Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー

雪葉あをい

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第2章 ADAGIO

op.07 懐かしい土地の思い出(1)

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 洗濯物を持って家を出ると、風にのってヴァイオリンの音色が響いてきた。
 音色に耳を澄ませてリチェルは感嘆の息をつく。

 うっとりするような音色は断続的だ。
 ワンフレーズを弾き終えない内に消えては、また同じフレーズが繰り返される。時たま音が変わって、やがて沈黙が下りてくる。
 
「リチェルさん、手伝おうか?」

 音の主がいるはずの隣の家を眺めていると、ひょこりとアルがリチェルの背後から顔を出した。慌てて大丈夫、とリチェルは笑う。

「アルさんは少し休んでいて。朝ご飯も作ってもらったんだし悪いわ」
「そう? でも、手は空いたし何か手伝えることがあるなら──」

 と、ヴァイオリンの音色が聞こえてアルは言葉を切るとそちらに視線をやる。

「ヴィオ君朝食が終わってからずっと曲を作ってくれてるんだね。練習時間も必要なのに間に合うのかな」
「ヴィオが大丈夫って言ったから大丈夫だと思うわ」

 曲を作るのにどれくらいの時間がかかるのか、リチェルには分からないけれども、ヴィオのことは信頼している。

 ヴィオが大丈夫だというならきっと間に合わせるのだろう。ただあまり自分の睡眠時間を考慮していなさそうで、そこだけは心配だった。
 
「ヴィオ、無理していないかしら」
「どうだろう。確かに昨晩は僕が寝る頃にはまだ起きてたけど……」

 元々は既存の曲を演奏するはずで、編成に合わせて少し調整すれば良いだろうと話していた。予定が変わったのは昨晩双子が自分達も演奏に参加したいと言い出したからだった。


 


 アガタの体調も悪い中うるさくしては身体に良くないだろうと、昨日はガスパロの家で集まって夕食を取っていた。
 その席でヴィオ達が演奏会へ出るという話になったのが事の発端だった。

『えー! 僕も出たい!』
『リリコも!』

 収穫祭までにはアガタが帰ってくるはずだから、病気が良くなったお母さんに聞かせたいと二人が夕食の席で大騒ぎしたのだ。
 ガスパロが『子どものお遊戯会じゃない』とはねつけたのだが二人は全くきかず、むしろガスパロの言葉にかぶせる勢いで噛みついた。

『だって村の中ではあたしが一番歌が上手いわ!』
『みんな褒めてくれるんだよ!』

 これにリチェルが『確かに二人ともとっても上手だったけれど』と合いの手を入れてしまったのがさらに二人を助長させた。やいのやいのと騒ぎ立てる双子の勢いに食事どころじゃなくなりそうで、結局ヴィオが折れたのだ。

『でも選曲が難しいよね。編成がでこぼこだし、歌のついている曲でリリコちゃんたちも歌えるものとなると……』

 眉間に皺を寄せるアルに、ヴィオも考え込んでいた様子だったがそれもわずかな時間で、すぐに『わかった、作ろう』と短く言い切った。

『え?』
『編曲するより作った方が早い』

 そう言ってヴィオは双子に向き直る。

『遊ぶ時間より練習時間を優先してもらうが大丈夫か?』

 ヴィオの言葉に双子は目を輝かせてうん! と大きく頷いたのだった。





 そういう訳で、ヴィオは朝からずっと作曲のために部屋にこもっているのだ。
 洗濯物を干すリチェルからアルは離れるでもなく、どこか落ち着かない様子で近くに立っていた。

「アルさん、どうしたの?」

 何か用事があるのだろうか、と首を傾げると『いや、何でもないんだ』と慌てたようにアルが否定する。

「でももし邪魔にならないならリチェルさんの話とか聞きたいなーって──」
「アルお兄ちゃんどこーーーーーー⁉︎」

 と、元気なソプラノボイスと共にスパーンと家の窓が開いて、間髪入れずゴっと鈍い音が響いた。

「~~~~~!」
「アルさん⁉︎」

 窓の角が見事にアルの後頭部を直撃していた。
 急いで駆け寄るが、アルは後頭部を押さえて無言で悶絶している。当のリリコは窓から下を覗き込んで『いた!』と嬉しそうな声を上げた。

「リリコちゃん!」

 思わず声を上げると、性懲りも無く窓から外へと飛び出してきたリリコはアルの様子に気付いて動きを止める。リチェルとアルを見比べて、しばらく黙っていたがやがて観念したように口を開く

「……ごめんなさぁい」
「いたた……、うん。良いけど。気をつけようね……」

 涙目のままアルが笑う。

「リリコ! アル兄ちゃんいた?」
「うん、いたよー! ここ!」

 表からリートの声が聞こえてくる。すぐにパタパタとリートが玄関から飛び出してきた。

「アル兄ちゃん、かくれんぼしよう!」
「アルお兄ちゃんが鬼ね! 二十数えて!」
「あ、ちょっ!」

 アルの同意を聞かずに、双子はつむじ風みたいに走って消えてしまう。肩を落としたアルをリチェルは心配そうに覗き込んだ。

「アルさん。打ったところ大丈夫? お洗濯が終わったら、手が空くから代わるわ。二人には少しだけ待っててもらえるようにお願いするわね」
「え⁉︎ いや全然大丈夫だよ⁉︎ 元気だよ!」

 リチェルの声にアルがはじかれたように立ち上がる。

「そう? でも……」
「全然本当に大丈夫!」

 小さい子と遊ぶの嫌いじゃないし! と意気込んで言うアルの様子にホッとする。

「……あの、アルさん。これはわたしの勝手な想像なんだけど、リリコちゃんもリート君も本当は不安なんだと思うの。みんなに心配かけないようにいつも通り振る舞おうとがんばっていて、結果的にいつもよりもっと元気に振る舞っているというか……」

 アガタは村長の奥さんが付き添って、早朝に村を発った。
 まだ夜が明けたばかりの時間だったのに、誰に起こされるでもなく眠い目を擦って双子は母親の見送りに起きてきた。

 収穫祭で歌うのよ、と楽しそうに話すリリコの頭をアガタは優しく撫でて、リートにはリリコをお願いねと掠れた声で伝えていた。
 
「だから、二人を悪く思わないであげてほしくて……」

 アルの温和な性格ゆえだろう。
 双子はアルにちょっと無茶ぶりする傾向がある。それがアルにとって負担になってるかもしれないと思い、口にすると、アルは微かに笑った。

「……リチェルさんは優しいね」

 そしてポツリとこぼす。

「僕なんて自分のことばっかりなのに、リチェルさんはいつも他人のことを考えてる」
「そんな事ないわ。アルさんがいてくれなかったらアガタさんの病人食も作れなかったし、昨日も今日もみんなの分のご飯を用意してくださってるのだもの。とても感謝しているわ。ありがとうアルさん」

 そう言うとアルは照れたように『そうかな……』と頬をかいた。

「うん、そう言ってもらえると僕も頑張った甲斐があるよ。よし、昼ごはんもがんばって作るね。おっと、その前にリリコちゃんたちを探さなきゃ……!」
「そうね。二人が怒りだす前に行かないといけないわね」

 いってくるね! と言って、アルがパタパタと駆けていく。
 その後ろ姿を見送りながら、リチェルは最後の洗濯物を紐にかけた。

 振り返ると、まだヴァイオリンの音色は丘に響いていた。


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