Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー

雪葉あをい

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第2章 ADAGIO

op.08 おもちゃの交響曲(8)

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 同刻、ガスパロの家では村長とガスパロがリートとリリコのことを話していた。
 話にはヴィオとソルヴェーグはもちろんアルも同席していた。

 ヴィオとソルヴェーグは村長に声をかけられたからだったが、アルは自分から同席したいと言ったのだ。

 ひとまず確認したところ、アガタの病状はすぐに完治するものでもなく、入院期間はひと月以上かかるだろうと言われたらしい。

「差し出がましい事ではあるのですが、費用の方は大丈夫なのでしょうか?」

 ひと月以上の入院となると、費用は馬鹿にならないはずだ。
 アガタの家は男手がないし、失礼だが貯蓄が十分にあるようには見えなかった。ヴィオの疑問に、村長は曖昧に頷く。

「まぁ、それは私が引き受けるよ。アガタの家にはヤギと鶏がいるから、それを担保にして入院費用を貸そう。無理のない額を毎月返済してくれればいいと話すつもりだよ」

 村長の言葉にヴィオは目を瞬かせる。
 それは何というか、いくら村長とはいえど村の一家族には破格の対応ではないだろうか。

「それ以上に心配なのはリート達の面倒でね。さすがにひと月となると……」
「第一そのひと月というのも確実な訳でもないだろう」

 ガスパロの言葉に村長が考え込む。もし、とソルヴェーグが口を割った。

「村長が入院費用についてそこまでおっしゃるなら、それこそあの二人を預かるくらい何でもないのでは無いでしょうか」

 村長の家は旅人を泊める部屋もあり、十分な広さがある。

 入院費用をまかなってもいいというくらい肩入れしているなら、子ども達を預かることを渋る理由が分からない。
 二人にかかる費用が必要であれば、それこそ立て替えてアガタに返済をお願いすればいい話だろう。

 ソルヴェーグの言葉に、目に見えて村長がたじろいたのが分かった。
 その反応で少し前から疑念を抱いていたことが、若干確信に近づく。

 恐らくソルヴェーグもそれを意図して質問したのだろう。

「勘違いだったら申し訳ないのですが、村長にはあの二人を直接は預かれないご事情があるのではないでしょうか?」

 金銭面での援助は出来るけれども、直接的に彼らを助けられない事情が。
 村長のアガタへの対応は村の人間に対しての責任で片付けるには、いささか行き過ぎていると以前からヴィオも思ってはいたのだ。

 少なくとも年に一度の収穫祭の最中に、ここまで村長が気に病むほどの出来事ではないように思える。

「出過ぎた事でしたら申し訳ありません。いささか気になってしまいまして……」
「……いや。いや、疑問はごもっともだよ」

 ソルヴェーグの言葉に、村長がかぶりをふった。

「もしかして、テオさんが本当は三男だと言うこととご関係があったりしますか?」

 ヴィオが口を挟むと、今度こそ村長が驚きに目を瞬かせた。

 祭りの最中村人の一人が言っていた。
 あの時はスルーしたが、ただの言い間違いと言うには不自然だった。何か理由がなければ、その間違いは出てこないだろう。
 
 例えば元々は本当に三男だった、とか。

「そこまで聞いていたのか。そうか……。それなら、仕方ないね」

 村長が深く嘆息した。ガスパロは黙ったままだが特に驚いた様子はない。きっとガスパロは元より知っているのだろう。

「身内の恥を晒すようで心苦しいが、アガタの夫はうちの次男でね」

 ろくでもない息子だったよ、と村長は息をつく。

「賭け事も酒も大好きで、てんで働きやしない。何度も頭を下げたし、その度何度面目を潰されたことか、もう覚えていない程だよ。真面目な長男とは特にソリが合わなくてね。あわや殺し合いになりそうな喧嘩だってあった」

 だから次男が二十歳になった頃に村を追い出したのだ、と村長は語った。事実上の勘当で、幼い三男を次男と呼び表すことで決定的にしたのだという。

「アガタがうちを訪ねてきたのはそれから何年か後だった。
 まだ小さな双子を連れてね。事情を聞いてみれば、何と次男の嫁だという。ただアガタと出会って心を入れ替えたのか、村を出た息子はよく働いていたようだったよ。事故で死んでしまったと聞いて私も妻も衝撃を受けた。
 勘当したとはいえ、自分の子どもだったからね。その次男が、死に際にうちを訪ねるようアガタに言ったんだそうだ。『きっと助けてくれるから』と。不思議なもんだね。勘当して追い出したと言うのに、息子は私たちのことをまだ親だと思ってくれていたようだった。妻は私より余程衝撃を受けたのだろうね。その日は夜通し眠れなかったみたいだ」

 幸いだったのは、アガタの会話を長男が聞いていなかったことだと村長は笑った。

「長男は本当に次男と仲が悪くてね。あれは憎んでいたと言ってもいい。次代は長男に譲る事をもう決めていたし、アガタのことは知られてはいけないと思ったよ」

 だからアガタに村の端の家を与えたのだと村長は言った。ニワトリとヤギは村長が都合したらしい。長男にはアガタが持ってきた金だと誤魔化した。

「だけどねぇ、リートがどんどんうちの末っ子に似てくるんだよ」

 困ったように、だけどどこか愛情のこもった口調で村長が笑う。

「うちは男ばっかりで女の子もいないし、妻なんてリリコが本当に可愛いみたいでね」

 確かに。
 テオとリートの後ろ姿を思い出す。

 双子とテオが並んで歩く様子はヴィオから見ても違和感なく兄弟妹のように見えた。預かったら態度に出さない自信がない、と村長が苦笑する。

「長男ももう大きくなったから、いつか次男のことも許すだろうさ。今だって多分薄々気づいてて知らないふりをしているんだ。だがまだね」

 今じゃあない、と村長は首をふる。

「長男の息子は十になるが一緒に住んでる。アレも可愛い孫だよ。長男もとても可愛がっている。あの二人を預かれば、少しずつ許せる気持ちになっていた心がきっと逆立つだろう。色々ありすぎて、あいつも今はまだ溜飲が降りないんだよ。私は次男の父親でもあるが、同時に長男の父親でもあるからね。アガタには出来る限りのことをしてあげたいけれども、家には流石に預かれないよ」

 村長の言葉には深く考えたあとが透けて見えた。

 きっと今までも、深慮を重ねて、アガタや双子の面倒を見てきたのだろう。愛情は深く、だけど自分の子供達を冷静に見ることを決して忘れていない。

 だけど育ち盛りの子供を二人一ヶ月も預かれる余裕のある家は、流石に思い当たらないなと村長は苦笑する。そのお金を自分が工面すると言えば、話は長男の耳にも届いてしまう。

「ガスパロはね、事情を話した上でアガタを見てくれているから、そう言う話は回らないんだけどね」

 村長の言葉に、ガスパロが視線を逸らした。
 きっとそうやって約束して、ガスパロは今までもアガタと双子の事を見守っていたのだろう。

 とはいえ、ガスパロがお金のことは大丈夫だ、と言っていた意味がようやく腑に落ちた。元より村長が工面するはずだとガスパロは思っていたのだろう。だとしたら、双子の実質的な面倒が焦点になることも分かっていたのだ。

「ヴィオさん達はもう村を出るね?」
「はい、申し訳ないのですが明日には発とうと思っています」

 元々長くいすぎたのだ。村長も分かっていたらしく、そうか、と短く言っただけで引き止めようとはしなかった。

「子供の面倒を見るには女手がいるからね。君のところのお嬢さんはとても面倒見の良いお嬢さんで助かったよ」

 礼を伝えてほしい、と村長が目を細めた。また伝えます、とヴィオが応える。きっとリチェルも喜ぶだろう。

「何か力になれればと思ったのですが、何も出来ず申し訳ありません」

 事情を聞けば何か力になれるかもしれないと思ったのだが、いたずらに事情を掘り返しただけになってしまったのが心苦しい。

「じゃあやはり問題はあの子達の面倒を──」
「その事なんですけど……」

 と、弱々しく間に割って入った声があった。

 村長とガスパロに同時に見られて、声の主、アルは若干たじろいだが、何かを決めたようにキュッと唇を結んで顔を上げた。

「あの、何か手立てがあるようなら黙ってようと思ったんですけど、村の中にいた方が二人も慣れていて良いだろうし……。でも、その、もし預かり先がないのであれば……うちで預かっちゃダメでしょうか?」

 思ってもなかった申し出に、村長とガスパロが目を瞬かせる。ヴィオとて同様だった。

 アルの声はやや上ずっていた。
 きっとこの青年のことだからずっと考えていて、言い出すタイミングをはかっていたのだろう。

「出来るのか?」
「あぁ、うん。多分大丈夫だと思うよ。うちの親父そういうの気にする人じゃないし」

 村長が居住まいを正して、アルの方を向く。

「預かるというのは、あの双子をアルフォンソさんのお家で預かってもらうと言う事かい?」
「そ、そうです」

 話の矛先が自分に向いたからだろう。アルが緊張気味に答える。

「僕の実家はカスタニェーレという町で、ちょうどアガタさんの入院しているヴィタリが通り道なんです。だから何かあった時には二人を連れて行ってあげたり出来ると思うし、リート君もリリコちゃんも町には興味があるみたいだったから。アガタさんの退院と同時に一緒に村へお返しする、というのはどうかなって」
「それはもう、願っても無い申し出だよ」

 是非お願いしたい、という村長の声はとても嬉しそうだった。村の外へ預けるのだから、長男への面目もきっと立つだろう。

 何度も感謝の言葉を重ねられてアルが目に見えて恐縮する。

「ありがとう。この恩はいつか必ず」
「恩なんて、僕はただ……」

 言い淀んで、だけど何かを思い出したのかふっととアルの表情がやわらかなくなった。
 出会った時のような温和な笑みを嬉しそうに浮かべる。

「そうやって喜んでいただけることが、多分、とても嬉しいんです」





「良かったのか?」

 話が終わってそうアルに尋ねると、照れ臭そうにアルは頷いた。

「うん。色々考えたけれど、多分このままウィーンへ行くとずっと実家の事を引きずると思うんだ。それに自分のやりたい事ももう一度きちんと考えてみようと思って」

 迷いのない口調だった。

 昼間との違いに驚きはするが、経緯はどうあれ本人が納得したのであればそれが一番だろう。

「そうするのならリート君とリリコちゃんの事も解決するしね。本当は僕なら引き取れるなぁってずっと思ってたんだ」

 家に帰る事自体を迷っていたから、言い出せなかったのだとアルが苦笑する。きっとそれもアルがモヤモヤしていた原因の一つだ。

 だけど結果的に誰にとっても良い結果になったとは思う。あとはリートとリリコがどう思うかだが、あの双子の性格を考えると十中八九喜びこそすれ嫌がることはないだろうと思えた。

 そしてリートとリリコの処遇が決まったことに、思っていた以上にヴィオも安堵していた。その事に、自分でも少し驚いた。

「どう? お役に立てたかな?」
「あぁ、十分」

 ヴィオが頷くとアルが良かった、と嬉しそうに笑った。
 それはとても清々しい笑顔だった。




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