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第4章 RONDO-FINALE
op.15 悲しみと涙のうちに生まれ(19)
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朝の空気はキンと冷えていた。
半月以上お世話になったお屋敷を振り返って、リチェルは礼をする。扉の前にはエリーが言ってくれた通り馬車が止まっていて、リチェルが玄関から出てくるのを見た御者が駆け寄って荷物を運んでくれた。
(エリーはまだかしら……?)
一緒に行くと言っていたから、ここで待っていたら来てくれるのかもしれない。リチェルがレーゲンスヴァルトに来た頃に比べると随分と外は寒くなったが、昨晩エリーが厚手のコートを用意してくれたおかげで身体はポカポカしていた。
と、玄関の扉が開いた。
「あ、エリー」
「お待たせしました、姉様!」
そう言ってパタパタとエリーが駆け寄ってくる。その姿が随分と軽装だったので、リチェルは目を丸くする。
「エリー、それでは風邪を引くわ」
手に持ったショールを広げようとしたリチェルを慌ててエリーが止める。
「いや、良いんです! あの、ちょっと、予定が変わりまして……」
「一緒に行かないの?」
エリーがここでお別れとなると、それは少し寂しい。だけどエリーも忙しいのだから仕方がないのだろうと肩を落としたリチェルに『違います違います!』と慌ててエリーが否定した。
「それが、その、なんて説明すれば良いのか……」
「エリー」
不意に低く落ち着いた声が響いた。
つられて顔を上げて、玄関から出てきた人物の姿に目を丸くする。全身黒い衣服で身を包んだ貴婦人が、使用人が開いた扉から出てきたのだ。
「奥様」
思わずリチェルが声を上げた。
イングリットも上に何かを羽織っている訳ではなく、反射的に駆け寄ってリチェルは自分のショールをイングリットにかけた。
「病み上がりなのに、また体調をくずされたら──」
「……このショール」
イングリットの声がかすかに震えている。
「奥様?」
不思議に思ってリチェルが問いかけると、イングリットは抑えた声で『これは、お前の?』と尋ねた。戸惑いながら、リチェルは『母のものです』と正直に答える。
「母が大事にしていたものだと、以前お世話になった方に教えていただきました」
リチェルの言葉にイングリットはしばらく黙っていた。やがて、その唇が『そう……』と吐息のように言葉を紡ぐ。
「……当に、捨てたものだと思っていたわ」
意味がわからず首をかしげると、イングリットは口元にかすかに笑みを浮かべてリチェルを見た。後ろを振り返ると、何だか恥ずかしそうに笑うエリーと目が合った。
リチェルにはよく状況がわからないままだ。キョトンとするリチェルの前で、イングリットはわざとらしく咳払いをするとリチェルに向き直る。その瞳がわずかに泳いでいる。
「その、お前さえ良ければなのだけど……」
深緑の瞳がリチェルを見る。勘違いじゃなければ、イングリットの様子はどこか怯えているように見えた。この一ヶ月でリチェルが見たことのない心細さを含んでいるような、そんな気がする。イングリットの結んだ唇がかすかに震えている。
「少し、私と話をしてくれないかしら」
意外な言葉にキョトンとする。
息を吐き出して、イングリットが勇気を振り絞るみたいに震える声でその名を紡ぐ。
「──リチェル」
驚いて、イングリットを見る。
後ろを振り返ると、エリーが今度こそ嬉しそうに笑った。もう一度仰ぎ見たイングリットは少し居心地が悪そうで、だけどリチェルから目を逸らそうとはしなかった。
「……はい」
呼ばれた名に応えるようにその手を取るとリチェルは笑う。
「はい!」
気付けば太陽が雲間からのぞいていた。色彩に乏しい真冬の庭に、柔らかく、温かな光が差し込まれていく。
いつか来る、春の訪れを告げるように。
半月以上お世話になったお屋敷を振り返って、リチェルは礼をする。扉の前にはエリーが言ってくれた通り馬車が止まっていて、リチェルが玄関から出てくるのを見た御者が駆け寄って荷物を運んでくれた。
(エリーはまだかしら……?)
一緒に行くと言っていたから、ここで待っていたら来てくれるのかもしれない。リチェルがレーゲンスヴァルトに来た頃に比べると随分と外は寒くなったが、昨晩エリーが厚手のコートを用意してくれたおかげで身体はポカポカしていた。
と、玄関の扉が開いた。
「あ、エリー」
「お待たせしました、姉様!」
そう言ってパタパタとエリーが駆け寄ってくる。その姿が随分と軽装だったので、リチェルは目を丸くする。
「エリー、それでは風邪を引くわ」
手に持ったショールを広げようとしたリチェルを慌ててエリーが止める。
「いや、良いんです! あの、ちょっと、予定が変わりまして……」
「一緒に行かないの?」
エリーがここでお別れとなると、それは少し寂しい。だけどエリーも忙しいのだから仕方がないのだろうと肩を落としたリチェルに『違います違います!』と慌ててエリーが否定した。
「それが、その、なんて説明すれば良いのか……」
「エリー」
不意に低く落ち着いた声が響いた。
つられて顔を上げて、玄関から出てきた人物の姿に目を丸くする。全身黒い衣服で身を包んだ貴婦人が、使用人が開いた扉から出てきたのだ。
「奥様」
思わずリチェルが声を上げた。
イングリットも上に何かを羽織っている訳ではなく、反射的に駆け寄ってリチェルは自分のショールをイングリットにかけた。
「病み上がりなのに、また体調をくずされたら──」
「……このショール」
イングリットの声がかすかに震えている。
「奥様?」
不思議に思ってリチェルが問いかけると、イングリットは抑えた声で『これは、お前の?』と尋ねた。戸惑いながら、リチェルは『母のものです』と正直に答える。
「母が大事にしていたものだと、以前お世話になった方に教えていただきました」
リチェルの言葉にイングリットはしばらく黙っていた。やがて、その唇が『そう……』と吐息のように言葉を紡ぐ。
「……当に、捨てたものだと思っていたわ」
意味がわからず首をかしげると、イングリットは口元にかすかに笑みを浮かべてリチェルを見た。後ろを振り返ると、何だか恥ずかしそうに笑うエリーと目が合った。
リチェルにはよく状況がわからないままだ。キョトンとするリチェルの前で、イングリットはわざとらしく咳払いをするとリチェルに向き直る。その瞳がわずかに泳いでいる。
「その、お前さえ良ければなのだけど……」
深緑の瞳がリチェルを見る。勘違いじゃなければ、イングリットの様子はどこか怯えているように見えた。この一ヶ月でリチェルが見たことのない心細さを含んでいるような、そんな気がする。イングリットの結んだ唇がかすかに震えている。
「少し、私と話をしてくれないかしら」
意外な言葉にキョトンとする。
息を吐き出して、イングリットが勇気を振り絞るみたいに震える声でその名を紡ぐ。
「──リチェル」
驚いて、イングリットを見る。
後ろを振り返ると、エリーが今度こそ嬉しそうに笑った。もう一度仰ぎ見たイングリットは少し居心地が悪そうで、だけどリチェルから目を逸らそうとはしなかった。
「……はい」
呼ばれた名に応えるようにその手を取るとリチェルは笑う。
「はい!」
気付けば太陽が雲間からのぞいていた。色彩に乏しい真冬の庭に、柔らかく、温かな光が差し込まれていく。
いつか来る、春の訪れを告げるように。
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