72 / 90
第72話 黄金のタルトと愚者の首輪
しおりを挟む
翌朝、私は西方の太陽のような黄金色のタルトで目を覚ました。
王都の別邸、その最上階にある私の寝室には、朝日と共に甘く芳醇な香りが満ちている。
サイドテーブルに置かれた銀の皿の上で、焼き立てのタルトが湯気を立てていた。
幾重にも折り重なったサクサクのパイ生地の器に、濃厚なカスタードクリームがなみなみと注がれ、その上にはシロップ漬けにされた西方の果実が、宝石のように並べられている。
私はベッドから身を起こし、寝巻きのままフォークを手に取った。
先端を軽く突き刺すと、パリッという軽快な音と共に生地が崩れ、とろりとしたクリームが溢れ出す。
それを口へと運ぶ。
「……んっ、素晴らしいわ」
舌の上で、太陽が弾けたようだった。
西方の果実特有の、強烈だが爽やかな酸味。
それを濃厚なカスタードの甘みが優しく包み込み、バターの香ばしさが鼻腔を抜けていく。
朝一番の空腹の胃袋に、糖分という名の活力が染み渡る。
これこそが、私が求めている「豊かさ」の味だ。
私は一口かじるごとに脳が覚醒していくのを感じながら、今日の予定を脳内で高速整理した。
西方の果樹園での不正、これは単なる横領ではない。
市場価格を意図的に操作しようとする、悪質かつ組織的な仕掛けの匂いがする。
タルトの甘さとは対照的な、苦い毒の味がした。
「おはようございます、リリア様。昨夜の調査結果をお持ちしました」
タイミングを見計らったように、カシアンが執務室から姿を現した。
彼の手には、最新の市場相場表と、独自の調査報告書が握られている。
私はタルトの最後の一口を飲み込み、ナプキンで口元を拭ってから彼に向き直った。
「早いわね、カシアン。それで? 王都のレモン相場はどうなっているのかしら」
「異常事態です。王都の中央市場におけるレモンの卸値が、昨日に比べて三割も急騰しております」
「三割……。現地の収穫報告書には、過去最高レベルの豊作だと書いてあるわね」
私はカシアンが広げた資料を一瞥し、冷ややかに鼻を鳴らした。
供給が増えれば価格は下がる。
それが経済の基本原則だ。
豊作なのに価格が上がるなど、人為的な介入以外にあり得ない。
「はい。調査の結果、産地と王都を結ぶ中間の運送業者が、意図的に荷を止めていることが判明しました」
「彼らは倉庫にレモンを山積みにし、『品薄だ』と嘘の情報を流して価格を吊り上げているのです」
「私の鉄道を無視して、わざわざ馬車で運んでいるのかしら」
「そのようです。リリア様の鉄道網を使えば、輸送状況が全てガラス張りになってしまいますから。彼らは古い街道を使い、検問を避けて裏ルートで流通させています」
「非効率なことを。時間と燃料の無駄遣いだわ」
私は扇をパチリと閉じ、呆れ果てた溜息をついた。
自分たちの小銭稼ぎのために、社会全体の効率を下げる。
私が最も嫌悪する、「無能な働き者」の典型だ。
彼らは気づいていないのだ。
私の敷いたレールの上を走らないということが、どれほどのリスクを伴うのかを。
「その運送会社、名前は?」
「『黒馬車運送』です。バックには、数名の小貴族がついているという噂も」
「小物が群れて、私の朝食を邪魔したというわけね」
私は立ち上がり、窓の外に広がる王都の街並みを見下ろした。
この街の経済は、私の血管のようなものだ。
そこに血栓を作るような輩は、外科手術で取り除くしかない。
「その運送会社、アークライトの傘下に入れてしまいなさい」
「えっ。……買収、ということでございますか? しかし、彼らが素直に応じるとは」
「応じるも何も、選択肢など与えませんわ」
私は振り返り、カシアンに冷酷な命令を下した。
「彼らの抱えている借金、未払いの給与、ツケになっている酒代に至るまで、全ての債権を買い叩きなさい」
「そして、即時の全額返済を迫るのよ。払えなければ、代物弁済として会社の資産、権利、従業員、全てを私が頂くわ」
「明日から私の指示に従わせるの。抵抗するなら、彼らの名前を『信用情報ブラックリスト』に載せて、パン一つ買えないようにしてあげなさい」
カシアンは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにその眼鏡の奥を鋭く光らせて筆を走らせた。
「承知いたしました。……相変わらず、リリア様のやり方は慈悲がありませんな」
「あら、最大の慈悲ですわよ? 無能な経営者から解放された従業員たちは、私の下で働くことで初めてまともな給料を手にできるのですから」
私のやり方は、常に合理的で、そして情け容赦がない。
無駄な競争はコストを上げるだけ。
独占こそが、価格を安定させ、品質を保証し、そして私の利益を最大化させる唯一の道なのだ。
「リリア様、参内の準備が整いました」
セバスチャンが扉を開け、私を馬車へとエスコートする。
今日はアーノルド殿下と、西方の開発計画に関する次期予算の打ち合わせがある。
私は純白のドレスに身を包み、フェンとノクスを従えて馬車に乗り込んだ。
王都の石畳を、馬車が軽快な音を立てて進んでいく。
そのリズムは、私の快進撃を刻むメトロノームのようだった。
王宮の回廊を進むと、衛兵たちが敬礼をして道を開ける。
今や私の顔パスは、高位の貴族以上だ。
「白薔薇の間」に入ると、アーノルド殿下が待ち構えていたかのように振り返った。
「やあ、リリア。待っていたよ」
殿下の顔色は良い。
私の提供した「雪原カモ」と「缶詰」のおかげで、軍の士気が上がり、国境問題が片付いたからだろう。
「リリア。北の塩の問題、一日で解決したと聞いたよ」
「ええ。ネズミたちは、今頃アイゼンの地下で、社会への奉仕活動(強制労働)に汗を流していますわ」
「ははは! 奉仕活動か。君の辞書は、言葉の定義が独特で面白いな」
「君の仕事の速さには、いつも舌を巻く。それで、次は西か」
「はい。西方のレモンが、私のケーキを待っていますもの」
私は殿下の隣に座り、テーブルの上に巨大な地図を広げた。
そこに描かれているのは、アークライト鉄道の延伸計画図だ。
現在の終着点から、さらに西へ。
砂漠を越え、オアシスを繋ぎ、未開の資源地帯まで一気にレールを敷く、壮大な青写真である。
「殿下。この工事費、すべてアークライト銀行が負担しますわ」
「……全額か? 国家予算に匹敵する額だぞ」
「構いません。私には、それだけの資金力があります。その代わり、条件がありますの」
私は地図上の、線路が通る予定の地域を指でなぞった。
「沿線の土地の利用権、及び地下資源の採掘権。これを百年分、私に頂戴します」
「……百年か。君が生きている間は、ずっと君の領土だな」
殿下は呆れたように、しかし感心したように呟いた。
百年という期間は、実質的な永久譲渡に等しい。
私がその土地に街を作り、工場を建て、経済圏を作る。
それは国の中に、もう一つの国を作るようなものだ。
「あら、アークライト家は永遠ですもの。問題ありませんわ」
「それに、私が開発すれば、そこから上がる税収だけで国庫は潤います。殿下は、何もせずに財布が重くなる。悪い話ではないでしょう?」
「違いない。君に任せておけば、砂漠からでも黄金が湧いてくるからな」
殿下は苦笑しながら、許可証に黄金の印章を力強く押した。
これで西方の支配は、名実ともに私のものとなる。
契約成立だ。
私は殿下に優雅に礼を言い、王宮を後にしようとした。
長い廊下を歩いていると、前方から数人の男たちが歩いてくるのが見えた。
彼らは私を見ると、露骨に顔をしかめ、行く手を塞ぐように広がった。
その中心にいるのは、ひときわ身なりの良い、しかし目つきの悪い男だ。
バーストン公爵の縁者で、財務省の次官を務める男だと、記憶している。
「アークライト嬢。あまり調子に乗らない方がよろしい」
男は私を見下ろし、不快そうに鼻を鳴らした。
その態度には、成り上がりの少女に対する嫉妬と、古い貴族特有の傲慢さが滲み出ている。
「たかが子供が、国のインフラを牛耳るなど言語道断だ」
「鉄道だの銀行だの、商売ごっこもいい加減にしろ。我々貴族が、お前の勝手な振る舞いをいつまでも許すとでも思っているのか?」
取り巻きたちが、嘲笑うようにクスクスと笑う。
彼らは本気で思っているのだ。
自分たちこそが国の支配者であり、私のような商人は、彼らの許可なしには息もできない存在だと。
……哀れだわ。
時代の変化が見えていない化石たち。
私は足を止め、その男をじっと見つめ返した。
私の瞳には、アメジストの冷たい炎が宿っている。
周囲の空気が、一瞬で凍りついたように重くなる。
「次官。あなたの昨夜の晩餐、何をお召し上がりでした?」
私の唐突な質問に、男は虚を突かれた顔をした。
「はあ? それが、何の関係があるのだ」
「答えなさい」
私の声には、逆らうことを許さない絶対的な響きがあった。
男は気圧され、しぶしぶと答える。
「……カモのローストと、最高級の白パンだ。それがどうした」
「カモは北のアイゼン領から、私の鉄道が運びました。白パンに使われた小麦は、西の穀倉地帯から、私の物流網が届けました」
「それと、あなたが今着ているその絹の服。東のシオン王国から、私の商会が輸入したものです」
「乗ってきた馬車も、車輪の部品は私の工場で作られたものですね」
私は一歩歩み寄り、彼に逃げ場のない事実を突きつけた。
私の歩みに合わせて、フェンが低く唸り、ノクスが鋭い爪を光らせる。
「それらすべて、私のアークライト商会が提供したものですわ」
「私がお口を閉じれば、あなたの食卓は明日から空っぽになります」
「服も着られず、馬車にも乗れず、冬には暖炉の薪すら届かなくなる」
「あなたは、私の掌の上で生かされているに過ぎないのです」
男の顔から、血の気が引いていく。
彼は初めて気づいたのだ。
自分の生活の全てが、私のビジネスによって支えられているという事実に。
「私に逆らうことは、文明そのものを拒絶することですわよ?」
「それとも、森で木の実でも拾って暮らしますか? それなら、邪魔はいたしませんけれど」
「あ、あ……う……」
男は顔を真っ赤にし、やがて真っ青になって震え始めた。
言葉が出ない。
反論しようにも、私の言葉は全て変えようのない事実なのだ。
四歳の、いや六歳の少女に、生存権そのものを握られている。
その恐怖は、どんな剣よりも深く、彼のアカデミックなプライドに刻まれただろう。
「ごきげんよう。……ああ、次からはもっとマシな服を着ていらっしゃい。私のブランドの服を着る資格、あなたにはありませんわ」
私はそのまま彼を無視し、優雅に歩き出した。
男たちが道を開ける。
まるで、モーゼが海を割るかのように。
「フェン、ノクス。つまらない虫がいましたわね」
「わんっ! あんなやつ、ぼくが鼻息で吹き飛ばしてあげます! リリアさまのじゃまをするなんて、100ねんはやいです!」
「にゃあ。お腹が空いている時に、ああいう不味そうな人間を見るのは嫌いよ。毛玉を吐きたくなるわ」
二匹の頼もしい声に、私は満足げに頷いた。
力なき正義が無力であるように、財力なき権威もまた、無力なのだ。
屋敷に戻ると、庭園でバーベキューの準備が始まっていた。
炭火の爆ぜる音と、食欲をそそる香りが漂ってくる。
今日はアイゼン候から特別便で届いた、新鮮な川魚を焼くのだ。
セバスチャンが腕を振るい、魚を黄金色に焼き上げている。
皮がパリパリに焼け、脂が滴り落ちて煙を上げている。
「リリア様。シオン王国の熟成醤油と、たった今届いたばかりの西方のレモンを添えました」
「素晴らしいわ。これぞ、私の経済圏の結晶ね」
私は席に着き、焼きたての魚にレモンをたっぷりと絞った。
ジュッ、という音と共に、柑橘の爽やかな香りが立ち昇る。
そこに醤油をひと垂らし。
香ばしい匂いと、果実の酸味が空気に溶け合い、奇跡のようなハーモニーを生み出す。
私は箸で身をほぐし、一切れを口に運んだ。
「……んんっ!」
皮の香ばしさ、身のふっくらとした甘み。
そこにレモンの酸味が加わることで、脂の重さが消え、いくらでも食べられそうな軽やかさが生まれる。
そして醤油のコクが、全体を力強くまとめ上げている。
至高の喜びだ。
口の中が、幸せで満たされていく。
「美味しい……。北の魚と、東の醤油と、西のレモン。これらが一つの皿の上で出会うなんて、私の鉄道がなければあり得なかった奇跡だわ」
私は夢中で食べ続け、次の投資先を頭の中で弾き出した。
北、西、東。
陸のルートはほぼ制圧した。
ならば次は、海だ。
東の海、そこにはまだ私の知らない巨大な魚や、未知の海産物が眠っているはずだ。
そこに巨大な港を作り、私の鉄道と直結させる。
そうすれば、遠い異国のスパイスや、深海の珍味までもが、私の手に入る。
世界中の全ての「美味しい」が、私のテーブルに集結するのだ。
私は最後の一口を飲み込み、空を見上げて微笑んだ。
青空の向こうに、まだ見ぬ市場と食材が待っている。
「セバスチャン。明日は、東の海域の調査報告書を。一番詳細なやつをお願いね」
「かしこまりました。すでに東の領主の借金状況まで、調査済みでございます」
さすがは私の執事だ。
私の進撃は、一秒の淀みもなく続いていく。
美味しいもののためなら、大陸の形を変えることさえ厭わない。
私は六歳になり、世界はさらに私の色に染まりつつあった。
「さあ、フェン、ノクス。お代わりはあるかしら?」
私の問いに、二匹は口の周りを魚の脂で光らせながら、元気よく鳴いて答えてくれた。
私のテーブルには、まだ見ぬご馳走と莫大な富が、山のように待っている。
そう思うと、私は楽しくて仕方がなかった。
王都の別邸、その最上階にある私の寝室には、朝日と共に甘く芳醇な香りが満ちている。
サイドテーブルに置かれた銀の皿の上で、焼き立てのタルトが湯気を立てていた。
幾重にも折り重なったサクサクのパイ生地の器に、濃厚なカスタードクリームがなみなみと注がれ、その上にはシロップ漬けにされた西方の果実が、宝石のように並べられている。
私はベッドから身を起こし、寝巻きのままフォークを手に取った。
先端を軽く突き刺すと、パリッという軽快な音と共に生地が崩れ、とろりとしたクリームが溢れ出す。
それを口へと運ぶ。
「……んっ、素晴らしいわ」
舌の上で、太陽が弾けたようだった。
西方の果実特有の、強烈だが爽やかな酸味。
それを濃厚なカスタードの甘みが優しく包み込み、バターの香ばしさが鼻腔を抜けていく。
朝一番の空腹の胃袋に、糖分という名の活力が染み渡る。
これこそが、私が求めている「豊かさ」の味だ。
私は一口かじるごとに脳が覚醒していくのを感じながら、今日の予定を脳内で高速整理した。
西方の果樹園での不正、これは単なる横領ではない。
市場価格を意図的に操作しようとする、悪質かつ組織的な仕掛けの匂いがする。
タルトの甘さとは対照的な、苦い毒の味がした。
「おはようございます、リリア様。昨夜の調査結果をお持ちしました」
タイミングを見計らったように、カシアンが執務室から姿を現した。
彼の手には、最新の市場相場表と、独自の調査報告書が握られている。
私はタルトの最後の一口を飲み込み、ナプキンで口元を拭ってから彼に向き直った。
「早いわね、カシアン。それで? 王都のレモン相場はどうなっているのかしら」
「異常事態です。王都の中央市場におけるレモンの卸値が、昨日に比べて三割も急騰しております」
「三割……。現地の収穫報告書には、過去最高レベルの豊作だと書いてあるわね」
私はカシアンが広げた資料を一瞥し、冷ややかに鼻を鳴らした。
供給が増えれば価格は下がる。
それが経済の基本原則だ。
豊作なのに価格が上がるなど、人為的な介入以外にあり得ない。
「はい。調査の結果、産地と王都を結ぶ中間の運送業者が、意図的に荷を止めていることが判明しました」
「彼らは倉庫にレモンを山積みにし、『品薄だ』と嘘の情報を流して価格を吊り上げているのです」
「私の鉄道を無視して、わざわざ馬車で運んでいるのかしら」
「そのようです。リリア様の鉄道網を使えば、輸送状況が全てガラス張りになってしまいますから。彼らは古い街道を使い、検問を避けて裏ルートで流通させています」
「非効率なことを。時間と燃料の無駄遣いだわ」
私は扇をパチリと閉じ、呆れ果てた溜息をついた。
自分たちの小銭稼ぎのために、社会全体の効率を下げる。
私が最も嫌悪する、「無能な働き者」の典型だ。
彼らは気づいていないのだ。
私の敷いたレールの上を走らないということが、どれほどのリスクを伴うのかを。
「その運送会社、名前は?」
「『黒馬車運送』です。バックには、数名の小貴族がついているという噂も」
「小物が群れて、私の朝食を邪魔したというわけね」
私は立ち上がり、窓の外に広がる王都の街並みを見下ろした。
この街の経済は、私の血管のようなものだ。
そこに血栓を作るような輩は、外科手術で取り除くしかない。
「その運送会社、アークライトの傘下に入れてしまいなさい」
「えっ。……買収、ということでございますか? しかし、彼らが素直に応じるとは」
「応じるも何も、選択肢など与えませんわ」
私は振り返り、カシアンに冷酷な命令を下した。
「彼らの抱えている借金、未払いの給与、ツケになっている酒代に至るまで、全ての債権を買い叩きなさい」
「そして、即時の全額返済を迫るのよ。払えなければ、代物弁済として会社の資産、権利、従業員、全てを私が頂くわ」
「明日から私の指示に従わせるの。抵抗するなら、彼らの名前を『信用情報ブラックリスト』に載せて、パン一つ買えないようにしてあげなさい」
カシアンは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにその眼鏡の奥を鋭く光らせて筆を走らせた。
「承知いたしました。……相変わらず、リリア様のやり方は慈悲がありませんな」
「あら、最大の慈悲ですわよ? 無能な経営者から解放された従業員たちは、私の下で働くことで初めてまともな給料を手にできるのですから」
私のやり方は、常に合理的で、そして情け容赦がない。
無駄な競争はコストを上げるだけ。
独占こそが、価格を安定させ、品質を保証し、そして私の利益を最大化させる唯一の道なのだ。
「リリア様、参内の準備が整いました」
セバスチャンが扉を開け、私を馬車へとエスコートする。
今日はアーノルド殿下と、西方の開発計画に関する次期予算の打ち合わせがある。
私は純白のドレスに身を包み、フェンとノクスを従えて馬車に乗り込んだ。
王都の石畳を、馬車が軽快な音を立てて進んでいく。
そのリズムは、私の快進撃を刻むメトロノームのようだった。
王宮の回廊を進むと、衛兵たちが敬礼をして道を開ける。
今や私の顔パスは、高位の貴族以上だ。
「白薔薇の間」に入ると、アーノルド殿下が待ち構えていたかのように振り返った。
「やあ、リリア。待っていたよ」
殿下の顔色は良い。
私の提供した「雪原カモ」と「缶詰」のおかげで、軍の士気が上がり、国境問題が片付いたからだろう。
「リリア。北の塩の問題、一日で解決したと聞いたよ」
「ええ。ネズミたちは、今頃アイゼンの地下で、社会への奉仕活動(強制労働)に汗を流していますわ」
「ははは! 奉仕活動か。君の辞書は、言葉の定義が独特で面白いな」
「君の仕事の速さには、いつも舌を巻く。それで、次は西か」
「はい。西方のレモンが、私のケーキを待っていますもの」
私は殿下の隣に座り、テーブルの上に巨大な地図を広げた。
そこに描かれているのは、アークライト鉄道の延伸計画図だ。
現在の終着点から、さらに西へ。
砂漠を越え、オアシスを繋ぎ、未開の資源地帯まで一気にレールを敷く、壮大な青写真である。
「殿下。この工事費、すべてアークライト銀行が負担しますわ」
「……全額か? 国家予算に匹敵する額だぞ」
「構いません。私には、それだけの資金力があります。その代わり、条件がありますの」
私は地図上の、線路が通る予定の地域を指でなぞった。
「沿線の土地の利用権、及び地下資源の採掘権。これを百年分、私に頂戴します」
「……百年か。君が生きている間は、ずっと君の領土だな」
殿下は呆れたように、しかし感心したように呟いた。
百年という期間は、実質的な永久譲渡に等しい。
私がその土地に街を作り、工場を建て、経済圏を作る。
それは国の中に、もう一つの国を作るようなものだ。
「あら、アークライト家は永遠ですもの。問題ありませんわ」
「それに、私が開発すれば、そこから上がる税収だけで国庫は潤います。殿下は、何もせずに財布が重くなる。悪い話ではないでしょう?」
「違いない。君に任せておけば、砂漠からでも黄金が湧いてくるからな」
殿下は苦笑しながら、許可証に黄金の印章を力強く押した。
これで西方の支配は、名実ともに私のものとなる。
契約成立だ。
私は殿下に優雅に礼を言い、王宮を後にしようとした。
長い廊下を歩いていると、前方から数人の男たちが歩いてくるのが見えた。
彼らは私を見ると、露骨に顔をしかめ、行く手を塞ぐように広がった。
その中心にいるのは、ひときわ身なりの良い、しかし目つきの悪い男だ。
バーストン公爵の縁者で、財務省の次官を務める男だと、記憶している。
「アークライト嬢。あまり調子に乗らない方がよろしい」
男は私を見下ろし、不快そうに鼻を鳴らした。
その態度には、成り上がりの少女に対する嫉妬と、古い貴族特有の傲慢さが滲み出ている。
「たかが子供が、国のインフラを牛耳るなど言語道断だ」
「鉄道だの銀行だの、商売ごっこもいい加減にしろ。我々貴族が、お前の勝手な振る舞いをいつまでも許すとでも思っているのか?」
取り巻きたちが、嘲笑うようにクスクスと笑う。
彼らは本気で思っているのだ。
自分たちこそが国の支配者であり、私のような商人は、彼らの許可なしには息もできない存在だと。
……哀れだわ。
時代の変化が見えていない化石たち。
私は足を止め、その男をじっと見つめ返した。
私の瞳には、アメジストの冷たい炎が宿っている。
周囲の空気が、一瞬で凍りついたように重くなる。
「次官。あなたの昨夜の晩餐、何をお召し上がりでした?」
私の唐突な質問に、男は虚を突かれた顔をした。
「はあ? それが、何の関係があるのだ」
「答えなさい」
私の声には、逆らうことを許さない絶対的な響きがあった。
男は気圧され、しぶしぶと答える。
「……カモのローストと、最高級の白パンだ。それがどうした」
「カモは北のアイゼン領から、私の鉄道が運びました。白パンに使われた小麦は、西の穀倉地帯から、私の物流網が届けました」
「それと、あなたが今着ているその絹の服。東のシオン王国から、私の商会が輸入したものです」
「乗ってきた馬車も、車輪の部品は私の工場で作られたものですね」
私は一歩歩み寄り、彼に逃げ場のない事実を突きつけた。
私の歩みに合わせて、フェンが低く唸り、ノクスが鋭い爪を光らせる。
「それらすべて、私のアークライト商会が提供したものですわ」
「私がお口を閉じれば、あなたの食卓は明日から空っぽになります」
「服も着られず、馬車にも乗れず、冬には暖炉の薪すら届かなくなる」
「あなたは、私の掌の上で生かされているに過ぎないのです」
男の顔から、血の気が引いていく。
彼は初めて気づいたのだ。
自分の生活の全てが、私のビジネスによって支えられているという事実に。
「私に逆らうことは、文明そのものを拒絶することですわよ?」
「それとも、森で木の実でも拾って暮らしますか? それなら、邪魔はいたしませんけれど」
「あ、あ……う……」
男は顔を真っ赤にし、やがて真っ青になって震え始めた。
言葉が出ない。
反論しようにも、私の言葉は全て変えようのない事実なのだ。
四歳の、いや六歳の少女に、生存権そのものを握られている。
その恐怖は、どんな剣よりも深く、彼のアカデミックなプライドに刻まれただろう。
「ごきげんよう。……ああ、次からはもっとマシな服を着ていらっしゃい。私のブランドの服を着る資格、あなたにはありませんわ」
私はそのまま彼を無視し、優雅に歩き出した。
男たちが道を開ける。
まるで、モーゼが海を割るかのように。
「フェン、ノクス。つまらない虫がいましたわね」
「わんっ! あんなやつ、ぼくが鼻息で吹き飛ばしてあげます! リリアさまのじゃまをするなんて、100ねんはやいです!」
「にゃあ。お腹が空いている時に、ああいう不味そうな人間を見るのは嫌いよ。毛玉を吐きたくなるわ」
二匹の頼もしい声に、私は満足げに頷いた。
力なき正義が無力であるように、財力なき権威もまた、無力なのだ。
屋敷に戻ると、庭園でバーベキューの準備が始まっていた。
炭火の爆ぜる音と、食欲をそそる香りが漂ってくる。
今日はアイゼン候から特別便で届いた、新鮮な川魚を焼くのだ。
セバスチャンが腕を振るい、魚を黄金色に焼き上げている。
皮がパリパリに焼け、脂が滴り落ちて煙を上げている。
「リリア様。シオン王国の熟成醤油と、たった今届いたばかりの西方のレモンを添えました」
「素晴らしいわ。これぞ、私の経済圏の結晶ね」
私は席に着き、焼きたての魚にレモンをたっぷりと絞った。
ジュッ、という音と共に、柑橘の爽やかな香りが立ち昇る。
そこに醤油をひと垂らし。
香ばしい匂いと、果実の酸味が空気に溶け合い、奇跡のようなハーモニーを生み出す。
私は箸で身をほぐし、一切れを口に運んだ。
「……んんっ!」
皮の香ばしさ、身のふっくらとした甘み。
そこにレモンの酸味が加わることで、脂の重さが消え、いくらでも食べられそうな軽やかさが生まれる。
そして醤油のコクが、全体を力強くまとめ上げている。
至高の喜びだ。
口の中が、幸せで満たされていく。
「美味しい……。北の魚と、東の醤油と、西のレモン。これらが一つの皿の上で出会うなんて、私の鉄道がなければあり得なかった奇跡だわ」
私は夢中で食べ続け、次の投資先を頭の中で弾き出した。
北、西、東。
陸のルートはほぼ制圧した。
ならば次は、海だ。
東の海、そこにはまだ私の知らない巨大な魚や、未知の海産物が眠っているはずだ。
そこに巨大な港を作り、私の鉄道と直結させる。
そうすれば、遠い異国のスパイスや、深海の珍味までもが、私の手に入る。
世界中の全ての「美味しい」が、私のテーブルに集結するのだ。
私は最後の一口を飲み込み、空を見上げて微笑んだ。
青空の向こうに、まだ見ぬ市場と食材が待っている。
「セバスチャン。明日は、東の海域の調査報告書を。一番詳細なやつをお願いね」
「かしこまりました。すでに東の領主の借金状況まで、調査済みでございます」
さすがは私の執事だ。
私の進撃は、一秒の淀みもなく続いていく。
美味しいもののためなら、大陸の形を変えることさえ厭わない。
私は六歳になり、世界はさらに私の色に染まりつつあった。
「さあ、フェン、ノクス。お代わりはあるかしら?」
私の問いに、二匹は口の周りを魚の脂で光らせながら、元気よく鳴いて答えてくれた。
私のテーブルには、まだ見ぬご馳走と莫大な富が、山のように待っている。
そう思うと、私は楽しくて仕方がなかった。
152
あなたにおすすめの小説
公爵家の家政を10年回した私が出ていったら、3ヶ月で領地が破綻しました
歩人
ファンタジー
エレナは公爵家に嫁いで10年、夫は愛人に入れ込み、義母には「家政婦代わり」と
罵られた。だが領地の財務も、商会との交渉も、使用人の管理も、全部エレナが
やっていた。ある日、義母から「あなたの代わりなんていくらでもいる」と言われ、
エレナは静かに離縁届を出した。「では、代わりの方にお任せください」
辺境の町で小さな商会を開いたエレナ。10年間の実務経験は伊達ではなかった。
商会はたちまち繁盛する。一方、エレナがいなくなった公爵家は3ヶ月で経営破綻。
元夫が「戻ってこい」と泣きつくが——
「お断りです。あと、10年分の未払い給金を請求いたしますね」
「君は有能すぎて可愛げがない」と婚約破棄されたので、一晩で全ての魔法結界を撤去して隣国へ行きます。あ、維持マニュアルは燃やしました。
しょくぱん
恋愛
「君の完璧主義には反吐が出る」――婚約者の第一王子にそう告げられ、国外追放を命じられた聖女エルゼ。彼女は微笑み、一晩で国中の魔法結界を撤去。さらに「素人でも直せる」と嘘を吐かれた維持マニュアルを全て焼却処分した。守護を失いパニックに陥る母国を背に、彼女は隣国の軍事帝国へ。そこでは、彼女の「可愛くない」技術を渇望する皇帝が待っていた。
「『お前の取り柄は計算だけだ』と笑った公爵家が、私を追い出した翌月に財政破綻した件」
歩人
ファンタジー
公爵家に嫁いだ伯爵令嬢フリーダは、10年間「帳簿係」として蔑まれ続けた。
夫は愛人に夢中、義母は「地味な嫁」と見下す。しかし前世で公認会計士だった
フリーダは、密かに公爵家の財政を立て直し、資産を3倍にしていた。離縁を
突きつけられたフリーダは、一言も抗わず去る。——翌月、公爵家は財政破綻した。
「戻ってきてくれ」と跪く元夫に、王家財務顧問となったフリーダは微笑む。
「申し訳ございません。もう私は、公爵家の帳簿係ではありませんので」
捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。
蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。
これで、貴方も私も自由です。
……だから、もういいですよね?
私も、自由にして……。
5年後。
私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、
親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、
今日も幸せに子育てをしています。
だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。
私のことは忘れて……。
これは、すれ違いの末に離れ離れになった夫婦の物語。
再会したとき、二人が選ぶのは「離婚」か、それとも「再構築」か。
妻を一途に想い続ける夫と、
その想いを一ミリも知らない妻。
――攻防戦の幕が、いま上がる。
最安もふもふ三匹に名前をつける変な冒険者ですが、この子たちの力を引き出せるのは私だけです ~精霊偏愛録~
Lihito
ファンタジー
精霊に名前をつける冒険者は、たぶん私だけだ。
うさぎのノル、狐のルゥ、モモンガのピノ。三匹とも最安の契約で、手のひらに乗るサイズ。周りからは「手乗り精霊で何ができる」と笑われている。
でも、この子たちへの聞き方を変えるだけで、返ってくる答えはまるで違う。三匹の情報を重ねれば、上位の精霊一体では見えないものが見える。
上位パーティが三度失敗した大型討伐。私は戦わない。ノルに地中を、ピノに上空を、ルゥに地上を調べさせて、答えを組み上げる。
——この世界の精霊の使い方、みんな間違ってませんか?
貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ
凜
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます!
貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。
前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?
最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました
斉藤めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。
白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。
その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。
それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。
やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり――
白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。
身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。
姉の忘れ形見を育てたいだけなのに、公爵閣下の執着が重いんですが!?~まっすぐ突き進み系令嬢の公爵家再建計画
及川えり
ファンタジー
突然届いた双子の姉からの手紙。
【これをあなたが読んでいるころにはわたしはもう死んでいることでしょう。わたしのことは探さないでね。双子を引き取ってもらえないかしら?】
姉の遺言通り双子を育てようと姉の嫁ぎ先へと突入する。
双子を顧みなかったという元夫のウィルバート公爵に何とか双子を引き取れるよう掛け合うが、話の流れからそのまま公爵家に滞在して双子を育てる羽目に。
だが、この公爵家、何かおかしい?
異常に気付いたハンナは公爵家に巣くう膿をとりのぞくべく、奮闘しはじめる。
一方ハンナを最初は適当にあしらっていたウィルバートだったが、ハンナの魅力に気付き始め……。
ハンナ・キャロライン・バーディナ 22歳
バーディナ伯爵家令嬢
✖️
ウィルバート・アドルファス・キングスフォード 26歳
キングスフォード公爵
ブックマーク登録、いいね❤️たくさんいただきありがとうございます。
感想もいただけたら嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる