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第4章 RONDO-FINALE

op.16 春風吹き渡る時(4)

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 私室へ帰って着替えを終えると、待ち構えていたようにフォルトナーが部屋の扉を叩いた。
 中へ入るよう促すと、聞き及んでいるのか使用人達は入れ替わるように退室する。

 フォルトナーが机に置いてくれたカップからは深煎りの香ばしい豆の香りがして、息をついた。

「しばらく謹慎だそうだ」

 出されたコーヒーを一口飲んで淡々と告げると、フォルトナーも予想していたのか『そうですか』と特に驚いた様子もなく答えた。

「念の為尋ねるが、人払いは?」
「済ませていますよ。……素直にお受けになられたのですね」
「今は叔父上を刺激する気はないからな。それに俺が謹慎処分になったからといって大きな問題はないだろう」

 むしろ屋敷にいた方が、手に入れられる情報の精度も速度も上がる。
 そして必要に応じて実動を任せられる人間は他にいるのだ。隣に立つ執事をチラリと見上げてそう言うと、ヴィオの言いたいことを理解してフォルトナーがかすかに笑みを浮かべる。

「もちろんです。むしろヴィクトル様が屋敷にいてくれる方が余程やりやすいですよ」

 そう告げて、不意にフォルトナーが今までのことを思い出したのか重い息を吐き出す。本当に、と珍しく感情のこもった声が漏れた。

「──貴方の帰りをこれ程までに待ち侘びたことはありません」

 口調の端々にこれまでの苦労が滲み出る台詞だった。
 実際家の状況を一番歯痒い思いで見ていたのはこの執事だろう。ディートリヒが失踪したのはフォルトナーがソルヴェーグから執事を引き継いで一年も経たない時期だ。
 
 マイヤーの独断に口を出したくても、当のルートヴィヒがそれを許さない。
 父のように慕っていたソルヴェーグから大任を引き継いで一年ちょっとでこの状況に陥ったこと、ただ見ている事しか出来なかったこと、フォルトナーの心痛は察して余りある。

 流石に罪悪感を感じて、ヴィオも若干口が重くなる。

「……その、苦労をかけた」

 その状況下でも、フォルトナーが出来る限りのことをしてくれていることはヴィオも承知している。

「とんでもない。不甲斐ない我が身を恥じているだけです。ですが、今後はそのような心配はないと期待して良いのでしょう? 旦那様がいなくなられた今、私の主人はヴィクトル様なのですから」
「あぁ」
「それを聞いて安心しました」

 そう答えるフォルトナーの笑顔が心なしか生き生きしていて、心強いやら申し訳ないやら複雑な気持ちになりつつも、話はすぐに侯爵家の現状に移った。

 手紙に書いてあった通り、あまり状況は良くない。
 何人かマイヤーが声をかけた人間が屋敷に招かれているのは聞いていたが、ほとんどが経営にまつわる部分だ。ルートヴィヒは軍人であり、ディートリヒやヴィオのように後継教育を受けているわけではなく、経営や法律にも明るくない。外部から有識者を招くのは自然ではあるのだが──。

「とはいえ父上の縁を蔑ろには出来ないはずなんだがな。断りを入れて招いてるのか?」
「いえ、恐らくは内密にでしょう。先生方をお呼びした時に、明らかに旦那様より知識が劣る事を知られるのを嫌ったのではないでしょうか?」
「……つまり叔父上のプライドの問題だと?」
「平たく言えばそうですね」

 そう言えばそんな方だったな……、と脱力する。

 事あるごとに意見が衝突していたディートリヒとルートヴィヒだが、お互いの道が早くに分かれた為、実のところ互いを比較される機会は少なかったようだ。相手の専門分野の上では自身の不足を認めることも苦ではなかったのだろう。
 
 だが今は違う。
 ディートリヒの代理としているのであれば、それはそのまま兄の土俵だ。
 
 既知の人間を招けば力不足は浮き彫りになる。ディートリヒと既知の人物に比較され落胆されることは、ルートヴィヒにとって耐え難い屈辱であることは想像に難くない。そしてきっとマイヤーもそれを分かっている。

(本当に、叔父上の事をよく理解している……)

 そんな人間が悪意を持って侯爵家にいたと言う事実に、頭が痛くなる。

「……フォルトナー。俺は叔父上が家督を乗っ取ろうと考えているとは今でも思っていないんだ。無論今の状況が明らかに叔父上が家督を相続した時に都合のいいように舵が切られているのは事実だが、個人的にはその事自体に叔父上が気付いていない可能性があると思っているんだがどう思う?」
「マイヤーの進言には点で結論を下してはいるだけで、それがルートヴィヒ様の中では像を結んでいる訳ではないと言う事ですね。確かに、その可能性は大いにあります」

 もちろんマイヤーの最終的な目的はルートヴィヒの家督相続だろう。だがその為に必要な要件だと堅物のルートヴィヒに馬鹿正直に言う必要はない。

「今回のマイヤーの手勢を屋敷に招いたことも、叔父上には別の理由で了承を得ているのではないかと思う」
「『旦那様の既知の方を呼ばれることに抵抗があるのであれば、事前に別の人間に意見を求めるのはいかがでしょう? 私の知り合いにちょうどいい人間が何人かいますよ。旦那様の事も知りませんし、忌憚ない意見が聞けるかと』というように?」
「……口調まで真似なくていい」
「失礼。あまりに長い間屋敷に居座られているので覚えてしまいまして」
「……お前、意外と根に持つタイプだったんだな」
「そんな事はございませんよ。ですが──」

 不意に声のトーンを落として、フォルトナーは続ける。

「マイヤーの計画は元より旦那様が亡くなっている事が前提で成り立っています。その事に心底憤りを覚えることは否定しません」

 ──あぁ、それは。

「それについては、俺も同じだ」

 静かに肯定を返す。

 ソルヴェーグと以前話していた時もずっと考えていた。マイヤーの策略はどれも父が生きていれば成り立たないものだ。数ヶ月の音信不通を考えれば不利な賭けでは決してないだろうが、前提としている条件があまりにライヒェンバッハを軽く見ている。

 考えれば考えるほど沸々と沸き上がる怒りは脇に置いて『とはいえ』とヴィオは話を元に戻す。

「俺が後継だと言うことは周知の事実のはずだ。ひっくり返す為の準備は十分とは言えないだろう。実績を積み上げるための時間が欲しいのが自然か」
「そうですね。ヴィクトル様はギリギリまだ成人していないので家を継ぐとしても、法定代理人が必要です。かなり微妙な時期であるのは間違いないかと」

 法定代理人を立てるのであれば、順当に行けばルートヴィヒになるだろう。
 マイヤーが今の状況をひっくり返すには、ヴィオに爵位を継承しない状態をいかに長引かせるかがキーになってくる。
 
 ヴィオの誕生日は一月だ。あと二ヶ月足らずであるが、その二ヶ月が長い。その上現在正式に当主代理を任されているのはルートヴィヒであり、ヴィオが十八になればすぐと言うわけにもいかない。
 現状が続けば続くほど、ヴィオやフォルトナーの手から領地の事は離れていくし、入る情報も減ってくる。

「ヴィクトル様、念の為確認ですが音楽院の方はどうされるつもりですか?」
「状況が状況だからな。戻るつもりはない。叔父上とお前に任せるのであれば異論はないが、今のままだと確実にそうはならないだろう。父上の喪が明ければ、恐らくマイヤーは本格的に内部に手をつけ始めるだろうし、今の状況が長引けば長引くほど向こうは有利な条件を揃えてくる」

 焦る気持ちを押し込めて、それと、と続ける。

「マイヤーにとって、一番のネックは叔父上の意思だと思う。マイヤーの計画は最終的に叔父上が家督の相続に同意しないとなし得ない。だが、叔父上がそれを肯定する理由が俺にはどうにも思いつかない。何か心当たりはあるか?」

 ヴィオの言葉にフォルトナーが静かに首を横に振る。

「ですが、マイヤーが何かしら確信を持っているのは間違いないと思います」
「それは俺も同感だ。その自信がどこから来るのかは引き続き探るとしても、手っ取り早いのはやはりマイヤーを追い出す事だ。その理由を作らないといけない」
「……マイヤーの差配した内容は全て洗い直しましたが、流石というか簡単に尻尾は掴ませてくれませんね。旦那様の思想とは異なりますが、不審な点は見当たりません。真面目に且つ慎重に取り組んでいると見て良いでしょう。ルートヴィヒ様だけではとてもさばききれなかったでしょうから、実際助けられているのも事実ですね」

 フォルトナーが事前に運び込んでいたのか、部屋の一角にまとめてある書類の山を指す。
 
 いくらルートヴィヒが役職にこだわろうとも、今までの執務を一番よく知っているフォルトナーを完全に締め出すことは不可能だったのか、フォルトナーは状況を良く把握していた。
 領地の事ですので出来る限り早く目を通しておいてくださいね、と言われてヴィオも頷く。

「……厄介だな。そうなるとやはり俺に尾行をつけていた事から追求するしかないな。マイヤーが二日違いで父上の死を報告できたのは、間違いなく俺を尾けていたからだろうから」
「そうですね。ルートヴィヒ様はマイヤーにヴィクトル様の捜索を命じていましたし、その事実を報告していなかった事が分かればそこから突き崩すのは可能でしょう。状況はこちらに不利ですが、後継問題についてはあちらに正義はありません。マイヤーを追い出せば、これ以上ルートヴィヒ様に入れ知恵する人間もいなくなります」 

 勿論それは向こうも先刻承知だろう。用心に用心を重ねているし、そう簡単に叩いて埃が出てくる訳でもない。フォルトナーもその難しさを分かっているからか、考え込むような素振りを見せる。

「ただルートヴィヒ様に虚偽の報告をしていた証拠をどうやって掴むかは考えなくてはいけませんね」
「それなら考えはある。探して欲しい人間がいるんだ」

 ヴィオが取り出した封筒を受け取ると、フォルトナーが中身を開く。二枚の種類の違う紙に視線を走らせて、これは? と問うてくる。

「マイヤーが俺の足跡を追うために使っていた人間の情報だ。情報が少なくて済まないが、出来るだけ早く探して欲しい」
「承知しました」

 合点がいったのか、フォルトナーは二つ返事で頷くと封筒を内ポケットにしまう。

「あとはルートヴィヒ様が現在のヴィクトル様が当主に足るか否かを追求してくるのは間違いないと思います。……それについては私からも詳しく聞かなければならないと思っていたのですが、宜しいでしょうか?」




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