砂の花

高千穂ゆずる

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レナ

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「おーい、レナ。まだ寝てんのかぁ? そろそろ起きたらどうだァ。注文のブーケ持ってきたぞォ」
 子供のようにいちいち語尾を伸ばす。
「すぐに下りるから店の前で待ってて」
「わかったァ」
 語尾をゆるく伸ばす陽気な返事の後に、階段を下りていくラファエルの足音が聞こえた。
ドアからルイスへ視線を戻すと、彼は俯いていた。手を組み、微動だにしない。
寝癖で跳ねているルイスの髪を手櫛で直してやりながら、
「暮らさないとは言ってないでしょ。今はまだ早いって言ってるだけ。お願いだから聞き分けてよ」
「それはいつまで? あとどれくらい待てばいいんだ。あんまりおあずけが長いと忠犬だって噛みつくからな」
「“噛みつく”? やだ、いつも噛みついてるじゃない」
 うふ、と肩をすぼませて悪戯っぽくレナは笑った。
 真面目な話が長引きそうになると、レナはこうしてふざけてはぐらかす。ルイスに悪い癖があるように、レナのこれも悪い癖だった。
 大きく息を吸い込み、肺の中の空気を盛大に吐き出したルイスはこの話題を諦めたようだ。
「よかった。この話はまたの機会に。じゃ、花屋が待ってるから行くね」
 ルイスの髪にキスをして、寛いでいてと言葉をかけた。

「さっきのは?」
 ラファエル・カノは、凹みが目立つボロなトラックの荷台からグリーンの鉢を下ろしながら訊ねた。
 レナはすぐにルイスのことだと理解すると、
「んー、説明するのがとっても難しい相手かな」
 事情を知らないラファエルなのだから、素直に恋人だと伝えればいいのだが、なぜだか言葉を濁してしまった。恋人だけど義弟で、義弟なのに恋人。
 やっぱりこの関係の説明は難しい。
 レナの微妙な表情の変化を察したラファエルが、部屋の前まで行ってごめんと謝った。
 だけど、と続ける。
「暇なのにいつも時間通りに開いてる店が開いてないし、休業の話も聞いてなかったから、もしかしてレナに何かあったんじゃないかってさ」
「暇なのに、は余計でしょ」
「上に行って声かけても返事がなかったら窓ガラスぶち破ろうかと思ってた。こいつで」
 分厚いグローブを嵌めた手で持ち上げたのは、作業用のハンマーだった。
「心配してくれてありがとう。よかった、すぐに返事して。あやうくリビングが惨状になるところだったわ」
 あのままルイスに押さえ込まれていたらーー飛散したガラス片の中で怒鳴り合うルイスとラファエル。その姿を想像してレナは心底安堵した。ほんとうに良かった、すぐに返事しておいて。
 注文しておいたブーケを花屋から手渡され、店の前まで並んで歩いた。眼前に現れた気に入りのドアがレナの瞳に映る。
 今どき珍しい木製のドア枠を柔らかな風合いのミントグリーンのペンキが彩っていて、どこか懐かしさを感じさせた。
 ガラス扉の上には、レナがこのビルごと購入する決心をつけさせた一風変わったステンドグラスが嵌められていた。
「うん。今日も素敵な色合いね」
 十字の紋章が入った盾を鋭い爪で掴んでいるドラゴンが描かれたステンドグラスを見上げ、レナはうっとりと呟いた。
 クラシックな鍵を鍵穴に挿し、店のドアを開ける。床まで届くクリーム色のカーテンを脇へ押しやり、ラファエルに声をかけた。
 積み上げられた古書の山で、迷路のようになっている通路をレナは泳ぐようにスイスイと店の奥へと進む。
「鉢はいつもと同じところに置いておいてくれる? ……ああ、ごめんね。そのコ枯らすつもりはなかったんだけど」
 店内の明かりが端からぽつぽつと灯っていく中、レナはバツが悪そうに謝った。
 ゴトゴトと重い音が店内に響き、弱かったのかなとラファエルの申し訳無さそうな声が返ってきた。
「レナが謝る必要はないよ。気にしなくていいからさ。鉢の選び方が間違っていたかもしれないし、場所が悪かったのかも」
 観葉植物は誰にでも育てられるが、中には相性の善し悪しが出てくるものもある。空調の風が直接当たったりなどして、置いた場所に問題があったのかもしれない。
 枯れてしまった理由にはいくつか原因があるだろうとラファエルは考えた。だからレナは気にしないでいいと言ったのだ。
「気を使わせちゃってゴメン。この後、急ぎの配達とかある?」
「ないけど。なになにレナちゃんのお誘い?」
 ラファエルの声が一気に調子づく。
「そうよ、お誘い。時間があるんならコーヒーでも飲んで行ってよ。心配かけたお詫びに。あとそのコの弔い」
「弔い」
 レナの表現にラファエルが噴き出した。
「枯らせちゃったんだもの。責任は感じてます」
 レナは唇を尖らせた。植物だってちゃんと生きているのだ。それを枯らせてしまったのはやはり自分なのだから。
「ごめんごめん。言い方があんまり可愛かったから、つい。じゃ、残りのアレンジメントの籠を持ってくるから少し待ってて」
 可愛いと臆面もなく口にする花屋はにぎやかな足音を立てて店から飛び出した。その姿を見送りながらレナがレジカウンターの後ろへ回るとスマホが鳴った。
 ルイスからだ。
 仲間から招集がかかり、急いで出かけなければならなくなったと説明するその声は、なんだか拗ねているように聞こえた。
「今夜もうちに帰ってくるんでしょ? 夕食つくって待ってるから」
 少しの間を開けて、「わかった」と声のトーンを上げてルイスが答えた。
「遅くなっても大丈夫よ。待ってる」
 思わず緩んでしまう口元をレナは指先で押さえ込んだ。他人に説明しにくい関係でも、レナは確かにルイスを愛している。
 通話を切ると同時にガラス扉をノックされ、レナは入り口へと顔を向けた。
 音の主は常連客の一人だった。

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