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第2章 ADAGIO
op.07 懐かしい土地の思い出(6)
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「それで、悩んでいたことは解決されましたかな?」
次の日。
弦パートで合わせていたソルヴェーグとの練習がひと段落した頃、ソルヴェーグがどこか楽しげにヴィオに声をかけた。
「…………」
「…………」
苦い顔をしたヴィオとは反対にソルヴェーグはニコニコと笑っている。
この老執事には何もかも見透かされているようで、たまに嫌になる。
だがそれに助けられてきた回数の方が遥かに多いことを自覚しているので、不本意ながら『特に悩んでいた訳じゃない』と返事をした。
「悩んでいた訳じゃないが……、昨晩アルフォンソに少し相談を受けてな」
「ほう。アルフォンソ殿にですか」
ソルヴェーグの事だから、アルの事情にはおおよそ気がついているだろう。
「アルフォンソ殿も色々お抱えの様ですからな。詰めるものを詰めてすぐ飛び出してきた、と言うご様子でしたから、家が騒ぎになってなければ良いのですが」
案の定ソルヴェーグは聞き知ったようにそう口にする。
ヴィオは『有り得るだろうな』と呟いて、ソルヴェーグの手前の椅子に腰掛けた。
ただでさえあの性格だ。家を飛び出すなど一大決心だろう。
周りを驚かせているのは想像に難くない。
「俺はあいつの詳しい事情を知っている訳ではないから、あまりいい加減なことも言えないんだが。『好きなことを押し殺してまで縛られないといけない義務はあるのか』と聞かれたんだ」
「……なるほど、その様なことを」
ソルヴェーグが目を細める。それで、と促されてヴィオは視線を上げる。
「それで、ヴィオ様は何とお答えに?」
「そう言う風に考えことはないと答えたよ。家を継ぐことは義務だとも思うが、同時に恵まれた環境を甘受している責任だとも思っている。自分で決めたことだから、縛られているとは言えないだろう」
「……差し出がましい事ではありますが、ヴィオ様がそのようにご立派に育って、私めもとても嬉しく感じます」
「茶化さないでくれ」
呆れたように言うが、茶化してるつもりはありませんとソルヴェーグは真面目に答える。それがまた何とも居心地が悪くなる。
「ただ──」
「ただ?」
「家を継ぐことに縛られていると感じたことはないが、責任の重さを感じることは多いよ。旅に出てからは余計に」
出来ないことの多さを思い知った。
家にいた頃とも音楽院にいた頃とも違う。
あの頃の自分には家を継ぐという責任はあったが、自身の決断の影響値は差して大きくはなかった。もしかしたら見えていなかっただけかもしれないが。
「父上がいなくなってから、迷う事も多い。まだこれでも見えてる所なんて一部なんだろうが、自分の発言や決定に対しての責任と周りの影響を考えると、これを全て背負ってきた父上との力量の差は、正直知れば知るほど広がる気がするよ」
背負わなければいけないものの重さを自覚する。
それに足る実力が、器が不足していることも同時に身に染みて感じるのだ。
「勿論すぐにどうにか出来る事じゃないし、結局足掻いて埋めていくしかないことは分かっている。だけど開いていく差をまざまざと見せつけられるとどうにも焦るな。それでも、出来ることを積み重ねていくしかないんだが」
そんな簡単なことに折り合いがつかなくなって、普段気にならない言葉が気になってしまう時もある。
「……そう言うお話を、ヴィオ様が自分から語ってくれるだけで私は嬉しいですよ。言葉に出来ると言うことはご理解されていらっしゃると言うことです。大丈夫です、貴方は貴方が思っている以上に本当にご立派な方です」
「そうだと良いんだが」
苦笑して、本心からそう呟いた。
ソルヴェーグの期待が買いかぶりでなければ良いと思う。同時に買いかぶりであってはいけないとも思う。少なくともソルヴェーグが認めてくれる自分を否定しなくてもいいように、努力はしなければいけない。
「ヴィオ様」
呼ばれた声に顔を上げると、穏やかな瞳でソルヴェーグがヴィオを見ている。
「お父君も、ヴィオ様が思っている程完璧な方ではありませんでしたよ。もちろん飛び抜けて優秀な方だったのは間違いありません。でも出来ないこともたくさんございました」
「父上が?」
想像がつかない。ヴィオの父は大抵のことはそつなくこなせる人だ。何よりどんなことがあっても落ち着いていて、それが周囲を安心させていただように思う。
ほっほ、とソルヴェーグが笑う。
「お父君もヴィオ様くらいの年齢には大層悩んでいらっしゃいました。幼い頃からルートヴィヒ様とも度々意見が衝突しておりましたし、弟の言うことの方が正しい気がすると後で悩んでいたこともありましたよ」
「そうなのか?」
意外に思って問い返す。
確かに叔父であるルートヴィヒと父は全然性格が違う。
ともすれば家を不在にして、領地の隅々に足を運ぶ父の行動がルートヴィヒにとっては良く映っていなかったのはヴィオも良く知っている。
お前達はどうしていつもそうなんだ、と怒鳴られた事はヴィオも一度や二度ではない。
「えぇ。大人になってからも悩みながら決断されていましたよ。私などには想像の及ばない事ではありますが、きっと手探りで決めた事はたくさんあったでしょう。お父君も色んな事に挑戦して、何度も失敗しながら、学んでいったのではないでしょうか」
「……そうか」
父が失敗した例を少なくともヴィオは知らないが、ソルヴェーグがいうならきっとそうなのだろう。
それに、とソルヴェーグが頬を緩めた。
「ヴィオ様はお父君から一番大事な部分を受け継いでいらっしゃいます。今のご年齢を考えると、きっと十分ご立派におなりでしょう」
「大事な部分、というと?」
「一言で言うのは難しいのですが、強いて言葉にするのであれば寛容さ、であるかと」
さして迷う事もなくソルヴェーグは口にした。
「そのままの意味でもありますが、旦那様もヴィオ様も他者の文化や考えに対して非常に寛容なのです。己と違うことを否定なさらない。受け入れることを拒絶なさらない。だからきっと私などには到達できない考えに達することが出来るのだろう、と僭越ながら思うこともたびたび……」
いささか話しすぎましたな、とソルヴェーグが照れたように笑った。
「歳を取ると説教くさくなっていけませんな。仕える主人にまでこうでは……」
「いや。お前には教えられることばかりだ」
苦笑をこぼした。
父のことは、理解しようと思って、だけど理解しきれないとも思っていた。もしかしたら初めから諦めていた部分もあったのかもしれない。
ガスパロが『返しても返しきれない恩がある』と言ったことに反発していたところも、きっとあったのだろう。自分には決して、そんな風に人を助けることなどできないのだから。だけど──。
(少なくとも父上が迷っていたのであれば、俺が迷うのは当然だな)
まだまだ覚えることばかりの、若輩の身なのだから。
そういえば、とソルヴェーグが思い出したように口を開く。
「今回の楽団にしてもそうですな。本来であれば、今回のような編成は考えられますまい。それなのにヴィオ様はこうして一つの音楽にしてしまうのですから」
「それは、関係あるのか……?」
「あるでしょう。特徴の違う音色を一つの曲にまとめてしまうのですから」
そんなものか、と息をついた時ふと閃いた。
(全然違う音色を、一つに調和させるのだから──)
「どうかなさいましたか?」
ソルヴェーグの問いに何でもない、と答える。
「……昼過ぎからは一度揃って練習してみようか。あと三日で本番だからな」
「楽しみですな」
ソルヴェーグが笑う。
「あぁ」
答えて笑う。
父のようにはなれなくても、誰かを楽しませることくらいは自分にもできるかもしれないと思いながら。
次の日。
弦パートで合わせていたソルヴェーグとの練習がひと段落した頃、ソルヴェーグがどこか楽しげにヴィオに声をかけた。
「…………」
「…………」
苦い顔をしたヴィオとは反対にソルヴェーグはニコニコと笑っている。
この老執事には何もかも見透かされているようで、たまに嫌になる。
だがそれに助けられてきた回数の方が遥かに多いことを自覚しているので、不本意ながら『特に悩んでいた訳じゃない』と返事をした。
「悩んでいた訳じゃないが……、昨晩アルフォンソに少し相談を受けてな」
「ほう。アルフォンソ殿にですか」
ソルヴェーグの事だから、アルの事情にはおおよそ気がついているだろう。
「アルフォンソ殿も色々お抱えの様ですからな。詰めるものを詰めてすぐ飛び出してきた、と言うご様子でしたから、家が騒ぎになってなければ良いのですが」
案の定ソルヴェーグは聞き知ったようにそう口にする。
ヴィオは『有り得るだろうな』と呟いて、ソルヴェーグの手前の椅子に腰掛けた。
ただでさえあの性格だ。家を飛び出すなど一大決心だろう。
周りを驚かせているのは想像に難くない。
「俺はあいつの詳しい事情を知っている訳ではないから、あまりいい加減なことも言えないんだが。『好きなことを押し殺してまで縛られないといけない義務はあるのか』と聞かれたんだ」
「……なるほど、その様なことを」
ソルヴェーグが目を細める。それで、と促されてヴィオは視線を上げる。
「それで、ヴィオ様は何とお答えに?」
「そう言う風に考えことはないと答えたよ。家を継ぐことは義務だとも思うが、同時に恵まれた環境を甘受している責任だとも思っている。自分で決めたことだから、縛られているとは言えないだろう」
「……差し出がましい事ではありますが、ヴィオ様がそのようにご立派に育って、私めもとても嬉しく感じます」
「茶化さないでくれ」
呆れたように言うが、茶化してるつもりはありませんとソルヴェーグは真面目に答える。それがまた何とも居心地が悪くなる。
「ただ──」
「ただ?」
「家を継ぐことに縛られていると感じたことはないが、責任の重さを感じることは多いよ。旅に出てからは余計に」
出来ないことの多さを思い知った。
家にいた頃とも音楽院にいた頃とも違う。
あの頃の自分には家を継ぐという責任はあったが、自身の決断の影響値は差して大きくはなかった。もしかしたら見えていなかっただけかもしれないが。
「父上がいなくなってから、迷う事も多い。まだこれでも見えてる所なんて一部なんだろうが、自分の発言や決定に対しての責任と周りの影響を考えると、これを全て背負ってきた父上との力量の差は、正直知れば知るほど広がる気がするよ」
背負わなければいけないものの重さを自覚する。
それに足る実力が、器が不足していることも同時に身に染みて感じるのだ。
「勿論すぐにどうにか出来る事じゃないし、結局足掻いて埋めていくしかないことは分かっている。だけど開いていく差をまざまざと見せつけられるとどうにも焦るな。それでも、出来ることを積み重ねていくしかないんだが」
そんな簡単なことに折り合いがつかなくなって、普段気にならない言葉が気になってしまう時もある。
「……そう言うお話を、ヴィオ様が自分から語ってくれるだけで私は嬉しいですよ。言葉に出来ると言うことはご理解されていらっしゃると言うことです。大丈夫です、貴方は貴方が思っている以上に本当にご立派な方です」
「そうだと良いんだが」
苦笑して、本心からそう呟いた。
ソルヴェーグの期待が買いかぶりでなければ良いと思う。同時に買いかぶりであってはいけないとも思う。少なくともソルヴェーグが認めてくれる自分を否定しなくてもいいように、努力はしなければいけない。
「ヴィオ様」
呼ばれた声に顔を上げると、穏やかな瞳でソルヴェーグがヴィオを見ている。
「お父君も、ヴィオ様が思っている程完璧な方ではありませんでしたよ。もちろん飛び抜けて優秀な方だったのは間違いありません。でも出来ないこともたくさんございました」
「父上が?」
想像がつかない。ヴィオの父は大抵のことはそつなくこなせる人だ。何よりどんなことがあっても落ち着いていて、それが周囲を安心させていただように思う。
ほっほ、とソルヴェーグが笑う。
「お父君もヴィオ様くらいの年齢には大層悩んでいらっしゃいました。幼い頃からルートヴィヒ様とも度々意見が衝突しておりましたし、弟の言うことの方が正しい気がすると後で悩んでいたこともありましたよ」
「そうなのか?」
意外に思って問い返す。
確かに叔父であるルートヴィヒと父は全然性格が違う。
ともすれば家を不在にして、領地の隅々に足を運ぶ父の行動がルートヴィヒにとっては良く映っていなかったのはヴィオも良く知っている。
お前達はどうしていつもそうなんだ、と怒鳴られた事はヴィオも一度や二度ではない。
「えぇ。大人になってからも悩みながら決断されていましたよ。私などには想像の及ばない事ではありますが、きっと手探りで決めた事はたくさんあったでしょう。お父君も色んな事に挑戦して、何度も失敗しながら、学んでいったのではないでしょうか」
「……そうか」
父が失敗した例を少なくともヴィオは知らないが、ソルヴェーグがいうならきっとそうなのだろう。
それに、とソルヴェーグが頬を緩めた。
「ヴィオ様はお父君から一番大事な部分を受け継いでいらっしゃいます。今のご年齢を考えると、きっと十分ご立派におなりでしょう」
「大事な部分、というと?」
「一言で言うのは難しいのですが、強いて言葉にするのであれば寛容さ、であるかと」
さして迷う事もなくソルヴェーグは口にした。
「そのままの意味でもありますが、旦那様もヴィオ様も他者の文化や考えに対して非常に寛容なのです。己と違うことを否定なさらない。受け入れることを拒絶なさらない。だからきっと私などには到達できない考えに達することが出来るのだろう、と僭越ながら思うこともたびたび……」
いささか話しすぎましたな、とソルヴェーグが照れたように笑った。
「歳を取ると説教くさくなっていけませんな。仕える主人にまでこうでは……」
「いや。お前には教えられることばかりだ」
苦笑をこぼした。
父のことは、理解しようと思って、だけど理解しきれないとも思っていた。もしかしたら初めから諦めていた部分もあったのかもしれない。
ガスパロが『返しても返しきれない恩がある』と言ったことに反発していたところも、きっとあったのだろう。自分には決して、そんな風に人を助けることなどできないのだから。だけど──。
(少なくとも父上が迷っていたのであれば、俺が迷うのは当然だな)
まだまだ覚えることばかりの、若輩の身なのだから。
そういえば、とソルヴェーグが思い出したように口を開く。
「今回の楽団にしてもそうですな。本来であれば、今回のような編成は考えられますまい。それなのにヴィオ様はこうして一つの音楽にしてしまうのですから」
「それは、関係あるのか……?」
「あるでしょう。特徴の違う音色を一つの曲にまとめてしまうのですから」
そんなものか、と息をついた時ふと閃いた。
(全然違う音色を、一つに調和させるのだから──)
「どうかなさいましたか?」
ソルヴェーグの問いに何でもない、と答える。
「……昼過ぎからは一度揃って練習してみようか。あと三日で本番だからな」
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