Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー

雪葉あをい

文字の大きさ
70 / 161
第3章 MENUETT

op.09 序奏とロンド・カプリチオーソ(2)

しおりを挟む
 昨日到着したばかりのヴィタリはこの地方の中心となる大きな町で、アガタが入院する病院がある場所でもあった。
 アガタのお見舞いと必要なものを買い込む必要もあったので、二日ほど立ち寄ることになった。

「人がいっぱいだぁ!」
「見て見て! お店がいっぱい!」

 昨日到着した時はもう時間も遅かったからだろう。朝からの街の賑わいに、リートとリリコがはしゃぎ回っている。

「こら、二人とも僕らからあんまり離れちゃいけないよ。近くにいて……」
「あ! リート見て! あのお店すっごく可愛いわ!」
「え、ぼくあっちに行きたい! ほらあそこに鳥がいるよ!」
「うわぁ! 二人とも言ってるそばからー!」

 散り散りに走っていってしまった双子を、アルが青ざめて追いかけていく。

「わたしリリコちゃんを追いかけてくるわ! ヴィオ達はここで待ってて!」

 唖然とするヴィオと微笑ましく笑うソルヴェーグを残して、リチェルは走り出したリリコを追いかける。

 予想していたことだが、周りが見えない程度には二人とも大興奮の様子だ。リチェルには聞こえていなかったが、残されたヴィオは『あの二人、当初の目的(=お見舞い)を忘れてるんじゃないか……?』と呟いていた。
 
 幸いリリコはすぐに掴まった。
 リリコちゃん! とリチェルが呼ぶと悪びれもせず笑顔で振り返る。

「これ見て! すっごく可愛い!」

 リリコがいたのはパン屋さんで、その一つを指差して笑う。花のような形をしたパンには、ドライフルーツがパラパラと散らされて、彩りを添えていて確かに可愛かった。

「可愛いでしょ?」
「うん! それに美味しそう!」

 お店の店員は若い女性だった。声をかけられて、リリコが笑顔で返事をする。

「すみません……!」
「いいえ、とんでもない。よく通る声で『可愛い~!』とか『美味しそう~!』とか言ってくれるといい宣伝になるからね。全然大歓迎よ。ね、お嬢ちゃん、このパン見たことない? お花の形をしてるでしょう。ロゼッタって言うのよ。上のフルーツは私の発案」
「え、すごーい! お姉さん一人でパン屋さんしてるの?」
「まさか。夫のお店なの」
「じゃあお姉さん、お嫁さんなのね! 素敵~!」

 きゃあ、と頬を染めてリリコが羨ましそうな声を上げる。まあ、と笑う女性も満更ではないらしく、嬉しそうに笑った。

「お嬢ちゃんももっと大きくなったら、きっと素敵な人が現れるわよ。あ、それよりもお姉さんの方が先ね。もしかしたらもういるかもしれないけど」
「え?」

 急に話を振られてリチェルが固まる。チラッとこちらを見上げたリリコは『リチェルお姉ちゃんはねぇ~』と何やら思わせぶりな口調で言うと、口元に手を当てる。

「当たった? いるの?」
「うーん、ドリョクシダイかなぁ……」
「努力次第? 何それ」

 クスクスと笑う二人の様子にリチェルは完全に置いてきぼりである。

 えっと、と戸惑うリチェルの背後から『リチェルさーん!』とアルの声が聞こえた。
 同じくリートを連れ戻したのだろう。
 リートを連れたアルがこちらに手を振って先に行ってるね、と身振り手振りで伝えてくる。
 
 リチェルが店員に事情を言って頭を下げると、店員もそれ以上引き止める気はなかったのか会話を続けることはなかった。
 軽く手を振って別れると、リチェルはリリコの手を繋いで歩き出す。

「もう、リリコちゃん。勝手にどこかに行ったらダメよ?」
「はーい。でもパン屋さんのお嫁さんって言うのもアリかも。毎日美味しいパンが食べられるし、あ、だめ。それならケーキの方がいいわ。ねぇ、リチェルお姉ちゃんはどんなお家の人と結婚したい?」

 不意に問われて、リチェルは言葉に詰まる。

 結婚相手。
 リリコが当然のように語る未来を、リチェルは持っていない。

 考えたことないわ、と笑って返すとえー、とリリコが不満そうな声を上げた。

「ヴィオお兄ちゃんは?」
「え?」

 心臓が一瞬はねた。
 だけど小さな子どもの言う事だからと、すぐに気持ちを落ち着かせる。以前アルにも聞かれたが、ヴィオはとても良い家柄の貴族の長男で、そんな事を口にする事すらきっと失礼に当たってしまう。

(あれ……?)

 前もそう思ったはずなのに、今は何故だか少しだけ胸が痛んだ気がして、リチェルは戸惑う。
 だけどすぐに雑念を振り払った。そんな事軽はずみに言ってはダメよ、と口にしようとして、『ねぇ』というリリコの声に遮られる。

 見下ろすと、思いのほか真剣にこちらを見上げるリリコと目が合った。

「結局、ヴィオお兄ちゃんとリチェルお姉ちゃんってどうなの?」
「どうって?」
「恋人なのかどうかってこと」

 パチパチと目を瞬かせる。リリコはまだ小さな女の子のはずなのに、その口調が何故かものすごく大人びて感じる。
 実際リリコはリートとはまた違った方向で大人びた所がある。

 困ったように笑って、違うわ、と口にする。

「ヴィオは少し事情があって厚意でわたしを預かってくれているだけなの。リリコちゃんが考えているような事は何もないのよ」

 だからヴィオにもそんな事を聞いてはダメよ、と今度はちゃんと口にする。困らせてしまうから、と言うとリリコはしぶしぶ頷いた。

 そう、困らせてしまうのだ。
 とまるで自分に言い聞かせるみたいに、リチェルは心の中で繰り返す。そばにいられるだけで、今一緒にいられるだけで、こんな幸せなことはきっとない。

「……ふーん、そうなんだ」

 隣を歩くリリコは何だか意味深にそう呟いていたが、やがて全く予想外のセリフを口にした。

「じゃあ、リリコがもらってもいいのね?」
「え?」

 裏返った声が出た。
 ニッコリと笑って『うん、そうしよ』とリリコが無邪気な声を上げる。

「だってヴィオお兄ちゃんってすっごくカッコいいし、着てるものもすっごく良いものでしょ。きっとすっごくいいお家の御曹司だと思うの。そう、いわゆるタマノコシってやつね!」

 ぐっと拳を握るリリコ。確かに間違っていない。間違っていないが。

「あ、あのリリコちゃん……?」

 幼い女の子の口から出てくるには、いささか不似合いな単語だと言うことはリチェルにさえ分かる。

「いい男は見つけたらすぐに首根っこ押さえとかなきゃダメよ! っていっつもお母さんが言ってたもの!」

 アガタさん……!

 思わず喉元まで悲鳴が出かかった。
 病床のアガタの姿とリリコの今のセリフが全く結びつかない。だけどもよく考えたら、幼い双子を女で一つで育てている女性なのだからきっと強い人である事は間違いないのだろう。

「そうと決まれば早速アプローチしなきゃ! リリコの魅力を余す事なく伝えるわ!」

 パッとリチェルの手を離して、ヴィオお兄ちゃーーーーん! と猪よろしく雑踏の向こうで待つヴィオの元へとリリコが駆けていく。
 抜群の運動神経で駆けていくリリコを我に返ったリチェルも急いで追いかけた。

「リリコちゃん、走っちゃダメ──!」
「わっ──!」

 追いかけようとしたリチェルに横から微かに驚きの声が上がった。
 足に何かが引っかかったと思った時にはリチェルはバランスを崩していて、一瞬遅れて倒れそうになったリチェルの手を誰かが掴んだ。

 地面に倒れる途中でリチェルの身体が止まる。

「大丈夫で──、え?」
「あ──」

 助けてくれた人の深緑の瞳と、視線が交わる。
 一瞬の間。驚きに目を見開いた相手に、リチェルもぱちぱちと目を瞬いて──。

「わっ!」
「きゃっ!」

 同時にバランスを崩して派手に道に倒れ込んだ。

「エド!」
「リチェル!」

 パタパタと走ってくる音がする。
 駆け寄ってきたヴィオに後ろから助け起こされて、リチェルはごめんなさい、と謝る。同じく駆け寄ってきた男性がリチェルを助けようとしてくれた主を助け起こしている。

 意外にも相手はリチェルより少し年下と言って良いくらいの少年だった。亜麻色の髪が帽子の隙間から少しだけ跳ねている。

「すみません。うちのが迷惑を」
「いえ、こちらこそ。お怪我はありませんか?」

 ヴィオと男性が謝罪を交わし、そしてお互い不意に無言になった。ヴィオが驚いたように少年を見ている。そして少年を助け起こした男性も同じようにリチェルを見ていた。

「な……」
「これは、また……」

 リチェルも呆然としたように目の前の少年を見る。

 亜麻色の髪。
 深緑の瞳。

 そう、ぶつかった少年は驚くほどリチェルとそっくりだった。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

拾われ子のスイ

蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】 記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。 幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。 老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。 ――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。 スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。 出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。 清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。 これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。 ※週2回(木・日)更新。 ※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。 ※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載) ※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す

RINFAM
ファンタジー
 なんの罰ゲームだ、これ!!!!  あああああ!!! 本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!  そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!  一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!  かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。 年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。 4コマ漫画版もあります。

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

公爵家の秘密の愛娘 

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。 過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。 そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。 「パパ……私はあなたの娘です」 名乗り出るアンジェラ。 ◇ アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。 この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。 初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。 母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞  🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞 🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇‍♀️

処理中です...