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聖域の朝は、帝国騎士団の薄暗い詰め所とは比較にならないほど鮮やかだ。
窓の外からは、七色に輝く羽を持った精霊たちが奏でる、水晶を叩くような澄んだ歌声が聞こえてくる。
俺は世界樹の幹に設けたベッドから体を起こした。
シーツ代わりに敷き詰められた苔は、一晩経っても体温を吸い込み、最適な温度を保ち続けている。
正直、これを知ってしまうと、もうあのカビ臭い藁の寝床には二度と戻れない。
「おはようございます、カイル様。今日の朝食は、東の森で採れた極光のイチゴと、神樹の若葉で燻製にした虹鱒をご用意しましたわ」
リーフィアが、透き通るような緑のドレスを翻して入ってくる。
彼女が手に持つ銀のトレイからは、魂の奥まで刺激するような、甘く芳醇な香りが漂っていた。
「ああ、いつも悪いな、リーフィア。それにしても、随分と美味そうなイチゴだ」
「カイル様が昨日、あそこの『毒の茨』を抜いてくださったおかげです。あの茨は、大地の喜びを吸い取って自分だけの糧にする強欲な雑草でしたから……。それが消えた途端、地面に眠っていた古代の種が、一斉に目覚めたのですわ」
俺はイチゴを一つ口に放り込んだ。
噛んだ瞬間、口の中で小さな爆発が起きたかのような濃密な果汁が溢れ出す。
ただの甘さじゃない。
脳を直接撫で回されるような、多幸感に満ちたエネルギーだ。
一個食べただけで、魔力回路の隅々まで洗浄されるような清涼感が駆け巡る。
「……これ、帝国だったら一個で金貨十枚はくだらないだろ」
「ふふ、そんな端金では、精霊の森の果実は手に入りませんわ。これは神々への捧げ物に匹敵する一品ですもの」
リーフィアは楽しげに笑いながら、俺の着替えを手伝ってくれる。
指先が触れるたびに、繊細な魔力の粒子が俺の肌に溶け込んでいくのがわかる。
至れり尽くせりすぎて、自分がどんどんダメ人間になっていく気がするが、まあ、今まで散々苦労してきたんだ。
これくらいの贅沢はバチが当たらないだろう。
朝食を終えた俺は、コロを連れて聖域のさらに奥、まだ手をつけていない『深緑の谷』へ向かうことにした。
ここは浄化が進んだ影響で、植物が異常なまでの生命力を爆発させている場所だ。
放置しておくと、かえって生態系が乱れる。
適度に「引き抜く」のが、守護者としての俺の仕事だ。
コロの背に乗って移動していると、前方から奇妙な音が聞こえてきた。
カチカチ、という、硬いものがぶつかり合うような音。
そして、植物の悲鳴のような、乾いた擦過音。
「コロ、あそこだ」
俺が指差した先には、谷の斜面を覆い尽くす、赤黒い奇妙な植物がいた。
それは植物というよりも、生きている血管の塊のようだ。
脈動しながら、周囲の健全な大樹に絡みつき、その樹皮を溶かして中身を啜っている。
「あれは……魔界の吸血蔦か?」
「カイル様、お気をつけください。あれは一度絡みつくと、宿主が灰になるまで決して離れません。精霊の魔法でも、あの粘着質な根を完全に剥がすのは困難ですわ」
リーフィアが警戒心を剥き出しにする。
だが、俺にとっては、ただの「手強い雑草」に過ぎない。
俺はコロの背から飛び降りると、無造作にその吸血蔦に歩み寄った。
蔦は新たな獲物を感知したのか、鞭のようにしなり、先端から鋭い棘を突き出して俺に襲いかかってくる。
「危ないっ!」
リーフィアの叫びを余所に、俺は飛んできた蔦を素手で掴み取った。
普通の人間なら、この瞬間に腕の骨を砕かれ、全身の血を吸い尽くされて干物になるだろう。
だが、俺の掌からは、すでに『真理の雑草取り』の権能が発動している。
「……汚いな。少しは周りの迷惑も考えろよ」
俺が蔦を軽く握ると、そこから真っ黒な液体が逆流するように噴き出した。
吸血蔦の『吸い取る』という属性を、俺が『強制的に吐き出させる』という方向へ書き換えたのだ。
蔦は激しく身悶えし、自ら大樹から剥がれ落ちていく。
俺はそのまま、谷の底深くまで伸びている主根を意識の網で捕らえた。
「よっと」
俺が腕を振り上げると、地面が大きく盛り上がり、巨大なイカの化け物のような吸血蔦の本体が引きずり出された。
それは長さ五十メートルを超える、悪意の塊だ。
俺はその巨大な本体を、片手で持ち上げた。
重さなど感じない。
存在そのものを、俺のスキルが無力化しているからだ。
「さあ、お前も生まれ変われ」
俺は吸血蔦を、掌の中で凝縮していく。
ドロドロとした黒い影が、次第に透明感を帯び、一点の曇りもない真紅の結晶へと変わっていく。
それは太陽の光を反射して、谷全体を真っ赤に染め上げた。
「これは……神話級の魔力触媒、ドラゴン・ルビーの原石……!? あの醜悪な蔦から、これほど純粋な結晶を作り出すなんて……」
リーフィアが、信じられないものを見る目で絶叫している。
まあ、吸い取った膨大な魔力を圧縮すれば、こうなるのは道理だ。
俺はこの巨大なルビーを、そこらへんの石ころのように無造作にポケットに放り込んだ。
「さて、これで風通しが良くなったな」
振り返ると、吸血蔦に絞め殺されかけていた大樹たちが、一斉に深呼吸をするように枝を広げていた。
枯れかけていた葉が、一瞬で深い緑を取り戻し、そこから金色の粉のような魔力が舞い散る。
その時、聖域の境界線付近で、大きな爆発音が響いた。
俺は目を細めて、遠くの方角を見やった。
どうやら、平和な朝の時間はこれでおしまいのようだ。
「カイル様、何者かが聖域の結界に攻撃を仕掛けています! この魔力の波形は……帝国の魔導騎士団ですわ!」
リーフィアが険しい表情で空を指差した。
そこには、十数隻の魔導飛行船が、黒い影となってこちらへ近づいてくるのが見えた。
俺は小さくため息をついた。
せっかくの美味しい朝食の余韻が台無しだ。
「コロ、行くぞ。ゴミ拾いの時間だ」
俺は再びコロの背に乗り、侵入者たちが待ち構える国境付近へと急いだ。
窓の外からは、七色に輝く羽を持った精霊たちが奏でる、水晶を叩くような澄んだ歌声が聞こえてくる。
俺は世界樹の幹に設けたベッドから体を起こした。
シーツ代わりに敷き詰められた苔は、一晩経っても体温を吸い込み、最適な温度を保ち続けている。
正直、これを知ってしまうと、もうあのカビ臭い藁の寝床には二度と戻れない。
「おはようございます、カイル様。今日の朝食は、東の森で採れた極光のイチゴと、神樹の若葉で燻製にした虹鱒をご用意しましたわ」
リーフィアが、透き通るような緑のドレスを翻して入ってくる。
彼女が手に持つ銀のトレイからは、魂の奥まで刺激するような、甘く芳醇な香りが漂っていた。
「ああ、いつも悪いな、リーフィア。それにしても、随分と美味そうなイチゴだ」
「カイル様が昨日、あそこの『毒の茨』を抜いてくださったおかげです。あの茨は、大地の喜びを吸い取って自分だけの糧にする強欲な雑草でしたから……。それが消えた途端、地面に眠っていた古代の種が、一斉に目覚めたのですわ」
俺はイチゴを一つ口に放り込んだ。
噛んだ瞬間、口の中で小さな爆発が起きたかのような濃密な果汁が溢れ出す。
ただの甘さじゃない。
脳を直接撫で回されるような、多幸感に満ちたエネルギーだ。
一個食べただけで、魔力回路の隅々まで洗浄されるような清涼感が駆け巡る。
「……これ、帝国だったら一個で金貨十枚はくだらないだろ」
「ふふ、そんな端金では、精霊の森の果実は手に入りませんわ。これは神々への捧げ物に匹敵する一品ですもの」
リーフィアは楽しげに笑いながら、俺の着替えを手伝ってくれる。
指先が触れるたびに、繊細な魔力の粒子が俺の肌に溶け込んでいくのがわかる。
至れり尽くせりすぎて、自分がどんどんダメ人間になっていく気がするが、まあ、今まで散々苦労してきたんだ。
これくらいの贅沢はバチが当たらないだろう。
朝食を終えた俺は、コロを連れて聖域のさらに奥、まだ手をつけていない『深緑の谷』へ向かうことにした。
ここは浄化が進んだ影響で、植物が異常なまでの生命力を爆発させている場所だ。
放置しておくと、かえって生態系が乱れる。
適度に「引き抜く」のが、守護者としての俺の仕事だ。
コロの背に乗って移動していると、前方から奇妙な音が聞こえてきた。
カチカチ、という、硬いものがぶつかり合うような音。
そして、植物の悲鳴のような、乾いた擦過音。
「コロ、あそこだ」
俺が指差した先には、谷の斜面を覆い尽くす、赤黒い奇妙な植物がいた。
それは植物というよりも、生きている血管の塊のようだ。
脈動しながら、周囲の健全な大樹に絡みつき、その樹皮を溶かして中身を啜っている。
「あれは……魔界の吸血蔦か?」
「カイル様、お気をつけください。あれは一度絡みつくと、宿主が灰になるまで決して離れません。精霊の魔法でも、あの粘着質な根を完全に剥がすのは困難ですわ」
リーフィアが警戒心を剥き出しにする。
だが、俺にとっては、ただの「手強い雑草」に過ぎない。
俺はコロの背から飛び降りると、無造作にその吸血蔦に歩み寄った。
蔦は新たな獲物を感知したのか、鞭のようにしなり、先端から鋭い棘を突き出して俺に襲いかかってくる。
「危ないっ!」
リーフィアの叫びを余所に、俺は飛んできた蔦を素手で掴み取った。
普通の人間なら、この瞬間に腕の骨を砕かれ、全身の血を吸い尽くされて干物になるだろう。
だが、俺の掌からは、すでに『真理の雑草取り』の権能が発動している。
「……汚いな。少しは周りの迷惑も考えろよ」
俺が蔦を軽く握ると、そこから真っ黒な液体が逆流するように噴き出した。
吸血蔦の『吸い取る』という属性を、俺が『強制的に吐き出させる』という方向へ書き換えたのだ。
蔦は激しく身悶えし、自ら大樹から剥がれ落ちていく。
俺はそのまま、谷の底深くまで伸びている主根を意識の網で捕らえた。
「よっと」
俺が腕を振り上げると、地面が大きく盛り上がり、巨大なイカの化け物のような吸血蔦の本体が引きずり出された。
それは長さ五十メートルを超える、悪意の塊だ。
俺はその巨大な本体を、片手で持ち上げた。
重さなど感じない。
存在そのものを、俺のスキルが無力化しているからだ。
「さあ、お前も生まれ変われ」
俺は吸血蔦を、掌の中で凝縮していく。
ドロドロとした黒い影が、次第に透明感を帯び、一点の曇りもない真紅の結晶へと変わっていく。
それは太陽の光を反射して、谷全体を真っ赤に染め上げた。
「これは……神話級の魔力触媒、ドラゴン・ルビーの原石……!? あの醜悪な蔦から、これほど純粋な結晶を作り出すなんて……」
リーフィアが、信じられないものを見る目で絶叫している。
まあ、吸い取った膨大な魔力を圧縮すれば、こうなるのは道理だ。
俺はこの巨大なルビーを、そこらへんの石ころのように無造作にポケットに放り込んだ。
「さて、これで風通しが良くなったな」
振り返ると、吸血蔦に絞め殺されかけていた大樹たちが、一斉に深呼吸をするように枝を広げていた。
枯れかけていた葉が、一瞬で深い緑を取り戻し、そこから金色の粉のような魔力が舞い散る。
その時、聖域の境界線付近で、大きな爆発音が響いた。
俺は目を細めて、遠くの方角を見やった。
どうやら、平和な朝の時間はこれでおしまいのようだ。
「カイル様、何者かが聖域の結界に攻撃を仕掛けています! この魔力の波形は……帝国の魔導騎士団ですわ!」
リーフィアが険しい表情で空を指差した。
そこには、十数隻の魔導飛行船が、黒い影となってこちらへ近づいてくるのが見えた。
俺は小さくため息をついた。
せっかくの美味しい朝食の余韻が台無しだ。
「コロ、行くぞ。ゴミ拾いの時間だ」
俺は再びコロの背に乗り、侵入者たちが待ち構える国境付近へと急いだ。
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