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第4章 RONDO-FINALE
op.15 悲しみと涙のうちに生まれ(12)
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「マリアさん」
その日の休憩中に、後ろから声をかけられてリチェルは振り返った。
マリアはリチェルが屋敷に入る時に、エリーがつけてくれた偽名だ。屋敷内でエリーと並ぶことはまずないものの、リチェルはエリーに似ているし、念の為と渡された眼鏡をかけてリチェルは屋敷で仕事をしている。
リチェルがイングリットの世話役というあまり屋敷のメイドと関わる機会の少ない配置だからか、今のところ誰かに顔が似ていると言われた事はない。
話しかけてきたメイドはリチェルより少し年上の女性だった。
「あの、今日はバルバラさんが外に出られているみたいでいないんです。マリアさんのご飯、残しておくように聞いていたから下にあるんですけれど、食べますか?」
「頂きます。教えて下さってありがとうございます」
笑ってお礼を言うと、話しかけてきたメイドが『あの……』と言い辛そうに続ける。
「もし良かったら一緒にお昼食べませんか? 今休憩中のメイドで集まって食べてるんですけれど……」
思わぬ申し出にキョトンとする。リチェルやバルバラは待遇が他の使用人と違うからか遠巻きに見られていることが多く、そんな風に話しかけてもらえるのは初めてだったのだ。クライネルトではリチェルは孤児として扱われていたし、制服を着た使用人にそんな風に丁寧に声をかけてもらえる事自体もとても新鮮だった。
「あ、ダメなら良いんです! ごめんなさい!」
「いえ! 全然ダメじゃないです!」
気付けばそう答えていた。エリーの事を考えると、あまり関わらない方がいいのだろうかとも思うが、せっかく誘ってくれたのに断るのも申し訳なかった。
「じゃあ、ご一緒してもいいでしょうか?」
「え、本当に⁉︎ わ、良かった。じゃあ是非。みんな食堂の方にいるんです」
そう言ってメイドがリチェルをみんながいる場所に引っ張っていってくれる。彼女の名前はイーダで、話しかけるのは少し勇気がいったのだと話してくれた。
「だってマリアさん、エアハルト様の知人のご紹介で入ったんでしょう? 奥様が元気になるまでの間のお付きだって聞いて、気軽に話しかけていいものか迷っちゃって」
イーダの言葉にごめんなさい、と恐縮する。確かにリチェルはこの一週間と少し、屋敷に慣れるのに必死で他の使用人のことまでは気が回らなかった。職務も生活スペースも違うものだから、挨拶はするものの落ち着いて話すことはなかったのだ。
イーダが連れて行ってくれた食堂は、多くて七~八人が座れるくらいの狭いスペースで、その日は三人のメイドが食事を取っていた。イーダがリチェルを連れて入ると、一瞬驚いた顔をしたものの、みんなすぐに快く迎え入れてくれる。リチェルの紹介もそこそこに、メイド達はご飯を食べながら好き勝手に話をしていた。
内容は最近の流行りから気の合わない同僚の話まで多岐に渡って、ポンポンと移り変わる会話はリチェルには付いていくだけで大変だった。邪魔をしないように相槌を打ちながら食事をとっていると、不意に一人が『それにしてもお庭が寂しいよねぇ』と口にした。
「分かる分かる。せっかくこんな広いお庭があって、木だっていっぱい生えてるんだからもっと飾りつければ良いのに。お金もあるでしょ」
「ダメだよ、そんな滅多なこと言っちゃ。奥様がご病気なのに庭だけキラキラさせられないでしょ」
「それにお金があるのかどうかも微妙だよね。何か私達が雇われる前に家令が辞めさせられたって言うし。マリアさんって、エアハルト様の紹介なんでしょ? 何か知ってる?」
急に話を振られて、ビクリとする。エリーに聞いて事情は知っているものの、口にしてはいけないと言うことくらいはリチェルにも分かっている。下手に口を開くとボロが出てしまいそうで、リチェルはただ首を横に振った。
「わたしはお声をかけて頂いただけなので、おうちの事情は知らないんです」
「そっかぁ。ねぇ、マリアさん。奥様ってやっぱり怖い? エアハルト様のお母さんって、亡くなるまでずっと奥様が閉じ込めてたって話じゃない」
一人のメイドの言葉に『やめましょうよ』とイーダが声を上げる。
「あたしも奥様とお嬢様が仲悪かったって話は聞きますけど、少なくとも皆待遇が良いからここで働いてる訳だし。奥様が使用人に手を上げたって話も聞いた事ないじゃないですか。あたし達はともかく奥様のおそばに仕えているマリアさんからしたら良い気分になる話じゃないでしょ」
イーダの言葉にメイド達がバツが悪そうな顔になった。居心地の悪い空気感にオロオロして、リチェルは『良いんです』と慌てて口を開く。
「働いているお屋敷のことは気になって当然だと思いますし。でも、安心していただけるかどうかは分からないですけど、奥様はとても立派な方で、わたしは全然怖いと思ったことはありません」
それより、とリチェルは話題を逸らす。
「あの、さっきお庭の飾りつけをとおっしゃっていたのは何かあるんですか?」
リチェルの一言に、イーダをはじめメイド達がギョッとしたのが分かった。キョトンとするリチェルに『え、ちょっとマリアさん⁉︎』とイーダが驚きの声をあげる。
「何言ってるんですか! もうすぐ聖誕祭じゃないですか!」
「あ!」
これにはリチェルもいけない、と口元を押さえた。バタバタしていて気づかなかったけれど、もう十二月に入っている。リチェルは屋敷から出ていないから知らないけれども、町はもうクリスマス一色に染まっているはずだ。
「やだ、マリアさんってば! でも奥様のお付きだと町にもいけないですもんね! それでもクリスマスを忘れるなんてこと、なかなかないと思いますけど!」
「このお屋敷にはモミの木もたくさん生えてるから勿体無いですよね。昔はもっと飾り付けしてたのかなぁ。庭師の数が減ってるって話は聞かないけど」
そう言って、メイドの一人が立ち上がると窓をあける。
ハーゼンクレーヴァーの屋敷は広大な庭に囲まれていて、たくさんの木が植えられている。
あ、雪降ってる。とメイドが零した。ちらちらと舞う粉雪の向こうで、モミの木と見られる木々が自然のままの姿で静かに佇んでいた。
「やっぱり勿体無いなぁ。あんな立派な木がいっぱいあるのに。うちはリースくらいしか飾れないんですけど、子ども達はすごく嬉しそうで、日曜日にロウソクに火をつけるのをすっごく楽しみにしてるんですよ。毎日そればっか」
下手くそな歌を歌いながら走り回ってるんですよね、とメイドの一人がクスクス笑う。
「歌ってどれ?」
「童謡よ。あれ、何だっけ。ど忘れしちゃった、木のやつ」
あれあれ、と言うメイドの言葉にリチェルも頭を巡らせる。
「モミの木、ですか?」
モミの木は、クリスマスキャロルとして歌われる有名なドイツ民謡だ。
クライネルトにいた頃、クリスマスの時期になると団員がよく口ずさんでいたし、ラクアツィアの孤児院でも歌われていた。
覚えているメロディーをワンフレーズなぞると、先程クリスマスを意識してなかった時のようにギョッとしてメイド達がリチェルを見た。
「あ、あの……」
思わずビクリとする。また何かまずいことをしただろうかと思った次の瞬間、一斉にメイド達に詰め寄られた。
「え⁉︎ マリアさんもう一回歌って⁉︎」
「嘘⁉︎ 何かめちゃくちゃ上手かったんだけどマリアさんって聖歌隊とかにいたの⁉︎」
「バカ、聖歌隊は男の子でしょ⁉︎」
「とにかくもう一回! はい!」
「は、はい……!」
勢いに促されるがままに、リチェルはスッと息を吸うともう一度覚えているメロディーを歌い始めた。
その日の休憩中に、後ろから声をかけられてリチェルは振り返った。
マリアはリチェルが屋敷に入る時に、エリーがつけてくれた偽名だ。屋敷内でエリーと並ぶことはまずないものの、リチェルはエリーに似ているし、念の為と渡された眼鏡をかけてリチェルは屋敷で仕事をしている。
リチェルがイングリットの世話役というあまり屋敷のメイドと関わる機会の少ない配置だからか、今のところ誰かに顔が似ていると言われた事はない。
話しかけてきたメイドはリチェルより少し年上の女性だった。
「あの、今日はバルバラさんが外に出られているみたいでいないんです。マリアさんのご飯、残しておくように聞いていたから下にあるんですけれど、食べますか?」
「頂きます。教えて下さってありがとうございます」
笑ってお礼を言うと、話しかけてきたメイドが『あの……』と言い辛そうに続ける。
「もし良かったら一緒にお昼食べませんか? 今休憩中のメイドで集まって食べてるんですけれど……」
思わぬ申し出にキョトンとする。リチェルやバルバラは待遇が他の使用人と違うからか遠巻きに見られていることが多く、そんな風に話しかけてもらえるのは初めてだったのだ。クライネルトではリチェルは孤児として扱われていたし、制服を着た使用人にそんな風に丁寧に声をかけてもらえる事自体もとても新鮮だった。
「あ、ダメなら良いんです! ごめんなさい!」
「いえ! 全然ダメじゃないです!」
気付けばそう答えていた。エリーの事を考えると、あまり関わらない方がいいのだろうかとも思うが、せっかく誘ってくれたのに断るのも申し訳なかった。
「じゃあ、ご一緒してもいいでしょうか?」
「え、本当に⁉︎ わ、良かった。じゃあ是非。みんな食堂の方にいるんです」
そう言ってメイドがリチェルをみんながいる場所に引っ張っていってくれる。彼女の名前はイーダで、話しかけるのは少し勇気がいったのだと話してくれた。
「だってマリアさん、エアハルト様の知人のご紹介で入ったんでしょう? 奥様が元気になるまでの間のお付きだって聞いて、気軽に話しかけていいものか迷っちゃって」
イーダの言葉にごめんなさい、と恐縮する。確かにリチェルはこの一週間と少し、屋敷に慣れるのに必死で他の使用人のことまでは気が回らなかった。職務も生活スペースも違うものだから、挨拶はするものの落ち着いて話すことはなかったのだ。
イーダが連れて行ってくれた食堂は、多くて七~八人が座れるくらいの狭いスペースで、その日は三人のメイドが食事を取っていた。イーダがリチェルを連れて入ると、一瞬驚いた顔をしたものの、みんなすぐに快く迎え入れてくれる。リチェルの紹介もそこそこに、メイド達はご飯を食べながら好き勝手に話をしていた。
内容は最近の流行りから気の合わない同僚の話まで多岐に渡って、ポンポンと移り変わる会話はリチェルには付いていくだけで大変だった。邪魔をしないように相槌を打ちながら食事をとっていると、不意に一人が『それにしてもお庭が寂しいよねぇ』と口にした。
「分かる分かる。せっかくこんな広いお庭があって、木だっていっぱい生えてるんだからもっと飾りつければ良いのに。お金もあるでしょ」
「ダメだよ、そんな滅多なこと言っちゃ。奥様がご病気なのに庭だけキラキラさせられないでしょ」
「それにお金があるのかどうかも微妙だよね。何か私達が雇われる前に家令が辞めさせられたって言うし。マリアさんって、エアハルト様の紹介なんでしょ? 何か知ってる?」
急に話を振られて、ビクリとする。エリーに聞いて事情は知っているものの、口にしてはいけないと言うことくらいはリチェルにも分かっている。下手に口を開くとボロが出てしまいそうで、リチェルはただ首を横に振った。
「わたしはお声をかけて頂いただけなので、おうちの事情は知らないんです」
「そっかぁ。ねぇ、マリアさん。奥様ってやっぱり怖い? エアハルト様のお母さんって、亡くなるまでずっと奥様が閉じ込めてたって話じゃない」
一人のメイドの言葉に『やめましょうよ』とイーダが声を上げる。
「あたしも奥様とお嬢様が仲悪かったって話は聞きますけど、少なくとも皆待遇が良いからここで働いてる訳だし。奥様が使用人に手を上げたって話も聞いた事ないじゃないですか。あたし達はともかく奥様のおそばに仕えているマリアさんからしたら良い気分になる話じゃないでしょ」
イーダの言葉にメイド達がバツが悪そうな顔になった。居心地の悪い空気感にオロオロして、リチェルは『良いんです』と慌てて口を開く。
「働いているお屋敷のことは気になって当然だと思いますし。でも、安心していただけるかどうかは分からないですけど、奥様はとても立派な方で、わたしは全然怖いと思ったことはありません」
それより、とリチェルは話題を逸らす。
「あの、さっきお庭の飾りつけをとおっしゃっていたのは何かあるんですか?」
リチェルの一言に、イーダをはじめメイド達がギョッとしたのが分かった。キョトンとするリチェルに『え、ちょっとマリアさん⁉︎』とイーダが驚きの声をあげる。
「何言ってるんですか! もうすぐ聖誕祭じゃないですか!」
「あ!」
これにはリチェルもいけない、と口元を押さえた。バタバタしていて気づかなかったけれど、もう十二月に入っている。リチェルは屋敷から出ていないから知らないけれども、町はもうクリスマス一色に染まっているはずだ。
「やだ、マリアさんってば! でも奥様のお付きだと町にもいけないですもんね! それでもクリスマスを忘れるなんてこと、なかなかないと思いますけど!」
「このお屋敷にはモミの木もたくさん生えてるから勿体無いですよね。昔はもっと飾り付けしてたのかなぁ。庭師の数が減ってるって話は聞かないけど」
そう言って、メイドの一人が立ち上がると窓をあける。
ハーゼンクレーヴァーの屋敷は広大な庭に囲まれていて、たくさんの木が植えられている。
あ、雪降ってる。とメイドが零した。ちらちらと舞う粉雪の向こうで、モミの木と見られる木々が自然のままの姿で静かに佇んでいた。
「やっぱり勿体無いなぁ。あんな立派な木がいっぱいあるのに。うちはリースくらいしか飾れないんですけど、子ども達はすごく嬉しそうで、日曜日にロウソクに火をつけるのをすっごく楽しみにしてるんですよ。毎日そればっか」
下手くそな歌を歌いながら走り回ってるんですよね、とメイドの一人がクスクス笑う。
「歌ってどれ?」
「童謡よ。あれ、何だっけ。ど忘れしちゃった、木のやつ」
あれあれ、と言うメイドの言葉にリチェルも頭を巡らせる。
「モミの木、ですか?」
モミの木は、クリスマスキャロルとして歌われる有名なドイツ民謡だ。
クライネルトにいた頃、クリスマスの時期になると団員がよく口ずさんでいたし、ラクアツィアの孤児院でも歌われていた。
覚えているメロディーをワンフレーズなぞると、先程クリスマスを意識してなかった時のようにギョッとしてメイド達がリチェルを見た。
「あ、あの……」
思わずビクリとする。また何かまずいことをしただろうかと思った次の瞬間、一斉にメイド達に詰め寄られた。
「え⁉︎ マリアさんもう一回歌って⁉︎」
「嘘⁉︎ 何かめちゃくちゃ上手かったんだけどマリアさんって聖歌隊とかにいたの⁉︎」
「バカ、聖歌隊は男の子でしょ⁉︎」
「とにかくもう一回! はい!」
「は、はい……!」
勢いに促されるがままに、リチェルはスッと息を吸うともう一度覚えているメロディーを歌い始めた。
応援ありがとうございます!
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