば価格は下がる。
それが経済の基本原則だ。
豊作なのに価格が上がるなど、人為的な介入以外にあり得ない。

「はい。調査の結果、産地と王都を結ぶ中間の運送業者が、意図的に荷を止めていることが判明しました」
「彼らは倉庫にレモンを山積みにし、『品薄だ』と嘘の情報を流して価格を吊り上げているのです」

「私の鉄道を無視して、わざわざ馬車で運んでいるのかしら」

「そのようです。リリア様の鉄道網を使えば、輸送状況が全てガラス張りになってしまいますから。彼らは古い街道を使い、検問を避けて裏ルートで流通させています」

「非効率なことを。時間と燃料の無駄遣いだわ」

私は扇をパチリと閉じ、呆れ果てた溜息をついた。
自分たちの小銭稼ぎのために、社会全体の効率を下げる。
私が最も嫌悪する、「無能な働き者」の典型だ。
彼らは気づいていないのだ。
私の敷いたレールの上を走らないということが、どれほどのリスクを伴うのかを。

「その運送会社、名前は?」

「『黒馬車運送』です。バックには、数名の小貴族がついているという噂も」

「小物が群れて、私の朝食を邪魔したというわけね」

私は立ち上がり、窓の外に広がる王都の街並みを見下ろした。
この街の経済は、私の血管のようなものだ。
そこに血栓を作るような輩は、外科手術で取り除くしかない。

「その運送会社、アークライトの傘下に入れてしまいなさい」

「えっ。……買収、ということでございますか? しかし、彼らが素直に応じるとは」

「応じるも何も、選択肢など与えませんわ」

私は振り返り、カシアンに冷酷な命令を下した。

「彼らの抱えている借金、未払いの給与、ツケになっている酒代に至るまで、全ての債権を買い叩きなさい」
「そして、即時の全額返済を迫るのよ。払えなければ、代物弁済として会社の資産、権利、従業員、全てを私が頂くわ」
「明日から私の指示に従わせるの。抵抗するなら、彼らの名前を『信用情報ブラックリスト』に載せて、パン一つ買えないようにしてあげなさい」

カシアンは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにその眼鏡の奥を鋭く光らせて筆を走らせた。

「承知いたしました。……相変わらず、リリア様のやり方は慈悲がありませんな」

「あら、最大の慈悲ですわよ? 無能な経営者から解放された従業員たちは、私の下で働くことで初めてまともな給料を手にできるのですから」

私のやり方は、常に合理的で、そして情け容赦がない。
無駄な競争はコストを上げるだけ。
独占こそが、価格を安定させ、品質を保証し、そして私の利益を最大化させる唯一の道なのだ。

「リリア様、参内の準備が整いました」

セバスチャンが扉を開け、私を馬車へとエスコートする。
今日はアーノルド殿下と、西方の開発計画に関する次期予算の打ち合わせがある。
私は純白のドレスに身を包み、フェンとノクスを従えて馬車に乗り込んだ。
王都の石畳を、馬車が軽快な音を立てて進んでいく。
そのリズムは、私の快進撃を刻むメトロノームのようだった。

王宮の回廊を進むと、衛兵たちが敬礼をして道を開ける。
今や私の顔パスは、高位の貴族以上だ。
「白薔薇の間」に入ると、アーノルド殿下が待ち構えていたかのように振り返った。

「やあ、リリア。待っていたよ」

殿下の顔色は良い。
私の提供した「雪原カモ」と「缶詰」のおかげで、軍の士気が上がり、国境問題が片付いたからだろう。

「リリア。北の塩の問題、一日で解決したと聞いたよ」
「ええ。ネズミたちは、今頃アイゼンの地下で、社会への奉仕活動(強制労働)に汗を流していますわ」

「ははは! 奉仕活動か。君の辞書は、言葉の定義が独特で面白いな」
「君の仕事の速さには、いつも舌を巻く。それで、次は西か」

「はい。西方のレモンが、私のケーキを待っていますもの」

私は殿下の隣に座り、テーブルの上に巨大な地図を広げた。
そこに描かれているのは、アークライト鉄道の延伸計画図だ。
現在の終着点から、さらに西へ。
砂漠を越え、オアシスを繋ぎ、未開の資源地帯まで一気にレールを敷く、壮大な青写真である。

「殿下。この工事費、すべてアークライト銀行が負担しますわ」

「……全額か? 国家予算に匹敵する額だぞ」

「構いません。私には、それだけの資金力があります。その代わり、条件がありますの」

私は地図上の、線路が通る予定の地域を指でなぞった。

「沿線の土地の利用権、及び地下資源の採掘権。これを百年分、私に頂戴します」

「……百年か。君が生きている間は、ずっと君の領土だな」

殿下は呆れたように、しかし感心したように呟いた。
百年という期間は、実質的な永久譲渡に等しい。
私がその土地に街を作り、工場を建て、経済圏を作る。
それは国の中に、もう一つの国を作るようなものだ。

「あら、アークライト家は永遠ですもの。問題ありませんわ」
「それに、私が開発すれば、そこから上がる税収だけで国庫は潤います。殿下は、何もせずに財布が重くなる。悪い話ではないでしょう?」

「違いない。君に任せておけば、砂漠からでも黄金が湧いてくるからな」

殿下は苦笑しながら、許可証に黄金の印章を力強く押した。
これで西方の支配は、名実ともに私のものとなる。
契約成立だ。

私は殿下に優雅に礼を言い、王宮を後にしようとした。
長い廊下を歩いていると、前方から数人の男たちが歩いてくるのが見えた。
彼らは私を見ると、露骨に顔をしかめ、行く手を塞ぐように広がった。
その中心にいるのは、ひときわ身なりの良い、しかし目つきの悪い男だ。
バーストン公爵の縁者で、財務省の次官を務める男だと、記憶している。

「アークライト嬢。あまり調子に乗らない方がよろしい」

男は私を見下ろし、不快そうに鼻を鳴らした。
その態度には、成り上がりの少女に対する嫉妬と、古い貴族特有の傲慢さが滲み出ている。

「たかが子供が、国のインフラを牛耳るなど言語道断だ」
「鉄道だの銀行だの、商売ごっこもいい加減にしろ。我々貴族が、お前の勝手な振る舞いをいつまでも許すとでも思っているのか?」

取り巻きたちが、嘲笑うようにクスクスと笑う。
彼らは本気で思っているのだ。
自分たちこそが国の支配者であり、私のような商人は、彼らの許可なしには息もできない存在だと。
……哀れだわ。
時代の変化が見えていない化石たち。

私は足を止め、その男をじっと見つめ返した。
私の瞳には、アメジストの冷たい炎が宿っている。
周囲の空気が、一瞬で凍りついたように重くなる。

「次官。あなたの昨夜の晩餐、何をお召し上がりでした?」

私の唐突な質問に、男は虚を突かれた顔をした。

「はあ? それが、何の関係があるのだ」
「答えなさい」

私の声には、逆らうことを許さない絶対的な響きがあった。
男は気圧され、しぶしぶと答える。

「……カモのローストと、最高級の白パンだ。それがどうした」

「カモは北のアイゼン領から、私の鉄道が運びました。白パンに使われた小麦は、西の穀倉地帯から、私の物流網が届けました」
「それと、あなたが今着ているその絹の服。東のシオン王国から、私の商会が輸入したものです」
「乗ってきた馬車も、車輪の部品は私の工場で作られたものですね」

私は一歩歩み寄り、彼に逃げ場のない事実を突きつけた。
私の歩みに合わせて、フェンが低く唸り、ノクスが鋭い爪を光らせる。

「それらすべて、私のアークライト商会が提供したものですわ」
「私がお口を閉じれば、あなたの食卓は明日から空っぽになります」
「服も着られず、馬車にも乗れず、冬には暖炉の薪すら届かなくなる」
「あなたは、私の掌の上で生かされているに過ぎないのです」

男の顔から、血の気が引いていく。
彼は初めて気づいたのだ。
自分の生活の全てが、私のビジネスによって支えられているという事実に。

「私に逆らうことは、文明そのものを拒絶することですわよ?」
「それとも、森で木の実でも拾って暮らしますか? それなら、邪魔はいたしませんけれど」

「あ、あ……う……」

男は顔を真っ赤にし、やがて真っ青になって震え始めた。
言葉が出ない。
反論しようにも、私の言葉は全て変えようのない事実なのだ。
四歳の、いや六歳の少女に、生存権そのものを握られている。
その恐怖は、どんな剣よりも深く、彼のアカデミックなプライドに刻まれただろう。

「ごきげんよう。……ああ、次からはもっとマシな服を着ていらっしゃい。私のブランドの服を着る資格、あなたにはありませんわ」

私はそのまま彼を無視し、優雅に歩き出した。
男たちが道を開ける。
まるで、モーゼが海を割るかのように。

「フェン、ノクス。つまらない虫がいましたわね」

「わんっ! あんなやつ、ぼくが鼻息で吹き飛ばしてあげます! リリアさまのじゃまをするなんて、100ねんはやいです!」
「にゃあ。お腹が空いている時に、ああいう不味そうな人間を見るのは嫌いよ。毛玉を吐きたくなるわ」

二匹の頼もしい声に、私は満足げに頷いた。
力なき正義が無力であるように、財力なき権威もまた、無力なのだ。

屋敷に戻ると、庭園でバーベキューの準備が始まっていた。
炭火の爆ぜる音と、食欲をそそる香りが漂ってくる。
今日はアイゼン候から特別便で届いた、新鮮な川魚を焼くのだ。
セバスチャンが腕を振るい、魚を黄金色に焼き上げている。
皮がパリパリに焼け、脂が滴り落ちて煙を上げている。

「リリア様。シオン王国の熟成醤油と、たった今届いたばかりの西方のレモンを添えました」

「素晴らしいわ。これぞ、私の経済圏の結晶ね」

私は席に着き、焼きたての魚にレモンをたっぷりと絞った。
ジュッ、という音と共に、柑橘の爽やかな香りが立ち昇る。
そこに醤油をひと垂らし。
香ばしい匂いと、果実の酸味が空気に溶け合い、奇跡のようなハーモニーを生み出す。
私は箸で身をほぐし、一切れを口に運んだ。

「……んんっ!」

皮の香ばしさ、身のふっくらとした甘み。
そこにレモンの酸味が加わることで、脂の重さが消え、いくらでも食べられそうな軽やかさが生まれる。
そして醤油のコクが、全体を力強くまとめ上げている。
至高の喜びだ。
口の中が、幸せで満たされていく。

「美味しい……。北の魚と、東の醤油と、西のレモン。これらが一つの皿の上で出会うなんて、私の鉄道がなければあり得なかった奇跡だわ」

私は夢中で食べ続け、次の投資先を頭の中で弾き出した。
北、西、東。
陸のルートはほぼ制圧した。
ならば次は、海だ。
東の海、そこにはまだ私の知らない巨大な魚や、未知の海産物が眠っているはずだ。
そこに巨大な港を作り、私の鉄道と直結させる。
そうすれば、遠い異国のスパイスや、深海の珍味までもが、私の手に入る。
世界中の全ての「美味しい」が、私のテーブルに集結するのだ。

私は最後の一口を飲み込み、空を見上げて微笑んだ。
青空の向こうに、まだ見ぬ市場と食材が待っている。

「セバスチャン。明日は、東の海域の調査報告書を。一番詳細なやつをお願いね」

「かしこまりました。すでに東の領主の借金状況まで、調査済みでございます」

さすがは私の執事だ。
私の進撃は、一秒の淀みもなく続いていく。
美味しいもののためなら、大陸の形を変えることさえ厭わない。
私は六歳になり、世界はさらに私の色に染まりつつあった。

「さあ、フェン、ノクス。お代わりはあるかしら?」

私の問いに、二匹は口の周りを魚の脂で光らせながら、元気よく鳴いて答えてくれた。
私のテーブルには、まだ見ぬご馳走と莫大な富が、山のように待っている。
そう思うと、私は楽しくて仕方がなかった。
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