Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー

雪葉あをい

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第2章 ADAGIO

op.06 小さな旦那様、小さな奥様(6)

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 しばらく坂道を上っていくと村長の言っていた通り、少し離れて二軒の家が並んでいるのが見えた。手前の家の前に農具を持った壮年の男性がいるのが目に入る。

 あの人だろうか、と目をこらした時にこちらを向いた目と視線がかち合ったが、それも一瞬のことですぐに目は逸らされた。そのまま農具を持って裏へと歩いて行ってしまう。

「あの人かな……? 僕たち、もしかしてあまり歓迎されてない?」

 アルが心配そうな声でヴィオとソルヴェーグを見る。

「私共もお会いするのは初めてですからな。知人でなければ声をかけない方もおりましょう。まずは挨拶から致しましょう」

 アルの不安をなだめるようにソルヴェーグが落ち着いた声を出す。
 家の近くまで着いた時にちょうど玄関の方に男性が戻ってくるのが見えた。

「すみません」

 ヴィオが声をかけると、男性は憮然とした様子で振り返った。

「お忙しいところ失礼します。ガスパロさんの家を村長からお聞きして訪ねたのですが、こちらで間違い無いでしょうか?」
「……その通りガスパロは俺だが」

 低い声だった。髭が口元を半分以上覆っているせいか、声はいささかくぐもっていて聞き取りづらい。

「突然申し訳ございません。ヴィオ・ローデンヴァルトと申します」

 ヴィオが名乗るとガスパロは小さな目を開いた。まじまじとヴィオの顔を見て、やがて感情に乏しい表情がわずかに驚きを見せる。

「ディルクの息子か」
「はい」

 やはり父を知っていたらしい。
 父が旅をしている時の偽名はディルク・ローデンヴァルトで、本名と偽名の双方はごく親しい人間しか知らない。ヴィオについても同様だ。
 ガスパロに父が伝えているのは偽名の方だとソルヴェーグから聞いている。
 父がこの山々を越える時に、良く世話になっていたと言う話だった。

「……そうか。今は収穫祭だからな。客人も多い」

 ヴィオ達が来た理由を察したのだろう。感情の乏しい目を細めると、ガスパロはおもむろに家のドアを顎で示した。

「上がりなさい。話を聞こう」

 ガスパロの言葉に黙ってヴィオは頭を下げた。

 居間に通してもらうと、ガスパロはヴィオたちにそれぞれ空いたところに座るように促した。とは言ってもそんなに椅子が多いわけでもないので、恐縮するリチェルを強引に座らせて立ったまま話をすることにしたが、結局ソルヴェーグに促されてヴィオも残った椅子に腰を下ろした。同じく向かいに座ったガスパロに経緯を説明する。

 国を越える途中で村に寄ったこと。宿を探していること。村長の家が満室だったため困ったのだが、父から度々ガスパロの話を聞いていた事を思い出して訪ねたこと。

 例えガスパロがヴィオの父親の素性を知らないとしても、迂闊にディルクが行方不明である事は伝えられない。だからその事実を伏せたまま、当たり障りなく話を進める。

「不躾なお願いで失礼とは思いますが、一晩泊めていただくことは出来ないでしょうか?」

 ヴィオの一連の説明をガスパロは静かに聞いていた。その視線がちらりとリチェルを一瞥する。ガスパロが小さくため息をついた。

「ディルクのせがれの頼みであれば家に泊めるくらいは構わん。だが部屋は二つしかないし、全員が寝るには狭いぞ。そこの嬢ちゃんを泊めてやるには足りん」

 パチリとリチェルが目を瞬かせる。

 もちろん意地悪で言っている訳ではないとすぐに分かる。むしろリチェルを気にかけて言ってくれているのだろう。

 正直ここで引くべきはアルだろうが、女性だから部屋を分けてと言うのであればそう言う問題でもないだろう。そしてリチェルは自分がネックになっているのであれば間違いなくヴィオ達だけでも泊まれるようにと考える少女だ。

「あの。でしたらわたしは村長さんに泊まれる場所がないか聞いて──」

 案の定そう言い出したリチェルの言葉は最後まで続かなかった。
 突然ガスパロ達が座るテーブルの隣にあった窓がパーン! と小気味よい音を立てて開いたのだ。


「「お姉ちゃん、泊まるおうちがないの⁉︎」」


 同時に舞い込んだ明るい声が二重になって、部屋の中の静かな空気をつむじ風みたいに吹き飛ばした。



 らんらんと輝く青空の瞳が二対。
 キラキラとしたお日様みたいな髪が窓を開けた風でふわりとなびく。

「……⁉︎」

 ヴィオはもちろん誰も突然の闖入者に反応出来なかった。乱入してきたのはまだ幼い二人の子どもだったのだ。

「あ、ガスパロのおじいちゃんこんにちはー!」
「お客さん来てるの秘密にするのズルいったらぁ!」

 空気を読まないやたら賑やかな声が室内に響く。

 唖然とするヴィオ達を尻目に、ヨイショヨイショっとあろうことか窓から侵入してきた子どもたちは男の子と女の子が一人ずつ。とても良く似た容姿をしていた。

 部屋の中に降りるとすぐに二人はポカンとしているリチェルのそばに寄っていく。

「ねぇねぇ、お姉ちゃん泊まるおうちないの?」
「リリコの家に泊めてあげよっか?」
「あー! それぼくが言いたかったのに!」
「ダーメ! あたしの方が先なの!」

 やんややんやと騒ぎながら、リチェルの周りを取り囲んで二人は言い合いを始める。
 完全に置いてきぼりにされたまま、ヴィオもアルも、加えてソルヴェーグも事態を唖然として見守っている。そもそもこの子ども達がどこの家の子どもかも分からない。

 ガスパロの子どもか孫、ではないだろう。奥さんと子どもは早くに亡くなったと村長からも聞いている。だがガスパロの様子から知った仲であることは明らかだった。

「お前達また勝手に……!」
「わ! にっげろー!」
「きゃ~!」

 ようやく我に帰ったガスパロが掴まえようと手を伸ばすが、まるで追いかけっこをしているみたいにはしゃいで二人は逃げ回る。立ったままのアルを時に壁にして、狭い部屋の中を自由自在だ。

「わ、ちょ……っ!」

 壁にされるアルはうろたえる一方だ。

 おやおや、とソルヴェーグは目を細めてその光景を見ていたが、やがて我に返ったらしい。コホンと咳払いをすると『失礼しますね』と静かに宣言して駆け回る二人の首根っこを一息に捕まえた。

「わっ!」
「きゃっ!」

 当然捕まえられた二人は手足をバタバタとさせるが、流石に大人の力には敵わない。うーん! と抜け出そうとする二人の子供の様子にホッホ、とソルヴェーグは笑いをこぼした。

「この、お前たちは……!」

 ようやく止まった二人のそばにくると、ガスパロは有無を言わさずその頭に両の拳を落とした。

「いたっ!」
「いったぁーい!」

 一瞬驚いたが加減はしているのだろう。
 二人は頭を押さえたまま口をへの字に結ぶと、ようやくジタバタとしていた手足をおろして目の前に立つガスパロを見上げる。

「いい加減にしないか! 窓から入ってくるなといつも言っているだろう!」

 観念したのかソルヴェーグが手を離しても逃げる様子はなく、ショボンとした表情を浮かべて二人はガスパロを見上げる。

「だってお客さんが見えたんだもん~」
「おはなしきいてたら困ってるみたいだったし……」

 めいめいに言い訳を口にしながら、女の子の方が男の子を睨みつける。

「リートが悪いのよ。窓から覗いてみようだなんて言うから」
「先にお客さんに声かけようって言ったのはリリコだろ!」
「……お前たち」

 ガスパロがこめかみを押さえて呻くように言う。

「……母さんはどうした」
「おうち」

 リートと呼ばれた男の子が答える。

「黙って出てきたなら心配するだろう。帰りなさい」
「そんなにもう小さくないわ」

 リリコと呼ばれていた女の子が口を尖らせる。『それにね!』とリリコが勝ち気な瞳をガスパロに向ける。

「きっと役に立てると思うわ! さっきこのお姉ちゃんが泊まる場所がないってお話してたでしょ⁉︎」
「そう! ぼくらのおうち泊まれるお部屋あるよ! お姉ちゃん一人なら泊めてあげられるよ!」
「いいから帰りなさい」
「だって!」
「でも!」
「…………あの、少しだけ良いでしょうか?」

 食い下がる双子の様子に、口を開いたのは意外にもリチェルだった。

 リチェルは席を立つと、ガスパロの前でごねる二人のそばにしゃがみこむ。二人は警戒したようにリチェルを見ていたが、リチェルがそっと二人の片手を握って『心配してくれてありがとう』と優しく口にするとポカンとしてリチェルを見た。

「二人ともとってもやさしいのね。だけど誰かを泊めるとなるとお母様にまず相談しなくちゃいけないわ」

 穏やかに笑ってリチェルはそう口にする。

「ガスパロさんも意地悪ではなくて、きっとそうおっしゃっているのよ。それに窓から家に入ってはダメ。落ちたら怪我をしてしまうかもしれないし、ガスパロさんの家の物を壊してしまうかもしれないわ。二人ともガスパロさんやお母様に迷惑をかけたい訳じゃないでしょう」

 優しく諭すような言葉に、決まりが悪そうにリートとリリコはお互い顔を見合わせた。一方的に責められている訳ではない分反発もし辛いのだろう。

(そういえば……)

 リチェルはクライネルトに引き取られる前は、孤児院にいたのだった。
 出会った時の印象が強くて忘れがちだが、リチェルは元来明るい性分だ。孤児院にいたのであれば、きっと年下の子たちの面倒もよく見ていただろう。

 そして話を聞いた限りでは彼女の孤児院は修道院に併設されたものだ。
 教え諭すような口調は、きっと修道院のシスターにならったものなのだろう。棘を感じさせない柔らかな声音は、子どもの心に寄り添うようだった。

 実際リチェルに諭された二人はオズオズとガスパロの方を見上げると、ごめんなさいとしょげた様子で謝った。
 
 ガスパロはため息をつくと、分かったならいいと低い声で吐き出す。

「お母さんに聞いてみる。だけどきっといいって言うよ」
「お姉ちゃん一緒に来てよ。泊まるならおとなりのほうがいいでしょ?」

 リートとリリコがそれでも諦めきれないように今度は立ち上がったリチェルの服の裾を引いた。だけどその動作には先ほどの強引さはない。

 どうしたらいいか、というようにリチェルの目がヴィオの方を向く。

 正直なところヴィオにとってリートとリリコの申し出はありがたい。隣であれば、何かあった時すぐに声をかけられるし心配も少ない。
 小さく息をつくと、ヴィオはガスパロの方に向き直る。

「……ガスパロさん。正直こちらにとっては有難い話ではあるのですが、お隣の家に彼女の事を聞いてみても良いでしょうか?」
「好きにしなさい。この二人の母親はよく出来た御仁だ。父親がいないから男は泊められんだろうが、その嬢ちゃんであれば問題はあるまい」

 ガスパロがそう言うとパアッと双子の顔がほころんだ。

「じゃあ良いの!?」
「お姉ちゃんこっちだよ!」
「あ、ちょっと待って」

 リチェルの手を両方持って引っ張る二人を慌ててリチェルが引き止める。当然行くのであればヴィオかソルヴェーグが一緒に行くべきだろう。ヴィオとしてはガスパロにいくつか聞きたいことがあったのだが、アルがいると聞き辛いのでどちらにせよ今はリチェルについて行った方がいいだろうか。

 そう思案していると『僕が行くよ』と意外なことにアルがリチェルの後に続いた。

「リチェルさんのこと説明すればいいんだよね? 本当なら僕が譲るべきだった所を迷惑をかけてしまったんだから、それくらいはさせて」
「……なら、頼む」

 うん、とアルは嬉しそうに笑ってリートとリリコに引っ張られていくリチェルの後について出ていく。

 パタン、とドアが閉まった。窓から聞こえる賑やかな声が少しずつ遠ざかっていく。

「……すまんな」

 どうしてかガスパロが謝って、ヴィオはとんでもないと返す。

「急に押しかけたのはこちらです」

 突然の乱入に驚きはしたものの、結果的には良かったくらいだ。隣の家の双子でな、とガスパロがこぼす。

「頼れる人間もおらんようで、ずっと母親が一人で育てている。良く要らん騒動を起こすが、根は母親思いの子どもたちだ。多めに見てやってくれ」
「構いません。先ほども言った通り、むしろ助かりました」

 頭を下げるヴィオにガスパロが何かを懐かしむように目を細めた。

「しかしそうか。ディルクのせがれか。確かに若い頃のアイツに良く似ているな」

 泊まるのは一日で良いのか? と尋ねられてヴィオは頷く。

「十分です。明日の朝には発とうと思います」

 期限がある訳ではないが、家のことも心配だった。出来るなら早く進みたい。ただその為には──。
 
「……父とは長いお付き合いだとお聞きしています。最近もお世話に?」

 さり気なさを装って質問すると、果たして『あぁ』とガスパロが頷いた。思わず息が漏れた。ヴィオの様子には気づかず、ガスパロは続ける。

 
「ちょうど夏に入った頃だ。三ヶ月ほど前の話で……」


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