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第2章 ADAGIO
op.08 おもちゃの交響曲(3)
しおりを挟むヴィオがリチェルを見つけたのと同刻。
急に部屋から出ていったヴィオをキョトンとして見送って、同時に部屋に一人になったことに少し安堵してアルは息を吐き出した。
(明日が本番だから、早く寝ないと──)
そう思って横になるのに、思考は冴えていた。
『アルフォンソ』
今日練習の後ヴィオに呼び止められて振り返ると、ヴィオに『大丈夫か?』と問いかけられて自分は『大丈夫』と返事をした。だけど──。
(大丈夫、じゃないよなぁ……)
演奏に支障は出さなかった、と思う。
だけど人生の中で一番、と位置付けて良いくらい今迷っている自覚はあった。昨日のヴィオとの会話は原因の一端ではあるけれど、全てではない。
一生分の決心をして家を飛び出してきたはずなのに、それが簡単に揺らいでいる自分にも呆れている。
カッコ悪い、と思う。
昼食の後、真剣な顔で会話を重ねる村長達の会話をどこか遠くで聞いていた。
自分はヴィオよりも年上のはずなのに、少しも良い案は浮かばないし、対等に意見する事も難しかった。ヴィオはこういった采配に慣れているようで、動じる様子さえなかったのがアルにはとてもカッコ良く映った。
(きっと僕の方が、実際に力になれる事はあるはずなんだ)
アガタが入院する病院の所在地を聞いた時、思い浮かんだことがある。
その町はアルが家から出てきた時に立ち寄った場所で、例えばアルが双子を預かることができたのであれば、退院時にはアガタも一緒に村へ送り届けてあげることが出来るだろう。
町へのアクセスも、ルフテンフェルトよりもずっといい。
もし自分に戻る気があれば、双子の母親に何かあった時に様子を見てあげる事だって出来るだろう。
それが出来ると口に出せば、きっとみんな喜ぶだろうとそう思う。
面目躍如、ではないが見直してくれるんじゃないかという邪な考えが浮かぶ。
(でも一大決心で出てきたのに、そんな──)
くだらないプライドが邪魔をして、何も決断できない。
やっぱりカッコ悪い、と思う。
(僕は、どうしたいんだろう……)
もうそれすら良く分からなくなってきた。
収穫祭の練習は本当に楽しくて、ピアノを弾くのが好きだと言う気持ちには嘘偽りは少しもない。
それだけが本当で、ピカピカと輝いていたはずなのに。
(あれだけ上手いのに、家を継ぐから、ってサラッと言っちゃうんだもんなぁ……)
ヴィオの言葉を聞いていると、自分の決心なんて薄っぺらいものだったのだと思わされた。
その上音楽の道も諦めたわけではないのだと、そう言えてしまう自信と実力がヴィオにはあるのだろう。
『大なり小なり選択には責任が伴うし、その責任を負うのは選択したお前自身であるべきだ』
『だけど多くの場合何かを選択する事は他者を巻き込む』
ヴィオの言葉が頭の中で啓示のように響く。
「ちがうんだよ、ヴィオ君……」
そこまで考えてなかったんだ。
懺悔のように、空っぽの部屋でアルは呟く。
ヴィオに言われるまで、他人への、家族への影響なんて深く考えていなかった。
迷惑はかかるだろうと思っていた。だけど、その迷惑を具体的に想像しようとしてこなかった。何とかなるだろう、と楽観的に考えていた。
それよりもずっと、自分が決断できたこと自体に浮かれて、きっとこの後はうまくいくに違いない、と思っていたのだ。
「あぁ~~~~……」
呻いてベッドに突っ伏した。
カッコ悪い。すごく恥ずかしい。
(こんなんじゃリチェルさんも呆れるんだろうなぁ……)
あの天使のような人にまで呆れられたら、もう生きていけない気がする。
玄関が開く音が聞こえた。ヴィオの声とソルヴェーグの声がして、アルは反射的に毛布をかぶった。二人の声がドアの前で立ち止まる。
「それで、二人の世話はどうなるって?」
「収穫祭を終えなければ一旦落ち着いて話もできない、と言うことになりましてな。収穫祭の後は難しいでしょうから、翌日以降にまたガスパロ殿と村長でお話しすると言う事でした。ヴィオ様、流石にそろそろ……」
「分かっている。流石にそこまでは難しい。ガスパロさんにもそう話してるよ」
「そうですか……」
その後の二人の声は密やかになり、やがて話が終わったのかドアが開いた。
「…………アルフォンソ?」
声をかけられたが、咄嗟に寝たふりをした。
今ヴィオと話をして、マトモな答えを返せる気がしない。
ただでさえこの青年はアルから見て、一枚も二枚も上手なのだ。年下なのに見ているものが違って、ヴィオの期待する答えを何も返せそうにない自分が嫌になる。
「寝たのか。早いな……」
疑うこともなくヴィオはランプを文机に置くと、椅子に座る。ヴィオが作業をする気配を感じながら、アルはごめん、と毛布の中で念じた。
(だけどもう本当に、どうしていいのか、僕には──)
分からないんだ。と言う言葉は外に出ることなく、毛布の中で霧散する。
明日になればこの惨めな気持ちも一緒に流れてしまわないか、と祈りながら、アルはやがて沈むように眠りに落ちた。
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