Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー

雪葉あをい

文字の大きさ
51 / 161
第2章 ADAGIO

op.06 小さな旦那様、小さな奥様(9)

しおりを挟む
「リチェル、少しいいか?」

 ヴィオが村長達と一通り話を終えて外に出ると、リチェルは双子達と一緒に夕飯の準備をしているところだった。薪を両手に抱えたリチェルが振り返ると、スカートにじゃれついているリートとリリコも一緒に振り返る。

「あ! ヴィオ兄ちゃんだ!」
「お話終わったの?」

 耳慣れない呼び方に一瞬固まると、リチェルが慌てて口を挟んだ。

「お名前教えちゃったんだけど良かったかしら?」
「……あぁ、そういう事か。特に問題はない」
「ねぇねぇ! ヴィオお兄ちゃんもうちでご飯食べて!」

 リリコがじゃれつくようにヴィオの手をとる。
 ほとんど話もしていないのに距離の詰め方が早い。正直少し戸惑ってしまうが、振りほどくことはせずリチェルの方を向き直る。

「夕飯? リチェルが作ってるのか?」

 問いかけると慌ててリチェルが首を振った。

「アル兄ちゃんだよ!」
「すっごく上手なの!」

 リチェルが口を開く前に、先を争うようにリートとリリコが口々に答えた。

「アルフォンソが?」
「そうなの。アルさん本当にお料理が上手なの。びっくりしちゃった」

 リチェルがほんわかと笑う。その時家の中から『おーい!』とアルの声が聞こえてきた。

「薪持ってこれそうかな~?」
「あ、大変」

 リチェルが両手に抱えたままの薪とヴィオを見比べて、リートとリリコに視線を移す。

「二人ともこれをアルさんに持っていってもらってもいい? わたしはヴィオと少しお話があるから」

 えー、とリリコが不満そうに声を上げる。握ったままの手をギュッと引っ張られて困惑する。

(どうしたものか……)

 子どもの扱いにはどうにも慣れない。昼間のリチェルを思い出して、『すまないが頼めるか?』と直接リリコに頼んでみるとむぅ、と頬を膨らませながらリリコは渋々手を離してくれた。

 リートがリチェルから薪を受け取ると、リリコに『行こう』と促す。

「わかったわよぅ」

 パタパタと二人が家に入っていく。二人の姿が見えなくなると、リチェルが改めてヴィオに向き直った。

「……さっきはごめんなさい。いつの間にかリート君がいなくなっていて。迷惑にならなかった?」

 先程村長と話していた時のことを指してるのだと分かって、大丈夫だとヴィオは答える。リートはおとなしかったし、すぐにリチェルが迎えにきてくれたから、と伝えるとリチェルはホッとした表情を見せる。

「それにしても二人とも元気だな」
「そうね。二人ともとても明るくって、たくさん元気をもらうわ」

 にっこりと笑ってリチェルが言う。特に表情に含むこともなく、恐らく本心なのだと思うと純粋にすごいな、と思った。ヴィオにはとても真似出来ない。

「少し意外だった。リチェルは子どもの前ではあんな風に喋るんだな」

 元より穏やかに話す子ではあるが、リートとリリコに接するリチェルの話し方は余裕があって、慈愛に満ちたと表現するのが正しいのだろうか。愛情深く落ち着いた雰囲気を持っている。

 ヴィオの言葉にパッとリチェルが頬を赤らめる。

「へ、変かしら……?」
「いや。ただ君が子どもたちを叱ったのは少し意外だった。もちろんあの場で子どもたちをたしなめてくれたのが有り難かったのは前提として、とても巧みだったから」

 そう言うとリチェルはどこか居心地悪そうに視線を動かした。

「全然大したことじゃないのだけど、ヴィオがそう思ってくれたのなら、きっとそれは孤児院のシスターのお陰だわ」

 そう言ってリチェルが微かに笑う。

「悪いことをした時には、わたしもあんな風に言い聞かせてもらったのを思い出したの。頭ごなしに怒られるよりもずっと反省した気がするわ」
「リチェルが怒られるところはあまり想像つかないな。子どもたちの世話は孤児院で?」
「うん。孤児院では年下の子の面倒を見るのは年長の子達のお仕事だったから。だから、そんな特別なことじゃないのよ? それよりもお医者様を手配してくださってありがとう。わたしだけじゃどうしたら良いか分からなかったから……!」

 ワタワタと慌てたようにリチェルが言う。褒められることに慣れていないのだとすぐ分かるリチェルらしい話の逸らし方だ。

「それで、何かあったの? 用事があって来てくれたみたいだから……」
「あぁ、そうだ。お医者様からの話を聞いて少し話したいことがあって──」

 そう伝えると、すぐに察したらしい。リチェルが表情を曇らせた。

「……アガタさん、やっぱり悪いの?」

 嘘をつく必要もないので、正直に頷く。

「町の病院に連れて行かないといけないんだが、行き帰りに一週間程かかるから、その間双子の面倒を見る家を探さないといけない」
「今から? 家が決まるまでどれくらいかかるかしら……。アガタさん、きっとあの二人の預け先が決まらないと行くと言ってくれないのじゃないかしら」
「そうだな。町の病院までは村長の奥方が連れていってくれるらしいんだが、ガスパロさんも双子の世話を一人でするには荷が重いらしくて……」
「そう……」

 心配そうに同意するだけで、リチェルはそれ以上は何も言わない。

 リチェルはヴィオ達の事情も明日たつ予定だというのも知っているから、どれ程気がかりでももう少し滞在できないかとはヴィオには聞かないだろう。だけど今日出会ったばかりの人のことだろうと気にかかってしまうのがリチェルという少女だ。

「……それで全く別件になるんだが、実はさっき村長から収穫祭で演奏を頼まれたんだ」

 突然話が変わって、リチェルはキョトンとしてヴィオを見る。話の繋がりが見えない言い方をしているのはヴィオにも自覚はある。だがこれから伝えることはリチェルの持っている生来の優しさを利用しているようで、少し言い辛い。

「収穫祭まではまだ一週間あるし、その間この村に留まることになったんだが──」

 その瞬間パッとリチェルが顔を明るくした。

「それならアガタさんが病院から戻ってくるまでの間この町にいられるの?」
「あぁ。だから、その、双子のことは──」
「もしヴィオやアガタさんが良いとおっしゃってくれるなら、リート君とリリコちゃんのお世話をわたしが見てもいいかしら?」

 それなら他のおうちの都合を気にしなくてもいいし、とリチェルがヴィオに尋ねる。

「あ、でもアガタさんのおうちを借りてもいいかも分からないものね。聞いてみるわ」

 もちろんリチェルの申し出は願ってもないことだった。むしろヴィオはそれを頼めないかここまで聞きに来たのだが──。

「…………」
「……わたし、何か変なことを言ったかしら?」
「いや、もちろん言ってはいない……」
「ヴィオ?」

 リチェルが不思議そうにこちらを見上げる。その無垢の視線が少し気まずい。

 収穫祭の依頼を受ける際、それなら双子のことをこちらで引き受けられるとヴィオが考えたのは事実だ。だがヴィオ自身は幼い頃から大人に囲まれていたせいでどうにも年下の子ども相手は不得手だった。その時思い出したのが双子の世話を見ていたリチェルの様子だったのだ。

 自分では世話ができる気がしないからと引き受けたことをリチェルに頼むのも不甲斐ないし、何よりリチェルがきっと断らないのも分かって頼みに来ているのだから少々気まずい。

 が、当のリチェルはそんな事を気にもしていないようだった。流石にこのままリチェルの好意に甘えるのも不誠実な気がして、観念して口を開く。

「……白状すると元からリチェルに頼もうと思って出て来たんだ。俺には子どもの相手や家のことは出来る気がしないし、初めから君を当てにしていた。すまない」

 ヴィオの言葉に今度こそリチェルは目を丸くしてヴィオを見る。だが次にはおかしそうにクスクスと笑いだした。

「……リチェル」
「ごめんなさい……っ。だって、そんな事気にしなくてもいいのに」

 全然大丈夫よ、とリチェルは笑う。

「元々アガタさんのお家にお世話になるのだから何かお返しできたらと思っていたの。それにヴィオにはいつも迷惑をかけてばかりだから。わたしが力になれることなんて普段はほとんどないから嬉しいわ」
「そんなことはないが……」
「ううん。そんなことあるの。ずっとヴィオのお世話になっているから、わたしに出来ることがあるならいつでも頼ってほしい。ヴィオに比べると、出来ることは全然少ないけれど。ありがとう、ヴィオ」
「君に礼を言われる立場では全くないんだが──」

 むしろ礼を言うのはこちらの方だ。
 それに、とリチェルが話を続ける。

「収穫祭で演奏するならヴィオの演奏がまた聞けるのね。それもとっても楽しみ」
「その事だが、村にピアノがあるらしいからアルにも演奏を頼もうかと思ってるんだ」
「そうなのね」

 嬉しそうにリチェルが手を合わせる。

「じゃあ当日は二人のコンツェルトが聞けるのね」
「まぁ曲目は一曲と言われたわけではないし、要望があればアルと二人で演奏しても構わないんだが……」
「一曲はもう決まってるの?」

 キョトンとしてリチェルが尋ねる。
 曲目が決まっているわけではない。だけど一つ決めていることはあった。

(そういえばまた大事な事を言ってなかったな……)

 リチェルの様子を見て反省する。
 ただ演奏の依頼を受けた時から決めていたことではあった。演奏を引き受けた理由は双子のこともあったが、同じくらいヴィオにとっては大きな理由の一つがそれだ。
 もちろん本人が嫌がらなければの話だが──。

 あぁ、と頷いて笑う。

「リチェルさえ良ければ当日は君にも歌ってもらいたいんだが、どうだろうか?」

 若葉色の目が驚きに見開かれる。
 丸い瞳がパチパチと瞬きを繰り返して──。

「え⁉︎」

 やがてらしくない高い驚きの声が夜の丘に響いたのだった。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

拾われ子のスイ

蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】 記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。 幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。 老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。 ――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。 スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。 出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。 清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。 これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。 ※週2回(木・日)更新。 ※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。 ※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載) ※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す

RINFAM
ファンタジー
 なんの罰ゲームだ、これ!!!!  あああああ!!! 本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!  そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!  一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!  かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。 年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。 4コマ漫画版もあります。

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

公爵家の秘密の愛娘 

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。 過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。 そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。 「パパ……私はあなたの娘です」 名乗り出るアンジェラ。 ◇ アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。 この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。 初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。 母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞  🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞 🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇‍♀️

処理中です...