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第75話 砂塵の処刑台と完熟マンゴーの甘い罠
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東の海に面した断崖絶壁に、アークライト商会の技術の粋を集めた巨大な魔導クレーンが何基もそびえ立っている。
その足元では、最新鋭の自律型掘削ゴーレムたちが、重低音を響かせながら硬い岩盤をバターのように削り取っていた。
ここは、私が新たに計画した『アークライト海洋資源研究所』の建設予定地だ。
吹き付ける潮風が私の銀髪を揺らすが、私は一歩も動じず、その壮大な光景を見下ろしていた。
六歳になった私の視界は以前より少しだけ高くなり、そこから見える世界は、すべて私の計算通りに動き始めている。
アメジストの瞳は、目の前に広がる紺碧の海よりも深く、冷徹な光を湛えていた。
「リリア様。……残念ながら、海風に当たって優雅に紅茶を楽しむ時間はなさそうです」
背後から、カシアンが足音を忍ばせて近づいてきた。
彼の手には、王宮の紋章が入った一通の親書が握られている。
その表情は、いつになく苦々しい。
まるで、腐ったレモンを丸かじりしたかのような顔だ。
「あら、カシアン。私の機嫌を損ねるような報告なら、後にしてくださらない? 今は、この素晴らしい建設現場の進捗を眺めているところなの」
「そう申し上げたいのは山々なのですが……。隣国が、こちらの鉄道網を狙って小競り合いを始めました」
「国境付近の第三駅舎に、正体不明の傭兵団が火を放ったとの報告が入っております」
「……火を放った、ですって?」
私は、手に持っていた扇をパチリと閉じた。
その乾いた音が、建設現場の轟音の中でもはっきりと響いた気がした。
私の所有物である駅舎を燃やす。
それは単なる器物損壊ではない。
私の資産に対する、許しがたい冒涜であり、私の顔に泥を塗る行為だ。
怒りよりも先に、そのあまりの愚かさに呆れが込み上げてくる。
「私の敷いたレールと駅舎は、この大陸の経済を支える血管よ。それに傷をつけるということは、自分たちの首を絞めるのと同じことだと、理解していないのかしら」
「相手は、目先の金で動く傭兵崩れでしょう。国家間のパワーバランスなど、知る由もありません」
「無知は罪ね。……カシアン、直ちに被害総額を算出しなさい。燃えた建材、失われた備品、営業停止による機会損失、そして私の精神的苦痛に対する慰謝料。正確に弾き出して、相手国の政府に請求書を送りつけるのよ」
「はっ。金額は、いかほどに設定いたしましょうか」
「そうね。彼らの国家予算の、ちょうど半分くらいかしら。支払いが滞るようなら、国際法廷へ提訴して、彼らの国の海外資産を全て差し押さえるわ」
「港に停泊している貿易船、大使館の建物、王族が隠し持っている別荘に至るまで、全て競売にかけて現金化しなさい」
私の冷酷な指示に、カシアンは一瞬だけ背筋を伸ばし、すぐに深く頭を下げた。
「承知いたしました。すでに法務部の精鋭チームを招集し、訴状の準備に入っております。彼らが降伏の白旗を上げるまで、徹底的に追い詰めます」
カシアンの迅速な対応に、私は満足して頷いた。
経済を汚す者は、経済によって社会的に抹殺されるべきだ。
それが、アークライト商会の流儀であり、この世界の新しいルールなのだから。
「リリア。敵のアジト、特定したぞ」
不意に、私の影がにゅっと伸び上がり、そこから漆黒のマントを纏ったゼロ兄様が姿を現した。
彼はいつものように音もなく現れ、私の耳元で低く囁く。
「仕事が早いわね、兄様。それで、その命知らずな馬鹿者たちはどこに?」
「例の傭兵団だが、西の砂漠地帯にある岩場に潜伏しているようだ。どうやら、そこを拠点にして、次の破壊工作を計画しているらしい」
「また砂漠なのね……。あそこは、私の大切なレモネードの産地だわ」
私は不快そうに眉をひそめ、唇を尖らせた。
せっかく東の海まで来て、新鮮な魚介類を堪能しようと思っていたのに。
私の優雅なバカンス計画は、無粋なハエたちのせいで台無しだ。
西の砂漠といえば、私が巨額を投じて建設させた灌漑システムと、広大な果樹園がある場所だ。
もし、あそこが戦場になれば、レモンの収穫に影響が出る。
それは、私のティータイムを脅かす重大な危機だ。
「せっかく東の海で、獲れたてのマグロのお寿司も楽しもうと思っていたのに。予定を変更しましょう。砂漠のゴミ拾い、先に済ませてくるわ」
私は踵を返し、待機させていた特急列車『アークライト・エクスプレス』へと向かった。
フェンとノクスも、私の殺気を感じ取ったのか、鋭い目つきで後に続く。
駅のホームには、東の領主であるオーシャン卿が、寂しそうな顔で立っていた。
彼は、私の滞在をもっと引き延ばし、自分の領地の魚を売り込みたかったのだろう。
「リリア殿。もう行ってしまうのか。今日の夕食用に、極上の大トロを用意させていたのだが」
「卿。お魚は逃げませんわ。でも、私の利益は一秒ごとに逃げていくの」
「その大トロは、氷室で厳重に保管しておいてちょうだい。戻ってきたら、倍の値段で買い取ってあげるから」
「それと、港の拡張工事、急がせてね。次に来る時までに、今の倍の規模に広げておきなさい」
私は一方的にまくし立て、列車のステップを駆け上がった。
オーシャン卿は、呆気にとられた顔でポカンと口を開けていたが、すぐに「は、はいっ! 仰せのままに!」と敬礼した。
重厚な扉が閉まり、発車のベルが鳴り響く。
魔導エンジンが唸りを上げ、列車は滑るように動き出した。
窓の外の景色が、目まぐるしく変わっていく。
青く輝く海から、鬱蒼とした緑の森へ。
そして、乾いた風が吹き荒れる黄色の砂漠へと。
かつては数週間を要した過酷な旅路を、私の鉄道はわずか数時間で飲み込んでいった。
快適な空調が効いた車内で、私は冷たいハーブティーを飲みながら、これからの「処刑」の段取りを頭の中で組み立てていた。
「リリア様。間もなく、砂漠の第一工区が見えてまいります」
セバスチャンの静かな声と共に、列車の速度が落ちていく。
窓の外を見ると、砂嵐の向こうに、建設中の巨大な灌漑施設がぼんやりと浮かんでいた。
巨大な貯水タンクと、そこから伸びる無数のパイプライン。
砂漠を緑に変えるための、私の希望の塔だ。
だが、その足元に、黒いシミのような集団が蠢いているのが見えた。
数十人の黒ずくめの男たちが、つるはしや爆薬を持って、施設の支柱を破壊しようとしているのだ。
「あら。ちょうど作業中にお邪魔してしまったかしら?」
私は、怒りを通り越して冷めた感情で彼らを見下ろした。
列車が停止し、扉が開く。
砂漠特有の熱風が、私のドレスを激しく煽った。
私は一歩も引かず、堂々と砂の大地へと降り立つ。
フェンが私の前に飛び出し、巨大な体躯を現して、天に向かって咆哮した。
「アォォォォォォンッ!! お掃除の時間ですよ!!」
聖獣の咆哮が、砂漠の空気をビリビリと震わせた。
破壊工作を行っていた男たちが、びくりと動きを止める。
彼らは恐怖に引きつった顔で、私と、銀色に輝く巨大な狼を交互に見た。
「な、なんだ!? あの列車は!」
「ア、アークライトの死神だ! なぜこんなに早く来られる!」
「情報では、東の海にいるはずじゃなかったのか!?」
彼らはパニックに陥り、右往左往している。
私の移動速度が、彼らの常識を遥かに超えていたのだ。
情報の遅れは、戦場では死に直結する。
彼らは、その基本すら理解していない素人の集まりだ。
「私は鉄道を敷きましたもの。あなたの足より、私の車輪の方が速いのよ」
私は優雅に歩み寄り、懐から取り出した一通の書類を、風に乗せて彼らの足元へ飛ばした。
それは、彼らが所属している傭兵ギルドに対する、「破産宣告書」および「買収完了通知書」だった。
「な、なんだこれは……?」
リーダー格の男が、震える手で書類を拾い上げる。
そこには、彼らのギルドがアークライト商会によって敵対的買収を受け、即時解散となったことが記されていた。
「あなたたちの雇い主であるギルド、さっき私が買収して解散させましたわ」
「本社ビルも、備品も、そしてあなたたちの雇用契約書も、全て私の手の中にあります」
「つまり、今日からあなたたちの給料を支払う人間は、この世に存在しません。あなたたちは今、タダ働きをしているということですわ」
私の宣告は、どんな魔法よりも強力に彼らの心を打ち砕いた。
男たちは、武器を取り落とし、その場に膝から崩れ落ちた。
金のために命を懸ける傭兵にとって、報酬のない戦いほど無意味で虚しいものはない。
彼らの戦意は、一瞬にして蒸発した。
「そ、そんな……。俺たちの金が……」
「終わりだ……。何もかも、終わりだ……」
絶望に沈む男たちを見下ろしながら、私は護衛のレオン様に合図を送った。
「レオン様。彼らを全員捕らえて、新しい線路の石運びをさせてちょうだい」
「ちょうど、人手が足りなくて困っていたところなの。彼らなら、体力もありそうだし、いい労働力になるわ」
「はっ! 承知いたしました!」
レオン様が感嘆の声を上げ、騎士団に指示を出す。
騎士たちが手際よく男たちを縛り上げ、連行していく。
破壊工作に来た者たちが、建設作業員として再利用される。
これほど効率的で、美しい資源の循環は他にないだろう。
罪を犯した者には、労働で償わせる。
それが、私の慈悲であり、罰でもある。
「食事は、私がさっき彼らのアジトから没収した、隠し食料だけで十分よ。自分たちで集めた食料なのだから、文句はないでしょう?」
「素晴らしい人件費の削減ですな! リリア様の経営手腕には、いつもながら恐れ入ります」
レオン様は心底感心した様子で頷いた。
こうして、砂漠の脅威はわずか数分で排除された。
私の灌漑施設は守られ、新たな労働力も確保できた。
損益計算書上は、大幅な黒字だ。
「リリア。これで一段落だな。砂漠の太陽は、お前には眩しすぎるか」
ゼロ兄様が、どこからか氷の入ったグラスを持ってきて差し出した。
中には、透き通った冷たい水が入っている。
砂漠の真ん中で、氷入りの水。
これこそが、アークライト商会の物流網の勝利の証だ。
「いいえ。この熱さが、数字を扱う私には心地よい刺激だわ」
私はグラスを受け取り、一気に飲み干した。
冷たい水が、火照った体に染み渡っていく。
続いて、セバスチャンが銀のトレイに乗せた軽食を運んできた。
今日は、砂漠のオアシスで採れたばかりの、完熟マンゴーを使ったサンドイッチだ。
ふわふわの白いパンの間に、鮮やかなオレンジ色のマンゴーと、アークライト領特製の生クリームがたっぷりと挟まっている。
「どうぞ、リリア様。切り口が美しい、『萌え断』仕様になっております」
「あら、気が利くわね」
私はサンドイッチを手に取り、大きく口を開けて頬張った。
口に入れた瞬間、完熟マンゴーの濃厚な甘みと、クリームのコクが混ざり合い、とろけるようなハーモニーを奏でた。
マンゴーの果汁が溢れ出し、パンに染み込んでいく。
砂漠の熱気の中で食べる冷たいフルーツサンドは、王宮の晩餐会で出されるどんな料理よりも贅沢で、背徳的な味がした。
「……ん、最高。この味を守るためなら、砂漠を全部買い取っても安いくらいだわ」
私は満足げに目を細め、広大な砂漠の地平線を眺めた。
東の海、北の山、そして西の砂漠。
大陸の隅々まで、私の支配と美食の手が伸びている。
私の引いたレールの数だけ、美味しいものが運ばれ、富が生まれる。
だが、私の野望はまだ満たされてはいなかった。
世界中の全ての「美味しい」を、一つの巨大な食卓に集めるまで。
私のペンは止まらず、私の銀行は利益を積み上げ続けるだろう。
「リリア様。王都から、朗報が届きました」
セバスチャンが、携帯用の通信機を確認しながら報告してきた。
その顔には、隠しきれない笑みが浮かんでいる。
「王都のパティシエたちが開発していた、新作の『究極のチョコレートパフェ』の試作品が完成し、たった今、屋敷に届いたそうです」
「カカオの配合比率を変え、五層の異なる食感を楽しめるとか」
その言葉を聞いた瞬間、私の瞳がキラリと輝いた。
砂漠の熱さも、仕事の疲れも、一瞬で吹き飛んでしまった。
「……ほう。それは、聞き捨てならないわね」
「五層の食感ですって? 私の舌を満足させられるか、すぐに審査しなくては」
私はサンドイッチの最後の一口を飲み込み、力強く立ち上がった。
次の目的地は、決まった。
「いいわ。最高級のアールグレイと一緒に、屋敷のテラスの特等席で頂くことにしましょう」
「すぐに帰るわよ。氷が溶ける前にね」
私の進撃は、今日も一分一秒の遅れもなく続いていく。
美味しいもののために、私は明日も世界を私の望む形に書き換えるのだ。
砂漠の駅に、王都へ向かう次の列車の汽笛が、高らかに響き渡った。
ポォォォォォォォォッ!!
それは、私の勝利と、甘いデザートへの期待を告げる、凱旋のファンファーレだった。
その足元では、最新鋭の自律型掘削ゴーレムたちが、重低音を響かせながら硬い岩盤をバターのように削り取っていた。
ここは、私が新たに計画した『アークライト海洋資源研究所』の建設予定地だ。
吹き付ける潮風が私の銀髪を揺らすが、私は一歩も動じず、その壮大な光景を見下ろしていた。
六歳になった私の視界は以前より少しだけ高くなり、そこから見える世界は、すべて私の計算通りに動き始めている。
アメジストの瞳は、目の前に広がる紺碧の海よりも深く、冷徹な光を湛えていた。
「リリア様。……残念ながら、海風に当たって優雅に紅茶を楽しむ時間はなさそうです」
背後から、カシアンが足音を忍ばせて近づいてきた。
彼の手には、王宮の紋章が入った一通の親書が握られている。
その表情は、いつになく苦々しい。
まるで、腐ったレモンを丸かじりしたかのような顔だ。
「あら、カシアン。私の機嫌を損ねるような報告なら、後にしてくださらない? 今は、この素晴らしい建設現場の進捗を眺めているところなの」
「そう申し上げたいのは山々なのですが……。隣国が、こちらの鉄道網を狙って小競り合いを始めました」
「国境付近の第三駅舎に、正体不明の傭兵団が火を放ったとの報告が入っております」
「……火を放った、ですって?」
私は、手に持っていた扇をパチリと閉じた。
その乾いた音が、建設現場の轟音の中でもはっきりと響いた気がした。
私の所有物である駅舎を燃やす。
それは単なる器物損壊ではない。
私の資産に対する、許しがたい冒涜であり、私の顔に泥を塗る行為だ。
怒りよりも先に、そのあまりの愚かさに呆れが込み上げてくる。
「私の敷いたレールと駅舎は、この大陸の経済を支える血管よ。それに傷をつけるということは、自分たちの首を絞めるのと同じことだと、理解していないのかしら」
「相手は、目先の金で動く傭兵崩れでしょう。国家間のパワーバランスなど、知る由もありません」
「無知は罪ね。……カシアン、直ちに被害総額を算出しなさい。燃えた建材、失われた備品、営業停止による機会損失、そして私の精神的苦痛に対する慰謝料。正確に弾き出して、相手国の政府に請求書を送りつけるのよ」
「はっ。金額は、いかほどに設定いたしましょうか」
「そうね。彼らの国家予算の、ちょうど半分くらいかしら。支払いが滞るようなら、国際法廷へ提訴して、彼らの国の海外資産を全て差し押さえるわ」
「港に停泊している貿易船、大使館の建物、王族が隠し持っている別荘に至るまで、全て競売にかけて現金化しなさい」
私の冷酷な指示に、カシアンは一瞬だけ背筋を伸ばし、すぐに深く頭を下げた。
「承知いたしました。すでに法務部の精鋭チームを招集し、訴状の準備に入っております。彼らが降伏の白旗を上げるまで、徹底的に追い詰めます」
カシアンの迅速な対応に、私は満足して頷いた。
経済を汚す者は、経済によって社会的に抹殺されるべきだ。
それが、アークライト商会の流儀であり、この世界の新しいルールなのだから。
「リリア。敵のアジト、特定したぞ」
不意に、私の影がにゅっと伸び上がり、そこから漆黒のマントを纏ったゼロ兄様が姿を現した。
彼はいつものように音もなく現れ、私の耳元で低く囁く。
「仕事が早いわね、兄様。それで、その命知らずな馬鹿者たちはどこに?」
「例の傭兵団だが、西の砂漠地帯にある岩場に潜伏しているようだ。どうやら、そこを拠点にして、次の破壊工作を計画しているらしい」
「また砂漠なのね……。あそこは、私の大切なレモネードの産地だわ」
私は不快そうに眉をひそめ、唇を尖らせた。
せっかく東の海まで来て、新鮮な魚介類を堪能しようと思っていたのに。
私の優雅なバカンス計画は、無粋なハエたちのせいで台無しだ。
西の砂漠といえば、私が巨額を投じて建設させた灌漑システムと、広大な果樹園がある場所だ。
もし、あそこが戦場になれば、レモンの収穫に影響が出る。
それは、私のティータイムを脅かす重大な危機だ。
「せっかく東の海で、獲れたてのマグロのお寿司も楽しもうと思っていたのに。予定を変更しましょう。砂漠のゴミ拾い、先に済ませてくるわ」
私は踵を返し、待機させていた特急列車『アークライト・エクスプレス』へと向かった。
フェンとノクスも、私の殺気を感じ取ったのか、鋭い目つきで後に続く。
駅のホームには、東の領主であるオーシャン卿が、寂しそうな顔で立っていた。
彼は、私の滞在をもっと引き延ばし、自分の領地の魚を売り込みたかったのだろう。
「リリア殿。もう行ってしまうのか。今日の夕食用に、極上の大トロを用意させていたのだが」
「卿。お魚は逃げませんわ。でも、私の利益は一秒ごとに逃げていくの」
「その大トロは、氷室で厳重に保管しておいてちょうだい。戻ってきたら、倍の値段で買い取ってあげるから」
「それと、港の拡張工事、急がせてね。次に来る時までに、今の倍の規模に広げておきなさい」
私は一方的にまくし立て、列車のステップを駆け上がった。
オーシャン卿は、呆気にとられた顔でポカンと口を開けていたが、すぐに「は、はいっ! 仰せのままに!」と敬礼した。
重厚な扉が閉まり、発車のベルが鳴り響く。
魔導エンジンが唸りを上げ、列車は滑るように動き出した。
窓の外の景色が、目まぐるしく変わっていく。
青く輝く海から、鬱蒼とした緑の森へ。
そして、乾いた風が吹き荒れる黄色の砂漠へと。
かつては数週間を要した過酷な旅路を、私の鉄道はわずか数時間で飲み込んでいった。
快適な空調が効いた車内で、私は冷たいハーブティーを飲みながら、これからの「処刑」の段取りを頭の中で組み立てていた。
「リリア様。間もなく、砂漠の第一工区が見えてまいります」
セバスチャンの静かな声と共に、列車の速度が落ちていく。
窓の外を見ると、砂嵐の向こうに、建設中の巨大な灌漑施設がぼんやりと浮かんでいた。
巨大な貯水タンクと、そこから伸びる無数のパイプライン。
砂漠を緑に変えるための、私の希望の塔だ。
だが、その足元に、黒いシミのような集団が蠢いているのが見えた。
数十人の黒ずくめの男たちが、つるはしや爆薬を持って、施設の支柱を破壊しようとしているのだ。
「あら。ちょうど作業中にお邪魔してしまったかしら?」
私は、怒りを通り越して冷めた感情で彼らを見下ろした。
列車が停止し、扉が開く。
砂漠特有の熱風が、私のドレスを激しく煽った。
私は一歩も引かず、堂々と砂の大地へと降り立つ。
フェンが私の前に飛び出し、巨大な体躯を現して、天に向かって咆哮した。
「アォォォォォォンッ!! お掃除の時間ですよ!!」
聖獣の咆哮が、砂漠の空気をビリビリと震わせた。
破壊工作を行っていた男たちが、びくりと動きを止める。
彼らは恐怖に引きつった顔で、私と、銀色に輝く巨大な狼を交互に見た。
「な、なんだ!? あの列車は!」
「ア、アークライトの死神だ! なぜこんなに早く来られる!」
「情報では、東の海にいるはずじゃなかったのか!?」
彼らはパニックに陥り、右往左往している。
私の移動速度が、彼らの常識を遥かに超えていたのだ。
情報の遅れは、戦場では死に直結する。
彼らは、その基本すら理解していない素人の集まりだ。
「私は鉄道を敷きましたもの。あなたの足より、私の車輪の方が速いのよ」
私は優雅に歩み寄り、懐から取り出した一通の書類を、風に乗せて彼らの足元へ飛ばした。
それは、彼らが所属している傭兵ギルドに対する、「破産宣告書」および「買収完了通知書」だった。
「な、なんだこれは……?」
リーダー格の男が、震える手で書類を拾い上げる。
そこには、彼らのギルドがアークライト商会によって敵対的買収を受け、即時解散となったことが記されていた。
「あなたたちの雇い主であるギルド、さっき私が買収して解散させましたわ」
「本社ビルも、備品も、そしてあなたたちの雇用契約書も、全て私の手の中にあります」
「つまり、今日からあなたたちの給料を支払う人間は、この世に存在しません。あなたたちは今、タダ働きをしているということですわ」
私の宣告は、どんな魔法よりも強力に彼らの心を打ち砕いた。
男たちは、武器を取り落とし、その場に膝から崩れ落ちた。
金のために命を懸ける傭兵にとって、報酬のない戦いほど無意味で虚しいものはない。
彼らの戦意は、一瞬にして蒸発した。
「そ、そんな……。俺たちの金が……」
「終わりだ……。何もかも、終わりだ……」
絶望に沈む男たちを見下ろしながら、私は護衛のレオン様に合図を送った。
「レオン様。彼らを全員捕らえて、新しい線路の石運びをさせてちょうだい」
「ちょうど、人手が足りなくて困っていたところなの。彼らなら、体力もありそうだし、いい労働力になるわ」
「はっ! 承知いたしました!」
レオン様が感嘆の声を上げ、騎士団に指示を出す。
騎士たちが手際よく男たちを縛り上げ、連行していく。
破壊工作に来た者たちが、建設作業員として再利用される。
これほど効率的で、美しい資源の循環は他にないだろう。
罪を犯した者には、労働で償わせる。
それが、私の慈悲であり、罰でもある。
「食事は、私がさっき彼らのアジトから没収した、隠し食料だけで十分よ。自分たちで集めた食料なのだから、文句はないでしょう?」
「素晴らしい人件費の削減ですな! リリア様の経営手腕には、いつもながら恐れ入ります」
レオン様は心底感心した様子で頷いた。
こうして、砂漠の脅威はわずか数分で排除された。
私の灌漑施設は守られ、新たな労働力も確保できた。
損益計算書上は、大幅な黒字だ。
「リリア。これで一段落だな。砂漠の太陽は、お前には眩しすぎるか」
ゼロ兄様が、どこからか氷の入ったグラスを持ってきて差し出した。
中には、透き通った冷たい水が入っている。
砂漠の真ん中で、氷入りの水。
これこそが、アークライト商会の物流網の勝利の証だ。
「いいえ。この熱さが、数字を扱う私には心地よい刺激だわ」
私はグラスを受け取り、一気に飲み干した。
冷たい水が、火照った体に染み渡っていく。
続いて、セバスチャンが銀のトレイに乗せた軽食を運んできた。
今日は、砂漠のオアシスで採れたばかりの、完熟マンゴーを使ったサンドイッチだ。
ふわふわの白いパンの間に、鮮やかなオレンジ色のマンゴーと、アークライト領特製の生クリームがたっぷりと挟まっている。
「どうぞ、リリア様。切り口が美しい、『萌え断』仕様になっております」
「あら、気が利くわね」
私はサンドイッチを手に取り、大きく口を開けて頬張った。
口に入れた瞬間、完熟マンゴーの濃厚な甘みと、クリームのコクが混ざり合い、とろけるようなハーモニーを奏でた。
マンゴーの果汁が溢れ出し、パンに染み込んでいく。
砂漠の熱気の中で食べる冷たいフルーツサンドは、王宮の晩餐会で出されるどんな料理よりも贅沢で、背徳的な味がした。
「……ん、最高。この味を守るためなら、砂漠を全部買い取っても安いくらいだわ」
私は満足げに目を細め、広大な砂漠の地平線を眺めた。
東の海、北の山、そして西の砂漠。
大陸の隅々まで、私の支配と美食の手が伸びている。
私の引いたレールの数だけ、美味しいものが運ばれ、富が生まれる。
だが、私の野望はまだ満たされてはいなかった。
世界中の全ての「美味しい」を、一つの巨大な食卓に集めるまで。
私のペンは止まらず、私の銀行は利益を積み上げ続けるだろう。
「リリア様。王都から、朗報が届きました」
セバスチャンが、携帯用の通信機を確認しながら報告してきた。
その顔には、隠しきれない笑みが浮かんでいる。
「王都のパティシエたちが開発していた、新作の『究極のチョコレートパフェ』の試作品が完成し、たった今、屋敷に届いたそうです」
「カカオの配合比率を変え、五層の異なる食感を楽しめるとか」
その言葉を聞いた瞬間、私の瞳がキラリと輝いた。
砂漠の熱さも、仕事の疲れも、一瞬で吹き飛んでしまった。
「……ほう。それは、聞き捨てならないわね」
「五層の食感ですって? 私の舌を満足させられるか、すぐに審査しなくては」
私はサンドイッチの最後の一口を飲み込み、力強く立ち上がった。
次の目的地は、決まった。
「いいわ。最高級のアールグレイと一緒に、屋敷のテラスの特等席で頂くことにしましょう」
「すぐに帰るわよ。氷が溶ける前にね」
私の進撃は、今日も一分一秒の遅れもなく続いていく。
美味しいもののために、私は明日も世界を私の望む形に書き換えるのだ。
砂漠の駅に、王都へ向かう次の列車の汽笛が、高らかに響き渡った。
ポォォォォォォォォッ!!
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