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【番外編】

刺青-すみ-

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新宿の事務所を訪ねると、迎えに出た男が「三代目は私室にいます」と言う。
最近の綾瀬はよほどの用事がないと外出しない。
優秀な部下が揃っているからオレが動く必要がない、と笑いながら言うが、隠居するには早いと言って高谷はなるべく用事を持ち込むようにしている。

綾瀬の私室は社長室の奥にあって、会社の中にあるとは思えない、普通に住居として住めるような造りになっている。

靴のままで入る応接間の隣には、階段にして三段分程高い位置に畳敷きの和室がある。
窓の手前には障子が閉められ、上質な和紙を通した柔らかな陽光が部屋の中を照らしている。
綾瀬は、そこにいた。

部屋の真ん中に敷いた布団の上に、裸体でうつ伏せに寝ている。
その背中を跨ぐような格好で、綾瀬の背中に刺青を入れていた初老の彫り師が、入ってきた高谷に頭を下げた。

顎の下に両手を組んだ綾瀬は、身体を動かすことが出来ないので視線だけを高谷に向ける。
高谷は応接間のソファーに腰掛け、作業が終わるのを黙って見ていた。

「最後にいい仕事をさせてもらいやした。長生きした甲斐がありましたよ」
道具を片付けながらそう言う彫り師は刺青を入れていたときの険しい表情とは別人のように、柔和な顔つきだ。
清竜会の三代目を見る目はまるで孫を見るような、暖かい眼差しだった。

「まだ引退する年齢としじゃないでしょう」
長い時間痛みに耐えたせいか気だるそうに横になったままの綾瀬に代わって、お茶を煎れながら高谷が相手になった。
「いやね、最近はもう、刺青を入れる極道も少なくなりやして。あたしも引退していたも同然だったんですがねえ。三代目から話をいただいたときも一端はお断りさせてもらったんですよ」
綾瀬が背中に刺青を彫ると言い出したとき反対した高谷は、老人の嘆きに曖昧な微笑を返した。
「まあ、なんですよ、三代目にお会いして、気持ちが変わりやした」
理由は、言わなくてもわかるでしょう。
そう言っているように目を細めて、老人は高谷に微笑した。

彫り師が帰って部屋に二人きりになっても綾瀬はまだ裸のまま横になっている。
背中から腰の付け根、尻の間際まで、ほとんど完成している龍頭観音ー観世音菩薩の一種ーが、綾瀬の呼吸に合わせて波打ち、まるでそれだけで命のあるもののような感じがする。
確かに、腕のいい彫り師だと思う。

「綾瀬」
声をかけると、綾瀬は重そうな瞼を開いて高谷を見上げた。
刺青を入れられたとき、苦痛にほんの少し歪んだ表情が、今は緊張をほどいて、高谷を見つめる。

ふっと、口許を綻ばせて、高谷は靴を脱いで畳の部屋にあがってきた。
「…なんだよ」
「欲情した」
言うなり、高谷は上着を脱いで、綾瀬のうつ伏せの身体に覆い被さる。

「昼間から、なに言ってんだ」
払い除けるのも面倒だというように、綾瀬は身動きをしない。
「裸で寝ているおまえが悪い」
綾瀬が、刺青を彫るのを見るのはもう数回目になるが、実を言うと高谷はその度に欲情していた。
痛みに耐えて、苦悶の表情をする、あれがいけない。
まるで、他人に犯されている綾瀬を傍観しているような気になる。

「おまえが好きで見て、勝手に欲情してんだろ」
綾瀬は呆れたようにただ苦笑する。
「おまえの身体を他人に触らせるのを、耐えているオレの気持ちは?」
綾瀬の背中の刺青の入っていない肩口に口づける。
さすがに、今日彫った場所には、触れるのは躊躇われた。

本当は身体を繋げることをしてもいいのかも、あやしいものだと思うのだが、昂ぶった熱を解放させないわけにはいかなかった。
綾瀬もそれをわかっているのか、あえて抵抗しない。
腰を浮かせて、高谷の手が腹部に回り込むのを許している。

「……んっ……」
「こんなとこまでは触らせてないだろうな」
「バカ…が…」
高谷の手の中に握られたそれが、徐々に、形を変える。
彫り師も感嘆する、張りのある美しい肉体の中で唯一柔らかなその部分は、触れれば高谷の思う通りの反応を返す。

先端ばかりを指で擦ると、誘い出されるように中から滴が溢れ、高谷の指を濡らした。
「…うっ…」
「もう濡れてるぜ」
快感は一点に集中しているはずなのに、耳に卑猥な言葉を吹き込まれたせいで、綾瀬の全身が火照る。
皮膚の下の血液の沸騰が、観世音菩薩に新しい命を吹き込む。

「…綾瀬、腰、もっとあげろ」
体位は変えられない。
身体を繋げるためには、綾瀬はうつ伏せになったまま、腰を高くあげなければならない。
こんな屈辱的なポーズは普通の状態では、出来ない。
まるでそれを狙ったような高谷に少しばかり腹が立つが、綾瀬自身も、もうくところまで達かなければ納まりがつかない。
額を、布団につけて、綾瀬は腰をあげた。

「…んっ!高谷っ!!」
すかさず高谷は綾瀬の尻を割り、間に舌を這わせる。
ストレートな快感に、綾瀬の太腿は痙攣したように震える。
舌で濡らされて解れたそこを、高谷は指で犯す。
「んっ…そ、そこっ…やっ、やめろっ…高谷っ…」
いいところを探り当てた指は、内部で一点ばかりを小刻みにバイブレーションさせて綾瀬を追いつめる。
「高谷っ」
腰が重く、気怠い。
そこに快感のスイッチがあるように、動かしたい衝動にかられる。
指を挿入されただけなのに、腰を振るようなみっともない真似はしたくない。
だから綾瀬は高谷を求める。
高谷自身を身体に埋め込んで、一緒に到達するために。

「…いま、いく」
高谷がズボンを下げる間、綾瀬の右手は我知らず、自分の股間のものを握っていた。
「はぁ…はぁあ…あっ…」
高谷が身体に入ってきた瞬間、慣れた感覚が綾瀬の全身の神経を駆け巡る。
それは痛みを含んだ充足感だった。

人を愛したり、愛されたりすることに、痛みは必ずつきまとう。
人が愛と呼ぶ感情が、自分にもあるとすれば、この痛みがそれだと思う。
けれど愛と呼ぶには強すぎる、この感情は執着と言ったほうが相応しい。
高谷との交わりは綾瀬にとって身体に刺青を入れることに、似ている。

どうして今更、刺青なんか入れるんだ。
高谷は何度も、しつこいくらい綾瀬に聞いた。
その度に答えをはぐらかされたが、いくつかの詭弁の中に少しだけ真実があった。
「しょせん、オレは極道だから」

時代の変化で、ヤクザの世界も大きく変わった。
この清竜会の事務所も、商事会社の看板を掲げ、仕事の内容も普通の会社と表面上は見分けがつかなくなっている。

それでも綾瀬は自分が極道であることを忘れることはない。
まるで犯した罪の贖罪のように、常に背負っている。
極道の刺青には珍しい観世音菩薩の絵図を選んだことに、そういう意味があるのだと、高谷は勝手に解釈した。

綾瀬の背中にそっと触れて、オレも彫ろうかな、と高谷が言うと、おまえはダメだと綾瀬は笑う。
「おまえは、身体に傷なんかつけるな」
自分は高谷の反対を無視していれたくせに言う。

身体を繋げるときには高谷はこの男を自由に蹂躙出来るが、ベッドを降りたらなにひとつ逆らえない。
綾瀬は相変わらず暴君だ。

「じゃあ、ファッションタゥーならどうだ?おまえの名前を彫ってやってもいいぜ」
綾瀬は呆れたように「おまえの子分が泣く」と言ったあと、冗談のように本音を吐いた。
「わざわざ身体に印なんかつけなくても、おまえの命はとっくにもらっている。オレのものに勝手に傷なんかつけるなよ」



おわり


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